第19話

「じゃあ……貴女が代わりに殴られる?」


 歪んだ微笑みを携えながら、真っ白な髪の美しい女性が近づいてくる。

 肘まであるグローブから蒸気のような煙を吹き出し、女は右腕を振りかぶる。


 しかし、李子リコは足がすくんで動けなかった。


「マスター!」

 大男が、初めて声を荒らげた瞬間だった。


 今まで、殴られて首が変な方向に曲がろうが、脇腹を蹴り飛ばされて地面を這いずろうが、反撃の素振りすら見せなかった大男──刀義トウギが、大声を上げて地面を蹴った。


 そしてそのまま、横から女に肩でタックルをかける。

 100kg以上ありそうな大男の全力タックルを受けて、女は横に跳ね飛ばされた。


 女が地面に転がるのとほぼ同時に、大男はすぐさま李子リコを庇うかのように彼女の前に立つ。


「マスターに手出ししないでいただきたい」

 先程までの柔らかい物腰とは打って変わり、毅然とした態度でそうハッキリ告げる。

 サングラスをしていないためあらわになっているその双眸は、瞳孔が紅く光り鋭く女を射抜いていた。


「このっ……」


 一度地面に転がった女だが、全身のバネを使って跳ね起きる。

 自分の歯が当たって切れた唇をベロリと舐めた。

「ポンコツの分際でっ……」

 彼女の両足のブーツから、先程グローブから出たような蒸気が吹き出す。


「私に触るなァ!!」

 女が、ヒビが入るほどの力で地面を蹴り、李子リコの前に立ちはだかる刀義トウギへと迫る。

 姿を追うだけでも大変なスピードだったが、刀義トウギはその動きを読んでいたかのように、後ろにいた李子リコを抱きかかえて横に避けた。


 女は空振りした突撃の勢いを地面を蹴って殺し、すかさず刀義トウギに追いすがった。


 刀義トウギは更に避けようとして──すぐそばに四葉ヨツハ真輔シンスケが立ち尽くしている事に気がつく。

 早い動きとは思えぬ素振りでそっと李子リコ四葉ヨツハの横に置くと、振り向きざまにそのぶっとい腕を薙ぎ払った。


 肉薄していた女は刀義トウギの腕がクリーンヒットしたが、左腕でなんとか顔を防御する。

 しかし、薙ぎ払われた勢いは強く横にゴロゴロと転がった。


 その時、ハッと我に帰ったのは加狩カガリ弘至ヒロシだった。


 あまりの出来事に呆然としてしまっていたのだ。

 自分の生徒たちが危険な目にあっているというのに。


鈴蘭スズラン! 警察に連絡!」

 尻のポケットに入っていたスマホを並び立っていた鈴蘭スズランに投げ渡す。

 そして自分は、転がった女と生徒たちの間に走り込んだ。


「事情はよく分からないがこれ以上はやめて下さい! 警察を呼びますよ!」


 ちょうど立ち上がろうとして立膝の状態になっていた女が、そう言う弘至ヒロシめ上げる。

「呼べるものなら呼んでみろ」

 地を這うかの如く低い声でそう呟く女の言葉に、弘至ヒロシ鈴蘭スズランの方を思わず向くと、鈴蘭スズランはスマホを手にして首を横に振っていた。

「圏外になっています」

 鈴蘭スズランは眉尻を下げて困ったようにそう弘至ヒロシに返す。


 そう言われて、弘至ヒロシはここまで来た時の違和感を思い出した。


 見覚えのない、暗く横道のなかった路地。

 現在地も分からない。

 少し広くなって空き地のように見えるが……地面はアスファルトだが周りがよく見えない。

 家があるのか塀があるのかすら判別できない。

 そういえば、自分たちが来た路地すら見えなくなっていた。


 何か、得体の知れないものによって、方法は分からないけれど閉じ込められた。

 電波もない状況なら、きっと何らかの方法で音も遮断されている筈。

 その証拠に、すぐ近くにある沢山の家から漏れてくる筈の生活音がしない。


 しかし、今がどんな状況だとしても、生徒たちを守らなくちゃ。

 何故なら、自分は先生なのだから。


 拳を握り締めて女と対峙する弘至ヒロシ

 立ち上がり、ゆっくりとした動作で近づいてくる女に、漫然まんぜんと恐怖を覚えた。


 弘至ヒロシは喧嘩などした事はない。

 人を殴った事もないし、むしろ殴り方すら知らない。

 でも弘至ヒロシは引かない。

 生徒たちが殴られるぐらいなら、自分が殴られた方がいい。

「先生!」

 弘至ヒロシの背中から、李子リコの声が上がる。

 その声に、弘至ヒロシの庇護欲が一気に掻き立てられた。


「邪魔だ」

 女が腕を伸ばしてくる。

 その手を振り払おうとして、弘至ヒロシは一瞬躊躇ちゅうちょした。

 相手は女性。しかも、10代後半とおぼしき若さで美人。

 ゴツいグローブやブーツを着けてはいるが、露出した腕などは弘至ヒロシには及ばないほど細くて白い。

 女性に暴力──

 生徒を守りたいという気持ちと弘至ヒロシの倫理観が激突し、身体の反応が遅れた。


 その一瞬の隙をつき、女は弘至ヒロシの肩口を掴み自分の方に引き寄せる。

 振り上げられた膝が、弘至ヒロシの腹筋にめり込んだ。

「ぐふっ」

 肺から空気が漏れてザコ敵のような声が漏らして地面に転がった。


「弱っ!」

 李子リコの驚きの声を、弘至ヒロシは腹を抱えながら聞きつつ、心の中で肯定した。


 そう、自分は弱い。

 昔から弱い。

 強かった事など一度もない。

 沸き起こった庇護欲で強くなれた気がしたが気のせいだった。


 弘至ヒロシに沸き起こったのは、悔しい地持ちでも屈辱でもなく、無力感だった。


 後ろでそんな様子を見ていた津下ツゲ真輔シンスケは、躊躇ちゅうちょしていた。

 自分も男である。

 同級生より背も高いし身体もがっしりしている。自分も李子リコ四葉ヨツハを守るべきではないのか。

 弘至ヒロシは確かに弱かった。

 でも一歩を踏み出せている。


 それに比べて自分は……


 握り締めた手が震えている。

 体験した事のない事態に身体が本能的に反応していた。

 これは恐怖か武者震いか──


 しかし、一歩が出ない。


 前に立つ大男──刀義トウギの大きな背中に安心感を覚えるが……

 それが余計に真輔シンスケの足を止めていた。


「マスターに手出しするなら容赦しません」

 低く渋い声で、ゆっくり近寄ってくる女にそう警告する刀義トウギ

「お前に出来るのか?」

 そんな言葉を、女は鼻で笑い飛ばした。

「え?」

 大きな背中に守られて安心していた李子リコが疑問の声を上げる。

 すると、刀義トウギは振り返らずに李子リコに説明した。

「……もともと警備を用途としないオートマータは人に暴力を振るえないようになっています。それに私は、子守ナニーオートマトンですので」


 聞きなれない言葉に李子リコは眉根を寄せる。

「ナニー?」

「はい。私の用途は子守り。乳児から義務教育終了までの子供のお世話をする事です」

「そんなナリでっ?!」

「よく言われます」

 ヘビー級プロレスラーのような出で立ちで、子守り。

 林檎すら粉砕できそうなその手でするのはオシメを変える事。


 え? 意味がわからない。


「あのっ……その筋肉は……」

 四葉ヨツハがおずおずと尋ねる。

 黒いツナギの作業着の下に隠した筋骨隆々とした身体はなんだと言うのだ──四葉ヨツハはつまりそう聞きたかった。

「オートマトンなので本物の筋肉ではありません。主な用途は鑑賞。マスターの好みなので」

「つまり……」

「見せかけです」


 あ、ダメ。コイツきっと使えない。


 四葉ヨツハは心底落胆した。

 しかしすぐさま復活して周りを見渡し、なんとか逃げる方法はないものかと模索する。


 だってまだ──


「目的は?! 貴女の目的はなんですか!」

 模索する四葉ヨツハと疑問だらけの李子リコの代わりに、真輔シンスケがやっと声を上げた。

 この状況を打破する為には自分がなんとか動かなきゃ。

 体は動かなくても、口はまだ動く。


「目的?」

 女がそう問われて小首を傾げる。

 何かを考えて──暗く淀んだ目を真っ直ぐに刀義トウギに向けた。

「そのオートマトンを壊す事。メチャメチャに」

 その言葉を発した瞬間、女のグローブからまた蒸気が上がった。


「そして──」


 猛烈な嫌悪と怒りで燃えた眼を、真っ直ぐに李子リコに向けた。


中邑ナカムラ李子リコを殺す事」

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