第18話

「そいつ──人間じゃないよ」


 フードを目深に被った女性が、楽しそうにそう呟く。

 黒いツナギに身を包んだ大男を指差しながら。


「……は?」

 女の言う事の意味が分からず、李子リコはポカンと口を開ける。

 そう言われて、指さされている男──刀義トウギをマジマジと見た。


 黒いツナギの作業着に地下足袋。

 盛り上がる筋肉が作業の下から自己主張している。日焼けしているかのように露出した手は浅黒かった。

 黒い髪を短く刈り込んでいて触ると痛そうなイメージがある。

 丁寧に手入れされた髭が口を囲み、顔に刻まれた皺が髭とともに渋さを醸し出している。

 そして、暗いのに何故かサングラスをかけていた。

 眉間には常に皺が寄っており、サングラスで目元は見えないが常に不機嫌そうな表情に見える。


 ──この人が、人間じゃない?


「幽霊とか……妖怪って事?」

 こんなに存在感抜群の幽霊とかって居るのかな?

 李子リコは首を捻る。

 そして

「あっ!!」

 気づいた。

 横に立つ四葉ヨツハの腕をグイグイ引っ張る。

「この人! ウチの居間に突然現れた人だよ!」

 そう言って李子リコは大男を指差した。


 そう言われて、四葉ヨツハも彼を観察する。

 しかし、そう言われればそんな気もするけど、違うと言われたらそうなのかもと納得してしまうぐらい、判別出来ない。

 顔もよく見ていなかったし、唯一髪型だけは見覚えがあった。

「そ……そうかな」

 そう言ったものの、自信は全く無かった。


「そうだよ! 絶対そう! 私がどんだけプロレスラー見てると思ってるの?! こういう人たちの区別なんて簡単につくよ!」

 鼻息荒く四葉ヨツハにそう詰め寄る李子リコ

 四葉ヨツハ、ドン引き。


 それって誇れるような事なのかな……


 幼馴染の誇りポイントがイマイチまだわからない。


 それは取り敢えず置いとくとして、幽霊ではないだろうと四葉ヨツハも思う。

「そうだとして……この人、人間じゃなかったら……なんなのかな……」

 李子リコの家の茶の間の、更にちゃぶ台の上に突然真っ裸マッパで現れた男。

 今は服を着ているが……何故か作業着と地下足袋。似合っている。悔しい程に似合っているが、そうじゃない。疑問はそこじゃない。


 女の言葉に一番驚いていたのは津下ツゲ真輔シンスケだ。

 自分が助けようとしていた人が──人間ではない?

 しかし、どこからどう見ても人間だ。

 真っ裸マッパだった時に(見たくて見たわけじゃないが)全身くまなく見ている。

 確かに常人離れした体格をしてはいるが、どう見ても人間だった。


 しかし、女がなんの根拠もなく、突然そんな脈絡のない事を言い出すはずがないと、真輔シンスケは思う。


 人間じゃない──だとしたら彼は──


「はい。私は人間ではありません」


 大男は、女の言葉に焦る事もなく言い繕う事もせず、あっさりそう告げた。


 自分から言っちゃった!

 電波か?!

 電波系か?!


 李子リコは身構える。

 どこの町にも『ヤバイ人』は一定数いる。

 彼もその類なのかと思い、李子リコは更に後ろに下がった。

 いくら好みの体格をしていようと、電波系ならお断りだ。


 そんな李子リコに、大男はゆっくりと向き直る。


「私は、NM058-03ベース、オリジナルカスタムオートマトン、刀義トウギです」


 どデカイ身体の腰を90度しっかり曲げて、李子リコに頭を下げる大男──刀義トウギ

 頭を上げると、サングラスの奥で紅く光る瞳孔を李子リコに向け──

「顔認証クリア。虹彩認証クリア。私は、貴女に会いに来ました、中邑ナカムラ李子リコ

 そうハッキリと告げた。


「オートマトン……自動……人形……」

 津下ツゲ真輔シンスケがポツリと呟く。

 すると、クルリと首だけを動かして真輔シンスケの方を向く刀義トウギ

「はい。私は俗にロボットと呼ばれる物です」

 なんの躊躇もなく言い切った。


 しかし、真輔シンスケには信じられなかった。

 彼は知っているのだ。

 まだこんな自立稼働できるこのサイズのロボットなど存在しない事を。

 まだこんな人間のように違和感なくコミュニケートできるAIなど存在しない事を。


 喋りながらも息継ぎのような動作をする為、おおよそ人工物のようには見えない。

 確かに、この暑い中走ったにも関わらず、息も切らさなかったし汗もかかなかった。

 しかも、迷彩服の男に投げられて窓をぶち破った割にピンピンしている。


 言われてみれば、確かにだと思わしき事柄だらけだ。


「アンタ……何なんだ……?」


 真輔シンスケがボソリと呟く。

 すると、刀義トウギは馬鹿正直に答える。


「私は今からおよそ60年後の未来から参りました。中邑ナカムラ李子リコに会いに。貴女の為に」


 最後のその一言で、李子リコの背中がゾクリと粟立った。


 今、彼は、何と言った?

 私の──


「じゃあ貴方は……60年後の未来から……私を殺しに……?」

 感じた事のない恐怖で暑いのに鳥肌が立つ李子リコ

 なのに頭の中では、また『こんな映画見た事ある。何のシーンだっけ?』と目の前の出来事を理解する事を放棄して現実逃避が始まろうとしていた。


 すると、再度李子リコの方へと刀義トウギは向き直り、何かを言おうと口を開いた。


 その時。


 蒸気が噴き出したかのような音とともに、影がフワリと浮いた。


 そして


 猛烈なスピードで繰り出した右ストレートを、女は刀義トウギの左頬にぶちかました。


 重い物同士がぶつかった鈍い音とともに、横に吹き飛ぶ刀義トウギ

 一緒に吹き飛んだサングラスが乾いた音を立てて地面に転がる。


 女が地面に着地した瞬間、被っていたフードが落ちる。中からハラリと長く真っ白な髪が零れて広がった。

 彼女が纏う蒸気とともにそれは──


 暗い空間に、それだけが光っているかのように幻想的な美しさを放っていた。


 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、誰しもがその女の姿に釘付けになった。

 しかし、次の瞬間に起こった、刀義トウギが壁にぶち当たる音で、それぞれが我に帰る。

「きゃああ!」

 四葉ヨツハは悲鳴を上げて李子リコの背に隠れた。

 そして

「ぎゃあ!!」

 殴られた刀義トウギの首が、若干後ろを向くほど回っている事に李子リコも悲鳴を上げた。


「壊れます。やめていただけませんか」

 そう言いつつ、首の位置を手で戻しつつ起き上がる刀義トウギ

 その様子に、真輔シンスケは彼が本当に人間ではない事を悟った。


「壊そうとしてるんだよポンコツ」

 女は、自分の拳を撫でつつ刀義トウギに向かう。

 美しいその顔には、他人が見てもすぐ分かる憎しみが浮かんでいた。

 しかしそんな彼女の表情など意に介さない刀義トウギ

「よく言われます」

 本人は事実を述べただけだが、更に彼女の怒りを煽った。

「どうでもいい。さっさと壊れろ」

 奥歯が鳴るほど強く噛み締め、女は再度右腕を大きく振りかぶった。


 ガギッ


 刀義トウギは腕をクロスさせて彼女の一撃を防ぐ。

 しかし、その腕からはおおよそ人体からする筈のない硬質な音が響いた。

 一瞬距離を置いた女だが、すぐさま地面を蹴って回し蹴りを刀義トウギの空いた脇腹に叩き込む。

 その勢いに、また横へと刀義トウギは吹き飛ばされた。


 見た目では、大男の方がダントツ有利そうに見えるが、それとは正反対に女の方が相手を一方的にボコボコにしている。


 その様子を見て、李子リコはなんだか不思議な気持ちに襲われていた。


 まるで──


 そう、大人しい大型犬が無抵抗に殴られているのを見ているような感覚。

 よく躾けられ、他人に危害を加えてはならないと厳重に言いくるめられた、犬。


 李子リコはゴリラが好きだ。

 ゴリラを愛している。

 どちらかというと、デフォルメされてないリアルなゴリラの方がより好きだ。

 鞄には、眞子マコが昔お土産にと買ってきてくれたリアルゴリラのミニチャームがついている。

 部屋には大小様々なサイズのゴリラのぬいぐるみが置かれている。

 しかし

 犬も好きだ。

 特に大型犬が。


 この犬──もとい、大男は『李子リコの間違いを正す為』に未来から来たと言っていた。

 未来から来た事は勿論まだ信じられない。

 でも、人間ではないと本人の口からもそう告げられたし、首が有り得ない方向に曲がっても平然としていた。

 ボコボコに殴る蹴るされているのに血も出ない。

 痛がっている風でもない。

 恐らく、本当に人間ではないのだろう。

 しかし、

 そんな人間ではない大男が、自分よりも遥かに小さな女性に殴る蹴るされているのに、防御はしても反撃しようとしていない。

 反撃する気もなさそうである。


 それに


 李子リコが気づいた時には、迷彩服の男から解放されており、あの大男がその迷彩服の男と格闘していた。


 それって


 私を助けてくれたんじゃないの?


「やっ……やめて!」

 その思いが頭によぎった瞬間、李子リコの口から制止の言葉が放たれていた。


 それを聞き、大男を一方的にぶん殴り続けていた女が手を止めて振り返る。

 その顔は、不気味なぐらい無表情だった。

「なんで……?」

 恐ろしく冷たい声。

 怒りや苛立ちなどすらも含んでいないかのような、ただ酷く低くて感情のこもらない声。


「だ……だって、その人……もしかしたら……その、敵じゃないのかもって……」

 尻すぼみになる李子リコの声に、女は刀義トウギから手を離す。

 ゆらりと李子リコに真正面に向き直り、一歩ずつ近づいてくる。


 ゴッ、ゴッ、とブーツの硬質な足音が異様にその場に響いた。


「敵じゃないなら……どうなの?」

 女は、無表情のまま李子リコに一歩、また一歩と近づいてくる。

 背中まである真っ直ぐで真っ白な髪。

 パッチリとした目にスッと通った鼻筋で、年の頃は10代後半ぐらいの美少女ではあったが──瞳の色は黒く、表情のない彼女の美しい顔と相まって、作り物の孔のように見えた。


 敵じゃないなら、どうなのか。


 問われて李子リコは悩む。

 どうして欲しいかと言われたら、殴らないであげて欲しい。

 でも、敵だからといってもまだ危害を加えられていないのだから、殴って欲しいワケでもないと思う。

 じゃあどうすれば、と問われるとどうしたらいいのかは分からなかった。


 李子リコは、返答に困ってスカートの端を握りしめる。

 李子リコだけではない。

 一方的に殴られる刀義トウギを見ていても、他の誰しもが何も言えなかった。


 得体の知れない大男──刀義トウギ

 人間ではないと言う彼。

 未来から来たという男。


 どう扱えばいいのか、誰も返答出来ずにいた。


「じゃあ……貴女が代わりに殴られる?」


 その時初めて、女は楽しそうに──笑った。

 カッと見開いた目で真っ直ぐに李子リコを見つめ、形の良い唇の口角を上げて──禍々しく笑う。


 李子リコまであと2歩。


 女は躊躇なく思い切り拳を振り上げた。

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