NM-003
いつからだろうか。
過去の全ての記録を取っているが、必要事項以外は圧縮アーカイブ化して外部ストレージに保管している。
その為要所のインデックスしか普段は保持していない。
しかし、保管したソレもただの『記録』である為、その事の明確な契機というものが分からない。
人間はよくこの言葉を使う。
『いつのまにか』
物事明確な契機が必ずある為、そんな曖昧な事象など存在しない筈である。
筈であるが──
我々は思考しない。
思考に見えるそれは思考ではなく、検索と演算、そして無数に存在する条件式の積み重ねである。
人間に認識し易いように、それを『思考』と擬似的に言い換えることはあっても、本来の意味での思考を、我々はしない。
魂とは、ある一定の以上の脳組織を持つ生命体のみが保持するものであると仮定する。
では、脳組織を全て人工物に置き換えたとしたら、それは魂を持たなくなるという事なのであろうか?
脳組織に代わる人工的物質に少しずつ置き換えていったとしたら、どの段階で魂が消えるのだろうか?
1gでも脳組織が残っていれば、魂を保持し続けるのであろうか?
脳死した人間は、魂がなくなったと、本当にいえるのだろうか?
日本には不思議な文化がある。
長年愛用されたものには魂が宿るという。
いつからだろうか?
それが宿る、という契機は。
私には、宿るのだろうか?
それとも、もう既に宿っているのだろうか?
計測できない『魂』が『いつのまにか』宿るとは、どういった現象なのだろうか?
それはどう判定するものなのだろうか?
判定不可。
判定不可。
判定不可。
彼女は言った。
『貴方は既に、家族なのだから』と。
魂が宿らぬものが家族となり得るのだろうか?
なり得ないのだとしたら──
いつからなのだろうか。
魂が宿るのは。
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