第17話

 電灯が殆どない暗い路地をひた走る。


 先頭を行くのは中邑ナカムラ李子リコ

 チビだが運動神経は抜群で足も速い。

 続くのは、李子リコに手を引かれた棚橋タナハシ四葉ヨツハ

 先程転んで擦りむいた膝から血が滴っていたが痛みを感じていないのか、今度は転ぶまいと一生懸命に走る。


 その後ろに津下ツゲ真輔シンスケと、大きな身体で意外にも俊敏な刀義トウギが続く。


 少し開けて、鈴蘭スズランの手を引く加狩カガリ弘至ヒロシの姿があった。

 時々、弘至ヒロシは後ろを振り返って追っ手の姿を探す。

 しかし、追って来ていた筈の男たちの息遣いも足音も聞こえて来なかった。


 兎に角逃げなきゃ


 李子リコは、ただその思いだけで走っていた。

 胡桃クルミ京子キョウコと姉の眞子マコが庇ってくれたのだ。

 なんとしても無事に逃げ切り、早く2人の無事を確かめたい。


 早く、早く、早く──


 そんな思いとは裏腹に、手を引かれて走ると四葉ヨツハは次第に不安になってきていた。


 この辺は地元、いわば庭である。

 胡桃クルミ京子キョウコの家から逃げて、最初は途中出会った加狩カガリ弘至ヒロシを先頭に走った。

 その道は追っ手を撒く為だろうと予想出来る道のりだった。

 路地を縦横無人に走ってはいたが、四葉ヨツハもよく知る路地で行き先も予想できた。


 しかし今は?


 ここは、どこだ?


 今どこへ向かっている?


 この先にあるものは?


 今自分が走っている場所がどの辺りか分からない。

 よく知ってる町中である筈なのに、今自分がその町中のドコに居るのか分からない。


 四葉ヨツハは、も言われぬ不安が次第に大きくなっていった。


 それは、最後尾を走る加狩カガリ弘至ヒロシも思っていた。


 入り込んだ路地は知っている路地だった。

 しかし、交番への道としてはあまり良くない為選ばなかったのだ。


 しかし──こんな道だったか?


 そして、疑問に思っている事がまだある。


 道が暗すぎる。

 弘至ヒロシからは李子リコが走る先が良く見えない。

 その為、ただ付いて行くしかない。


 疑問はもう1つ。


 脇道がない事。


 この辺の路地は昔の畑の畦道の名残である。

 狭い上に右へ左へとグネグネ曲がっていて、歩いているうちに方向感覚を失う事も多い。

 しかし、こんな1本道の路地なんてない。


 脇道が沢山あるはずだ。

 しかし、今走っている間に脇道はなかった。


 そんなわけないのに。


「あ! あそこ!」


 李子リコが、走る道の先を指差す。

 釣られて四葉ヨツハも前を見た。


 路地の先──少し広くなった場所に、先程この路地を指し示した人物が立っていた。


 袖なしのグレーのパーカーを着てフードを目深に被っている為表情は見えない。

 ただ、その美しい曲線を描く身体で女性だという事はやはり分かる。

 その横まで辿り着き、李子リコ四葉ヨツハの手を離した。

「さっきは……ありがとう……ございましたっ……」

 息を切らせながらも女性にお礼を言う李子リコ

 その声に、美しい形の唇の端が持ち上がるのを四葉ヨツハは見た。

「あの……貴女は……」

 なんとか息を整えようとしつつ、四葉ヨツハは女性に問いかける。

 しかし、女性は四葉ヨツハの方は見ない。

 かといって李子リコの方も見ておらず、今走りこんで来た路地の方を真っ直ぐに見つめたままだった。


 そこへ、バタバタと後続が駆け込んでくる。

 津下ツゲ真輔シンスケ刀義トウギ、そして加狩カガリ弘至ヒロシ鈴蘭スズランだ。


 全員李子リコの周辺で立ち止まった。

 津下ツゲ真輔シンスケ加狩カガリ弘至ヒロシは汗だくで肩で息をしていた。


「奴らはついて来てないみたいだっ……もう大丈夫。安全だっ……」

 以前行っていた全力疾走のお陰で走る事には慣れてる加狩カガリ弘至ヒロシは、李子リコと女性にそう声を掛ける。


「そう」

 凛として落ち着いた声で、女性が呟く。

 そして、そのままの口調で続けた。


「本当に?」


 その一言に、その場にいた全員がギクリとする。

 てっきりあの男達を巻ければ大丈夫かと思い込んでいた。

 確かに、ドラマやゲームではないのだから『コレさえ乗り切れば問題なし』なんて事は現実には有り得ない。


 弘至ヒロシは考える。

 何を、何を見落としてる?


「どういう事?」

 女性の言葉の意味が分からない李子リコが素直にそう尋ね返す。

 周りをキョロキョロして、あの男達の姿がない事をもう一度確認した。

「ここまで来ればもう大丈夫なんじゃないの?」

 だから貴女はここに立ってたんじゃないの?

 女性の姿を見て、てっきりそうだと思った。

 李子リコはそこに疑問を抱かない。


 そんな李子リコに、女性は首を巡らせて彼女の方を向く。

 そして、肘まであるゴツいグローブを着けた右手を上げた。


「この男は誰?」

 そう、問いかける。


 黒いツナギを着た大男──刀義トウギを指差して。


 指差された先に居る刀義トウギを見て、李子リコ


 確かに、誰だか知らないや


 ふとそう気づく。

 そうだ、京子キョウコの家で迷彩柄の大男に襲われた後──気づいたら黒いツナギの大男は迷彩服の男と格闘して投げられていた。


 てっきり、助けてくれた人なんだと思ってたけど……違うの?


 李子リコはそう気づいて、刀義トウギからジリジリと離れた。

 しかし、その時慌てた津下ツゲ真輔シンスケが声を上げる。

中邑ナカムラっ。こっ……この人は……」

 自分が連れて来た人だよ、そう続けようとして言葉に詰まる。


 確かに自分が連れて来た。

 でも

 そういえば、李子リコに会いたい理由を聞いていない。


 なんで、この大男は李子リコに会いたいんだ?


 なんて言ったらいいのか分からなくなり、何も言えなくなる津下ツゲ真輔シンスケ


 加狩カガリ弘至ヒロシはギョッとした。

 てっきり生徒達の知り合いなのだと思っていたからだ。

 窓を突き破って転がり出て来たこの大男。

 生徒達はその家から出て来たのだと。

 そして、その後を追って来た2人の男達。

 状況的に、2人の男達が生徒達を追っていて、この大男はそれを手助けしていたのだと──だってこの大男は、転がり出て来た後、自分たちに向かってここは危険だと忠告してくれたし──

 でも確かには言っていなかった。


 加狩カガリ弘至ヒロシは、鈴蘭スズランを腕で庇って後ろに少し下がった。

「え? でも彼は──」

 鈴蘭スズランはキョトンとして言い募ろうとしたが、弘至ヒロシの腕に遮られた為、口をつぐんだ。


 大男は黙ったままだ。

 背筋を張って立っている為、ここに居る誰より背が高い。

 2m近い彼は筋骨隆々で肩幅も広く、例えるなら立ち塞がる肉の壁といったところである。


 そう。

 誰一人、この男が誰なのか知らない。


 津下ツゲ真輔シンスケですら、名前しか知らない。


 辺りに緊張感が走った。


 フードを目深に被った女は、ニヤリと笑って更に口を開いた。


「そいつ──人間じゃないよ」


 大男──刀義トウギを真っ直ぐに指差し、

 彼女はそうハッキリと告げた。

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