第16話

 物凄い音とガラスの破片、そして女性の悲鳴とともに目の前に転がり出て来た大男。


 全く予想だに出来なかった状況に、加狩カガリ弘至ヒロシは呆然と立ち尽くしていた。


 自然と鈴蘭スズランを腕で庇っていたが、驚いた弘至ヒロシとは反対に、鈴蘭スズランはキョトンとした顔でアスファルトに倒れる男を見ていた。


 緩慢な動きで起き上がるその男を見て、鈴蘭スズランは、あっ、という声を上げる。


「なんでこんな所に?」


 その言葉を聞いて、弘至ヒロシ鈴蘭スズランの方に振り返る。

「えっ?! 知り合い?!」

「いえ、知り合いではないんですけど……」


 そんなやりとりをしている2人に気がついたのか、大男が立ち上がりつつ声をかける。

「ここは危険なので避難する事をお勧め致します」

 そんな不穏な事を言いつつも、口調はあくまでゆったりとしたものだった。

 ガラスを突き破って転がり出て来た事といい、完全にチグハグは状態だ。


 そこへ、バタバタとした足音で、子供達が飛び出して来た。

 道端でオロオロする弘至ヒロシの顔を見て、一番小柄な子供があっと声を上げる。

加狩カガリ先生っ?!」

 自分の名前を呼ばれて驚き、弘至ヒロシは子供達の顔をマジマジと見る。

「あ……中邑ナカムラ、それに津下ツゲに……棚橋タナハシまで?」

 自分が受け持つ中学校の生徒たちである事に気がついた。

「お前たち……何が──」

 あった、そう全てを言い切る前に、3人の後ろから出てきた2人の男達の姿に気がついた。

 1人は迷彩服の軍人のような男、1人は弘至ヒロシにも負けないヒョロガリな男。


 走り出てきた子供達

 その後から出てきた怪しい男2人

 危険だと忠告してきた大男


 加狩カガリ弘至ヒロシは条件反射のように生徒達に叫ぶ。

「こっちだ!」

 瞬時に踵を返して弘至ヒロシは走り出した。

 鈴蘭スズランはなんの躊躇もなく弘至ヒロシの後を追う。

「早く!」

 途中立ち止まって振り返り、呆然とした生徒たちを再度促した。

 その瞬間──

「ぎゃあ!」

 黒いツナギの大男に担ぎ上げられた李子リコが、可愛くない悲鳴を上げる。

「行きましょう」

 李子リコを担いだ大男──刀義トウギは、津下ツゲ真輔シンスケに顎で合図した。

 うん、と頷いた真輔シンスケは、横に呆然として立つ四葉ヨツハの手首を掴む。驚く四葉ヨツハに構わず、彼はそのまま加狩カガリ弘至ヒロシの方へと走り出した。


「待て!」

 迷彩男たちがそう叫んで後を追いかけてくる。

 しかし、足はたいして早くないのか、すぐに追いつかれる事はなかった。

 しかし、諦めてもくれなさそうだ。


 どうする?


 地の利を生かして右へ左へと走りつつ、周辺の地図を頭の中で思い描きながら、加狩カガリ弘至ヒロシは逃げ込む場所を模索する。

 一番いいのは交番だ。

 一番近い交番までの最短距離を考えていた時に──


「あうっ」

 真輔シンスケに手首を掴んで走らされていた四葉ヨツハが盛大に転んだ。

 真輔シンスケの身長は高い。足の長さの違いによる速さについていけなくなった四葉ヨツハが、足をもつれさせたのだ。

棚橋タナハシっ……」

 勢いがつきすぎて手を離してしまう真輔シンスケ

四葉ヨツハ!」

 大男の刀義トウギに担がれた李子リコもその様子に声を上げた。

 下ろしてくれと大暴れし、大男に地面に下ろしてもらう。

 李子リコは転んだ四葉ヨツハに駆け寄り、彼女に手を貸して立ち上がらせた。


 弘至ヒロシは生徒たちのその声に気づいて立ち止まる。

 急いで引き返そうとした時、向かいから男たちが息を切らせながら走り込んでくる姿が目に入った。


 間に合わない──


 そう思いつつも、生徒たちの元へ弘至ヒロシは全力で走った。


 その時。



 フワリ



 何処からともなく、影が、地面に降り立った。


 追いつこうとする男たちと、李子リコたちの間に。


 足音がほとんどしなかった。

 なので、李子リコたちは本当に『フワリ』と、影が降り立ったように見えた。


 影は、すくりと立ち上がる。

 グレーの袖なしパーカーを着ていてフードを被っていた。

 李子リコたちからは後ろ姿しか見えない。

 しかし、

 それが女である事は分かった。

 ゴツい肘まであるグローブと膝まであるブーツ。しかし、露出した肌は白く、引き締まってはいるが女性特有のカーブを描いていた。


「あっちへ」


 女は真っ直ぐに右手を上げて路地を指差す。

 背中越しにそうハッキリと告げた。

「うん!」

 李子リコは迷う事なくその言葉に従い、四葉ヨツハの手を引き路地に駆け込む。

 その後ろを、真輔シンスケ刀義トウギが続いた。


「お前っ……なんで……」


 李子リコたちを追っていた男たちは、肩でゼィゼィ息をしながら立ち止まった。

 その影に対し、とばかりに言葉を失う。


 その隙に、弘至ヒロシ鈴蘭スズランも路地へと消えて行った。


「何のっ……つもりだ……テメェ……」

 目の前に立ち塞がられ、まだ息が上がったままの迷彩服の男は苛立つ。

 痩せぎすの男は、見失ってしまった李子リコたちの事を早々諦め、地面に座り込んであーあと天を仰いだ。


 そんな男たちと真正面から対峙し、影は、その形の良い唇で弧を描かせる。


 そして、何も言わずにまたフワリと飛び上がり、

 何処かへ消えて行ってしまった。


「なんなんだアイツ!」

 迷彩服の男は、意味が分からないとばかりに地団駄を踏み、すぐさま李子リコたちが消えた路地の入り口を覗き込む。


 しかし、既に李子リコたちの姿は見えなくなっていた。

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