第15話

「あ、言い忘れました。お邪魔します」


 緊迫した雰囲気の中で、場違いにのんびりとした口調で居間の中へと入って来たのは──


 黒いツナギの作業着を着ていても分かるほどに全身に蓄えられた筋肉と、酷く似合うサングラスと整えられた髭。

 おおよそ堅気カタギとは思えない大男だった。


 迷彩服の大男とはまた違った大男が部屋に入ってきて、胡桃クルミ京子キョウコは愕然とした。

「門前の虎、後門の狼……」

 完全に救いようのないその状況に、京子キョウコはガックリと項垂れる。


 その次の瞬間──


 先程までのノンビリとした雰囲気を一変させるツナギの大男。

 途端に目にも留まらぬ動きで迷彩服の男にタックルをかました。

「うぐっ?!」

 突然の事で身構えてもいなかった迷彩服の男は、肺の空気をそのまま全て吐き出させられ、後ろへと吹き飛ばされる。

 そのまま、ちょうど後ろに立っていた痩せぎすの男も巻き込み、3人共々壊れた窓から庭先へと転がり落ちて行った。


 床に崩れ落ちる李子リコを咄嗟に抱き止める四葉ヨツハ

 痩せぎすの男から解放された眞子マコも、バタバタと李子リコに駆け寄ってきた。

李子リコっ!!」

 青ざめた妹の顔を両手で包み込み、すぐさま呼吸を確認する。

 しかし、呼吸音がするはずのその口からは、何も音がしなかった。


「……っ!! どきな!」

 我に帰った京子キョウコが、囲む2人を押し退けて李子リコの身体を床に横たえる。

 そして、彼女の胸の真ん中に両手を添えて、思いっきり押し込んだ。

「うっ……げほっ……」

 咳き込んで大きく息を吸い込む李子リコ

 途端に頬に赤みが戻ってきた。

「……よかっ……た……」

 身体を捻って止まらない咳をする李子リコに安心した四葉ヨツハは、ヘナヘナと腰砕けになってへたり込む。

「あのバカ男っ……」

 眞子マコは怒りで震える拳を床に叩きつけた。


「あのっ……」

 やっと安堵した4人に、おずおずとした声がかけられる。

 各々が振り向くと、そこには場違いな雰囲気にオロオロする1人の少年が立ち尽くしていた。


「え……? 津下ツゲくん……?」

 その少年の名前を意外そうに呼ぶ四葉ヨツハ

 この場に居る筈のない人間が立っているのが信じられない、といった顔だ。

 当の津下ツゲ真輔シンスケ自身も、それを感じていた。



 真っ裸マッパだった大男──刀義トウギに服を着せた後、李子リコの元へ連れて行って欲しいという刀義トウギの願いを受けて、真輔シンスケはまず李子リコの家まで来た。


 幼馴染とまではいかないものの、小学校からの同級生であり、母親同士が比較的仲が良かった為、李子リコの家の住所を知っていたのだ。


 しかし、到着した中邑ナカムラ家は電気がついておらず、人が居る気配がしなかった。

 一旦家に戻って出直す事を提案した真輔シンスケだったが、刀義トウギはそれを受け入れなかった。


 なるべく早く会いたい。


 そう告げられた真輔シンスケは、過去の李子リコとの記憶をほじくり返す。

 そういえば、仲の良い祖母のような人が家の近所に住んでいると言っていた事を思い出した。

 それがどの家なのかは分からなかったが、確か苗字を聞いていた気がして、それも思い出そうと躍起になる。

 が、思い出せたのは『美味しそうな名前』という聞いた時の印象だけだった。


 李子リコの家の近所をウロウロし、表札を1つ1つ確認して歩いてみた時、『胡桃クルミ』という表札を見つけた。

 これだ!

 見つけたと思い、真輔シンスケは、インターホンを押した。

 もし間違っていたら、謝ればいいだけの事だ。


 ただ、目的の家だったとして、刀義トウギの事はなんて説明すればいいんだ?

 本当にここに李子リコがいたとして、なんて紹介すればいいんだ?


 彼の目的もまだ聞いてないのに。


 真輔シンスケはその時初めて、まだ刀義トウギ李子リコに会いたい理由を聞いていない事に気づく。

 後ろを振り返り、おおよそ堅気カタギの人間には見えない刀義トウギを見上げた。

 今更だが、彼に真意を訪ねようとして……

「警報音がしますね」

 刀義トウギは、真っ直ぐに胡桃クルミ家の方を見ながらそう告げた。

 言われて真輔シンスケも気づく。

 小さくくぐもってはいたが、確かに警報音がした。

 窓を閉め切った屋内からその音はしているのであろう。

 しかし、それが胡桃クルミ家からしているとは限らない。

 むしろ、こんな一般家庭からするような音とは思えなかった。

「どこから──」

 真輔シンスケがそう口を開いた瞬間、


 ガラスが割れる音が響き渡り、警報音が大きくなった。


「?!」

 真輔シンスケは再度胡桃クルミ家の方を見る。

 人が出てくる気配はない。

 しかし、電灯は付いているし警報音は間近からしていた。

「もしかして……」

 真輔シンスケはまさかと思いつつも、インターホンを連打する。


 玄関の扉の向こうから、なにやらドスンバタンという物々しい音が聞こえてきていた。

 警報音は止んだが、何か女性の声のようなものも聞こえてくる。


 どうしよう……


 真輔シンスケ逡巡しゅんじゅんする。

 この家で何か起こっているのは確かだ。

 おそらくガラスが割れたのも警報音がしてるのもこの家から。

 しかし、許可なく勝手に人の家に入れるほど真輔シンスケは厚かましくなかったし、まさか何か大変な事が起こっているとも、想像出来なかった。

 ここは平和な日本の平和な住宅街だ。

 そんな下手な事が、自分の間近で起こり得るはずがない──無意識に、真輔シンスケはそう思い込んでいた。


 しかし、そんな事御構いなし大男が、胡桃クルミ家の玄関のドアノブを回す。

「失礼します」

 鍵がかかってなかったのか、扉は問題なく開いた。

 するとその途端──


「りっちゃん……」

李子リコ!」

 複数の女性の悲鳴が中から聞こえてきた。

 その悲鳴を聞いて、今までののっそりとした動きと正反対な機敏な動きで家の中へと突入していく刀義トウギ

 真輔シンスケは、狼狽うろたえながらもその後に続いていったのだった。



「た……棚橋タナハシ?」

 四葉ヨツハ真輔シンスケの登場に驚いたように、真輔シンスケもまた四葉ヨツハが何故ここにいるのか分からなかった。

 李子リコは、ここにいるのではないかと思っていて、事実ここに倒れていたが、何故棚橋タナハシ四葉ヨツハが?


 真輔シンスケは分からない事だらけな現実に、全く頭が動かなくなっていた。


「逃げるよ!」

 そんな2人の硬直を解いたのは、胡桃クルミ京子キョウコの鋭い声だった。

 京子キョウコ李子リコを抱き起こして、側にある鞄を引っ掴む。

 それを見て、眞子マコも自分の鞄を抱えた。

「行こう!」

 京子キョウコ眞子マコに促され、その場にいた全員が玄関に向かおうとしたその瞬間──


「おぅら!!」

 男の野太い気合の声が上がったかと思うと、居間のローテーブルを蹴散らして大きな二つの塊が踊り込んできた。


 お互いを掴みあった、迷彩服の大男と黒いツナギの大男だ。


のクセにっ……」

 迷彩服の男が、一瞬身を屈めたかと思うと──


 黒いツナギの大男をぶん投げた。


 ガシャァァァン!

 盛大な音を立て別の窓が割れ、黒いツナギの大男は窓の外へと放り出された。

「きゃあ!」

 その余りの勢いに、悲鳴をあげて立ちすくむ李子リコたち。


「ガラクタ風情がっ……」

 肩で息をしつつ迷彩服の大男が、窓の向こうに消えたもう1人の大男に向かって吐き捨てた。

 そしてゆっくりと、立ち止まっていた李子リコたちに向き直る。

 いつの間にか、痩せぎすの男も居間に戻って来ていた。

「とんだ邪魔が入ったが……」

 下卑た笑いをしつつ、ジリジリと李子リコたちとの間合いを詰める男たち。

 眞子マコ京子キョウコが前に出て、男たちから李子リコ四葉ヨツハを庇う。

津下ツゲさんちの息子だね。この子たちを連れて逃げな」

 京子キョウコは、背中越しに真輔シンスケにそう小声で告げる。

 その瞬間我に帰った真輔シンスケ


 怯える2人のクラスメイト

 立ちはだかる2人の女性

 そして

 肉薄する2人の男


 味方で男は今自分しかいない事に気づく。


「行こう!」

 李子リコ四葉ヨツハの肩を叩き、踵を返して玄関へと走るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る