第11話

 夕飯時を超えた頃。

 けたたましく連打される呼び鈴の音に、胡桃クルミ京子キョウコはハイハイとその場で答えながら玄関に向かった。


 ドアホンのモニターで誰だか確認していたので、京子キョウコはそのまま玄関の扉を開ける。

 そこには、両手に靴をぶら下げて焦った様子の中邑ナカムラ眞子マコが立っていた。


胡桃クルミさん! 李子リコは無事ですか?!」

 手にした靴を三和土タタキに放り挨拶も忘れて、食い気味に問いかける眞子マコ。まぁまぁと落ち着かせようとする京子キョウコの横から、後ろを覗き込むように背伸びし妹の姿を探す。

「あ、お姉ちゃん。おかえりー」

 李子リコは姉の声を聞きつけて、まるで何事もなかったかのように、風呂上がりで肩にタオルをかけた状態で廊下の奥から顔を覗かせた。

李子リコ!」

 眞子マコは不躾にも京子キョウコを軽く押しのけて家に上がる。

「何か大変な事が起きたって聞いたけど、アンタ大丈夫だったの?!」

 李子リコに掴みかからんばかりの勢いで肉薄したものの、直前で急ブレーキをかけて眞子マコは立ち止まる。

 頭の先から足元までを見渡し、ほっと安堵のため息を漏らした。

「だいじょうぶだよー。お姉ちゃんは相変わらずだなぁ」

 姉はいつでも相変わらず心配性だと、自分がこの家に来るまでどんな目に遭ったのかすっかり忘れて李子リコはケラケラ笑った。


 年が離れているせいもあるかもしれないが、眞子マコ李子リコを溺愛していた。

 李子リコが小さい頃は、ちょっと熱が出れば抱えて緊急外来に飛び込み、誰かにイジワルされた所を目撃すれば相手に食ってかかり、誕生日ともなれば李子リコを連れて街へ出て、さぁ好きなものを選びなさい金に糸目はつけないわ! と豪語したりと、兎にも角にも李子リコ命だった。

 眞子マコの中で、李子リコと同率な優先度のものなど、大の運転好きでこだわりにこだわりまくった真っ赤なイタリア車ぐらいである。

 ちなみにそのイタリア車は、李子リコの昭和然とした家の庭に存在感抜群で静かに佇んでいた。


「まーちゃん。言ったろう? 大丈夫だって。心配しすぎだよ」

 眞子マコの後ろからひょいと顔を出した京子キョウコは、自分に対しては不躾になっても、妹に対してはいつも通り過ぎる眞子マコに笑いかけた。

「どうせ何も食べてないんだろう? アンタの分も作ってあるから、今日は家で食べて行きな」

 そう言いつつ、眞子マコの横を通り過ぎて、台所へと京子キョウコは向かった。

 途中、何か言いたげな四葉ヨツハに気づき、足を止める。

「よっちゃんも良ければ食べて行きな」

 李子リコと同じく肩にタオルをかけて、居間のテーブルの前に大人しく座っていた四葉ヨツハ

 京子キョウコのその言葉を聞いて、ほんのり、しかし嬉しそうに笑って頷いた。

「あ、でもお家に──」

 そう京子キョウコが言いかけた時

「大丈夫です。来てますんで」

 四葉ヨツハ京子キョウコの言葉を遮って答えた。

 ふぅん、と思うところがありつつも、京子キョウコは深く詮索せずそのまま台所へと入って行った。


四葉ヨツハちゃんも大変だったね……申し訳ないんだけど、詳しく話聞かせてくれるかな?」

 居間のテーブルの前に座った眞子マコは、向かいに体育座りしていた四葉ヨツハに問いかける。

 なんで私に? と疑問に思った四葉ヨツハだが、李子リコも同じ事を思ったらしく抗議の声を上げた。

「なんで私じゃなくて四葉ヨツハに聞くのー?」

「だってアンタの説明じゃ、擬音多いし順番バラバラだし要領を得ないじゃない。分かりにくいのよ」

 眞子マコの答えはド正論だった。

 ぐぅの音も出ずに黙る李子リコ


 四葉ヨツハはそれを聞いて確かに、と思いつつも、何度となく京子キョウコに説明していた言葉だけに、また説明しなければならない事に若干の面倒くささを感じた。

 彼女は困った笑顔で眞子マコに答える。

李子リコ李子リコんチで夏休みの宿題してたら……その、ちゃぶ台の上に突然、裸の男が現れたんです」

 その場であった事そのまま伝える。

 本当に? という言葉が返って来ると思っていたが、眞子マコが発したのは意外にも肯定の言葉だった。

「そっか……だからテーブルが壊れて畳が歪んでたんだね」

 眞子マコは見てきた惨状を思い出しながら頷いた。

 そしてそのまま続ける。

「どんな男だったか覚えてる?」

 少し前のめりになって聞く眞子マコに、四葉ヨツハは若干引きながら記憶をまさぐる。

 まさか一片の疑いもなく信じてくれるとは思っていなかったからだ。

「えと……凄く大柄で……髪は短くて黒かったと思います。あとは……突然で、よく覚えてないです」

 折角信じてくれたのに、上手く説明できず四葉ヨツハは凹んだ。

 すると、そこに李子リコが得意げに口を挟む。

「私覚えてるよ! 多分身体は2m近いんじゃないかな?! 無駄な肉なくて筋骨隆々って感じでゴリゴリに鍛えてそうだった! 口の周りに髭が生えてたけど綺麗に整ってたし、年は40近いんじゃないかなぁ。多分だけど!」

 まるで、目の前にいるかのようにスラスラ答える李子リコ

 四葉ヨツハは、あんな一瞬でよくそこまで観察したものだと若干呆れる。

「そうだなー。プロレスラーで言うと──」

「ストップ。例えられても分かんない」

 止まらない李子リコにビシっと掌を向けて制止する眞子マコ

 この話はきっとズレる。

 止めなければそのままプロレスラーの話にシフトチェンジする。そんな予感がした為止めた。

李子リコってホント……プロレス好きだね……」

 人の好みって不思議……

 そう四葉ヨツハは思いつつ、幼馴染のこの少女が、実は大のヘビー級プロレス好きという変わった一面を持つ事を改めて認識した。

 クラスメイトがアイドル雑誌を広げてキャイキャイしている中、一人週刊プロレスを読みふけ李子リコ

 そんな姿は嫌いではなかったが、内心どうしてそんな事が出来るのかと呆れてもいた。

「うん。大好き」

 満面の笑みで大きく頷く李子リコ

 むしろ彼女はアイドルに色めき立つ気持ちの方が分からなかった。


 あんな、男だか女だか分からない細面にヒョロヒョロの身体のどこがいいのだろうと。

 ただ、人の好みは千差万別。逆に『棲み分け』のようなものだと、李子リコは思っていた。

 人間すべて違うのだから、求める物も違うハズ。同じ訳がないのだと。


 その考え方自体が、クラスの中で珍しいのだと、李子リコは気づいていなかった。

『同調圧力』

 彼女は良い意味でも悪い意味でもそれを感じる事がなかった。

 何故なら、李子リコの周りの大人たちは、自分の好みを大切にしつつも、他人の好みに口を出さない人間が多かったからだ。


 両親は愛着のあるものは古い物でも、コストを掛けてでも大切にしていたが、新し物好きな胡桃クルミ京子キョウコと良い関係を築いている。

 京子キョウコ自身も新し物好きではあるが、古い物を大切にする気持ちも勿論分かるので、中邑ナカムラ家を訪れた時は、変わらず稼働する家電や綺麗に保たれている家具などに、中邑ナカムラ家の物への愛着を気持ちよく思っていた。

 そして眞子マコも、女の癖にと会社の人間たちに嫌味満載に言われつつも、イタリア車とマニュアル車運転をこよなく愛し、仕事もバリバリこなしていた。


「その大男、今何処にいるのか分かる?」

 眞子マコが、好きなプロレスラーの事で頭がいっぱいになっていた李子リコに問いかける。

 ハッと現実に戻り、首を横にブンブン振った。

「分かんない」

「何か、執拗しつよう李子リコの事を探してましたけど……違うって言ったら何処か行っちゃったよね……」

 四葉ヨツハにそう言われ、彼女と目を合わせて李子リコは頷いた。


 そこまでを聞き、考え込む眞子マコ

 そんな眞子マコに、四葉ヨツハはふとした疑問を投げかける。

「そう言えば、お仕事大丈夫なんですか?」

 眞子マコがバリバリ仕事をこなして残業まみれだった事を四葉ヨツハは知っていた。

 今日のように早く帰って来る事など、ほとんどしない筈なのに……

「あ、お姉ちゃんは長期休暇で日本に戻って来てるんだよ!」

 考えにふけ眞子マコに代わり、李子リコが元気良く答えた。

きてる?」

 言葉の表現がオカシイ気がして再度問う四葉ヨツハ

 自分の言葉が足りない事に李子リコはすぐ気づいて言い募った。

「あ! お姉ちゃん、今年の頭からアメリカ勤務になったの! ずっと向こうで仕事してたんだけど、夏休みを取って戻ってきてくれたんだ! お母さんたち旅行に行ったじゃん? その間だけ、私が一人にならないようにって!」

「あら? 夏休みで戻って来てるから、両親が旅行に行ったんじゃなかったのかい?」

 台所から、煮浸しと豆腐サラダを持って出てきた京子キョウコが出てきて口を挟む。

 あ、と気付いて手伝おうとした四葉ヨツハをやんわり笑顔で制止した。

「あれ? そうだったっけ?」

 自分の記憶違いか? と李子リコは首を傾げる。


「そんな事より、その大男が誰で、今何処にいるのかが気になります」

 京子キョウコに強めにそう言い、立ち上がる眞子マコ

「それが分からないと、オチオチ家にも戻れません」

 横に携えていた鞄から2つのスマホを取り出し、それぞれを李子リコ四葉ヨツハに差し出す。

「あ! 私のスマホ! ありがとう!」

「ありがとうございます。助かりました」

 2人は嬉しそうに受け取り、早速起動させてメッセージアプリにメッセージが来ていないかどうかを確認した。

「私、ちょっと電話してきます」

 今度は自分のスマホを取り出して操作しつつ、居間を出て行った。

 京子キョウコは台所から唐揚げが乗った大皿を持ちつつ、その後ろ姿を見送った。

「りっちゃん。まーちゃんは仕事は休みじゃないのかい?」

 何処に電話しにいったのか気になり、知っていそうな李子リコに尋ねる京子キョウコ

「んー。どうなんだろう。時々本社? ってところに顔出しに行くって言ってるよ」

 スマホをいじりつつ、李子リコはそう答えた。

 京子キョウコは、そう、と一言答えてまた台所へと戻って行った。


 そして四葉ヨツハは、その背中を見つめつつ、スマホのメッセージにどう返答しようか悩んでいた。



 その後──

 揃えられた夕飯の豪華さに李子リコ四葉ヨツハが大喜びし、みんなで団欒の時間を楽しんだ。

 両親が旅行に出た後からコンビニ飯ばかりだった李子リコは久々の手料理に喜び、

 四葉ヨツハは自分以外が作った暖かな家庭料理に感動し、

 京子キョウコは久々誰かと食卓を囲む嬉しさを感じていた。


 お腹もいっぱいになり、一段落した空気が居間に流れた頃の事。

 そろそろ家に戻ろうか、そういった話をしている最中だった。


 穏やかな空気を破壊する警報音が鳴り響いた。

 ビックリしちょっと飛び上がる李子リコ

 突然の大きな音に衝撃を受けて耳を塞ぐ四葉ヨツハ

 何事かと左右を見回す眞子マコ

 そして

「全く! 今日はなんなんだいッ!?」

 急ぎ立ち上がり、長箒ながぼうきを引っ掴む京子キョウコ

「お婆ちゃん! またハッキング!?」

 苦しそうな四葉ヨツハに寄り添いながら、李子リコは並んだ3面マルチディスプレイの方に目を向けた。

 しかし、京子キョウコは首を振る。

「違うよ! 誰かが庭に裏から侵入したんだ!」


 ハッキングの時とは違う警報音と京子キョウコの言葉に、先程とは比べ物にならない程の緊張感が部屋に充満するのだった。

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