第9話
部屋の片隅に綺麗に配置された3Dプリンター。
壁に貼り付けられた有孔ボードには、ハンダゴテやミニ電動ドライバーなどの機材が掛けられている。
元来勉強をする為の机の上にはカッティングマットが敷かれ、完全に勉強以外の用途で使われている事が
友達が来た時用に用意されたミニ座卓を挟んで、
道端でこの男──
銭湯に行った時にロッカーに鍵をかけなかったせいで、持ち物が衣類から何からを全て盗まれてしまったのだと。
なので慌てて家に連れ帰って来たのだ。
町工場には時々、高校出たてで上京し就職する者が来た。彼らには町工場が寮代わりに借り上げたアパートが貸与されるが、そのアパートには今時珍しく風呂がない。
その為、
その銭湯では時々、ロッカーに鍵をかけ忘れてしまったせいで、金品などを盗られる事件が発生する。
いくら下町人情に溢れる町といえど、窃盗事件はやはりあるのだ。
なので
着る服がなく仕方なくそうしてる。
きっと銭湯で全部盗まれてしまったんだ。
可哀想。助けてあげなくちゃ。
といった式が成り立った。
かなり
町工場の終いは早い。
そこに、
家族は、その全く予想すらできなかった事態に騒ぐ事すら出来なかった。
「困ってる人にすかさず手を差し伸べるなんてなかなか出来る事じゃあねぇ。
良くやった!」
大きく育った
祖父の鶴の一声で、
取り敢えず
どうしよう……
大男に合う洋服がない為、今祖父が自転車でホームセンターへ行っている。
それまではと腰にバスタオルを巻いてはいるが、上半身は相変わらずだ。
夕飯を勧められた大男は丁重にその好意を断り、今は正座して
てっきり、銭湯で持ち物一式盗まれたのだとばかり思っていたし、親たちにもそう伝えて大男も否定しなかったのに、改めて尋ねてみたら
「危険でしたので、自分で脱ぎました」
そう真顔で答える大男は、特異な事を語ってる様子ではなくごく自然だった。
そこで、
知らなかったとはいえ、爺ちゃんに嘘の報告をしてしまった……
その事が、
厳密にいえば嘘ではなく勘違いだが、
爺ちゃんは昔ながらの職人気質で、曲がった事は勿論歪んだ事も大嫌いだ。
取り分け、嘘を嫌う。
それが例え、自分に対しての優しい嘘だとしても。
意図的ではないのが唯一の救いだ。
『事情を詳しく聞いたら銭湯で盗まれたんじゃなかった』と、素直に報告するしかない。
祖父は嘘は大嫌いだが、筋を通せば理解はしてくれる。
ウダウダしてても意味がないと悟った
「服が危険って……何があったんですか? パンツも脱ぐ程の事って……」
「パンツはもとから履いておりません」
まさかのノーパン派発言。
その言葉に、衝撃を受ける
なんだか微妙に食欲がなくなった。湯気の立つ具沢山の味噌汁が美味しそうに見えないなんて、
いけない。
ノーパン発言にドン引きしている場合ではない。パンツを元から履いていようといまいと、重要なのは服を着ていない理由だ。
「あの……服はなんで危険だったんですか?」
「有害物質を全身に浴びたので。身体の方は洗い流しましたが、服は薬品が染み込んでしまったので破棄しました」
「……大丈夫なんですか?」
「私は風邪をひきませんので」
そうじゃなくて……
有害物質とは、つまり人に害がある物質という事だ。
そんなものを全身に浴びて平気である筈がない。洗い流した程度で済むなら、そもそも全裸になる必要もなかったのではないか。
そんな疑問が浮かぶ。
「身体の方はなんともないんですか? ……その、有害物質を浴びて」
「はい。大丈夫です。御心配には及びません」
「ちなみにドコで……?」
「……。この辺りではないので、ご安心ください」
大男は、見た目に反しておっとりとしていて至極丁寧な物腰だ。
重低音の声とその姿は、ヘビー級プロレスラーを彷彿とさせるが──どっかで見た事ある気がする。年末とかに──
「ところで。夕飯は召し上がらないのでしょうか? 折角用意して下さったのですし、私の事はお気になさらず、どうぞ召し上がって下さい」
大男は、テーブルの上に広げられた夕飯を手で示して勧める。
「あ……ええと。食欲ないんで……」
まさか、お前のパンツ履きません宣言で食欲失せたなんて言えず、
すると、今まで柔和な物腰だった大男が纏う空気が変わる。
少しだけ険しい顔になり、腰を浮かせた。
「いけません。もし食欲がなくても少しでも食べて下さい。食事の時間は生活リズムを形作ります。また、貴方は成長期の男性です。食事を摂らないという事はお勧めしません。せめて食べられそうなものだけでも食べて下さい」
身を乗り出して力説する大男に、
さっきまで、聞かれた事しか答えなかった大男が、突然人が変わったかのように饒舌になった。
何が彼の琴線に触れたのか。
「……はい。頂きます」
大男の圧に負けて、
具沢山の味噌汁に手をつけると、大男は満足したかのように、また座り直して食べる
食べにくい……
普段無言が気にならない
沈黙に耐えきれず、
「あの……ところで、名前は……?」
恐る恐る尋ねると、彼は表情を変える事なく告げた。
「
ぺこり、と軽くお辞儀をしてそう名乗る彼に、その名前がとても馴染んでいるなと
名前が分かると妙に親近感を覚える。
「
「存じております。
背筋がゾクリと粟立った。
名乗っていないのに、相手は自分の名前を知っている。
しかも、今『顔認証』と言った?
いつの間に?
どうやって?
そんな
先程から変わらぬ様子で。
別段、特別な事を言っている風でもなく。
ごく自然に。
「貴方なら御存知の筈です、
私を、
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