第9話

 津下ツゲ真輔シンスケは途方に暮れていた。



 部屋の片隅に綺麗に配置された3Dプリンター。

 壁に貼り付けられた有孔ボードには、ハンダゴテやミニ電動ドライバーなどの機材が掛けられている。

 元来勉強をする為の机の上にはカッティングマットが敷かれ、完全に勉強以外の用途で使われている事がうかがい知れた。

 津下ツゲ真輔シンスケの部屋である。


 友達が来た時用に用意されたミニ座卓を挟んで、津下ツゲ真輔シンスケと──全裸の大男がちょこんと座っていた。


 真輔シンスケは、途方に暮れていた。


 道端でこの男──真っ裸マッパでヒゲのゴリゴリ筋肉達磨に出会った時、真輔シンスケは『洋服が盗まれた人』だと思った。

 銭湯に行った時にロッカーに鍵をかけなかったせいで、持ち物が衣類から何からを全て盗まれてしまったのだと。

 なので慌てて家に連れ帰って来たのだ。


 真輔シンスケがそう思ったのには理由がある。


 真輔シンスケの家は小さいながらも町工場をしていた。

 町工場には時々、高校出たてで上京し就職する者が来た。彼らには町工場が寮代わりに借り上げたアパートが貸与されるが、そのアパートには今時珍しく風呂がない。

 その為、真輔シンスケの家の風呂か、近くの銭湯に行ってもらっていた。

 その銭湯では時々、ロッカーに鍵をかけ忘れてしまったせいで、金品などを盗られる事件が発生する。

 いくら下町人情に溢れる町といえど、窃盗事件はやはりあるのだ。


 なので真輔シンスケの頭の中では


 真っ裸マッパで人が歩いている。

 着る服がなく仕方なくそうしてる。

 きっと銭湯で全部盗まれてしまったんだ。

 可哀想。助けてあげなくちゃ。


 といった式が成り立った。


 かなり杜撰ずさんな式であるが、道端で真っ裸マッパの大男に出会って衝撃を受けた真輔シンスケにとっては、それがとても論理的で真理のように感じられた。



 町工場の終いは早い。

 真輔シンスケが家に着いた頃は工場は閉まっており、家族が夕飯を用意して真輔シンスケの帰りを待っていた。


 そこに、真っ裸マッパの大男を連れ帰った真輔シンスケ

 家族は、その全く予想すらできなかった事態に騒ぐ事すら出来なかった。

 真輔シンスケの説明を聞いていぶかる家族たちだったが、工場の大黒柱──祖父がバシンと膝を打ち


「困ってる人にすかさず手を差し伸べるなんてなかなか出来る事じゃあねぇ。

 良くやった!」


 大きく育った真輔シンスケより随分小柄な祖父が、腕を伸ばして真輔シンスケの頭をガシガシ撫でて褒めた。


 祖父の鶴の一声で、真っ裸マッパの大男を受け入れる事になった津下ツゲ一家。

 取り敢えず真輔シンスケは、夕飯を持って大男と自分の部屋に戻り、詳しい事情を聞く事となった。


 どうしよう……


 真輔シンスケは、ミニ座卓の上に乗った自分用の夕飯と真っ裸マッパの大男を交互に見て──大きな溜息を一つ。


 大男に合う洋服がない為、今祖父が自転車でホームセンターへ行っている。

 それまではと腰にバスタオルを巻いてはいるが、上半身は相変わらずだ。

 夕飯を勧められた大男は丁重にその好意を断り、今は正座して真輔シンスケと向かい合って座っていた。


 てっきり、銭湯で持ち物一式盗まれたのだとばかり思っていたし、親たちにもそう伝えて大男も否定しなかったのに、改めて尋ねてみたら真っ裸マッパの理由は銭湯ではなかった。


「危険でしたので、自分で脱ぎました」


 そう真顔で答える大男は、特異な事を語ってる様子ではなくごく自然だった。


 そこで、真輔シンスケは途方に暮れたのだ。


 知らなかったとはいえ、爺ちゃんに嘘の報告をしてしまった……


 その事が、真輔シンスケの心に重くのしかかった。

 厳密にいえば嘘ではなく勘違いだが、真輔シンスケの口からさもそれが事実であるかのように説明してしまったのだから、嘘と同義だと彼は思っている。


 爺ちゃんは昔ながらの職人気質で、曲がった事は勿論歪んだ事も大嫌いだ。

 取り分け、嘘を嫌う。

 それが例え、自分に対しての優しい嘘だとしても。


 意図的ではないのが唯一の救いだ。

『事情を詳しく聞いたら銭湯で盗まれたんじゃなかった』と、素直に報告するしかない。

 祖父は嘘は大嫌いだが、筋を通せば理解はしてくれる。


 ウダウダしてても意味がないと悟った真輔シンスケは、大男にもっと詳しく事情を聞く事にした。


「服が危険って……何があったんですか? パンツも脱ぐ程の事って……」

「パンツはもとから履いておりません」

 まさかのノーパン派発言。

 その言葉に、衝撃を受ける真輔シンスケ

 なんだか微妙に食欲がなくなった。湯気の立つ具沢山の味噌汁が美味しそうに見えないなんて、真輔シンスケには初の体験である。


 いけない。

 ノーパン発言にドン引きしている場合ではない。パンツを元から履いていようといまいと、重要なのは服を着ていない理由だ。

 真輔シンスケは心を再度奮い立たせて再度尋ねる。


「あの……服はなんで危険だったんですか?」

「有害物質を全身に浴びたので。身体の方は洗い流しましたが、服は薬品が染み込んでしまったので破棄しました」

「……大丈夫なんですか?」

「私は風邪をひきませんので」


 そうじゃなくて……

 真輔シンスケは、微妙に噛み合っていない会話に歯痒さを感じて頭を抱えた。


 有害物質とは、つまり害がある物質という事だ。

 そんなものを全身に浴びて平気である筈がない。洗い流した程度で済むなら、そもそも全裸になる必要もなかったのではないか。

 そんな疑問が浮かぶ。

「身体の方はなんともないんですか? ……その、有害物質を浴びて」

「はい。大丈夫です。御心配には及びません」

「ちなみにドコで……?」

「……。この辺りではないので、ご安心ください」

 大男は、見た目に反しておっとりとしていて至極丁寧な物腰だ。

 重低音の声とその姿は、ヘビー級プロレスラーを彷彿とさせるが──どっかで見た事ある気がする。年末とかに──真輔シンスケは大男の顔を見ながら、ふとそんな事を思った時だった。


「ところで。夕飯は召し上がらないのでしょうか? 折角用意して下さったのですし、私の事はお気になさらず、どうぞ召し上がって下さい」

 大男は、テーブルの上に広げられた夕飯を手で示して勧める。

「あ……ええと。食欲ないんで……」

 まさか、お前のパンツ履きません宣言で食欲失せたなんて言えず、真輔シンスケは笑って曖昧に濁した。

 すると、今まで柔和な物腰だった大男が纏う空気が変わる。

 少しだけ険しい顔になり、腰を浮かせた。

「いけません。もし食欲がなくても少しでも食べて下さい。食事の時間は生活リズムを形作ります。また、貴方は成長期の男性です。食事を摂らないという事はお勧めしません。せめて食べられそうなものだけでも食べて下さい」

 身を乗り出して力説する大男に、真輔シンスケは思わず仰け反る。

 さっきまで、聞かれた事しか答えなかった大男が、突然人が変わったかのように饒舌になった。

 何が彼の琴線に触れたのか。

 真輔シンスケにはまるで予想ができなかった。


「……はい。頂きます」

 大男の圧に負けて、真輔シンスケは箸を持って手を合わせる。

 具沢山の味噌汁に手をつけると、大男は満足したかのように、また座り直して食べる真輔シンスケの様子をジッと見ていた。


 食べにくい……


 普段無言が気にならない真輔シンスケであったが、目の前に存在感抜群の筋肉達磨がいるとまた話が違う。


 沈黙に耐えきれず、真輔シンスケは箸で摘んだお新香をご飯の上に置く。

「あの……ところで、名前は……?」

 恐る恐る尋ねると、彼は表情を変える事なく告げた。

刀義トウギ、と申します」

 ぺこり、と軽くお辞儀をしてそう名乗る彼に、その名前がとても真輔シンスケは感じた。

 名前が分かると妙に親近感を覚える。

 真輔シンスケは箸を置いて彼へとちゃんと向き直り、自分も自己紹介する事にした。

刀義トウギさん。あ、俺の名前は──」

「存じております。津下ツゲ真輔シンスケ様。僭越ながら先程顔認証で確認させて頂きました」


 背筋がゾクリと粟立った。


 名乗っていないのに、相手は自分の名前を知っている。

 しかも、今『顔認証』と言った?

 いつの間に?

 どうやって?


 真輔シンスケは、得もいわれぬ恐怖心に突然襲われて腰を浮かせた。

 そんな真輔シンスケの様子に構う事なく、大男──刀義トウギは言葉を続ける。


 先程から変わらぬ様子で。

 別段、特別な事を言っている風でもなく。

 ごく自然に。


「貴方なら御存知の筈です、真輔シンスケ様。

 私を、中邑ナカムラ李子リコのもとまで連れて行って下さい」

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