第8話

 おおよそ、一般家庭ではしない筈の音──警告音。


 火災報知器の警報音とはまた違う、不快でけたたましいその音に、李子リコは驚いて小さく跳ねる。

 四葉ヨツハもハッとして、左右を見回して音の出所を探した。


 京子キョウコは、先ほどまでの柔和な表情から一変、険しく眉間に皺を寄せ、ローテーブルに鎮座する三面マルチディスプレイを睨んだ。

「ハッキングされてる……?」

「ハッキングっ?!」

 京子キョウコが呟いた不穏なその単語に、李子リコは途端に恐怖と興味を覚えて再度飛び上がる。

 すぐさま京子キョウコの隣へと詰め寄った。

「ハッキングって……」

 四葉ヨツハは、そんなドラマでしか聞いたことのない言葉とこの家に接点が見出せず、不快な音に片耳を塞ぎつつ、京子キョウコの方を向いた。


 京子キョウコはすぐさまディスプレイの前に座り画面を起動させる。

 目にも留まらぬ指さばきでキーボードを叩き、黒地の背景に白の字を次々に流していった。


 その様子を、後ろからマジマジと見入る二人。

「お婆ちゃん! 英語読めるの?!」

 流れ行く文字の中に英語らしき単語を見つけて、鳴り止まない警告音に対抗して大声でそう尋ねる李子リコ

「ちょっとだけね」

 そう短く京子キョウコは答えたが、目はディスプレイから離さなかった。


 ──と、京子キョウコが目的の画面に辿り着き、手を止める。

 しかし、画面は相変わらず白い文字が高速で流れていっていた。

 その画面を凝視して顎をさする京子キョウコに、李子リコは声をかけた。

「何これ?! さっきから同じ文字が沢山流れてってる!」

 サイバー系ドラマのような展開に、李子リコは浮き足立つ感覚だった。しかし、恐怖も混じっている。

 なんせ、ここはドラマの中ではない。京子キョウコの家なのだ。

 画面を不穏に埋め尽くす文字に、どうすればいいのか何か出来ることはないのかと、李子リコは右往左往し始めた。


 四葉ヨツハは横でひたすら耳を塞いでいる。彼女は大きな音が苦手だった。


 京子キョウコはふぅむ、と不思議な声を出す。

「VPSの方じゃなくホームサーバの方に? 何故……。Dosドス……のワケはないわね。私のサーバなんぞ落としても、一文の得にもなりゃしない。個人情報狙い……? いや、ホームサーバの方だし……」

 京子キョウコの言葉は、李子リコへの返事ではなかった。

 警告音に李子リコの声が負けたワケではなく、京子キョウコには周りの音そのものが聞こえていない。

「お婆ちゃん! コレヤバイんじゃないのっ?! どうするの?!」

 黒い背景を埋め尽くす、繰り返される同じ白字の文章に、李子リコは本格的に恐怖を覚えて京子キョウコに再度叫ぶ。

 まるで焦りも危機感も覚えていない様子の彼女に、不安を掻き立てられた。

 当の京子キョウコは、いつも通り落ち着いた様子で、再度キーボードをいじくりいくつか文字を入力する。

 そして、またふぅむと不思議な声を出す。


「……面倒ね」

 そう、ポツリと呟くとすくっと立ち上がり、部屋の角天井間際に付けられた小さな壁掛けラックの扉を開け──


 プチンと何かのコードを引き抜いた。


 途端に止まるディスプレイの白い文字の洪水。

 同時に、今までけたたましく鳴っていた警告音もピタリと止まった。


 またビックリして小さく跳ねる李子リコ

 四葉ヨツハは恐る恐る耳を塞ぐ手をどけた。

「止まった……?」

 先ほどまで激しく鳴り響いていた警告音が、幻聴のようにまだ四葉ヨツハの耳の中に残っている。

「止まった!」

 警告音も白字の洪水も止まった事に、李子リコ四葉ヨツハの手を取って喜んだ。

 李子リコに掴まれた手を振り回されつつ、四葉ヨツハ京子キョウコに声をかける。

「今のは……?」

 京子キョウコは、外したコードをポイっと投げ捨て、ディスプレイの前に座りなおした。

「私のサーバがね。何か攻撃されてたみたいなんだよ」

 また再びキーボードを、奏でるかのように優雅に叩きつつ、今度はちゃんと返事をする。

「こっ……攻撃?!」

 不穏な言葉に敏感に反応したのは李子リコだった。

「攻撃ってどんな?! サイバー攻撃?! ハッキング?! えーと……なんだっけ? マルフォイ?!」

 李子リコは、取り敢えず知ってるそれっぽい単語を並べてみた。一部間違った単語も入っている。

「それを言うならマルウェアだね。

 サイバー攻撃といやぁサイバー攻撃かねェ。ハッキングしようとしてたのか……クラックしようもしてたのかは分からないけれど」

 李子リコの無理に背伸びしようとした言葉に可愛さを感じ、京子キョウコはやっと柔和な笑顔に戻った。


 さっきまであった緊迫した空気はいつの間にか消えていた。

 京子キョウコは、アクセスログに溜まった無用なログを削除しつつ、いくつかの数字の羅列などを、別ディスプレイに映った白いウィンドウにコピペしていく。


「でも、凄いですね。その攻撃を胡桃クルミさんは防げたんですね」

 四葉ヨツハは心底尊敬の眼差しで、背筋を伸ばして正座する着物の京子キョウコを見た。感嘆のため息付き。

 しかし、京子キョウコはケラケラと笑って手を振った。

「違う違う。防げないからLANケーブルを引っこ抜いたのサ」

 LANケーブル──そう言われて、二人は床に落ちたケーブルを見た。コンセントとは違う、不思議な形の先端をしている。

 二人はそれが何なのか知らなかった。


 彼女らはタブレット・スマホ世代だ。

 学校でパソコンの授業はあるものの、そのパソコンがLANケーブルで繋がっている事を意識した事はない。

 李子リコの家にはインターネット環境はあったが無線LANだし、四葉ヨツハの家はそもそもインターネット契約をしていない。


 二人がよく分からずに、へーという顔をしていた為、京子キョウコは少しだけ眉根を寄せる。

「……技術の進歩を教えないのもちょっと問題だねぇ……」

 そんな一言を漏らし、京子キョウコは先程投げ捨てたケーブルを摘まみ上げる。

「一般家庭のインターネットはね、そもそもこのケーブルで繋がってるのサ。だから、このケーブルさえ抜いてしまえば、インターネットに接続できなくなる代わりに、向こうからのアクセスも受けなくなるんだよ」

 二人にケーブルと、先程ケーブルを抜いた機械──モデム──を指差して簡単に説明する京子キョウコ

「スマホや携帯電話の場合は、無線で直接携帯会社のアンテナと通信してるから、こういうコードは使わないんだけどねェ」

 ケーブルを再びポイっとし、懐から先程使ったスマホを取り出してヒラヒラさせた。


 ──そう、攻撃されたのがサーバで、不幸中の幸いだった。

 LANを抜ける有線接続では、こうやってサイバー攻撃を物理的に回避できるが、無線で繋がっていたらこうはいかない。

 攻撃で極限まで処理速度を落とされたら、端末の電源を切る前に壊される。


 飄々ひょうひょうとした態度の京子キョウコだったが、内心憎々しい気持ちが沸き起こっていた。


 二人の、今度は理解した時の『へー』という可愛い顔に和みつつ、これからやるべき事を京子キョウコは考えていた。

「突然の事で中断しちまったけど、二人はゆっくりしておいで。なんなら風呂でも沸かして入ってきな。まーちゃんが迎えに来るまで、暫くかかるだろうからね」


 勝手知ったる他人の家である李子リコにそう伝え、京子キョウコはディスプレイの前に座りなおし、ログ解析を改めて開始するのだった。

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