第3話

 その日、胡桃クルミ京子キョウコは、レンタルしているVPSにセキュリティアップデートを施していた。



 青丹あおに色の着物に翡翠ヒスイ色の帯。鼈甲べっこうで蝶を模したかんざしでロマンスグレーの髪をまとめている。

 かけられた老眼鏡はハイブランドだが主張せず上品。

 朱色の紐でたすき掛けし、ビシっと伸びた背筋で正座して向かっているのは、24インチ3面のマルチディスプレイ。


 胡桃クルミ京子キョウコは団塊世代である。

 同世代の友人達はあまりIT技術等に親和性はないが、彼女は違った。

 むしろ懇意である。


 自分でVPSを借りてOS等をインストールし、CMSを入れて自分でサイトを運営していた。

 仲間内のグループウェアとしても利用しており、個人情報を管理しているのが京子キョウコ本人である上、スマホでも楽にアクセス可能である事から、友人達からも好評であった。


 ──この間、IPA(情報処理推進機構)から脆弱性情報が届いた。

 京子キョウコのサーバでは使っていない機能だったが、調べたらライブラリが入っていた。


 これを機にライブラリ整理して、邪魔なツールも排除しようかしら。


 真っ黒なコンソール画面に白の文字が足早に流れて行く様子をジッと見つめながら、京子キョウコはそんな事を考えていた。



 悲鳴が聞こえたのは、そんな時だった。


 悲鳴に機敏に反応した京子キョウコは、部屋の隅に立て掛けてあった長箒ナガホウキをひっ掴み、足袋のまま玄関から飛び出す。


 悲鳴の主を探して左右を見回すと、玄関先のブロック塀の陰に縮こまる二人の少女と、

 それをブロック塀越しに見下げる大男が目に入った。


 瞬時に状況判断。

 敵を大男と認定。

 長箒ナガホウキの穂を上にして両手で構えた。

「何ヤツ?!」

 気分は時代劇である。


 道路に出て大男と対峙すると──真っ裸マッパである事に気がついた。


 変態だ。

 間違えようもない変態だ。

 こんなにも分かりやすいのは今時珍しい程の変態だ。


「天誅っ!!」

 京子は思い切り箒を振り下ろした。


 パスン


 残念ながら、京子キョウコに剣道の心得はなかった。


 頭に箒の一撃を食らっても微動だにしない大男。

 首を巡らせてゆっくりと京子キョウコを目視し、

「誤解です」

「何がだい?!」

 ボソリと呟かれた大男の言葉に、思わず被せ気味に京子キョウコはツッコミを入れてしまう。

 その隙に、ブロック塀の隅に隠れていた二人──李子リコ四葉ヨツハは立ち上がり、やっと現れた味方の背中に隠れた。


「お婆ちゃん! 助けて!」

「りっちゃん! 誰だいコレ?!」

「知らないよ!」

「よっちゃんは?!」

「知らないですっ」

 二人を背中に庇いつつ、京子キョウコは箒を構え直す。

 大男はゆっくりと三人の方へと向き直った。

「その子は、中邑ナカムラ李子リコでしょうか?」

 丸太のような腕を持ち上げ、ゴツゴツの指で李子リコを指差す。


「違うね! 人違いだよっ!!」

 咄嗟に嘘をつく京子キョウコ

 先程李子リコの事を呼んでしまったが、大男は気づいただろうか?

 愛称だったから大丈夫なハズ──勘が鋭いヤツなら別だが。


 毅然とした態度の京子キョウコに少し安心を覚え、その背中から首を伸ばして大男の様子を伺う李子リコ四葉ヨツハ


 どうか、お婆ちゃんの言葉を信じて──


 李子リコは色が変わるほど強く両手を組んで握りしめて祈る。


「……そうですか。ご迷惑お掛けしました」

 あっさり、大男は言われた事を信じる。

 ゆっくりと三人に背中を向けると、ペタペタという素足の足音をさせながらその場を立ち去って行った。


 あまりにもアッサリしすぎていて、残された三人は呆気にとられる。


 大男が角を曲がって消えて行った姿を見送ると、李子リコはその場にヘナヘナと崩れ落ちた。

 四葉ヨツハは、膝は大爆笑しつつも辛うじて立っている。


 箒を下げて後ろを振り返る京子キョウコ。その顔には疑問符が浮きまくっていた。

「アイツは何なんだい? どこから追いかけられて来たの」

 追いかけられていた張本人に疑問を投げかけるが、李子リコは口をパクパクさせるだけで声が出てない。

李子リコの家で宿題していたら、突然現れたんです」

 代わりに四葉ヨツハが説明するが、京子キョウコの顔は晴れない。

「なんで玄関開けたんだい。ドアを開ける時は必ず相手を確認してからだとあれほど──」

「そうじゃなくって……本当に、いきなり目の前に現れたんです……」

 ──真っ裸マッパのゴリゴリヒゲマッチョ男が。


 そう説明した四葉ヨツハの頭の中には、今まで見てきた大男の姿が走馬灯のように駆け巡っていた。

 見えちゃった色々な部分を記憶から消そうと何度も頭を振る。


 その様子を見て、京子キョウコは大きなため息を一つ。

 二人が靴を履いていない事に気付いたのだ。

 本当に慌てて逃げてきた。

 ──恐らく玄関以外の場所から。


 京子キョウコは玄関へと戻り、扉に手をかけて振り返る。

「取り敢えず、詳しい事は家の中に入ってから聞こうじゃないか。喉が渇いたろう。

 さ、お入り」


 京子キョウコからいつもの柔らかい笑顔を向けられ、二人はやっと『非現実的な現実』から解放されたのだと実感する事が出来たのだった。

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