最終話 Unlimited World

365-1.されど空は限りなく広がる

「悠くん、こんな時間にどうしたの?」

「こんな時間、か。確かに普通なら学校に通ってる時間ではあるよな」


 現実時間だと、11時くらいか?

 普通は学生がログインできる時間じゃないよな。

 休みの日ではない限り。


「会ってちゃんとはなそうと思ってな、雪音と」

「……私と、なの?」


 雪音……ユキは不思議そうな顔を浮かべる。

 俺が彼女以外の誰と話そうというのだろうか。


「そうじゃなきゃ、ここで待つ意味はないだろ?」

「……そっか、そうだよね。ここ、私たちの工房だものね」


 ユキは当然のことをつぶやき、うつむく。

 視線は足下のほうを向き、顔を上げる様子はない。


「……とりあえず、雪音。身体のほうは大丈夫なのか?」

「平気だよ。悠くんがかばってくれたおかげで、怪我はもともとしてないし。……ただ、夜中に目を覚ますことは多いかな?」


 ゲームの中であるため、雪音の顔色はわからない。

 ただ、言葉にはなんとなく元気がない。


「……そうか。それで、いまはログインしていても大丈夫なのか?」

「うーん、いまは大丈夫かな。体調がいいときしかログインしないようにしてるから」


 体調がいいときしかログインしない、そうは言っているが本当に体調がよさそうには思えない。

 どこか無理をしている、そんな気がしてならないのだ。


「……本当に大丈夫か? 無理をしてないか?」

「……ちょっとつらいときもあるけど、いまは大丈夫だよ。それに、ここにいたほうがつらいことを考えなくてもすむし」


 雪音はうつむいたまま、答えを返してくる。


「悠くんこそ、こんな時間からログインしてて大丈夫なの? 学校は?」

「今日は休んだ。どうせ、午後はリハビリに行く予定だったから、大差ない」

「……ダメだよ、悠くん。ずる休みは」

「実際、体調がいいとは言えないんだ。ずる休みでもないだろ」


 常に松葉杖をついて歩いて回ってるんだ。

 一日くらい体調不良で休んでも問題ないだろう。


「……それで、悠くん。一体なにを話したかったの?」


 雪音が顔を上げて問いかけてくる。

 ……なにを話したかった、か。


「……とりあえず、雪音が無事なところを見たかった、ってのがひとつかな。陸斗や遥華たち経由でしか話を聞いてなかったから」

「それなら、なんとかやってるよ。……まだ、安定してるとは言えないから、学校に通うのは無理だけど」

「学校は気にしなくてもいいだろ。ある程度よくなるまで、ゆっくりしていたほうがいい」

「……うん、そうだね」


 ……こうして改まって向き合うと、なにを話したかったか、なんてすべて吹き飛んでしまうな。

 とりあえず、雪音の無事が確認できただけでも、すごく嬉しいし。


「それで、用事ってこれだけ?」

「……いや、もっと大事なこともあるんだけど、な」

「大事なこと?」

「……秋穂のことだ」

「……お姉ちゃんか」


 やっぱり、聞いていた通り、雪音は秋穂のことを思い出してる。

 ……ここから先は、どう切り出していくべきか。


「雪音はどこまで思い出せた?」

「……あんまり、かな。お姉ちゃんが、悠くんをかばって刺された、そこだけはしっかり思い出せたけど」

「そうか。そこは思い出せたのか」


 よりにもよって、だな。

 一番つらい記憶だろうに。

 雪音は、またうつむき言葉を続ける。


「でも、思い出せたことでいろいろスッキリしたんだよね。悠くんがとっても優しいこととか、陸斗が時々なにかを隠してるようなそぶりを見せたこととか」

「……別に、俺は秋穂のことがあるから優しくしてたわけじゃないけど」

「そうかな? だって、私の立ち位置って、秋穂お姉ちゃんのいた場所だよね」


 ……雪音が痛いところを突いてくる。

 秋穂がいたころ、俺の隣にいたのは秋穂だった。

 あのころはなにかとやんちゃをして回っていた俺を見張るため、秋穂がそばにいたのだ。

 ……昔は陸斗よりも活発に動き回っていたからな。


「でも、秋穂お姉ちゃんがいなくなって。私はそれを思い出せなくて。悠くんのそばに誰かがいたことだけは覚えてて。いつの間にか、自分がその位置に入り込んでた」

「……そうかも知れないな」


 雪音が俺のそばにいるようになったのは、秋穂の事件があってしばらくしたころから。

 最初は、事件の恐怖からだと考えられていたが、しばらくして、雪音は俺を中心に物事を考えるようになっていることがわかった。

 それは、完全に俺に依存しているという状況であって、当時はあまりよろしくないと誰もが考えていた。

 でも、雪音を無理矢理引き剥がそうとすると、それだけで情緒不安定になってしまっていたので、俺がそばにいることは容認しつつ、カウンセリングなどで症状を安定させていたのだ。

 ……そういえば、去年の冬休みも俺が〈Unlimited World〉のβテストで忙しくしてた間は、少し不安定さが出ていたって医者から聞いたな。


「……結局、私ってなんなんだろうね。悠くんのそばにいたいけど、それは秋穂お姉ちゃんの代わりであって、私自身の望みじゃない。でも、ひとりだとすごく不安になる。どうしたらいいのか、いまもわからないよ」

「雪音……」

「ゴメンね、悠くん。私、どうしたらいいかわからない」


 その言葉を最後に、雪音はログアウトしていった。

 俺もログアウトしてあとを追うことは簡単だが、向こうで雪音に会える可能性は極めて低い。

 さて、どうしたものか……。


「……おや、トワ君はログアウトしないのかな?」

「……おっさん? どうしてここに?」


 工房のドアが開いたと思ったら、おっさんがやってきた。


「いやぁ、時間ができたからアクセサリーを作ろうと思ってログインしたんだよね。そうしたら、この場面に遭遇してしまったんだよねぇ」

「……立ち聞きしてたのか? あまりいい趣味とはいえないぞ?」

「そんなつもりはなかったんだけどね。……それで、トワ君は彼女を追いかけなくてよかったのかい?」

「追いかけても、あっちで会える可能性がないからな。どうしようか悩んでたところだよ」


 実際、俺にできることなんてほかにない。

 会って話をできればなんとかなる、そう思って待っていたけど、そんな簡単なことじゃなかった。

 途方に暮れていると、おっさんから声をかけられた。


「こんなところで話していても仕方がないね。談話室にでも行かないかな?」



 ―――――――――――――――――――――――――――――――



 おっさんに誘われて談話室にやってきたが、当然、他に誰もいない。

『ライブラリ』は学生主体のクランのため、平日の日中に人がいることなんてまずないからだ。

 唯一の例外は、このおっさんなわけで……。


「とりあえず、お茶でもどうだい? まあ、ユキちゃんが作ってくれたものだけどねぇ」

「……いただくよ。それで、一体なんの話だ?」

「いやぁ、若い子が青春しているのがまばゆくてね。ちょっと老婆心ながら手助けをしようかな、と思ったんだよ」


 青春、か。

 確かにそうなのかも知れないな。


「手助け、か。一体なんの手助けをしてくれるんだ?」

「まあ、簡単なアドバイスかなぁ。もっとも、言うは易く行うは難しというものかも知れないけどね」

「他人の恋路にちょっかいを出すのは、いい趣味じゃないぞ?」

「それでも、口を挟みたくなってしまうんだよねぇ。いまの君たちは」


 お茶を一口すすり、おっさんは話を続ける。


「そもそも、ふたりとも、今更なにを遠慮しているんだい? おじさんから見れば、とってもお似合いのカップルだと思うんだけどね」

「……遠慮か。それだけなら、どれだけ楽だったことか」

「そうかな? そう思っているのは君たちふたりだけで、周りからすると単純なボタンの掛け違えにしか見えないよ?」


 ボタンの掛け違え、ねぇ。

 そんな簡単なことには思えないんだけど。


「……詳しい事情は、おじさんは知らないよ。ただ、少なくとも、いまの君たちに必要なのは、腹を割って話すことじゃないかな?」

「……それができればどれだけ楽なことか」

「そうかい? 結局のところ、君がどうしたいかじゃないかなぁ? いくら技術が進歩して、現実と非現実が近づいても、やっぱり顔をあわせて話すことは大事だと思うよ」


 顔をあわせて話す、それができればどんなに楽なことか。


「困ったときは、とりあえず行動を起こしてみるのが一番だと思うけどね。……それに、一緒にいたいというのは君だけの望みでもなさそうだし」

「……行動か。わかったよ。やれるだけのことはやってみるさ」


 それでなにかが変わるなら、儲けものだろう。

 動かなくちゃ、なにも変わらないのは一緒だろうし。

 ……行動した結果が、これだったりもするけど。


「……大事なのは、君の言葉ではっきり伝えることだよ。いいね」

「ああ、ありがとう、おっさん」

「いやいや。おじさんも、若いころを思い出したよ。……君たちみたいな大恋愛はしたことがないけどね」


 大恋愛か。

 そうだな、そうなのかも知れないな。


「……さて、おじさんはそろそろ行くよ。頑張ってね、トワ君」

「ああ、またな」


 おっさんを見送り、俺も行動を起こす。

 ……まずは、リハビリに行かなくちゃだけどな。

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