畦道
がたがたと何度も何度もつまらないものにつまづく。
トラックは整備された公道を走るためのもので、こういう石だらけ、砂利だらけ、雑草だらけの道には向いていない。だから走ってるさなかも不安定だし、乗り心地は最悪だしで。何度も何度も、引いてしまった貧乏くじばかりが足元に転がる。
がたん。再び。大きく音。車自体も跳ねた気がした。疲れている自覚もある。やめよう。休憩だ。
車の小物入れから煙草を取り出す。普段はあまり吸わないように気をつけている。何せ、今度また値段が上がるというのだ。数少ない楽しみのハードルがどんどんと上がり、一服の精神安定を得たあとに残るのは焦燥感。募る。次第に、じわじわと息苦しくなる。
「くそっ」
残りの本数も少ない。あと三本。数少ない命の煙。その素。これしかない。他になにもない。仕事中だから酒もない。ラジオは入らない。いや、入って入るのか。ノイズが。まるで拒絶されてるみたいだ。誰の声も聞こえない。
気分転換に車から降りる。真っ黒な空。どこまでも続くまっすぐな畦道。両脇には田んぼ。逃げ道もない。ここはそもそもどこなんだ。カーナビは応えてくれなかった。
後退してみようにも、今更だ。どれだけ走ったか解らない。メーターはとっくに振り切れている。
座り込んでドアに寄りかかる。車のライトを消してしまえば辺り一面真っ暗だ。街灯もない。ひどい田舎もあったもんだ。その上星もない。一体全体、なんならあるっていうんだ。田んぼか。
残り三本の煙草を取り出し、ケースにはあと二本。一日一本と決めていたがこの際だ、もう一本吸ってしまえ。
取り出したライターの火を灯し、煙草を近づけて、
「あれ?」
今日、何本吸ったっけ。
朝。朝だ。朝に買ったんだ、この一箱は。高いな、そう思いながら。コンビニで昼飯を買うついでに。
ざりざりとラジオが鳴る。
昼食一食分より高い煙草。これよりも上がるのか。げんなりする。とりあえずこれで10日は持たせよう。そう考えて。金を払ったんだ。千円札、野口英世一人。高い。来月からはこれに加えて硬貨一枚追加。そうでないと食えないラーメン。心が重たい。
嗚呼、でもいいのか。最近、ラーメンだと胃もたれするもんな……。
ざりざりとラジオが鳴る。
ラジオ?
消したよな?
結局、ほとんどどうでもいい考え事をしていたために、ろくに吸わないうちに灰になった煙草を携帯灰皿に突っ込む。勿体無い。気を逸した、というやつだ。
消したはずのラジオを覗き込む。点いている、意味不明な音はここからか。今は無音で
「縺翫>縲∬◇縺�※繧九�縺�」
無音じゃなかった。何か言った。音を発した。言葉だろうか。音楽には聞こえない。どことなく諦め、もしくは飽きたが声をかけてみている、みたいな。そんな音が。音がする。
「ひっ」
がちゃりとボタンに指を叩きつけて、電源オフ。恐怖体験からの逃避。逃げよう。そうすれば雑音は、
「おい、聞いてるのかって言ってるんだよ」
外から同じ声。同じ音。同じ言葉。同じ。
「ひぃっ!?」
車の座席から零れ落ちる。背中をしたたかに打ち付け、もんどりうっている間に、そいつはやってきた。
異様だった。変なやつだった。ぼろぼろの和服? 甚平? にしては裾も袖も長い。そんなものを着ている。頭には編笠。虚無僧が被っているようなやつではなく、笠地蔵の被っている傘の大きなやつ。顔まで隠れている。素足。砂利道畦道で痛くないのか。見ればすこし血が滲んでいる。痛そうだ。
「全く。大丈夫かよ。ほら」
差し出された手はごつごつとしていて大きい。日焼けも酷く、それ以上に肌に傷が多い。
「あ、ありがとう……ってあんた」
「なんだよ」
ぶっきらぼうな口調だが、意外にも話はできそうだ。
「あんた、手とか足とか傷だらけじゃねぇか。ちょっと待ってろ」
そう言って救急箱を引っ張り出そうとするが、
「あー。いい。いいって。そういうのはいい。困ってるのはおれじゃない。お前だ」
尻に話しかけてくる傷男。
「けどよぅ」
見つけ出した救急箱の絆創膏は古くなりすぎていて、消毒液は使い物にならなそうだった。
「そりゃ俺も困っちゃいるが、怪我してんのはあんただ」
生まれつきだよ、と小声が聞こえる。生まれつき怪我をしているやつなんていない。照れ隠しだろう。無理矢理に絆創膏を貼る。抵抗はされたが、最後は面倒臭くなったのかじっとしていた。
「で、お前」
血の出ているところをペットボトルの水で洗って絆創膏を貼るだけの、治療とも言えない応急処置が終わったところで、その妙な男は口を開いた。多分。顔は見えないから口から声を出しているかどうかはわからないが、人間には見えるし、きっと口を開いた。
「お前、ずっとここにいるだろう」
何を言ってるんだ。俺はずっと、
答えようとして応えに詰まる。
ガソリン。確認してない。昼飯はいつ食べた? 煙草はなんでこんなに減ってる?
そもそも、ここはどこだ?
長距離ドライバーの仕事でこんな場所には来ない。なんだここは。どうなってる。昼飯を買って。煙草が高くて。高速に乗って。砂利道じゃなくて。横の風景は田んぼじゃなくてビルばっかりで。飽きてて。先は見えなくて。街灯は眩しくて。真夜中なのにビルの明かりが目に焼き付いて。家に帰れなくて。帰っても何も無くて。いつか、このトラックが家みたいになってて。ここからもう出られないんじゃないかと思って。本当に出られなくなるのが怖くなって。そして。
そうして。俺は。
自分の首を反射的に抑える。
「良かったな」
男は、その変な男は変なことを、全然変じゃないことを言った。
「とりあえずよ、飯食おうぜ。あっちに俺の家がある」
田んぼの間の細い畦道を指さした男。車では行けない道。車で行かなくていい道。
「腹減ったろ」
立ち上がった男のあとを着いていく。一瞬、会社から支給されたあの車が気になり後ろを振り向く。車輪は道にはまり、下半分が埋まっていた。その場所だけをずっと『走って』いた。
「お、おい」
「なんだ」
「煙草、あるか」
くつくつと男は笑う。
「まずは飯だろ」
その通りだった。
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