こゆび。

 闇が溜まっている。古ぼけた部屋。そこは、人が住めるような、住んでいるような場所ではなかった。部屋のあちこちに蜘蛛の巣が張られ、灯りは、燃え尽きそうな蝋燭の火だけ。ほつれて色の褪せた、辛うじて一人入れるほどの大きさのブランケットと、かちかちに固まったパンの入った皿が、そこに、人の住んでいることを証明していた。部屋の片隅に、二人の少女が身を寄せ合って座っていた。


 するりと小指を絡ませる。闇夜のような黒髪の少女はそこにくちびるを寄せた。あかい薔薇の花弁はなびらが散る。栗色の巻き毛の少女はツキリとした小さな痛みに顔をしかめ、ゆっくりとその手をほどいた。

 黒髪の少女は夕闇のように微笑んで立ち上がり、ふわふわの巻き毛を胸に抱いた。

「これでやっと結ばれたね。痕がついてるから、もうどこにも逃げられない。──ゆびきりは絶対だから」

 やわらかな栗色の房を優しく撫でる。小さく首を竦め、少女はくふくふと息を溢した。

「アリア」

「カノン」

 か細い声で黒髪の少女の名を呼ぶ。応えるようにアリアは栗色の髪の少女の名を呟いた。カノンをいだく腕が強くなる。

貴女あなたは私のお人形」

あたしは貴女のお人形」

 繰り返されるように紡がれた言葉に、アリアは、ほぅ、と吐息を漏らす。

「カノン、私は貴女がいればそれでいい。貴女以外、何も要らないわ。貴女は?」

 くしゃり、と巻き毛が乱れる。

「わたしは」

「私だけいればいい?」

「アリアだけいればいい」

 短い言葉だけを、おうむ返しのように答える。カノンは、三歳児のまま、心の成長を止めていた。難しい言葉、長い言葉を話せない。自分から言葉を発することもほとんどない。それはすべて、閉ざされたこの生活のせいだと、アリアはこの部屋を、家を憎んで、二人だけの小さく甘美な世界だけで生きることを望んだ。

 だから、アリアは優しくカノンに話しかけるのだ。

 けれど、アリアとカノンは心のもっと深いところで繋がっているから、通じ合えるのだ。

 額をコツンと合わせ、手を繋ぐ。呪詛のように、歌うように、アリアとカノンは囁き合う。

「右手のゆびきりはホンモノやくそく

「左手のゆびきりはニセモノのろい

「私たちはどっちの手でゆびきりをした?」

あたしたちはひだりの手でゆびきりをした」

 カノンの口から紡がれたこたえを聞いたアリアは、にんまりと嗤った。ぐるぐるぐる底なしに渦巻く、暗黒の笑みだった。

「うん、そうだよ。私と貴女は、呪いの契りを交わしたの。破れば、貴女の命が差し出されてしまうような。もちろん私も、破れば死んじゃうんだけど」

 カノンはこてんと首を傾げる。アリアが笑っているのを見て、ふうわりと微笑んだ。その笑みが、何を意味するのかも知らずに。

「これで最後。これで、アリアとカノンは永遠になれる」

 アリアは左手の小指を口にあてがい、肉を噛み千切った。ぽたりぽたりと赤が滴るその指でカノンの右頬をなぞる。虚ろな琥珀色の瞳でそれを見つめていたカノンも、ゆるりと左手を持ち上げ、その小指を噛み千切った。痛みにほんの少しだけ顔をくにゃりと歪ませ、しかし、アリアがそうしたように、アリアの頬に朱色の線をひいた。赤の痕のついた頬は、じわりと熱を帯びる。

 そしてふたりはおなじ言葉を重ねるのだ。


『やっと捕まえた。もう逃がさない』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る