死<デッドエンド>
彼女は、己の奥底で湧き出す「この男を殺さねば」という使命感に吐き気を覚える。抵抗できない思考が、極東の黒雷ライバーを殺せと命じてくる。
黒雷は、今や一切の覇気も無い。
立っているのがやっとといった様子で、ふらふらとそこに居るだけだ。
「ライバー……さん………?」
荒井の、疑問形の呟きは無理もない。血で染められた顔、焼け焦げた疑似人体パーツは個人を認識するにはあまりに損傷が激しい。
だが機体に入った一筋の赤が。血で染まろうが黒く保たれたその義体が。
何より、瀕死だろうが死んでいようが、仲間の危機に駆け付けるその様が―――彼である証明だった。
「
アニーシャの悲痛な叫びも虚しく、身体は真っすぐライバーへ向かって踏み込んむ。
間に割って入る瀧、今の彼に何ができる訳でもない。ただ、昔馴染みが隊長を殺す様子を見ていられなかっただけだ。
瀧の拳が届く前に、それを木の葉の様に躱したアニーシャの反撃が腹に突き刺さる。大振りな蹴りが彼の内蔵を揺らした。
――浮き上がる瀧の身体。その衝撃波に苦痛の表情を浮かべると同時。一瞬出遅れた荒井が、蹴り上げ体制を直せない彼女に賀島刀を突き立てた。
渾身の突き。両手で扱う賀島刀は、昔から最強の近接武器として知られている。
人の身体を斬りつけるのではなく、斬り離す程の破壊力。
全身義体化を済ませた
彼女の腕を捕らえた。
右腕が消し飛ぶ。
肘から先が切り取られるも――残った腕の鋭利な切り口をそのまま凶器に転用。腕が、荒井の腹を串刺しにする。
捨ておくように腕を抜き、ライバーの目の前まで辿り着く。
アイビスは、残された右腕をのばす。それしか出来ない故に。
それでも、生きてほしいという願いだけが、彼女にそうさせた。
「止まって――アニーシャ……」
――アニーシャの意識は冴えわたり、起こる事象を全て理解した上で、やはり止められなかった。大粒の涙で視界を曇らせるも、
彼女の腕は、ライバーの心臓を貫いた。
■■■
―――数分前。
部屋の外で数回、銃声がした。鳴り響いていた扉を叩く音が止む。
第一世代である生身の身体にナノマシンを打ち込み、傷口付近で暴走させることで無理やり止血した黒木は顔を上げた。
「翔子ちゃん!?いるの?」
先程のそれよりだいぶ弱い戸を叩く音からは、胸を締め付ける心配具合が感じ取れた。
「月城、さん?」
恐る恐る開かれた扉の先には、目尻を赤くし涙の痕を残す月城と、九ミリ口径拳銃を持ったシュオーデルが居た。
彼は白髪に深いしわを刻んだ老人とは思えぬ力強い笑みで。
「屈辱の十六年間。私がこういった訓練をしなかったとでも?」
と言う。じゃあ何でさっきは私にやらせた、と半眼になる黒木。口にしなかったのはせめてもの良心だ。
「ツキカゲを―――」
すぐに切り替えた彼女は来た道を戻ろうとするが、それを呼び止めるシュオーデル。もうあれは助からないと、言外に告げる。
「待ちたまえ……、上にいる君の仲間はまだ戦っているのだろう?」
それでも立ち止まらなかった。確信めいたものが、脳裏に浮かんでいたから。
「あの子の死に方は不自然でした。外傷は無く、周りの死体はみんな彼女に殺された物―――」
足早に戻る黒木についてゆく二人には、何の話だか検討も付かないが。黒木は知っている。
「あの部屋にはきっと、『仮死薬』があります……」
『仮死薬』――古くから存在していたと言われる秘薬の一つ。人間の代謝機能を著しく下げ、あまつさえ一時的に止めてしまうという代物。復活時には『蘇生薬』が必要となり、アドレナリンの分泌から覚醒作用のある薬剤で強制的に起こすという。
長く心肺機能を停止させていると脳が壊死する為、長時間の使用はできなかったようだが、義体化が一般化した現在の仮死薬は進化を遂げている。
脳殻だけでの生命維持と、心肺の完全停止状態を約一時間継続可能である。だがもちろん蘇生薬も必要となり――本来は歯の裏などに仕込み薄れた意識の中それを舐めるのだが。
眠るようなツキカゲの死体は、だが恐らく遺体ではない。黒木は注射器の内容物を一滴舐め―――
「きっとそう………いえ、必ず―――私は信じます」
ツキカゲの首に注射した。
止まっていた肺が、心臓が急激に動き出す―――委縮していた人工筋肉が強制的に突き動かされ、息を――吹き返した。
「―――カッ……ハ――――、………ゼェ…ハァ…」
涙目で勢いよく起き上がった彼女は、活動再開したての脳で、目の前にいる姉を救世主と理解し。
強く抱きしめた。
唐突な出来事に困惑する黒木を置いて、ツキカゲは勝手に安心する。
「―――信じ、てた………お姉ちゃんなら、気が付く―――って……」
盛大な賭けに勝利した小さな命の、心を殺された少女の満面の笑みと。救えた安堵とどうしていいかわからない、幸せな困り顔を浮かべる黒木の。
血の繋がらない、悲劇で結ばれた姉妹の絆は―――やっと表情を取り戻した。
奇跡を目の当たりにした様に目を丸くする月城とシュオーデルだが、ツキカゲの小さい身体を起こすべく手を貸す。
「良かった――本当に、良かったぁ」
誰も死んでなんかいない。
きっと皆揃って帰れる。
アニーシャを止めることができれば、誰も―――
■■■
空きっぱなしの地上へ続くハッチをくぐり、ライバーの姿を見た。
生きている。死んだと思った人が生きている。
本当に誰も死ぬ必要なんてない。そんな喜びを感じる暇もなく、その異様な光景に目を奪われた。
切れた腕でライバーの心臓を貫くアニーシャを、刺されても尚推し進み、彼女を抱擁する彼の姿に―――
ライバーは、そっと抱き寄せた頭の耳元でささやく。
「もう、終わっていいんだ………」
「ライ、バー………」
呼応するように、奴らが目覚める。
<<我らを消せば、我らの気が変わる前に――人類は滅びるぞ>>
彼女の声を借り、何者かを混ぜ込んだような不気味な声で言葉を紡ぐ。だが力のない黒い鳥の鳴き声は、何処か穏やかさにあふれている。
「いいんだ……俺達には関係ない――」
<<その無関心が、無責任が世界を滅ぼすのだ>>
今一度アニーシャの身体を使い、胸を
獰猛ではない笑みを向けた。
「忘れたか?俺たちは
一筋の、極小の黒雷が彼女の脳を貫き―――身体から一切の力が抜けた。
彼女が倒れるのをそっと抑え、仰向けに寝かせてやった後、彼自身の限界が身体を地に落とした。
「お父さん!」
「ライバーさん!!」
NOMAD隊員六人が彼のもとへ駆け寄る。
シュオーデルが敢えてそうしなかったのは、彼なりの気遣いだったのだろう。家族水入らず、そんなことを考えていたのかもしれない。
彼にとって黒雷は自らの研究に意義を与えた者であり、勝利をもたらした軍神だ。対して駆け寄った部隊の人間は、まさしく家族の様に―――否、本物の家族以上に心を許し、命を託した相手同士だ。
入る隙間もないとはこのことだ。
命の炎がゆっくりと消えゆく黒い鳥を、家族が囲う。
すぐ隣に膝をついたアイビスは、涙で顔を濡らし嗚咽を漏らす。
瀧が真っすぐ見下ろし、荒井は覚悟の眼差しを向け、月城は溢れ出した涙を一生懸命拭い、黒木とツキカゲは悟ったような表情で、だがやはり悲しそうにしていた。
月城が最後の抵抗と言わんばかりに弱弱しく黒木の袖を引っ張るが、彼女は苦い顔で首を横に振るだけ。もう助からないことは、本人もよく理解していた。
もうほとんど声が出ない。横になり、蒼穹を見上げる
「こん、な―――。――世界、だ―――――お前ら、だけ……でも――――好きに、生き……ろ」
二万と余年。白い鳥の為に戦い続けた黒い鳥は。
笑いながら死ぬことを選び。
―――やっと……この世を後に出来た。
幸せに、幸せに――――死ぬことが出来た。
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