命の終わり

 上腕から先が綺麗になくなっている。吹き出す人工血液が地を打ちぱたぱたと雨音を立てる。

 驚愕している暇は無く、混乱する頭で本能のまま飛び退いた。


 鈍い音を立てて腕が落ちた。



 反撃。大口径の拳銃の反動も御して見せるアイビスは、片手で弾倉が空になるまで撃ち尽くした。それを全て躱すのは、生物としてどうかしている。

 アニーシャは、これを躱さなかった。


 三発被弾する。傷口は砕け、血を吹き出した。


 ここで無理やりにでも避けてくれれば、時間稼ぎも幾分か容易だっただろう。陽動ブラフ、ハッタリは父親から教わった技術だ。

 だが避けもせずに突っ込まれては――


 士官刀が、アイビスの顎を掠め火花を散らす。



 彼女はナイフを抜いた。

 銃で応戦しては殺してしまう、と。


 あまりにも薄い勝利の可能性に賭けて。

 『過剰負荷オーバーロード』が、この戦闘機械と渡り合えることを信じて。




 濁流の如く押し寄せる傀儡。壁に跳弾した弾丸が、一人の脳殻を貫き、二人目の心臓を射止める。

 六発の弾丸を精密機械の様な速度で撃ち出し、排莢はいきょう


 瞬く間に次の六発が装填され、ばら撒かれる。


 再装填の隙を埋めるのは対義体機人マキナンドを想定して作られたM614Lアサルトライフル。比較的大きい口径でありながら切り詰められた銃身バレルは取り回しを格段に良くしている。

 高威力故に反動はなかなか、黒木はそれを何とか扱って前進していた。


 突出した敵の脚を、リボルバーで仕留めきれなかった敵の胴を撃ち抜く。

 NOMADの人間は何の気負いもなく拳銃で脳殻を貫通させるが、其れには相応の技術が必要となる。進入角度が悪ければ堅い脳殻に容易く弾かれる。


 よって射撃に自信の無い黒木が狙うは胴体。心臓、肺を含めた重要器官を破壊すれば、傀儡といえど活動は停止する。


 三点バーストで放たれた弾丸が、迫る傀儡を薙ぎ払う。



 身をかがめ端末を抱える月城は、アイビスの合図を万全の状態で待つ。

 真っ白な髪のシュオーデルは、いそいそと付いていく他ない。


 「敵が減って来たなァ……」

 人外の動き、不安定で生物らしさを捨てた走り方はその姿だけで背筋を凍らせる不気味さを放つ。その勢いが明らかに減った。


 最速で射撃と再装填リロードを繰り返しながら、残り少ない残弾を横目で確認し、器用にも思考を巡らせる。

 籠城していた最深部を離れて十分と経たないが、もうリボルバー用の残弾は無い。


 「途中で武器庫を目指す、荒井もそこへ向かってくれ――」

 <了解>

 

 グレンノース島は武力を保有する極秘の島だった名残で、武器庫、弾薬庫が点在する。

 予定していたルートを変更し、武器庫で落ち合うことにした。

 「よし黒木、頑張ったなァ……その武器貸してくれ」

 「返さなくて結構です」


 痺れた右肩をもみながら、半眼で銃を手渡す黒木。

 四人は順調に地上を目指す。



■■■



 四人で縦隊を組み、正面突破火力要因の瀧を筆頭に、黒木、月城、シュオーデルが死体で足の踏み場に困る通路を着々と進む。突撃小銃の残り弾数も心許ないものとなりつつ―――武器庫を五十メートル程先に視認するに至った。


 通路には目測二十体ほどの傀儡がいるが、残り弾数的にはなんとか捌き切れそうな数だ。先刻瀧が呟いた通り、敵は確実に減っている。


 向かうは大きな武器庫だ。シュオーデルの話では、武器弾薬はもちろん、医療品や特殊兵装まで取りそろえる充実ぶりである。そこへ着いてしまえば地上までは余裕をもって到着できるだろう。


 射撃を外して弾が足りなくなってはいけない、冷静に一人目の心臓を撃ち、次いで銃声につられ走って来た残りの傀儡も淡々と殺す。



 押し寄せる傀儡らの波を凌いだ瀧には造作もないこと。残り弾数五発残し、その場の全敵性勢力を殺傷。


 一時ひとときの静寂が訪れた。


 分厚い武器庫の扉の右に小さく取り付けられたコンソールにコードを挿入し、ロックを解除する月城は違和感に眉をひそめた。

 「妙ですね。これ、内側からロックが掛かってます」

 がこんと一度振動し、ゆったりと開く扉に―――


 見せられた光景は、放心状態で立ち尽くす十体以上の傀儡と、幾つもの死体に埋もれる様に倒れた――



 ツキカゲの死体であった。


 立て籠もって、押し寄せられて、せめてここに居る敵だけでも閉じ込めようと操作盤に手を伸ばした、幼い少女の死体。

 「―――ヒッ…」

 全員が引きを呑むと同時、手前にいた傀儡が黒木の首筋に喰らいついた。



 「クソがッ!!」

 一撃で脳殻を破壊する瀧、だが既に食い込んだ歯型からは血が勢いよく流れ出す。傀儡が倒れこむときに引っ掛けた黒木の服が裂け、肩がはだけ幾多の古傷が露わになる。

 倒れこむ黒木を支える瀧と、部屋から流れ出した傀儡共を躱すように後ずさった月城、シュオーデルが分断される。


 武器の補充などできていない。弾薬は残り四発、相手は義体を使い潰す形で性能を限界まで引き出した理性無き化け物。

 ――判断は、迷うまでも無い。


 「走れッ!籠城立て籠もり何でもいい!絶対ぜってェに生き延びろ!!」

 叫ぶ瀧は彼女を肩に担ぎ残りの四発を撃ちきり駆けだした。



■■■



 暗い部屋。グレンノース島地下施設内にある一室は、倉庫のような場所で薄暗い。人一人担いだ上に銃もない状態では生存率が、特に流血している黒木のが低いという判断から。

 彼女はここに取り残された。圧迫止血しながら、扉を猛烈に叩く音に震える。


 嫌な音がする。鉄が軋み、ひび割れる音。人を辞めた怪物の呻き、近づく死の足音。

 傷口を抑える布に染みる生ぬるい液体が、手のひらにべったりと付き――手が小刻みに揺れている。


 彼女は実験に巻き込まれて以来、初めて心を許せた男は、巨大なつるぎと刺し違えた。迎え入れられた彼の家族も、今壊滅の危機に瀕し。

 とうに死んだはずの心、恐怖心が蘇り―――自らの命すら失われようとしていることに、震えと涙が止まらない。


 「嫌だ――――」

 小さく零れた言葉に応える者はおらず――ただ戸を叩く音だけが響く。


 「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、死にたく――――死に…………………、死な、ないで…――――」


 無情にも扉は――




 瀧は一人で荒井と合流した。人工血液を滴らせる賀島刀を持った荒井が、肩を揺らしながら怪訝に顔をしかめる。

 「―――みんなは?」

 「奴らに分断された――黒木は負傷、月城と博士のおっさんは……おそらく来た道を辿って最下層へ行くだろう」


 重々しい空気、だが今は優先すべき案件があった。一番危険な状況にあるのは。

 「今ァ、アイビスを助けるぞ」

 「分かりました」




 二人が地上に到着、重いハッチを開ける。外は十六年前の爆心地。

 何もかもが消え更地と化した島、しんと降る粉雪がもの悲しさを感じさせる。白く積もった雪に、混じる赤。


 アニーシャの士官刀はアイビスの太ももを貫通し地面を穿つ。左腕を失い、脚を固定され動けなくなった彼女に、死天使はゆったりと迫った。

 「……ごめんね。―――ごめんね……」


 「待てェ!アニーシャァア!」

 彼らの叫びは、届かない。薄れた意識で、ただ何となく。

 途轍もない罪悪感だけを感じる彼女は、もはや義体の制御権も無く。目の前で引き起こされる惨状を傍観する他ない。


 アイビスから奪ったナイフが、喉に突き立てられ――


 ――る直前、アニーシャの動きが止まる。

 「やっぱ嫌だねーぇ、こんな結末はさ。アイビスちゃんも、旦那も望んでないよね」

 「ふふっ………旦那言うな」


 抗う。自分の一部となった敵に、抵抗する。意地だけが、彼女を辛うじて止めている。

 「もう……殺してよ、瀧?荒井くん…―――終わらせて?」


 荒井は、震える手で拳銃を構えた。アイアンサイトをのぞき込み、じりじりと距離を詰める。

 息を呑み――覚悟を決める。彼女にとっての、選び得る最適な最後とは――



 発砲音。


 いや、これは爆発音。

 発砲時のマズルフラッシュは無く、変わりに四人の傍に一機の戦闘機が墜落した。

 墜落する前から両翼を失い焼け爛れた装甲の、航空機とは呼べない代物であったそれは、地面と激突しひしゃげた鉄屑と化した。


 それを確認したアニーシャ、もとい超機存在エクス・マキナは飛び退く。野生の猫が全力で警戒するような、軽快で豪快な威嚇。スクラップの装甲に入った紅い線レッドラインに、異様なまでの反応を示す。

 「Fi………24、―――?」



 切り離しパージされた操縦席装甲の中から、ふらふらと身を揺らしながら立ち上がったのは、義体機人マキナンドとは思えぬほどぼさぼさの黒髪と髭を伸ばした―――



 義体も顔も焼け、全身血まみれで赤く染まったライバーその人であった。

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