Sin of the Human

 今は世界の危機だという。が、彼からすれば任務が幾分か楽になったとすらお道化る余裕があった。

 誰にも見つからず、証拠を残さず、援護も支援も増援も無しにテロリスト共を抑え、あまつさえ超重要人物の安全を確保しろなどという無謀を叶えるより――世界を救うため最終なんたらを起動する方が気が楽だ。


 否、単純明快で彼好みだ。


 最深部、このグレンノース島極秘実験基地において最も深くに眠る、使われていない小さな部屋。柱が数本、積まれた荷物があるだけの二〇メートル四方の―――その深度にはその部屋しかない「開かずの間」。


 その最奥、目標である電子パネルのある台に悠然と寄りかかる、鮮やかな血赤の短髪と、その獰猛さを湛える瞳を携えた長身の男。


 「激情の罪シン・ライオットとお見受けする、そこを退いてもらえるかな?」

 もしよろしければ、そんな風に聞こえる口調で――しかし全力の殺意と黒雷でもって語るライバーの眼は。高周波ブレードの如く揺らぐ鋭さを見せる。


 それもその筈。目の前にいる肌の浅黒い男の両手には。


 黒い火炎が舞っているのだから。


 「よォ…――よく来たな、同胞。いやァ?先輩かァ!?」



 挑発的に笑う男はその両手を前に掲げた。


 激情の罪シン・ライオット――焼けた暗い肌とコントラストを奏でる緋色の髪は短く整えられ、野犬の様な瞳は鈍く光る。

 角ばった義体装甲のあちこちから光を放たぬ漆黒の火花を散らし、およそこの世のものとは思えない邪悪な笑みを浮かべる。


 「随分と良いもの持ってるな―――後輩呼ばわりするつもりはねぇよ、バカガキが」

 世界の法則を笑う光を失った雷と炎。

 「俺は超機存在エクス・マキナ第一執行部隊所属激情の罪シン・ライオットだ」


 やはり、と冷ややかな目になる黒雷。このテロ行為を操る上で、集団の頭になるほど高率の良い手はない。

 ライバーが来ることも読んでいたのは、超機存在エクス・マキナが彼を狙い、待ち望んでいたからだ。


 「黒雷殿にお目見えできるたァ……光栄だね。うちの上層部はあんたを消したがっている――理由は、まぁ、その雷だろうなァ」

 にやりと口を歪める彼は、髪色と同じく紅玉色の瞳を眇める。


 空気を裂いて音を放つ炎がより勢いを増し、前置きを過去へ押し流す。言葉ではない意思疎通が二人の間に通り、無言のまま火蓋は切られた。


 異能者とも呼べる二人の闘いは、現代戦を鼻で笑う激しさであった。ライオットの振るった回し蹴りは黒い炎の軌跡を残し、ライバーの突きさす拳は黒いいかずちをまき散らす。

 コンマ数秒の駆け引きと、即応、反撃、攻勢を織り交ぜた流れる水の様な、濁流の

様な攻防が続く。


 余裕など欠片も無い闘争。しかしライオットの顔には暴力的な笑みが薄く張り付く。


 「―――ははッ!!はァッ!!!」


 ――まばゆさを錯覚させる、光無き衝撃が彼を中心に広がり、辺りを火の海と変える。黒炎の持つ灼熱が一帯を焼き尽くしたのだ。

 暗い火が、目を焼く煌々とした一面の火炎に転じ、部屋の酸素を急激に消費する。

 人体を模した義体にも酸素は必要不可欠。


 地下深く――酸素濃度の極端に減った環境での激しい格闘戦は二人の義体にくたいを苦しめる。息が上がり、冷却機構として発汗を繰り返す。

 炎の草原。燃える拳の打撲、延焼。雷を纏う蹴りの感電、裂傷。深く傷付いた身体でぶつかり合う。


 「やるなァ……伝説は伊達じゃねぇってか!!?」

 「うるせぇ」


 その名の通り、激情に任せた力技の多い激情の罪シン・ライオットに対し、ライバーは格闘技としての技量で捌く。

 予測、誘導、ブラフ、そういった小技や小細工を恥ずかしげもなく披露する闘いに、乱暴とも呼べる闘い方のライオットはしかし、何処か楽しそうに。笑う。


 長くは続かない。お互い無酸素運動に近い上、黒雷、黒炎ともに常人ならば三秒もあれば脳が焼き切れる異能持ちだ。耐性があれどこれ以上は脳殻の融解すらあり得る。


 焦燥に駆られ、それでいて一瞬の隙も見せない双方は。

 ついに果てる。



 ――そのまま共倒れに持ち込んでも、ライオットとしては、超機存在エクス・マキナからすれば勝利だ。

 焦点の定まらない、疲労極めた表情で彼は笑った。

 伝説を相手にしても。

 耐えきれば勝ちだ、と。


 黒雷を抑え、超機存在が世界を制する。


 二度と自分の様な哀れな。


 妹の様な不憫な―――者など。



 ライバーは、戦闘継続不可になるのを、敢えて待った。

 互いにもう一撃の拳も震えない程の、瀕死。

 血に濡れ、息も許されない。死。

 二人はほぼ同時に倒れた。


 一歩だけ、多く進めたのは黒雷の方であったが。


 「後は任せていいんだな?博士」


 激情の罪シン・ライオットは、驚愕に目を剥いた。此処ここを耐えさえすれば終わると、吹き飛んだ人類史ごと戦争なんてちんけな物が本当に終わり、機械に支えられた平和に人々が生きられると信じていた。


 超機存在エクス・マキナに後は託せばよいと―――


 託していたのは、自分だけではなかった!?


 <君のキーコードを受け取った。任せたまえ>

 倒れこみながら、承認用の鍵盤に手をかざし、手の甲をナイフで刺突。無理やり固定する。

 酸素は果て、周囲の炎はとうに消え――部屋も意識も暗闇が塗りつぶす中。


 確かに聞いた。



 <君の勝利だよ。名も知らぬ英霊くん>



■■■



 その異変を初めて感知したのはコルアナ国防総省の観測器だった。ステルス性能の高いそれは、国連軍を差し置いて潜入した賀島軍特殊潜入工作員に疑心を抱きつつ――待機を命じられていた。


 そして異常が発生した場合、何もなかったと、を観測することも任務のうちだ。


 しかし、唐突に。

 なんの前触れもなく観測した数値は本来。


 重力系兵器を観測するためのものだった。つまり、重力異常。


 <観測器〇二三より本部―ッ、――ザッ―――。――島内で異常な重力変動を――ッ!!?>


 その光景は、凄まじいものであった。グレンノース島地表に存在する何もかもを消し飛ばし、中心から広がる藤紫色の光の奔流が、海も、雲も、観測機どころか、文字通りこの惑星そのものを飲み込んだ。


 ――大規模超圧兵器による粒子散布。 

 電波は遮断され、成層圏は閉ざされ、空路は破壊され、何処もかしこも――


 世界の裏側まで全て、その粒子に塗りつぶされた。


 もし、この時宇宙からこの星を見ていた者が居たとしたらこう言うだろう。

 紫苑の波紋が世界を覆い、青い地球は歪んだ膜に覆われた、と。



 結果、世界は大混乱に叩き落され。シュオーデルは悪魔の研究者として名が知れ渡るようになる。戦争紛争何でもアリの狂乱めいた混沌の出来上がりだ。

 ――しかしそれは超機存在エクス・マキナの待ち望んだ展開には成らなかった。


 SS粒子が世界の交信を閉ざしたことにより、人工衛星によるネットワーク管理や、インターネットを通じた第三世代の一斉消去が実質不可能となる。


 これはシュオーデルの残した最後の足掻きだったのかもしれない。



 彼は知っていた。最後に極東の黒雷を『名も無き英霊』と呼んだ彼は。

 この戦いが果てなく続いて、終わりなど無いことを。



 いつか篝火ビーコンが――――人類に牙を剥く事を。



 知った上で、無様であろうが――誇り高き『時間稼ぎ』を行ったのだ。




 それから十六年が経った―――


 ――時は、二十二世紀の暮れ。

 人類の、反撃が始まる。

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