Down Card

 「黒い………かみなり…!??」


 眼前で異質な雰囲気オーラを放つ敵に狼狽する灰熊グリズリー。顔に張り付けた怒りと力強さが、驚愕に染められる。

 「あっちゃーぁ。『最初から本気』とか言っておいて余力残しているなんて……わるいひとぉー!」


 対し死天使にはまだ余裕が見てとれる。茶化し半分、呆れ半分の文句を漏らし。だが銃口だけはしっかりとライバーを睨む。

 冷や汗を垂らす灰熊は、一気に力量が不透明になった目の前の異物へ敵意全開で。しかし冷静を保った鋭い声を――遠く共闘しているとは言い難い仲間へと向けた。

 「ねぇ死天使………手を組みましょ?―――これは早々にらなきゃいけない……はずよね」


 協調性の抜け落ちた彼女が、誘う協定。共闘。勝利、生存の為なら安いプライドなど何の役にも立たないと知っている、猛者の即断で。

 「嫌な予感がする」

 『同感んーー』

 ほんの一瞬の言葉だけで、動きが変わった。


 仕留めようと、急所に狙いを絞っていた狙撃が、行動制限や抑止力として動きを封じる役に徹し、生まれた意識の歪みをゼロ距離までつめた灰熊の爪がかき混ぜる。肩の出血の止まらぬまま、コンクリートの林を疾走した。

 右手のパイルバンカーは切り離しパージされ、残された左の爪を中心に近距離戦を構築。闘い辛い状況に追い込まれる。


 射撃と打撃を捌きながら、だが着実に追い込まれるライバー。次々に迫りくる乱撃を、いなし躱し力を逸らし―――紙一重の攻防を渡る。

 黒い電撃を帯びてから身体能力が向上したが、実力者二人のアドリブでありながら綿密な連携は、着実に押し込み。

 「――はッ………やればできるじゃないか」

 誰が見ても劣勢に立たされている男の放つ、強がりのような余裕の戯言に、輪郭のハッキリした殺意を剥きだす紅い灰熊に―――最上級の支援そげきが送られた。


 鉄柵と、太い支柱の隙間を縫った狙撃は、パイルの刺突と、追いやられた先の分厚い金属のゲート入口とで―――回避の可能性から打ち砕く。引き金を引くとともに死天使は「チェック・メイト」と、心で呟く。


 逃げ場の一切を封じる見事な一線は、回避という概念そのものを嘲笑あざわらう。


 勝利したという宣言である『チェック・メイト』は、将棋の『王手』とは違う。『摘み』だ。―――この場合、チェックメイトには至らなかった。あくまでチェック止まり。

 『最初から本気』宣誓が正しく、ここまでの黒雷の温存と、入口ゲートまで追い込まれた一連の動きが―――この実験棟に入る前から絵描かれたシナリオであったと、その瞬間に理解できる者はそういないだろう。


 死天使が引き金を引くより数舜前、ライバーの放った不可視の電撃は。

 ――直上。七メートルはある分厚いゲートの上に、侵入するよりも先に仕掛けられていた手榴弾伏せ札二つの、炸裂信管だけを揺らし―――



 異様な空気を纏う敵とは全く別の、唐突な爆発に。完璧であった警戒れんけい一瞬ひとまたたき。


 ――途切れる。


 見上げる他、選択の余地は残されていない。一手間違えれば即死の接戦において余所見なぞ言語道断だが、敵の思惑を無視することもまた死に繋がるのだ。

 振りかぶったパイルバンカーは空を裂き、音速を軽く超える弾丸も目標を外した。


 天井の照明や鉄骨などの破片が重力に引かれ灰熊に迫る。高い位置からの自由落下、これを回避する余裕など十二分にあるはずだが。

 「なッ―――――」

 突き立てられた杭と銃弾を躱した不安定な体制で、倒れながら灰熊の膝に足をかけるライバー。『膝カックン』が綺麗に決まり、地に両膝を着いた。

 降り注ぐ鉄塊は、たった二つの手榴弾で天井を爆破した程度のものだが、十分な加速距離たかさからの落下は見た目以上の衝撃と成る。


 身を丸め衝撃に備える。

 その彼女を照準機スコープ越しに確認した死天使は、ライバーがいないことに気が付く。と同時、彼女の後方にあった階段で趣向性地雷クレイモアが炸裂する。

 トラップに掛かった?狙撃銃を極めた彼女は、至近距離に近づかれることを想定しても尚、取り回しの良い小型機関銃などではなくドデカい狙撃銃スナイパーライフルを、振り返り構えた。


 「―――――……ッ!?いない?」

 直後。彼女の背後を取ったのは、たった一度の跳躍で三階まで昇ってきた『定点狙撃手狩りの変態いもほりないふぁー』であった。


 反応は間に合ったが、肉薄されれば長身の狙撃銃は相手を狙うことすら許されない。死天使は諦め―――――殴った。義体化が一般的になった現代の狙撃銃はなかなかの重量だ。

 重さをフルに利用した横殴りはライバーを痛打するが、彼は肩の杭を引き抜き。血に塗れたその手で死天使のももに突き立てる。


 そして狙撃銃を掴みハンマー投げの要領で彼女を壁に叩きつける。こうなると分かっていてもライフルを離さなかったのは彼女の性なのだろう。

 死天使は、がくんと肩を落とし意識を手放した。



 落下した鉄屑は直撃、脳殻を揺らし一時の混乱状態を生み出していた。ふらふらとおぼつかない足取りで立ち上がる紅い義体の灰熊は、ゆったりと近づく黒い義体の死鳥を観た。

 「あ…………あんた、女性レディに手ェ――――上げるつも…り?」


 揺らぐ視界の中、高いプライドを発揮する彼女は両手を頭の後ろで組み「降伏」を示す。敢えて弱弱しさを演じる口調で――

 「か弱い女の子を……―――さッ!!」


 隠したナイフが黒鳥に届く前に、彼の拳が腹を穿った。空気を取り込むことを忘れた肺と、抑制しても尚鈍痛を訴える脳。膝から崩れ落ちた彼女は、真っ白な頭で疑問だけを顔に浮かべた。

 「―――ど、う……して……」

 「男女差別とか嫌いそうだからな、お前」

 灰熊は引き攣った苦笑いだけを残し、微睡まどろみに落ちた。




 実験棟地下にある隔離施設は、同時に監獄としての役割も果たしている。分厚いコンクリートと鉄筋を竹籠の様に編んだ壁は実験によって生まれた強力な猛獣をも閉じ込め、堅牢な扉で蓋をする。

 監視カメラと各種センサも取り付けられているが、看守室がゾンビだらけでは機能しない。

 鋼鉄の扉を叩く音が冷たい廊下に響く。


 「あんたが指名した運び屋のライバーだ。スティーブン・B・シュオーデル博士」

 「…………本当に、来たのか…――」

 掠れ、重ねた歳月を思わせる声が困惑に揺れる。離れていろ、と短く言うと扉の奥でいそいそと部屋の隅に寄る気配。


 黒雷を流し込み、義体本来の抑制を麻痺させた蹴りが重厚な鉄壁を破る。

 轟音に耳を塞ぐ白髪の男が、簡易ベッドとトイレ、小さな机だけの殺風景な牢獄へやの角で身を丸めていた。


 「改めて……篝火嫌いのあんたが奴らに反対する――そして俺を読んだ理由、説明してもらおうか?」

 余談は要らない、と目をすがめるライバーを見上げ、深いしわを刻んだシュオーデルは口を開く。

 「こほん――――よく、来てくれた。―――――――、君には………」


 重々しく身体を持ち上げ、改まって黒い義体の眼の奥を覗いた。

 「――世界を、救ってほしい」

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