The Imprisoned Tragic Girl

 銀白色の猟犬クロムドッグの意識を奪い、モニタールームのベンチに仰向けに横たわらせ、月城が有線で直接記憶に干渉、複製コピーする。脳殻に保存された電脳の記憶は電子データとして記録されているのだ。


 緑の深い静寂に包まれた森、『オルクス』の見える距離―――背の高い木の下。ライバーと黒木が外の空気を吸いに散歩へ来た。

 事情聴取とも呼べぬ、立ち話。澄んだ空気とは裏腹に、昏い雰囲気が二人を取り巻く。


 「聞かせてくれるか」

 「――…はい」



 これは私が中等学校に入る前の頃でした。父は黒木宗八郎そうはちろう大佐、帝国軍参謀本部付けの軍人で、昔から平和を愛しギレン共国との和平を模索していました。優しい人で少ない休みによく遊んでくれました。


 母は穏やかな人で、すごく世話を掛けたのを覚えています。父とは仲が良く、温かい家庭でした。

 まだ初等学生だった私には難しい話でしたが、周りの友達も世間もメディアもがギレンや周辺諸国を敵視する中、「周りに流されない強い子になりなさい」とさんざん言われていました。


 その日は学校の長期休みで、家族三人でギレン旅行に行ってました。賀義戦争よりも前のことですから、当時はギレン旅行もまだ普通でした。賀島人もちらほら見かけるほど、観光地はにぎわっていました。

 よりこの国のことを知れば偏見も無くなるだろうって、下町の観光客がいかないようなローカルの商店街を回ったりしていたところ―――


 十人くらいの暴徒に襲われて、誘拐されました。両親は囲まれリンチ。私も何発か殴られました。赤黒い飛沫しぶきと悲惨な光景は目に焼き付いています。

 訳が分かりませんでした。経験したこともない痛みも、血まみれになる父も、理解できる範疇を優に超えていたので。


 誘拐され、何処ともわからない廃墟に監禁され――そのまま何処かの組織に売り払われました。

 荷物扱いでトラックに詰められ、着いた施設であの男に初めて会ったんです。


 銀白色の猟犬クロムドッグ。そう名乗る男は綺麗な制服に身を包むギレン人で、私に何度も「お前は父親のせいで巻き添えを喰らったんだ」と言ってきました。



 家族三人があの男の前に集められ、目の前で母がを振るわれました。悲鳴を上げる母の姿は今でも鮮明に覚えています。何日か監禁生活を送るうち、母は衰弱死しました。―――父の腕の中、冷たくなっていく母。


 父は、壊れました。


 無気力に、私が暴力を振るわれていても反応もしなくなった父は、ひたすら恐ろしかったです。人間は簡単に壊れる、と。

 幼くして学びました。


 壊れた父の様な『何か』と、牢獄の中で何か月も過ごしました。私は実験体として協力することで、私と父の命を奪わないよう契約しました。

 電脳化させられ、毎晩脳や心身の状態を確認するだけでした。


 牢獄は衛生的とは言えず、他の房からは毎日のように呻き声や悲鳴が聞こえてきて。延々と悲鳴や断末魔に晒され続け、次第にその音は脳裏に焼き付き離れなくなりました。


 父が連れていかれてからは、実験も辛いものへと変わっていきました。鞭や拷問道具を使いながら脳の様子を記録するというもので、創意工夫と言えばよいのでしょうか。

 一部の皮膚を剥がされたり、縫い付けられたり。死なないのなら何でもアリ、と様々は粗暴行為から辱めまで、本当に酷い日々を送り。

 日に日に身体は傷だらけになり、精神はすり減り――


 私は笑えなくなりました。



 感情らしきものが抜け落ちてからまた数か月経ち、その施設は壊滅しました。賀島帝国の部隊が襲撃しに来たのだと、施設内はハチの巣をつついたような騒ぎで――独房で丸まっていた私は……救世主を見ました。


 長らく続いた地獄を終わらせてくれた人です。



 「そこで初めて…あなたに会いました―――」

 「………じゃあお前があの時の……?」

 「何故か経歴が改ざんされていて、事件のことは無かったことにされて、大学入試にも有利でしたのでそのままなのですが」


 語られたのは壮絶な過去いたみ。理不尽と悪意に浸され、親も感情も奪われた哀れな少女の――忘れられない過去トラウマ。忘却を許さぬ傷。

 おそらく誰よりも深い闇を抱えさせられ。彼女は「こんなに不幸な人間はそういないでしょう」と自嘲気味に呟く。


 「その時受けた傷で、私の身体はみにくいことになっています。――が。それを、復讐心の証を残したくて、第一世代の身体を保っているのです」

 目を見開くライバーは、衝撃と喜びと悲哀とを混ぜた複雑な気持ちになる。かつて助けた少女が立派に育った喜びと、昏い境遇に対する同情とが交差する。


 「不幸自慢大会みたいで嫌だが……お前になら俺の過去を教えてもいいかもな」

 抱えきれない闇を話したことで、少し無表情が和らいだように見える黒木は、ライバーの言葉に興味を示す。

 「俺がNOMADを立ち上げるよりも前の話だ」

 「それは……正直聞きたいですね」


 彼は首を傾げ何か考え事をするように視線を泳がす。自らの過去を語るのではなく、引っかかった違和感を口にした。

 「ん?待てよ。黒木の中高の経歴も欺瞞ってことか?」


 「――はい。高校はあってますが………国の中枢、軍の憲兵すら騙せる偽装工作。これをやった者に心当たりが一つだけありまして……」

 目は伏せたまま、黒木にも察せたであろう『話題』へ足を踏み入れた。


 「大学で飛び級して…ナノマシンの研究に明け暮れていた時、『超機存在エクス・マキナ』と名乗る男が私を訪れまして。何処からどのように研究室に侵入したかもわからない仮面の男が、メモリーカードを一枚置いて行ったのです」


 「元は機械であった者Ex Machina―――――か」

 「そのカードに入っていた構造理論から作られたのが……その…ライバーさんに注射した『微生物兵器マイクロヴェア』………なんです」


 しばらくの沈黙が下る。「まぁいいさ」と肩に手を置くライバー。

 「かつてない不幸に見舞われた少女よ、より不幸な男を嘲笑わらえとは言わないが――自分がどんな奴について行ってるかだけは知っておいてほしい」


 それから銀白色の猟犬クロムドッグの処遇を決めればいいさと、暗に告げる目は。


 やはり黒木を責めるものではなかった。笑顔であった。

 思考回路がわからないと言わしめる男の全貌は――果たして過去を知れたとしても、ついぞ理解できないのではないだろうか、と。

 黒木の頭には興味と好奇心と、深淵を除く様な恐怖に似たもので塗りつぶされた。


 この一瞬だけは―――復讐を忘れられた。



■■■



 『オルクス』に戻ってきた二人をツキカゲを含めた隊員達が迎えた。黒木の処遇に不安を抱かずにはいられない者もいる。無断で隊長の身体に、大切な目標を壊すための毒を盛り、命令違反、独断専行。とにかく軍という組織では死罪に当たることをした訳だ。

 何より―――帰ってきた黒木は、ライバーに手を引かれ。


 号泣していたのだ。


 感情という感情を過去に置いてきた黒木翔子という女性を、長くはなくとも仲間として見てきた彼らにとってそれは衝撃的だったろう。涙どころか微笑も浮かべない彼女が、顔を濡らし嗚咽を漏らす。

 『驚き』以外の感情を顔に出していたのは瀧とアイビスだけだ。


 瀧は「なァにしたんだ?」という半眼で責めるような目線を。

 アイビスは「手を繋ぐのズルいなぁ」という、これまた半眼の、妬みしっと交じりの羨望の眼差しを。

 「やっべ。ここまで泣かすつもりは無かった」と言いたげに冷や汗をかくライバーに注ぐ。


 彼は、黒木がしたように、淡々と自らの過去を語った。大分掻い摘んで話したが、黒木には応えたようだ。

 「いやぁ…………はは……」

 ―――冷や汗をかき、苦笑いで誤魔化すライバーの。


 「お…かし、い。……な」

 目には深刻な焦燥が揺れ。汗を諾々と流す。


 内側に淀みの様な違和感を抱え。

 

 未曾有の異常を内包し。


 視界が歪み、平衡感覚を失い。

 揺さぶられた意識が朦朧とし始め―――



 「お父さ……ッ!!!」「隊長さん!!?」


 問答無用で閉ざされた。

 彼は鈍い音を立て、金属の床に身を落とす。





 ―――――それから十日。ライバーは目を覚ましていない。

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