吐血

 銀白色の猟犬クロムドッグとは、その名の通り猟犬の如く獲物を嗅ぎ付け、襲い掛かり、喰らいついたら離さないことから付いた名だ。―――しかしそれは一種の比喩表現であって、真に噛みつくという訳ではない。真に襲い掛かりもしない。


 ――すなわち、彼は戦闘員ではない。



 『ギレン極秘技術研究所:C-02』地下十五階にある一室。施設内に一貫して適用されていた簡素で無機質なそれとは違う、豪華な装飾に縁取られたデスクに座る――小太りの男。

 おうよそ『猟犬』などという名前の似合わぬ、「50m走で十四秒かかりそう」と感想を抱かせる男は、ただ目に驚愕を浮かべていた。


 肥えた顎周りには白髪交じりの髭を薄く蓄え、頭髪も上の方は綺麗に白く染まっている。アイロンがけされた新品の様な制服は、その施設においては浮いて見える。耳より下は黒髪の、まだ初老に見えるその男は、十畳はある彼の“事務室”の扉を開け放つ黒い影を、ただ唖然と眺めていた。


 ライバーは思う、銃に手をかけるまでもない。恐らくこの距離でも、部屋の最奥に堂々置かれたデスクに座るその男を一方的に蹂躙できる、と。

 資料棚とおぼしき箱の詰められた鉄パイプの棚が左右にあり、数席デスクに隔てられた彼らだが。片方には戦意すら感じられない。


 稀にその名を耳にし、ことごとく逃げ応せられた銀白色の猟犬クロムドッグをその目に収め、嘆息する黒き鳥は。

 「あぁー……お前が、銀白色の猟犬クロムドッグだな?」

 開いた口の塞がらない男に問いかける。


 ―――戦うまでも無かった。不戦勝に何故か少し残念そうな顔をするライバーは、職務を全うせんと部屋に入り、歩み寄った。

 「……なッ…なんでこんな所まで―――あいつらは!?あいつらは何やっているんだッ!!?」


 狼狽える男に滑稽さすら覚えて、せめてもの恰好ポーズとして銃を引き抜こうとするライバーは。

 後ろで勝手に、、、音を立てて勝手に閉じた扉に、反応速度を追い抜いて銃を構えた。


 「―――ヒッ……」

 無力な悲鳴を上げる男に、罠の可能性。疑問だけが残る。何か不自然なことが起こっている、と。



 部屋を見渡すが果たして、異変は訪れた。

 


 「ヴッ……!?」

 咄嗟に手で口を覆うライバー、おのが食道を逆流してきたモノを塞き止める。口内に鉄臭さが広がり、それが血であることを認識するや否や。

 猛烈な『嫌な予感』に悪寒すら感じた。


 背後でドアが施錠され、通気口も完全に封鎖された。その意図も、吐血の意味も判然としないまま、目の前で困惑に怯える情けない銀白色の猟犬クロムドッグの姿にさらに混乱は深くなる。

 こいつの仕掛けた罠ではないのか。俺の体内から崩す『何か』など、そも被弾の一つもしていないライバーに考えられるのは―――空気感染の類?毒ガスという線もあるが、相手に変わった様子はない。


 駆け巡る思考は可能性を提唱しては覆し、謎の現象へ対応しようとする。それでも決して血を外へ出さないのは『直感』に起因する。痛覚が胃の異常を訴えている以上、口と食道は封鎖し鼻で呼吸をつないでいた。


 いつ、毒を盛られた?その自問に、目まぐるしく廻る記憶に―――ー


 『ナノマシンを注射します――』


 その冷淡な声を聴いた気がした。


 <月城………この封鎖はお前の仕業か?>

 浮かび上がった可能性を紐解く為、『オルクス』にいる後方支援班へ脳内通信を掛ける。

 <…………………>

 <―――お願いです…その手をどけてください>

 答えたのは黒木だった。いつもの様に冷たく、昏く。――だが刃物のような鋭い気配を――確かな“意思さっき”を感じさせる。


 <黒木、どういうことだ?>

 ライバーに怒りや焦燥は感じられなかった。説明してみなさい、と温かさを以って語るように。ゆったりと言葉を紡ぐ。

 <――――……>

 彼女なりに、表情の漂白された顔で、怒鳴られることも想定し身構えていたところに投げかけられた言葉に、沈黙を下す。


 <隊長さん、私から……いいですか……>

 <月城くん>

 『オルクス』内で同じ場所に居合わせる矢澤大佐は、静寂を保った。おさとして止めるべき事案だが――無理に止めてよい問題でもない。真剣な眼差しで二人を見やる。


 軍規よりも隊員の方が数億倍大切だと言い張れる老人は、黙って見守る。


 ふつふつと黒木と同じ怒りを微かに覗かせる月城は。この施設の権限セキュリティの大部分を接収した彼女は―――監視カメラ越しに銀白色の猟犬クロムドッグを睨んでいた。


 <翔子ちゃんから聞きました。そこにいる銀白色の猟犬クロムドッグという男が――――彼女に本当に酷い仕打ちを――>

 <……いい、大丈夫です―――自分で話します>

 黒木に言葉を制されて、口を紡ぐ。通話越しに虚ろな光のない黒い瞳が見るようだった。



 <その吐血は、私がナノマシンの制御によって意図的に起こしたものです。ほんの数滴外へ出れば、すぐにでも元通りにさせて頂きます。―――血液にはナノマシンに内蔵させていた『微生物兵器マイクロヴェア』が混ざっております。外気に触れた瞬間爆発的に増殖し、空気感染。その後は特定の人物のDNAに反応して―――殺害します。ライバーさんには無害です。増殖から十秒で大気中の『微生物兵器マイクロヴェア』の寿命は尽きますので、その点も心配ありません。>


 淡々と、その『吐血』に何の意味があるのかを語る彼女は、悲しいまでに落ち着いていた。

 <こんなに早く出会うとは想定外でした――――あなたの前にいる“ソレ”が、私の戦う理由です>


 ――つまるところ、彼女の意思の根底を支えるどす黒い『復讐心』が向く矛先を。

 出会える確立が一番高いであろうという理由でNOMADに志願し、入隊してから一週間足らずで。


 見つけてしまった。


 ――全霊も、命も、名誉も捨て。

 ――死も、罰も、命令違反も厭わない。

 全てを掛けるに値すると断じた『私的殺人』。


 ソレを殺すに躊躇などなかった。仲間を、国を出し抜き。生け捕りの命令も無視し軍法会議にかけられようと。それで死罪になろうとも……一片の迷いもない。

 微生物兵器マイクロヴェアで出来るだけ苦しんで、後悔して、懺悔して―――ッ!死なせることを腹に決めていた。



 <……やめろ。運び屋に毒を盛らせて、自分は高みから見下ろして――仲間も自分も欺いたその方法ふくしゅうは―――隊長として見過ごせない>

 <すみません。聞けません。ソレにはそこで死んでもらいます>

 <聞け黒木――>

 <嫌ですッッ‼>


 黒木の声が、上ずった。暴走した感情で、力強く鍵盤キーボードを叩く。奏でるは憎悪と悲哀とトラウマの狂騒曲。

 ライバーの――鼻奥の血管が切れた。


 口を抑えていた手で鼻も摘み、ついぞ呼吸を封じるが、引き下がらない。これだけは外してはいけない。

 黒木の眼前に映し出されたライバーの生体情報は、不自然に上昇し、徐々に下がっていく心拍数を示す。酸欠状態の危険信号アラートを鳴らすシステム。


 <ライバーさん。お願いです、そのままでは倒れます>

 <いや、気絶しようと俺は死ぬまでこの手は離さない>

 <――え………>


 自らの命を人質に、脅しの材料に――

 <月城。ドアのロックを解け>

 酸欠で脳が機能を停止してなお、意識をかき消されてなおこの手は動かさない、と。義体機人マキナンドならそれも可能だ。言外にこのまま俺を殺すか?と問う。



 <…………月城>


 <―――――~~~ッ!!>


 葛藤に堅く目を閉じる月城。

 酸素を取り込めず少しずつ機能することを諦める肺と心臓が―――酸素を求める息苦しそうな血液を回し。意識も、身体の正常な動きさえもを奪い始め――



 ガシャっと開錠されたドアの外へ駆けた。


 全力の放電。光を持たない暗転の電撃を、誰もいないことを確認した廊下で放つ。自らの身体ごと、たっぷり五秒間―――血液内のナノマシンも微生物もを焼き殺す。銀白色の猟犬クロムドッグはここで殺すなと言った手前室内ではできなかった処置を終え。

 鮮血を吹き出しむせかえった。


 「…ゴホッ……オェ………」

 吐いた血液が黒雷を帯び、蒸発する。

 大きく吸った空気を、酸素を待ちわびた肺が取り込む。何度も肩を揺らし呼吸する。


 黒木は、机に突っ伏していた。歩み寄る月城と矢澤大佐に気づく様子もなく。

 感情の抜け落ちていた彼女からは、すすり泣く声が漏れる。


 大佐は、震える彼女の肩に手を置いた。

 「銀白色の猟犬クロムドッグの確保完了後、速やかに内部記憶を奪取。尋問も取り調べを免除ぬきで―――君に預けよう。黒木くん。君の処分は其の後まで待つとする」



 ■■■



 実働隊として今作戦で戦ったNOMAD特殊部隊員、内左手を失う重症を負った荒井シンを除く三名は、近くの木が密集していない場所を切り開いた。


 ギリギリ大型航空機が入る程度の空間に、空中指令管制機『オルクス』が重力波エンジンで形成した重力場によって、垂直に着陸する。

 今回、隊長ライバーの捕らえた銀白色の猟犬クロムドッグ、そして実動班班長アイビスがツキカゲは、『オルクス』機内にある留置室へ送られた。


 一人一つ、少し頑丈なつくりの狭い部屋に椅子が一つ。旅客機のトイレ程度の広さだ。

 

 まずは隊長自らツキカゲを後方支援班のモニタールームへ呼び出した。他の隊員達もそこで話しを聞く。――黒木以外は。黒木翔子は留置室にいるからだ。

 ライバーが最初にあることに気が付いた。


 「ん?賀島人か――」

 「……っ!……―――はぃ」


 隊長と対面する形で置かれた椅子に、小さなツキカゲがちょこんと座る。ライバーの後ろで立っている隊員ら。

 「取り敢えずお前はそっち側だろ?」

 「そうね♪」

 そう促されるままにアイビスはツキカゲの後ろに立った。


 見るからに満身創痍な少女。アイビスの本気を目の当たりにしたのだろう、とライバーには容易に想像がつく。身体のあちこちが打撲でへこみ、額から流れた血の痕が乾いている。

 シノビの様に口を隠していた布はなく、素顔を露わにしたツキカゲは――殺気を纏った暗殺者然とした面影はなく、娘が紹介しに来た友達に近い感覚だ。


 緊張が少し見て取れるが、感情の読みづらい真顔に、力ない目をした少女。


 「そうだな、まずは名前でも―――」


 隊員達は声にこそ出さないが、皆心のどこかでこう思っていた。


 この娘は黒木に似ているな―――と。

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