シングル・アクション・アーミー

現在

地下七階/実験隔離棟



 瀧庄次郎と孤高の女狐シングル・アクション・フォックスは背を向けあって立っていた。言葉は無く、五歩――――前へ。間に空いた空間が、二人だけの死合い場こうや

 

 かつて因縁があった。あるものは死の淵に立たされた。戦略的敗北、防衛失敗と組織の弱体化の原因となる戦いで辛酸を舐めた。あるものは親友の人間としての身体を奪われ、自らの両脚を失った。

 その悔恨も―――憎悪も。彼らの心に居場所は無かった。


 今あるのは好敵手との十六年ぶりの再会。世界が変わる前から続く、数少ない関係。そして、一切の油断を許さない敵の実力を、身体が覚えている。


 誰が何を言うでもなく。瀧がコインを取り出した。心地よい金属音と共に、硬貨は弧を描き宙へ投げ出される。

 ほんの一瞬の出来事が、臨戦の意識に引き伸ばされ―――時間が何十倍に感じられる。背には敵。腰には愛銃。



 コインが地を叩く。


 振り返る――明らかに第三世代としての制御と義体を持つ彼女の方が有利である、が―――!反芻はんすう、鍛錬を繰り返し、繰り返し、繰り返し繰り返し―――人の身で人類技術の結晶を下さんと、もがき続けた男の動きは。

 ―――超える。

 今、この瞬間の為に人の上半身を残していたかのように。すべてはかみ合い、穿うがつ。初発は、瀧の方が早かった。ほぼ同時に思える射撃はしかし、差を生む。


 孤高の女狐シングル・アクション・フォックスは予測していた、かつての戦いで肺をやられ、尚生き残った彼女だからこそ。自分を殺すなら確実に頭部を破壊しに来るだろう、と確信する。

 銃口の向き、視線、筋肉の動きと相手の狙い。それら全てを加味した計算から導き出された射撃予測線に、重ねて。音速なぞ鼻で嘲笑わらう弾丸を同じく弾丸で撃ち落とす。


 神業。

 理解も許さぬ超常。常識も現実味も乖離したそれを、可能にする超人は―――最初の二発は防げることを確信していた。

 相手もそれは同じだろうと、そこからどう動くかが勝負の決め所であり――人間の判断力に追いつけるところでは無いと。勝ちを見据えていた。


 瀧は、さらに先を目指しみすえていた。好敵手も、生物の限界も気に留めず、更に奥を見ていた。常識と物理法則と定石と、何もかもを無視し覆す男を見続けた彼にとって、目指す場所なぞ自分でも知らなかった。


 ―――六発、瀧の持つSAAシングルアクションアーミーもどきに装填できる弾数であり―――今、瀧が打ち出した弾数だ。

 まるで散弾銃の如く、はたまたCIWSの如く、何もかもを置き去りにする早撃ちが、女狐のカウボーイハットを撃ち抜いた。



 頭を、脳殻を撃たれ、未だ息があるのは義体機人マキナンド故か。はたまた第三世代故か。彼女は虚ろな瞳で、瀧を見上げていた。


 「…………ッ………―――」


 口を動かしていたが、音にならない言葉が虚しく消えゆくばかり。だが、もとより彼らにとって言語は無用の長物だった。

 彼女は最期の力で銃を持ち上げる。―――そっと、差し出す様に。


 「安らかに眠れ―――こいつァ俺が辿り着ける果てまで連れていく」

 瀧はそれを受け取り、そのまま彼女の手を包んだ。力が抜けていくのを感じながら、真っすぐ瞳を覗き込む。――もう、機能していないであろう義眼を。



 恐らく世界で唯一、分かり合えたであろう時代錯誤二人は、その片割れを失った。



■■■



数分前―――

地下十五階



 階層を包む水面のような静かさの中、響き渡る剣戟の音。攻め立てる忍者刀を短いナイフで弾く。一撃一撃に殺意の籠った斬撃を、見切り、いなす。少女は防戦一方な現状に焦燥に駆られつつも、一つ一つ丁寧に捌く。


 纏めた長い黒髪が軌跡を描く。


 暗殺の為に磨かれた剣は、純粋な正面戦闘にはならない。賀島に伝わる武道――剣道とは似て似つかない、機動力で敵を振り回し、意識の外からやいばを振るう戦法。

 ほんの数十秒の激しい攻防と緊張に、発汗するアイビス。冷淡に、殺人機械マシーンとして命を刈り取ろうと、感情の揺らぎも見えない少女の目の奥に―――


 微かに、悲しさを見た。



 刹那。目の端で捉えていた忍者刀の影がブレ―――アイビスの頬に傷を残す。これまで見えていた刃が、途端に見えなくなった。神速の居合は目にも留まらぬと言う――が、違和感が残る。


 裂けた傷口から深紅の血液が流れるも、彼女の頭は相手の切り札トリックに思い馳せる。

 シノビの、足袋を模した造形フォルムの足で踏み込み、刺突。これまでの傾向からかけ離れた攻め手に、悪い予感。じわりと額に冷や汗をかくより先に、身を逸らす。自分の重心を投げ出した無茶な回避。


 空を裂いた突きに、確信する―――――刀身が、消えた。

 少女は刺突の勢いで踵を返し、追撃。体制を崩したアイビスは―――


 異常な動きでこれを受ける。人間にあるまじき速度。振りかざされたナイフは忍者刀と相対する。


 散った火花、大きく弾かれた刃、両者は大きく距離を取る。彼女の双眸に眠る深い悲哀に見覚えが―――

 アイビスは何処となく親近感を抱かせるその黒い『くノ一』に、笑みを向ける。


 「あたし……あんたのこと気に入った、うちに来ない?」

 「………」

 くノ一は表情を変えなかった。だが、好意と敬意を受け取り、口を開く。


 「…………それは……許さ、れない……故」

 美麗で冷ややかな外見とは裏腹、つたなく―――幼い声で。それでいて一切の希望を持たない声で、紡ぐ。


 一言一言を絞り出す少女の、言葉足らずながら覚悟を感じさせる姿。

 「―――…全力、出す」


 吊り上げられた両目が、眼光が煌めいた瞬間。


 逆手で構えられた刀は刀身を消し、本人は輪郭が曖昧になる。蜃気楼に包まれたような不自然な景色。攻撃の為のSS粒子ではなく、消えるステルスのための粒子で歪められた姿は、立ち上る殺気を錯覚させる。


 「そっか……じゃ、あたしも本気出すよ」

 そういうと、悪魔の少女アイビスは――ナイフを捨てた。



 父親と慕う極東の黒雷は、格闘の王と呼ばれたニコラス・アンダーレイを下した男だ。そのライバーと何年も前線を共に生き、欠かさぬ鍛錬を見続けたアイビスは。

 伊達に娘を名乗っていない。


 「アイビスよ」

 「……ツキカゲ、だ……推して参る」

 

 間合いゼロの素手で、忍者刀相手に先手を取る。刃の無い側面を弾き――揺れる輪郭に裏拳を振るう。―――が、そこにツキカゲは居ない。刀だけを意識の外側に置く戦法から、自らを認識の外側へかき消すものへと変えた彼女は―――


 もはや捉えられない影となった。暗殺術をシュオーデル粒子で包んだそれは…………確かに存在を理解していながら、手の届かない――カゲの名を関した光。

 月影ツキカゲ


 認識阻害に等しい、存在を欺瞞ぎまんする動き。

 ツキカゲは、一方的な攻勢の中―――辛くも殺気を読み刃を躱すアイビスの異常を、その目に映す。


 彼女の体から立ち上る蒸気に目をむいた。

 「………!」


 ―――『過剰負荷オーバーロード

 義体機人マキナンドの義体を制御する中枢処理装置C P U過負荷運用オーバークロックすることで性能スペックを引き出す。結果として加速度的な消耗と過剰な発熱を起こす。

 しかし、この過剰負荷オーバーロードで得られる効果は火事場の馬鹿力程度。結局は脳が追いつけず、人間に出せる最高速度、で終わる。第三世代の場合、先行入力を可能とし、多少は速く動けるが―――通常は、訓練の足りない新兵がベテランに追いつく為に使われることの多い、救済措置の様なものだ。


――


 アイビスの過剰負荷オーバーロードに、ツキカゲが驚愕を覚えた理由わけ――――

 人間を、生物としての範疇を超えたからだ。


 「……なッ……………!!?」

 振りかざされる剣先を超える動きそくど、十代の少女が悪魔と呼ばれる所以ゆえんの一つ――悪魔のような冷酷な戦い方と対をなす、ヒトとは思えない動き。

 SS粒子を応用した動きとは違う、純粋な筋力による残像をもかなぐり捨てる挙動。認識を欺き視界の外に住むツキカゲの―――彼女の視界から強引に消えた黒い悪魔アイビスの―――

 回し蹴りが彼女の横腹を穿つ。


 ――速度は重さ。人外の域に達した蹴りは想像を絶する破壊力を持つ。一撃で呼吸と思考を止める、深く突き刺さるような蹴りはツキカゲの小柄な身体を大きく吹き飛ばした。


 自らの残像と、相手の残滓の残った視界の中――くノ一は悪魔の獰猛どうもうな笑みを見た。

 生まれながらにして闘いに身を投じ、悪意と運命に取り憑かれた少女の。

 生き生きとした笑顔は、心から楽しそうに遊ぶ子供のような――年相応のものだった。


 「……ゲホッ……ゲホ…」

 地に転がり、腹を抑えるツキカゲ。

 戻った意識で今一度アイビスへ目を向ける。



 ――天使の如き光輝く黒い悪魔が、こっちへ来いと笑っていた。

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