Act: 2.5 揺れる心――大海の上
ウェイバー・マインド・セット
第一機動艦隊/旗艦『白鷹』
船内に点在する休憩室は、死の淵を飛び続ける者らへの贈り物。豪華な装飾、柔らかい絨毯は、
ドリンクサーバーから注いだジンジャーエールの立ち昇る気泡を眺めながら、月城愛梨はぼそっと。
「皆でお風呂入らない?浴場見てみたいし」
その場にいるアイビスと黒木祥子はぴくりと反応する。
姿勢正しく椅子に腰かけ、本を読みふける黒木は真顔を崩さず、無言で月城へ目を向ける。
「お風呂ねぇ……義体のメンテナンス?」
「裸の付き合いとしてねっ」
「――――そうねぇ」
首を傾げるアイビスに、月城は笑顔で答える。
「…………私は…遠慮させて頂きます」
常に色気のない長袖長ズボンに身を包む 他人行儀な黒木は―――固定された表情のまま誘いを断る。残念そうに困り眉を作る月城。
「えぇと……、そう?楽しいと思うんだけど……」
「いえ……すみません………――」
ガーンという擬音が宙に見えそうな彼女を見てアイビスは――
「あたしは行きたいなぁ」
「ほんとっ!?」
全く表情のない黒木とは正反対の、心と顔が直結したように感情の表れる月城の、ぱぁっと明るくなった姿に微笑んだ。
軍艦の中とは思えない広め空間に、淡い照明で照らされた美麗な浴場であった。賀島人ならではの、湯船に浸かるという文化を軍人にも提供する癒しの場。
重力波エンジンの膨大な出力と、甲板、倉庫の肥大化に応じて規格の上がった巨大な正規空母だからこそ実現できた空間だ。
綺麗に清掃された金属の壁。閉塞感を感じさせない明るい色のタイル床。湯気が立ち込める中――、一人の黒い
尚、都合の良い湯気さんは不在である。
月城の細く、それでいて豊かな胸部。柔らかい体躯はこの時代では珍しく八割がた生身で、腰や、栗毛のショートボブの下に見える色っぽいうなじには、薄っすらと手術の
色白な肌は綺麗に
対し、アイビス。ある程度の弾丸なら弾き返す装甲のままお湯を浴びる姿は、お風呂のサービスシーンというよりは洗車に近い「何か」だ。
義体用の
太ももにだけはヒト用のボディソープを使えるが。
滑らかな体型のデザインではあれど、細かい
「背中流してあげよっか」
「……うん、お願い」
月城は小さい椅子に腰かけるアイビスの背後に回り、その黒い
同じ隊でありながら、自分より年下でありながら、闘いの跡を色濃く残す小さい肩に――複雑な気持ちになる。
タオルで彼女の背中を洗いながら思考巡らせる。
この娘は
それでも、彼女は明るく生きる。父親の様に扱う隊長もよく冗談を言う人で、それに似たのか真似たのか。物心付いた時から死と隣り合わせの、煉獄の
「アイビスちゃんはすごいね……――何というか、生きてる世界が違うというか」
「…………ん?」
アイビスは不思議そうに振り返る。
「そんなことはない」
湯船に浸かる二人。義体であろうとリラックスできるお風呂というものは素晴らしい。
背を壁に預け、全身の疲れを抜く。疲労や、戦闘で起きた不幸な出来事、たくさん人が死ぬのを見た事で心に堕ちた影のようなものが――落とせずとも洗い流される感覚。
極楽と呟かせる湯船の魔法に、魂を洗われる。
「―――アイビスちゃんは……死ぬのは怖い?」
「んん~?そりゃね。………愛梨は?」
唐突な問答。二人っきりでは広過ぎる浴場に響く――何処か悩ましさを孕んだ
「軍隊に…NOMADに入隊した以上―――もちろん死ぬことも覚悟した……つもり。でも、私に出来ることって
月城は明確な暗い感情と、震える声で続けた。
「曖昧な覚悟に悩んでいる内に………一人……仲間が―――居なくなっっちゃってて…………」
奇襲作戦から数日。敢えて触れないようにしていた
きゅっと目を
黒い悪魔たる少女は、だが天使の慈愛の笑みで以って、彼女に寄り添う。
「あたしは死ぬのは怖いし、仲間が死ぬのも嫌だし、お父さんと別れるのも御免だし――――闘いだけを教わって育って、ライバーと出会って、みんなと出会って……世界の
囁くように紡がれる言の葉が、残響を帯びて染み渡る。
「お父さん
顔を上げ悩ましげに眉を顰める月城は。
「これはあたし達生存者の義務よ、彼らを忘れずに前を向くのは」
暗に、前を見て――
「あたしの事も忘れないでね……」
「ッ!―――……アイビスちゃんは、居なくならないでね………」
「……うん」
「約束…」
「うん……あたしは死なない――――――約束ね」
■■■
同――艦内
NOMAD特殊部隊員には男部屋と女部屋―――それぞれ三人分のベッドがある寝室と、隊長用の部屋が割り振られていた。
部屋は広くも狭くもない部屋に、二段ベッドと一段ベッド+収納スペースが詰め込まれている。男部屋の二段ベッドの下は―――空いている。本来そこはジェームズさんが使う筈だった。
タバキア湾攻撃作戦――――いや、奇襲作戦で失敗を重ねた上、憧れの英雄――極東の黒雷ライバーを失望させ、強制撤退。最悪の初陣を飾った俺の心情は、とてもではないが前向きではいられない。
瀧さんはまだ部屋に戻ってこない。もう夜だが自由行動を許されるNOMAD隊員だ――まだ何処かで飲んでいるのだろう。
二段ベッド上。狭くはない空間ながら、目の前に天井のある閉鎖的な場所で――知らない天井を眺めながら……想う。
『当ててやろォか、お前ン中では今――憧れの存在に対し不信感のようなものが芽生え始めている』
瀧さんの声が脳内で再生される。彼の言う通り、俺はライバーさんに対し疑念を抱き始めている。
まだ困惑冷めやらぬ―――強い憧れが……理解をさらに難解なものにしているのかもしれない。こういった時間に、少し整理してみよう。
極東の黒雷は『グレンノース事件』以前も賀島帝国のスパイ兼特殊戦力として暗躍していたと聞く。その頃の正式な資料は公開されていないから、俺はよく知らない時期だ。
『グレンノース事件』は彼にとっても、大きな転換点となっただろう世界を揺るがす大事件だった。全面核戦争まで秒読みとも謂われた事件への介入、阻止をした功績が讃えられ。
何よりシュオーデル粒子という常識を裏返す物質を解き放つという、全世界を大混乱へ陥れた事件に関与したとして『極東の黒雷』の名は影から引きずり出されることとなる。
ここから先がよく知るライバーさんの伝説だ。中央大陸、東部大陸から西海を又にかけ、テロリストの殲滅や、独立戦争への加担、巨大犯罪集団の幹部連盟皆殺しなどを―――やらかす男。
極秘性や命令よりも己の信念と正義を貫き、上層部をも黙らせる奇跡の英雄。
そして『
『
――――俺は戦争終結後、ライバーさんを見つけ出し、入隊。そこからこの目で本人を見ることとなるが……。
思いのほか厳格さに欠く性格。親しみやすいと言えば聞こえは良い、が。軍人としては些か甘いともいえる。そして妙に慎重過ぎる言動。
ミスを犯した俺に、戦うことを禁止し。
自らは危険を冒してまでアイビスの救援へ。
敵である白狼の命は見逃し―――『謎の機体』を撃退し。
実力は見せつけられた半面、その意思決定に疑問が残る。英雄的とはかけ離れた本性に―――しかし失望したとも言えない不思議な感覚に陥る。
『おそらく二一〇〇年代では既に現役だった可能性がある』
『最早『死ねない』ンじゃァねぇか』
『あの人曰く『俺の家族はこのNOMADだ』だそうだ』
壮絶な闘争の果て―――今、何を思っているのか。
正直なところ検討もつかない。
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