10.6 我輩を失望させてくれるなよ?

 主治医――エマはしばしの間目を伏せて考え込んでいたようだが、やがて意を決したように口を開いた。


「そればっかりは、わからん」

「……どういうことだ?」

「慌てるな、坊主。

 普通なら、無理だ、と答えているところじゃ。だが、お主は通り名持ちの魔導士じゃし、なにより我輩がこの目で実力をしかと見ておるからの。思い当たるフシはある」

「教えてくれ」

「そうくると思ってはいたが、少し落ち着かんか!」


 今度はエマが身を乗り出して問い詰めてくる患者を押し止める番だった。

 眉間を小突かれて椅子に逆戻りしたシドは、眼前の姫君を半ば睨みつけるようにしながら、次の言葉を待つ。彼も根の部分はやっぱり魔導士であり、自分の魔法を進化させられるなら大抵のことはやってのける覚悟でいる。そもそも化け猫と使い魔の契約を結んでいる身の上だ、見た目が幼女の吸血鬼に頭を下げて教えを請うくらいなんということはない。

 至って真剣なシドの様子を見て、エマは不敵に微笑わらう。


「いい面構えじゃの、結構結構。それくらいやる気なら、こちらも教えがいがあるというものよ」

「昔のように魔法が使えるなら、願ったり叶ったりだ。なんなら多少のわがままくらい聞いてやるぜ?」

「これからもちょくちょく、お菓子を差し入れてくれればそれで構わんよ。お主も知っての通り、アリーはそのへんが厳しくてな」


 医者の不摂生という言葉がシドの脳裏によぎるが、エマの生活態度を監視し、食生活を是正するのは彼の仕事ではない。怒られない程度に甘いものを楽しんでもらえれば、それでいい。

 それはともかく、エマはどんな無理難題をふっかけてくるのか? シドは無意識のうちに表情を堅くし、身構える。


「そう緊張するな、大したことじゃない。答えはすでにお主の中にある、と我輩は思うておるのじゃ。

 ときに坊主、お主の一番得意な魔法は何じゃ?」

「【防壁】、正確には魔力の【圧縮】だが」

「それを使えばいいだけのことじゃ」

「……え、それだけ?」


 エマの真意を全く読み取れなかったシドは呆けた顔で顔で問い返した。鳩が豆鉄砲を食ってもこんな間抜けな顔にはなるまい。

 これまでの仕事の中で、荒事に挑むときはいつだって魔力【圧縮】、そして【防壁】に頼ってきた。長年染み付いた習慣によって、意識せずとも発言する類の魔法。彼にとって【防壁】とは、半ば呼吸にも近い存在だ。


「その理屈は、ちょっとおかしくないか? この怪我だって、もっと強い【防壁】を発現させようとして、魔力のコントロールをミスったのが原因だぜ?」


 【防壁】の強度とサイズは、注ぎ込んだ魔力の量に比例する。

 その基本法則ルールに従い、怪物モンスターの自爆を抑え込もうと大魔力を行使した結果、古傷は再び開き、彼に襲いかかったのだ。

 

「お主の【防壁】は、外敵の攻撃から身を守るためだけの代物なのか?」

「それ以外に何の目的があるってんだ」


 お主もまだまだ未熟じゃな、とでもいいたげに、エマは意地悪い笑みを浮かべる。悠久の時を生きていると豪語する割には行動が見かけどおり子供っぽいのは、いったいどういうことだろうか。

 ちょっとカンに触るのは事実だが、シドもいい大人、子供の振る舞いにいちいち腹を立ててはいられない。変にヘソを曲げられても面倒だと、とりあえず黙って話を聞く、日和見主義者にありがちな行動を選ぶことにする。


身体からだを守る、という【防壁】の基本的な使い方に相違はない。重要なのは、、じゃ」


 椅子から飛び降りたエマは、トレードマークの尊大な笑みと共に腕を組む。


「お主が取るべき手段は一つ。お得意の【防壁】魔法で、魔導回路【強化】するんじゃ」


 小さな体躯から自信と傲慢さを漂わせたエマが投げかける視線。それに真っ向から対峙するシドも、そこまで言われれば自分が何をすべきかちゃんと分かる。

 どんなものでも崩れるときは弱いところから、というのは世の理。シドの急所は脆弱ぜいじゃくな魔導回路なのだから、まずはそこをなんとかせい、というのが主治医の意図だ。

 だが、その提案が極めて難しい、というのも事実。養成機関アカデミーの訓練生だった頃、自分の専門とする魔法について片っ端から文献を読み漁って学んだ彼だからわかる。


 ――そんなことやった奴は、これまで一人もいない。


 通りの由来であり、今や手足と同様に扱えるはずの【防壁】魔法が、全く異質のものにさえ思えてくる主治医の提案に、シドの思考が凍りつく。

 そんな彼に投げかけられるのは、決断を迫る主治医の宣告だ。


「緻密な魔力制御で、しなやかな魔力回路を手に入れる。それができんのなら、お主は先、これからいつ爆発するかわからん両腕に怯えながら魔法を使わなきゃならんぞ?」


 それは過去の自分を越えられないことと同義。彼の頭にエプサノの惨劇がよぎる。

 偶然か幸運か、ローズマリーは生き残った。時間はかかったが、魔法を取り戻すこともできた。絶望の中、わずかながらも光明が残った。

 だが、同じような事態にもう一度出くわしたときに、天が彼を見捨てない保証なんてどこにもない。次に強敵と邂逅かいこうし、自分が弱いままだったら――。

 たぶん、その時は、誰も守れずに終わる。


「『鉄壁』の名が腐りおちるだけでなく、メイドの小娘も、袴の娘も、使い魔の黒猫も守れなくなるかもしれない。それでもいいなら」

「……いいわきゃねーだろ」


 弟子と相棒と同業者の名前を出されて矜持きょうじを刺激されないほど、シドも鈍くはない。

 性格の悪い煽り方をしやがる、と思い切り悪意を乗せて睨みつけてやっても、姫君はしてやったりとばかりのにやけ面だ。さっきからこの小さい為政者の手のひらの上で踊らされているような気がして、どうも居心地がよろしくない。


「さっきも言ったが、お主の魔法を見た上で話をしとる。大雑把な魔力運用と制御しかできない不器用な輩が相手だったら、こんな無茶な提案するもんか」


 この幼女、無茶なことを言っている自覚があるのは結構だが、それをためらいなく提案するあたり、まるで容赦がない。

 とはいえ、彼女は医者であり、研究者である。しばらく診察を受けるなかで、本当にできないことは押し付けてくるまいという信頼も、シドの中に芽生えつつあった。ちょっと前には命の取り合いを繰り広げたというのに、驚くべき変化である。昨日の敵は今日の友とはよく言ったものだ。


「そうは言うが、魔法を使うときに魔導回路を意識するなんて、やったことないからなぁ……」

「案ずるな、若人よ。そんな迷える子羊を導くための秘策がこいつじゃ」


 そう言ってエマが指差すのは、先程からシャウカステンに掲げられたままの魔導回路の写真だ。


「魔導士であれば皆、魔導回路の存在を知っていて当然。じゃが、自分の身体からだのどこに回路が通っているか知っているものはほとんどおらん。そんなこと知らんでも魔法は発現するし、資格も取れるからな。大体、自分の魔導回路を補強する必要に迫られることがまずない。

 だが、お主のようにバカみたいにデカい魔力を運用できるとなれば、話が別だ。常に魔導回路に意識を配り、自分の魔力で自らを傷つけないよう配慮する必要がある。少しでも長く魔導士として生き、弟子に多くを伝えたいなら、なおさらじゃ」


 少々出来の悪い生徒を教え諭すように語ると、エマは愛用の椅子に腰を下ろす。


「今回の検査所見といっしょに、もっと詳細な写真を郵送してやる。そいつを見て、魔導回路がどこを通っているか意識しながら訓練するんじゃな。

 我輩にできるのはここまで。後はお主が精進せい」


 戸惑い混じりにシドが頷くのを確認すると、エマは再びカルテを開き、いろいろと走り書きをし始める。彼女が書類仕事を再開したときが問診終了の合図、というのが暗黙の了解なので、シドも席を立つ。


「難しそうだが、希望があるってのはよくわかった。ちっと試してみるよ」


 エマは患者の方を見ることなく、得意げな笑みを浮かべてみせる。

 

「患者に道を示すのが医者の努めだ。気になることがあったら電話でも何でもよこすがいい。払うもん払ってくれりゃ、診察も人生相談もちゃんとやってやる」

「ありがとう。頼りにしてるぜ」


 ジャケットを肩に引っ掛け、研究室を出ていこうとするシドだったが、


「……坊主」


 不意に呼び止められて振り返ると、姫君がペンを止めて彼の方を見ている。

 その笑みは相変わらず傲慢。でも、気のせいかもしれないが、眼差しはどこか温かい。


「あんまり我輩を失望させてくれるなよ?」

「なんだ、期待してくれてるのか?」

「多少な。自分の魔導回路を【防壁】で保護する酔狂な魔導士なんて、古今東西見たことも聞いたこともないからな」

「自分で提案しておいて、そんなこと言ってりゃ世話ねーな」


 違いないの、とエマは微笑う。

 常識を越えた存在――吸血鬼であり、なおかつ一流の医者という彼女だからこそ、見えるものもあるのかもしれない。提案はたしかに酔狂かもしれないが、一笑のもとに切って捨てるにはあまりにも惜しくて、魅力的にすぎる。


「【防壁】魔法でそんなことができたら、たぶんお主が世界初じゃぞ」

「世界初もなにも、みんな試そうとしなかっただけだろ。普通ならそんな必要ないしな。

 だいたい、一番とかそんなものに興味はねーよ。俺は、俺を信じて待ってくれる連中のために、魔法を使うだけだ」

 

 誰もやったことのない魔法の使い方。それを自分が習得できるかどうか不安がないわけではないし、自分一人だったら投げ出していたかもしれない。

 でも、主治医エマの言う通り、今の彼には弟子ローズマリーがいる。彼女を護り、鍛える務めを負っている以上、自身がより強い魔導士とならなければならないのは必然。


「これでもそれなりに器用なつもりだ。魔導回路の補強、とっとと習得してみせるぜ」


 せめて、魔導士としては、かっこいい背中を見せておかないと格好がつかないというもの。

 そんなささやかな決意を胸に啖呵たんかを切ってみせたシドは、今度こそ振り返ることなく、エマの研究室を後にした。

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