8.8 本当に調子だけはいいんですから

「……なあ、クロスケ。CCはなんでお説教モードなんだ?」

「さあ、自分の胸に聞いてみたらいいんじゃない?」


 帰宅したシドを出迎えたのは、腕を組んで堂々たる仁王立ちのローズマリーだった。これでもかと柳眉を逆立てているのをみればご機嫌斜めなのは嫌でもわかるが、なにが彼女の逆鱗に触れたのか、今ひとつ心当たりがない。


「まずはおかけになってください。それが正座になるかは、お話を伺ってからです」


 勢いでグイグイと迫るローズマリーに気圧されたシドは、おとなしくソファに座る。いつものだらしない座り方ではなく、ちょこんとしおらしくしているのが妙におかしいが、少女にはほこを収める気がないようだ。


「先生、今日はどちらに行ってらしたのですか?」

「え、その話?」

「どちらに行ってらしたのですか?」


 この様子だと、どこに行って何をしていたのか、洗いざらい話をさせられるらしい。部分的に非常に言いづらいなぁ、と思わず頭を抱えるシドだったが、全部正直に話すまでは解放してくれるとも思えない。仕方なく、言葉を選びながらゆっくりと話し始める。


「最初に行ったのは警察だな。ちょっと前に、アンディと君の上役が替わっただろ? そいつに挨拶してきたんだ。なんだかんだでまともに顔を合わせる機会がなかったし、あっちもそんなにヒマじゃねーしな」

「その次は、どちらへ?」

「魔導士管理機構ギルド。『魔法使いもどき』のことで、ガーファンクル卿にちょいと用があってな」

「カレンさんのお父様、ですよね……?」


 なんでそんなに睨むの、と言外に伝えようとしたシドだったが、その試みは完全に失敗に終わったようだ。彼の意図は少女に全く伝わっておらず、それどころか身を乗り出して問うてくる始末だ。


「カレンさんも一緒だったのですか?」


 そうだけど、と答えたら、ローズマリーの表情が露骨に曇った。


「……なんか気に触ること言ったか、俺?」

「いえ、なんでもありません」


 ローズマリーがうつむいたのはほんの一瞬のこと。小さく咳をして顔を上げた時にはいつものクールな眼差しを取り戻し、先を話せと催促してくる。

 シドにしてみれば、最後の行き先は実に明かしづらい。男性に話せば羨望や共感を得られるかもしれないけれど、女性からすれば軽蔑の対象にもなりうる場所だから、できれば慎重に話したいところだ。だが、お世辞にも豊かといえない彼の語彙力と、少女の静かだが強力なプレッシャーが、それを許してくれない。


「最後に行ったのは……ちっと言いづらいな」

「あら、私にも言えないような場所に行ってらしたのですか?」


 ローズマリーが養成機関アカデミーのフレデリカ先生くらいの年齢であったり、オンボロ教会のシスター・レイラくらいに世の中の裏表を知っていたのなら、こんなに話しづらくはなかったかもしれない。だが、シドがどんなにこいねがっても、彼女はまだ年若いうえに育ちのいい少女だ。拒否反応を示すのは想像に難くないし、下手すればセクハラと取られる可能性がある。真相を明かすなら、言葉と話す順番を慎重に考えて組み立てなければいけない。


「先に目的を言うと、買い物だ」

「何を買ってらしたんですか? 蝶々ですか?」


 遠まわしにも程があるが、これ以上的確な表現はおそらくないかもしれない。限りなく温度の下がった彼女の眼差しは、シドの外出の目的におおよその予想が付いていることを如実に物語っていた。それが正解か間違いかは別にして、少なくとも彼女はシドがどこを訪れたかは把握してると考えてほぼ間違いないだろう。

 シドの目的は目的地を伝えることではなく、誤解を解くことに変わりつつあった。ここで失敗すると今後の適切な関係の維持に差し支えるかもしれない。そうなると、彼がやらなければならないことはただ一つ。

 嘘なく真摯に答えることだろう。


「愛なくはしないってのが、俺の数少ない美徳だからな」

「はあ、そうですか……」


 なんとなく信用しきれていない様子のローズマリーをよそに、シドは紙袋の中身をテーブルに開ける。


「それは?」

「今日のお買い物の戦利品だ」


 そう言って乱雑に並べられたのは、ローズマリーにも見覚えのある魔導器――制御帯だ。一見するとそのへんで売られている包帯と似たような見た目だが、表面に描かれた奇妙な紋様は、魔法に関わりのある道具ならではだ。


「これをお買い求めに……その、あの」

「色街に出向いたわけだ。ほら、ハンディアで使っちまったろ? それを補充したくてな」


 年頃の娘の口から色街という単語をださせるのは酷だろうと、シドは助け舟を出してやる。


「馴染みの魔導器屋が色街あそこに店を構えててな。定期的に覗きに行って消耗品を買い揃えたり、掘り出し物を探したりしてる」

「なぜ……そのひとは、そこにお店を構えてるんですか?」


 そういえばそうだな、とシドは首を傾げる。記憶をいくら掘り返してみたところで出てくる気もしない。魔導器屋の親父とする話といえば、店頭に並んだ商品の出どころ、仕入れを依頼したブツの話、情報交換くらいのもの。互いの身の上など知ろうはずもない。

 でも、頭をちょっとひねってみれば、それなりの理由は推測できる。


「あの辺りはマフィアが仕切ってる街でな。揉め事が起きても、よほどのことがなければ警察が介入することはない」

「治安があまり良くなさそうに思えますけど……」

「そこは治めてる組織の質によるのさ。警察がいようが軍隊が駐留してようが、そいつらの内部が腐ってたら周辺の治安は崩壊する」


 ローズマリーの言いたいことはわからないでもないが、残念ながらそうは問屋がおろさない、というのが現実だ。警官たちが皆、彼女のように生真面目な人間だったのなら、こんなことを論じる必要もない。現実がそうでないのは、警察や軍の不祥事が報道で取り上げられることからも明らかだ。


「あの一帯を管理してるマフィアは厳しい規律で知られていてな。あの街でルールを逸脱したやつは、取り調べも捜査も裁判も経ずに、手厳しい制裁を課せられる」


 ローズマリーも、その一部始終は目にしている。

 彼女に絡んだ挙げ句に止めに入った仲間の肩を撃ったあの男は、最終的には四肢を撃ち抜かれて倒れ伏したうえ、拳を踏み砕かれるという、身の毛もよだつ凄惨な末路を辿った。


「やり方の是非はあるにしても、自浄作用は働いている、とおっしゃりたいのですか?」

「そういうこと。俺が世話になってる魔導器屋も、そういう目論見があって店を構えてるんだと思う」


 件の魔道具屋の狙いは、それはその地域を収める組織の規律にさえ反しなければ、何をやってもお目溢ししてもらえることにあるのだろう。魔導器の中には、時として物騒な、法に触れかねないものも含まれる。そんな物を扱う人間にとっては、揉め事さえ起こさなければすべての行動を黙認してもらえる色街は都合がいいのかもしれない。


「まあ、大体の事情はわかりました。先生も男の方ですし、大人なのですから、その……あそこに行くというなら、止めはしません」


 色街に行くのは魔導器屋に行くときだけなんだが、と言おうとしたシドだが、幾分険が取れた眼差しの少女が畳み掛けるように話すものだから、機会を逃してしまう。


「誰と一緒だったか、何をしていたかを話せないこともあるのは、わかっています。できればわかったほうが、部下としてはありがたいですけど。

 でも、それならせめて、事前にどこへ行くかくらいはちゃんと教えておいていただかないと、困ります」


 言葉のささくれは先程よりずいぶん穏やかなものだ。

 余計な心配をさせちまったかなと内心反省したシドだが、それを言葉にできるほど器用な性分でもない。少女の頭を優しく叩いて、適当な言葉を並べ立てるのが関の山だ。


「全部とは約束できねーけど、善処はしてみるぜ」

「……本当に調子だけはいいんですから」


 シドの手を振り払うローズマリーだが、その手付きは決して乱暴ではない。


「わかっていただければ、私からはもう、これ以上聞くことはありません。クロちゃんはどう?」


 静かに二人のやり取りを眺めていたクロだったが、この期に及んで特に言うことはないらしく、静かに首を振るだけだ。


「それにしても、冷たい目線で相手を見据えて容赦なく質問を投げかけられるあたり、君はやっぱり警察官なんだな」

「何をおっしゃるんですか、急に……」

「せっかくの綺麗な御髪に、凛々しいお顔立ちなんだ。復讐者とか追跡者なんかよりは、そっちのほうがまだ似合ってるぜ」

「よ、余計なお世話ですよ!」


 全くもう、と立ち上がったローズマリーは、照れ隠しなのかいつもより足早に台所へ駆け込もうとするが、ハタと足を止める。

 

「先生、いま、追跡者っておっしゃいました?」

「さあ、知らねーな」


 振り返った少女の視線の先では、シドがいつものようにだらしなくソファに沈み込んでいる。先程のしおらしい様子などもはやなく、少女の質問を適当にはぐらかしながら、手帳片手にああでもないこうでもないと思考の海に揺蕩たゆたい始めていた。

 そうなってしまったシドは、何を聞いても上の空か、適当な答えしか返してくれない。


「……一体なにを信じたらいいのかしら?」


 処置なしね、と誰にも聞こえない声でつぶやいたローズマリーは、ため息混じりに台所へ足を向けるのである。

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