8.9 使い魔もつらいよ、なんてね

「シド君も、いい加減面倒くさいやつだよね」


 草木も眠る丑三つ時……よりはずっと早いが、健全な少年少女は夢の中。

 そんな時間にソファに寝そべり、本を読み散らかしていたシドをからかうように、黒猫が声をかけてくる。


「ずいぶんな言い草じゃねーか。どうした?」

「『復讐者や追跡者より、そっちのほうが似合ってるぜ』……だっけ? わかりづらいにもほどがあるよ。あんなにさり気なく言うかい、普通?」

「露骨に指摘してもどうかと思ったからな。結構役者だったろ?」


 自分で言ってりゃ世話ないぜと、クロが小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「シド君は、僕らが尾行してるのにどのあたりで気づいたんだい?」

「正直、気づいてなかった」

「は?」


 思ったことをそのまま口にしたら飼い猫に呆れられた飼い主の図、というのは新鮮で愉快な絵面だが、当人たちにしてみれば大真面目だ。


「色街から帰ろうとしたら、知り合いに会ってな。そいつの部下が銀髪の女の子に絡んだって聞いて、ああそういうことだったのか、って思い出した。だから『追跡者』って単語をでごまかしたんだけど」

「思い出した? ってことは忘れてたってことかい?」


 未だにソファの上に寝転んだままのシドの胸にスッと飛び乗った黒猫は、その小さく整った顔をぐいっと寄せて飼い主を質問攻めにする。


「君が行き先も告げずに出かけるタイミングに合わせて、ボクがCCを連れ出して尾行の訓練をするって、この前言ったよね?」

「言ってたな」

「それをすっかり忘れてたってかい?」


 彼の胸に爪を立てていきり立つ黒猫を、まあいいじゃねーか、とシドはのんびりなだめる。


「限りなく実戦に近い訓練ができたってことだろ? 結果オーライじゃねーか」

「忘れてた本人が言うかなぁ、それ……」


 できの悪い弟の不始末に呆れる姉、といった風情で、黒猫は盛大にため息をついて撫で肩を落とす。当の弟分シドは特に悪びれた様子もなく、訓練の成果について聞いてくるのでなおさらタチが悪い。


「俺以外に、誰か気づいた奴はいたのか?」

「というか、シド君以外にはだいたい感づかれた……」


 ソファに飛び移ったクロは、飼い主と対照的に行儀よく座り直し、昼間の顛末てんまつを話し始めた。


「アンディ君にはひと目で変装がバレたよ。さすがは警部殿だね」

「あいつ、どこ行ってたんだ? 署内のどこにもいないって騒いでた秘書が、ふらっと外に出ていったと思ったら、奴さんの耳ひっつかんで戻ってきたのを見たけど」

「向かいの喫茶店で、優雅にお茶飲んでたんだよ。……そういえば、勘定は持ってくれなかったな」


 あの野郎、とシドは苦い顔でこぼす。アンディがいないことでトラブルがあったのか、なにか不都合でも起きたか。いずれにしても、そこはクロの知ったことではない。


「ウルスラ嬢には見事にやられたね。身を潜めて君たちの様子をうかがってたけど、見事にバレたよ」

「え、どこに隠れてたんだよ?」

「門の影だよ……」


 その様子だと本当に気づいてなかったんだな、と呆れたクロからは、もうため息も出てこない。


「ウルスラはガーファンクル卿お付きの職員だからな、大抵どんな魔法でも使えるけど、探ったり守ったりする方に重きをおいてるんだよ。【探知】系の魔法はあいつの十八番おはこだ」

「こっそり網を張っといて、相手を引っ掛けるタイプの女か。知らないうちに外堀を埋められて、気がついたときには本丸に手をかけてる。頭が良くてしたたかな娘ってのは厄介だよ、シド君。やっぱり気をつけたほうがいい」

「何をだよ……」


 さあね、と笑って教えてくれないクロをみて、シドは口をへの字にして見せた。


「それで、あんたから見て、あの娘は密偵に向いてるか?」


 そうさねえ、と穏やかに答えたクロは、飼い主の上で行儀よく座り直し、たっぷり考えてから答える。


「あの娘は頭がいいから、鍛えればある程度はなんだってモノになるとは思うよ。ただ」

「ただ?」


 クロは目をつむると、小さく、そして静かに首を振って否定の意を示す。


「無理にやらせる必要があるかって聞かれると、正直、疑問だね。生まれ持ったものが若干華やかすぎる気がする。アンディ君にも、色街の連中にも、一目で女の子って見抜かれた」

「相手が悪かった、ってことはないか?」

「アンディ君から見ればCCは部下だし、一緒に仕事してる相手だからまだわかる。でも、面識が一切ない色街の連中にバレたってなりゃ話が別だ。なるべくボーイッシュな格好はしてたし、服装で体型を隠す努力もした。あの娘はスレンダーだから、喋りさえしなけりゃ男の子ってごまかせると思ってたんだけど、今ひとつうまくいかなかった」


 口調こそのんびりしているが、クロの眼差しは真剣そのもの、滅多にお目にかかれるものでもない。


「気づかなかったのはどこぞの唐変木とうへんぼくくらいのもんだ」

「聞こえてるぞ?」


 もっとも、真面目なのは一時だけで、すぐにいつもの調子に戻ってしまうのは、いかにも気まぐれな猫らしい。ジト目で睨むシドに舌を出してごまかす。


「気配を隠す方法は覚えておいても損はないけど、そもそもあの娘は【加速】に長けてるんだ。小細工使って後をつけるなんて面倒なことしないで、堂々と一気に距離を詰めたほうがいいさ」

「……そうかもしれねーな」

「そもそも素材がいいから、髪を染めたり、地味な化粧や装いってのももったいないしね」


 普段は戯言ばかり言ってるくせに、時に大事な助言を盛り込んでくる。シドは長い付き合いなので慣れているが、ローズマリーは冗談と本音の区別に戸惑っているに違いない。彼女は真面目な娘だから、冗談を冗談と取れない可能性さえある。


「とはいえ、尾行は警察に戻ってからでも役に立つ技術だからな。教えておいても損はねーと思うんだけど、どうだ?」

「わかってるよ、シド君。これからもちょいちょい連れ出して訓練と洒落込むさ」


 そう言うとクロは大儀そうに起き上がり、あくびをしながら器用に伸びをする。


「それじゃ、今度はうちのお嬢さんのアフターケアと参りましょうか」

「有能な使い魔で助かるぜ」

「そっち方面が苦手なご主人様を持っちまうと、フォローする方は大変だよ」


 客間を出てゆくクロは、しょうがないね、と漏らしながら振り返り、ニヤリと笑ってみせた。


「使い魔もつらいよ、なんてね」

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