8.4 のぞき見というのはあまり感心しませんね
再び市電を乗り継いだシドが向かうのは、魔導士
「ほら、クロちゃん。私の言ったとおりでしょう?」
「なにが?」
「やっぱりカレンさんに会いに来てるんじゃない」
少し得意げに胸を張った少女だが、黒猫が鼻で笑うのを聞いて眉を寄せる。
「早とちりもいいところだぜ、全く君らしくない。いつものクールなビューティはどこに行っちまったのやら」
「その言い方はやめてよ……」
「シド君のことだ、どうせここにだって、いっぱい知り合いがいるんだろ?」
門の影に身を隠して中をうかがう二人の目に飛び込んできたのは、玄関前で小言をついている様子のウルスラと、腰に手を当てて小さくうなだれている様子のシドだ。おおかた、例によってウルスラをからかったか皮肉を言ったかしたのだろう。相変わらず師匠としての威厳が感じられない振る舞いだが、そもそもそんなもの備わってなかったと言ってしまえばそれまでである。ローズマリーは必死に目を凝らし、読唇術よろしくウルスラの口元を観察するが、もともとそんな技術の心得なんてないので、徒労に終わってしまった。
そんな少女の苦労をよそにシドを建屋に押し込んだウルスラは、周囲を二、三度見回した後、二人に向かって手招きをしてみせた。彼女のトレードマークである、フレームレスのメガネのレンズの向こう側から、切れ長の目が雄弁に語っている。
そこにいるのはわかっている、と。
「感づかれた?」
「【感知】系の魔法でも使ってたのか、あの娘? ボクに気取られずにそんな仕込みをしてるとは、味な真似を」
感心した様子のクロとは対照的に、ローズマリーにしてみればそれどころではない。引くにしろ進むにしろ、覚悟を決めなければならない局面なのだ。
さてどうしたものか、と少女は考えを巡らせる。
この場から逃げ出す、というのも理屈の上では可能だ。ウルスラは優秀で器用な魔導士、【加速】魔法もお手の物だろうが、さすがにローズマリーの全速力に追いつけるとは思えない。
だが、少女の足は動かない。
彼女の脳裏に浮かぶのは、用事を済ませたシドに詰め寄って説明を求めるウルスラの姿。そこで交わされる会話の内容くらい、容易に想像がつく。
CCさんが後についてきていたようですけど、何かあったのかしら? 納得の行く説明をしてほしいものですね――。
どんな形かはおいておくとして、ローズマリーが尾行していたという事実がシドの知るところになるのには変わらない。そう判断した少女は、ウルスラの手招きに応じることに決めた。
「どういう腹づもりだい、CC?」
「下手に揉め事を起こすよりも、こっちに引き込んで口止めしたほうがいいかなって」
本当に大丈夫かよ、とばかりにため息をついたクロだが、少女の意見を尊重し、文句も言わずにデイパックの中に引きこもった。
「そこにいるのはわかっていますよ、出てきなさい」
静かな、でも鋭い投降勧告を投げかけられて、ローズマリーは観念した様子で出てゆく。
その姿を見ても、ウルスラは眉一つ動かさない。柳眉を逆立てたいつもどおりの険しい表情のまま、少女についてくるよう促す。
「本属が警察、出向先は何でも屋。仕事柄仕方がないとはいえ、こそこそのぞき見というのはあまり感心しませんね。申し開きがあるなら、中で聞きましょう」
「はい、どうぞ」
ウルスラの個室に通されたローズマリーの前に置かれたのは、湯気の立ち上るティーカップ。座っているのも、味も素っ気もないパイプ椅子などではなく、万屋ムナカタのものより幾分座り心地の良いソファだ。
てっきり叱られるか詰問されると思っていたローズマリーは、もてなしという予想外の展開に目をパチクリさせる。
「あいにく、お茶菓子は切らしてますので。ご容赦くださいね」
「あ、いえ、お気遣いなく」
普段はなかなか聞くことのない、ウルスラの柔らかい言葉。少女の返事は、露骨に戸惑いの浮かんだ、どうしてもぎこちないものになる。
「紅茶、お嫌いでしたっけ?」
「いえ、そういうわけじゃ」
「それとも……怒られると思ってましたか?」
図星を突かれたローズマリーは答えに窮してしまう。隠し事のできない少女に微笑ましさでも覚えたか、ウルスラは珍しく顔をほころばせた。
「別にいつも誰にでも怒っているわけじゃありませんけどね」
「それは……安心しました」
普段は有能な秘書が垣間見せた、妹を見守るような温かい眼差しに、ローズマリーはほっと息をつく。
「普段、シド先生とウルスラさんのやり取りをよく目にしているものですから、つい……」
「あの人は別です。彼のだらしなさは、さすがに目に余るというものです」
ウルスラは真面目なだけに、シドの普段の振る舞いや行いに理解できない部分があるのだろう。積もり積もった疑問や不満は、ため息となって外に流れ出る。
「あなたが尾行なんて似合わない真似をしたのも、おおかた彼に原因があるのでしょう? 行き先も告げずにふらりと出ていったとか、そんなところじゃありませんか?」
まるで見てきたように言い当てられてしまっては、クールな眼差しでおなじみのローズマリーもさすがに平静を装えない。ウルスラもそんな少女の動揺を見透かしたのか、意味深な笑みとともに話を続ける。
「彼ともずいぶん長い付き合いになりますからね。どういう振る舞いをしているかは、だいたい予想がつきます。
何も言わずに出て行くというのは、あなたが知らなくても問題ないという判断をしているのでしょう。生活態度はいい加減でも、仕事ぶりに対しては、まあ、評価に値する人といっていいでしょうからね」
「……聞いたら教えてくれますかね?」
「あまりしつこく問い詰めると、かえって頑なになってしまうのでほどほどに……とだけ言っておきましょうか。一体誰に似たのやら、猫みたいな性格の男性ですからね」
ローズマリーは傍らのデイパックにちらりと目をやるが、その中身は声を上げるどころか身じろぎ一つしない。おおかた、関係ないねとばかりに丸くなって、ふて寝でも決め込んでいるのだろう。
「私は、その……シド先生が、こっそりカレンさんとデートにでも行っておられるのではないかと」
「ああ、その点はご心配なく。少なくとも、平日にその可能性はありません。お嬢様はハンディアから戻られて以降、たいていは私と行動をともにしておりますので」
ローズマリーが言い終える前に、ウルスラが強い調子で割って入る。その声の張りはいつもの数割増しなのは、少女を心配させまいとしているのか、それとも自分自身を納得させたいからなのかは定かでない。
ウルスラがカレンに心酔しきっていることは、ローズマリーも薄々感づいている。ハンディアについていけないと聞かされた時はおそらく相当に落胆しただろうし、カレンと万屋ムナカタがそろって出張している間の彼女は相当気をもんでいたであろうことは想像に難くない。もっとも、そんな指摘をしたら蛇どころか龍が出てきてもおかしくないので、賢明なローズマリーは静かにうなずくばかりだ。
「そもそも今日、彼がここに来たのは旦那様……もとい、ガーファンクル卿に経過報告をするためです。お嬢様と一緒ではありますが、卿がいらっしゃる以上、彼も下手な動きはできないでしょう」
ガーファンクル卿がいなかったらカレンが手篭めにされるとでも思ってるのか、ウルスラの説明は丁寧だが、シドに対する手心は全く感じられない。そんな師匠に、ローズマリーはわずかながらも同情してしまう。
「彼の魔法の腕は信用に足りるものです。ただ、普段の振る舞いはいかがなものかと思っているだけですよ。昔はそんなことなかったと思うんですけどね」
「……昔のシド先生って、どんな感じだったんですか?」
ローズマリーはシドの過去をよく知らない。
初めて出会った頃――あの惨劇の、少し前――の記憶は断片的にしかなかったし、それ以前とそれ以降の彼の暮らしぶりについても聞いたことがなかった。どうにも聞きづらい、という雰囲気を彼が作っていたせいもある。
そうですね、とウルスラが口を開きかけたところで、電話のベルが邪魔をする。
「ごめんなさい、CCさん。その話は機会があれば――というのもさすがにフェアじゃありませんから、直接本人に問いただしたほうがいいでしょう。
今から彼を送り出してきます。あなたをお連れするのはその後ですので、しばらくお待ち下さい」
受話器を下ろし、勝手に部屋を出ないよう念押ししたときにはもう、ウルスラの顔は優しいお姉さんから有能な秘書に切り替わっている。そのまま踵を返した彼女は、力強くもしなやかで足音がしない、
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