8.3 もうちょっと肩の力をお抜きよ

 市電を降りたシドは、警察署に足を運ぶ。

 勝手知ったる何とやらとばかりに、守衛に軽く挨拶をして入ってゆくシドを見て、ローズマリーは足を止める。ここは彼女にとっても馴染みのある場所。足を踏みいれてしまえば一発で身元がばれ、シドのところに強制送還されるのは目に見えているから、これ以上彼に追いすがるわけにもいかない。

 足を止めた少女の逡巡しゅんじゅんを感じ取ったか、クロはひょっこりとデイパックから顔を出し、状況を把握する。


「警察署か。こりゃ中にはいるのは無理だね、いくらなんでもバレるでしょ」

「クロちゃん、こういう時はどうしたほうがいい?」

「出入口を見張れる場所に行こうか。シドくんによっぽどやましいところがないなら、用事が済んだら必ずそこから出てくるはずだ」


 あそこなんかどうだい、と提案するクロの視線の先にあるのは、ちょっとお洒落しゃれなオープンカフェ。警察署の向かいに位置しており、正面玄関から誰がいつ出入りしているかが手に取るようにわかる。

 窓側の席に陣取ったローズマリーは、デイパックを傍らに置き、ニコリとも笑わないマスターに紅茶を注文する。その渋面は真っ昼間からカフェに立ち寄る年若い少女を訝しんでいるからか、生まれつきそういう顔だからかは定かでないが、そんなことを詮索せんさくする余裕など今の少女にはない。


「気をつけて、CC。こっちから見やすいってことは」

「向こうからも見やすい、ってことでしょ?」

「そういうこと。でも、表が晴れてるってのはラッキーだ。部屋の中にいりゃ、外からは反射で見にくくなる」


 少しだけ開いているデイバッグの口から垣間見える少女は、目を皿のようにして警察署の玄関を見つめていた。そのままにしておいたら、まばたきを忘れてドライアイになるんじゃないかと心配になるくらいに真剣だ。


「もうちょっと肩の力をお抜きよ」

「そうは言われても……」

「どうせそんなにすぐ出てきやしないんだから、さ」


 ローズマリーは根が真面目な娘である。それは大切にするべき長所ではあるのだが、力の加減が今ひとつ上手くないのも事実。【加速】魔法の制御がうまくいかないのも、ひとえに彼女の一本気な性格が邪魔をしているのかもしれない。


「先生はアンディ警部にご用なのかしら?」

「それはどうなのかねぇ。なんだかんだいいながらも彼、警察に顔が利く人だからなぁ。他の人が相手かもしれないぜ? 魔法で揉め事を起こす不届き者が出る度に呼び出されてりゃ、嫌でも知り合いが増えるってもんだよ」


 ティーカップを口に運んだローズマリーは、デイパックから本を取り出して長期戦の構えに入る。その目線は表に向いたままで、文章を追う気配は全く無かった。




「あれ、CC?」


 本来ここなら聞こえることはないと思っていた声が店内に響き、ローズマリーは思わず身を震わせた。

 振り返った先にいるのは、彼女の本来の上司・アンディ警部。少女の動揺を知ってか知らずか、ひとかけらの悪気すら感じていない顔のまま、彼女の隣の席につく。


「いつもと違う格好だからもしやと思ったけど、やっぱりCCか」

「あ、アンディ警部? どうしてここに?」

「あんまり大きな声じゃ言えないけど、サボりだよ、サボり」


 無意識のうちにこんなところには現れないだろうと踏んでいた人物がカフェを訪れたこと、いつもと違う格好のはずなのに一発で正体を見抜かれたこと。二重の驚きが少女からいつもの冷静さを奪う。

 

「君こそこんなところで何してるんだい? サボりってわけじゃなさそうだけど、こんなところまで出向いてお茶を飲みに来ました、ってわけでもないだろう?」


 さてどうしたものか、とローズマリーは答えに窮する。

 本当のことをつまびらかにするわけにもいかないが、下手に嘘で塗り固めても矛盾を突かれる可能性が高い。なにせ相手は百戦錬磨の警部殿、新人ペーペーのローズマリーが心理戦で太刀打ちできる相手ではない。

 ちらりと横目でデイパックを伺えば、その中では爛々と金色の双眸が輝いている。


 ――相手が悪かったね。ここは正直に言っちゃえ。


 師匠クロに目配せしたローズマリーは、唇に人差し指をあてて「ご内密に」と切り出した。


「実は、訓練の最中なんです」

「訓練?」

「シド先生を尾行してるんです」

「ああ、だからメイド服じゃないんだ。探偵まがいのことまでやるとは、何でも屋ってのも大変なんだねぇ」


 警察も似たようなことをするはずなのに、まるで他人事のように行ってのけたアンディは、早速コーヒーに手を伸ばす。


「でも、尾行って独学で習得できる技術じゃないだろう?」

「私にはもう一人、頼れる先生がいますので。どうぞ先生」


 ローズマリーが優しくデイパックを叩くと、中から猫の鳴き声がする。アンディもそれで大体の事情を察したのか、苦笑交じりに頷いた。


「なるほど、確かに尾行は得意そうだ」

「アンディ警部は、シド先生とご一緒ではなかったのですか?」

「あの人も、たまには僕以外の人に会うさ。今頃、新しく着任した警視に挨拶でもしてるんじゃないかな。

 ……その様子だと、彼、君には何も言わずに出てきたみたいだね?」


 少女が唇を尖らせ、不満をにじませているのを目ざとく察知するあたりはさすがの観察力である。若くして警部の地位に就くだけの事はある。


「まあ、僕の上司は君の上司ってことだから、そのうち君も会う機会があるだろう」

「どういう方なんですか?」

「真面目な人だよ。君の周りの人だと……そうだね、セニョリータ・ベラーノに一番近いかな? もしかしたらセンセイとは反りが合わないかもしれないけど、お互いに大人なんだから、上手く付き合っていただきたいもんだね」

 

 どうかしら、とローズマリーの表情が険しくなる。

 彼女の知る限り、二人は顔を合わせるたびにいがみ合っていた記憶しかない。会話の端々でシドに茶々を入れられて、怒り心頭に発するウルスラの姿が容易に目に浮かぶ。

 相手は警視なのだから、シドもさすがに下手な真似はしないとは思うが、万が一のことがないとも限らない。その時は自分が体を張らなれば、と少女は拳と決意を固める。


「……いざというときは、私が止めに入ります」

「君の提案はありがたいけど、大人にも面子ってもんがあるからねぇ。同じ釜の飯を食う関係になるわけだから、揉め事があっても、当人同士で穏便に乗り越えてくれることを祈ってるよ」


 不敵に笑ってコーヒーを楽しむアンディだったが、ベルの音とともに入店してきた客の姿に顔を強張らせる。

 彼の目線の先にいるのは、ローズマリーも見覚えのある婦警だ。彼女の姿を認めたマスターは、むっつりと黙ったまま、窓際のテーブルを指差す。

 結果、二人の目線がばっちり交錯し、アンディの顔は青ざめ、婦警の顔は真っ赤に染まる。


「やっぱりここだったんですね、警部!」


 わかりやすく怒髪で天を衝いた婦警は、カフェに似つかわしくない力強い足音と共に歩いてくる。


「いい加減にしてください! また書類仕事サボって!」

「いや、これはね、陣中見舞いというかなんというか……」

「問答無用です! 帰りますよ!」


 アンディが並べ立てる言い訳を突っぱねた婦警は、そのまま彼の首根っこをひっつかんで引きずっていく。あまりの剣幕に、ローズマリーは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で一部始終を見守るしかできない。


「待ってくれ、後生だから、せめてあと一杯だけ……!」

「コーヒーなんて、戻ったらいくらでもお持ちしますよ! ほら歩いた歩いた!」


 肩を落とし、婦警に叱られながら歩くその姿は、まるで引っ立てられる犯人だ。この様子だけ見て、アンディを警部――それも優秀な――と看破できるものはまずいるまい。


「CCさん」


 アンディを引っ立てるときとはまるで違う、にこやかで明るい調子で話しかけられたローズマリーは、一瞬戸惑ってしまって返事を忘れる。最も、声をかけた当人は気にする様子もない。


「ムナカタ先生はもう少しでお戻りになると思いますよ。必要だったらここに電話を入れますし、待っていることもお伝えしますけど、どうします?」

「……お気遣い感謝します。私ももう事務所に戻りますので、お伝えいただかなくて結構です」


 小さく微笑む婦警の姿は、先程までアンディを叱りつけていたときとはまるで別人だ。そのまま了承の意を示した彼女は、再び警部の襟首を掴み、堂々たる足取りでカフェを後にする。どうも面食らっているのはローズマリーばかりのようで、よくある光景なのだろうか、マスターも常連客らしき老人も特に動じている様子はない。


「何が陣中見舞いだよ、CCのぶんの勘定もおいていかずにさ……。それはそうと、厄介な問題がひとつ残ったね」

「アンディ警部も、婦警さんも、一目で私だって見抜いてたね」

「なんだ、わかってたか」


 重々しいクロの口調が何を意味しているのか、ローズマリーは聞かれるまでもなくちゃんと理解していた。


「服装もいつもと変えてる、髪型もわからないようにした。でも、二人ともすぐに私に気づいた。どこがまずかったのかな……?」

「仕事柄、変装とか隠し事を見抜くのに長けているってのはあるだろうけどね。そこは次っ……!?」


 ――次回までの課題だね。


 そう続けようとしたクロだったが、そこから先は言葉にならなかった。警察署の正面玄関から出てきたシドを見て、ローズマリーがとっさにデイパックを取り上げて振り回したせいだ。

 少女らしくない粗暴な振る舞いに抗議の声を上げたクロだったが、もはやローズマリーはそんなことを気に留めてはいなかった。勘定をいささか乱暴にカウンターに叩きつけると、シドの背中を追いかけて表に飛び出してゆく。 

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