7.31 一つだけ心当たりがありますの
では、と居住まいを正したカレンは、静かに言葉を投げかける。
「あなたは一体、何者なのですか?」
「エマ・ジュヴァキャトル。医療都市ハンディアの代表にして、研究者……と言いたいところじゃが、さすがにもうごまかしきれんか。
お主はあの時、我輩を人ならざる者と呼んだな。そう推測する理由は何だ?」
「……確信めいたものを得たのは、つい先程です。ですが、お会いした当初から、その
カレンの説明はあくまでも物腰穏やかで、丁寧なものだ。名刀をぶん回して暴れ回る様子なんて到底想像がつかない。
「クロスケさんを見たあなたは、彼女を飼い猫ではなく相棒と呼びましたね? あなたは最初から、この子をただの黒猫ではなくて使い魔と見抜いていたのではありませんか? そうでなければ、相棒なんて言葉は出てきませんわ」
「さらに付け加えるなら、あの時のこいつの怯え方は尋常じゃなかった。俺が客商売をしてるせいか、クロスケは猫の割には社交的でな。たとえ初対面の人間であっても、愛想を振りまくくらいはやってのける。でも、あそこまで過剰な反応は見たことがない」
「そうは言うが、本当に力のある魔導士なら、使い魔を見抜くことなぞ造作も無いぞ? お主らの指摘でわかることといえば、我輩が優秀な魔導士ということくらいで、人でなし呼ばわりされるまでのことはないと思うが?」
エマの
「あなたが本当に見かけどおりの歳月しか過ごしていないとすれば、自分の才能に気づくかどうかがせいぜいの年齢のはず。才能が開花するにはあまりにも早すぎるのです。
ですが、悠久と称してよいほどの時間を生きることができるなら、話は変わってきますわ」
カレンが持ち出した仮定は、傍から聞けば突飛にも程がある。要は「エマは不老不死に近い存在なら全部説明がつく」といっているのだから。
だが、当の本人は大真面目。傍らにいるシドも概ね同意見だから特に何も言わないし、ローズマリーも例によって大人しくしている。
「それならば、常人を遥かに凌駕する技量の魔法、医学の専門知識、為政者たる風格を身に着けるに至るのがむしろ自然でしょう。
あなたの真の才能は、魔法や医学ではなく、その長い寿命。そして、それを可能にするのは、落とされた腕を縫合して三日と経たずに元通りに動かすことができるほどの生命力の強さにある。違いますか?」
エマは微笑んだまま、特に何も応えない。その穏やかな沈黙を是と成したと判断したか、カレンはそのまま、静かに論を展開する。
「完全な人型でありながら、悠久の時を生きる。人間にはありえない特徴を持つ者には、一つだけ心当たりがありますの」
――そんな話、したかな?
シドが目線をちらりと横に向けるが、その先ではメイド少女が困惑した面持ちで頭を振っている。ちょっと待て、シドが口を挟もうとしたが、その瞬間にはもう、カレンは言葉を紡いでいた。
「エマ様はおそらく、
淑女の口から飛び出す予想外の意見に、シドとローズマリーはあっけにとられるばかりだが、エマの表情は特に変わらない。むしろどこか、興味深げな様子さえ見せている。
「カレン、いくらなんでも、もうちょっと地に足の着いた発想をしてくれねーとフォローもできんぜ?」
「エマ様が吸血鬼っていうのは、さすがにいかがなものかと……。どう見たってエマ様って、私よりこ……年下の女の子ですよ?」
「おい小娘、今子供って言おうとしたろ……?」
「お人形みたいで可愛いってことです!」
とっさに言い繕ったローズマリーだったが、案外効果はあるようだ。まあ悪い気はせんがな、とふんぞり返ったエマは、どことなく満足げに頷いている。
「でもカレンさん、吸血鬼って、肌の色が真っ白で、長い牙をもつ、品のあるダンディなおじ様のはずでは?」
「日差しが出ている間は息を潜め、夜になればコウモリとともに闇を
「十字架とニンニクが苦手で、黒いマントを纏っていたはずですよね、確か」
師匠と弟子から飛び出す、あまりにもワンパターンにすぎる吸血鬼像に呆れたか、エマは盛大にため息をついた。
「映画や小説に毒されすぎじゃな、二人とも。
特に師匠の方。鞭を武器として使う一族と長年に渡る因縁を持つと思っておるのなら、それは
ビシッと音が立ちそうな勢いで指をさされたことよりも、考えをまるっと読まれていた方に焦りを覚えたシドだが、なるべく気づかれぬよう努める。
「ムナカタ君、世の中に流布されている吸血鬼像が、必ずしも真実とは限りませんわ」
「それ以前に、吸血鬼なるものがこの世の中にいるって方が信じがたいぜ?」
「世界は広いんですもの、私達の想像を超える存在の一人や二人、いても不思議じゃありませんわ。そもそも、一般の人から見れば
澄ました顔でずいぶん乱暴な物言いをしてくれる、とシドは頬を引きつらせる。
「たしかに、あなた達の言う吸血鬼の特徴は、エマ様に当てはまらないものも多いですわ。色白ではありますけれど病的と言うほどではありませんし、日中に堂々と外を歩いておられます。牙もなければオールバックのナイスミドルでもない。黒衣は纏っておられますけど、あれはマントとは呼べません。
ですが、卓越した魔法の技量、切断した腕も数日足らずでもとに戻る生命力については、一般に流布される吸血鬼に通じるものがあるのではないかしら? 医学の知識も、自らの生命力に関する興味の行き着いた先と考えれば納得が行きます。自らを研究対象とした結果、魔法使いの身体の深淵に触れたのだとしたら」
「聞いてきたことを抜かすの」
カレンが一言発するごとに、エマの顔から微笑みが消え、代わりに苦い色が濃くなる。
「余計な詮索、下手なおしゃべり、下衆の勘繰りは身を滅ぼすぞ。少しぐらいバカな方が長生きできる、覚えておくんだな」
「出過ぎた発言、ご容赦ください」
口ではそう言うカレンだが、笑みは絶えないままで、傍から見ると申し訳ないとか気まずいと思っているようには見られない。ここで折れる気などさらさらないのだろう。
「……少し長くなるかもしれんが、構わんな? そもそもお主らがいい出したことじゃからな、嫌だと言っても無理やり聞かせるぞ?」
淑女の堅い意思に根負けしたのか、エマは金糸と呼ぶにふさわしい髪をくしゃくしゃとかき回すと、半ば諦めたように言い放った。
「自分が他人と違う、って意識したのはいつからだ?」
「物心ついたときにはうっすらと、な。子供って、よく転んで怪我するじゃろ? 吾輩も例外じゃなかったが、ちょっとした擦り傷とか切り傷程度なら、ものの五分もあれば完治しとったからな。
でも、明らかに違うとわかったのは、もう少し後だ」
エマの見た目だけを捉えれば、昔語りなんてすぐ終わってしまいそうだ。だが、彼女の言葉の重さ、魔導士そして医者として積み上げてきた経験は、見事にその予想を裏切ってくれそうである。
「十の誕生日を迎える少し前に、黒死病が猛威を奮ってな。我輩の家族も例外じゃない。一年と経たずに、生き残ったのは我輩一人だけだ。
ガーファンクルの娘の言う通り、我輩が最初に覚えた魔法は【再生】の類なんだよ。覚えたってよりは自然と身についていたって言ったほうが近いか。我輩の体は幼い頃から、勝手に魔力を生成し、循環し、傷を治していたわけだ。それを意識して制御できるようになったのは、もっとずっと後の話だけどな」
経緯こそ違うが、家族を失ったというくだりは、ローズマリーの心に何らかの影響を投げかけたらしい。小さく肩がピクリと震えたが、シドは見ないふりをする。
「その後は孤児院を転々としたが、そこでの生活もひどいもんじゃったな。我輩と同じような境遇の子供が一緒くたに押し込められて、ろくな食事も出てこない。みんながみんな腹を空かしてた。
特に我輩はこんな
ちょっと待て、とシドが口を挟む。
本人の意志とは別に、【再生】魔法が常時発現していたとすると、魔力の消費がバカにならないはずだ。そんな体質の魔法使いが食事を抜いてしまったら、体力も魔力も長くは続かない。魔力切れでダウンし、二度と目を覚まさないことだってありうる。
その疑問を、エマはあっさりと肯定して話を続けた。
「日に日に回復が鈍くなるのを自覚したときは、さすがに我輩も焦ったもんじゃ。今でこそ魔力が足りなくなっているとわかるが、当時はそんな知識はないからの。窮地に追い込まれたことは一度や二度じゃないが、真剣に命の危険を感じたのはあの時が初めてじゃな」
シドの中で、バラバラだった思考の線が徐々に繋がりつつあった。
見ているだけで胸焼けしそうな量のデザートをこともなげに平らげ、アリーから食事抜きの懲罰を受けて涙目になっていたエマの姿を思い出す。彼女にとって大量の食事は不摂生の類ではない。自らの意思にかかわらず【再生】の魔法が発現し続ける彼女の体は、それを下支えする大量のエネルギーを常に欲しているのだ。
「いくら怪我に強い体質でも、このまま黙っていたら確実に死ぬ。そう判断した我輩は、ある時反撃に転じた。
我輩から奪った者から、今度は奪い返してやる、何が何でも奪いとってやる。そう思ってヤツの腕を掴んだら、掴む端から腕が凍っていきよった」
「生物が発する熱……体温は生命活動の象徴です。それを奪ってでも生き永らえたい、自らの生命を繋ぎたいという本能こそが、あなたの【氷結】魔法の原点ということですわね」
得心した様子でうなずくカレンをちらりと見たエマの本心は伺いしれない。一瞬あとには、どこか遠くを見つめている。
「【氷結】魔法を意識して制御し、【変換】魔法と組み合わせて使う術を覚えたのは、もっとずっと後の話だ。あの時はとにかく、奴の生命力を奪うということしか頭になかった。奴の腕と表情が凍りつくさまは、今でも鮮明に覚えているよ。
ただ、問題はその後だ。どれだけ奴の熱を奪っても、腹が満たされるどころか乾きが癒えることもない。逆に空腹が募って消耗してゆく一方じゃ。魔法を使っているのだから当然なんじゃが、当時はそんなことまで頭が回らんかった。
そこで我輩は、あの忌々しい吸血衝動に初めて襲われた」
孤児院で受けた虐待に耐えかねて反撃に転じた時。それこそが、彼女が吸血鬼として目覚めた瞬間だったのだ。
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