7.32 人を壊す技術を持つ者なんだよ

「我輩から奪った連中に、魔法を見た連中。そのすべてを生かしては置けぬという恐れと、血を吸って飢えと乾きを満たしたいという欲望に突き動かされて、我輩は孤児院にいた者すべての血を奪った。歳も性別も年齢も関係なく、な」


 孤児院出身ではあるが、自らとは全く違う道を歩んできたエマの告白に、ローズマリーが小さく息を呑む。


「孤児院を飛び出してからしばらくの間は、野良犬のほうがマシという暮らしだったな。食い物を盗んではその追手の血を吸う、その繰り返しでしばらく命をつないでおったが、そんな生活は長くは続かない。我輩の行動が知れ渡るのも、そう時間はかからなかった。

 行政府の指導でしばらく市場が閉められて、食いっぱぐれて腹をすかせた我輩を、異端尋問会の連中が寄ってたかって捕まえにかかってな。多勢に無勢とあっちゃ、さすがにこちらも手の打ちようがない。略式の魔女裁判すら起こさないまま、公衆の面前で火炙りさ」

「でも、あなたは生き延びた。そうでしょう?」


 ――そうじゃなきゃ、今ここにはおらんよ。

 

 そう言う代わりに、エマは歳不相応の苦笑いを浮かべる。


「死を持って罰せられたにもかかわらず、無傷で生き延びたとなれば、連中の見る目も変わってくると言うものじゃ。逃げないように手足を折り、道具を使えぬよう指を砕いた上に火刑に処したにもかかわらず、翌日にはピンピンしてるんじゃからな。

 それを見た民衆の反応は二つ。極度の畏怖か、狂信だ」


 その言葉を聞いた三人の頭によぎったのは、ハンディアに来たばかりの頃、エマの姿を見てときの声を上げる住民たちの姿だ。


「火炙りから生還した我輩を見た連中は、見事に手のひらを返しよってな。血を吸う殺人鬼扱いから一転して、奇跡の代行者として我輩を祀り上げたわけじゃ」


 懐かしいな、というエマの呟きがあまりにも感傷的なことに引っかかりを覚えたのか、ローズマリーが小さく手を挙げて質問する。


「黒死病に魔女裁判って、そんな時代を過ごしてらしたんですか?」

「まあ、そういうことじゃな。産業革命なんかよりもずっとずっと前。異端尋問会が幅を利かせておったから、魔法使いもあまり表立って活動はできなかった。当時の魔法使いは個人主義での。管理機構ギルドのように徒党を組んで、組織だった活動を始めるのは、もっと後の話じゃ」


 話を戻すぞ、とエマは紅茶に手を伸ばす。


「食うに困らなくはなったからいいようなものの、他人の信頼を得るためだけに大怪我を負ってそこから回復する、というのは効率が悪すぎて割に合わん。その時は【再生】魔法を制御できなかったから、毎回うまく復活できる保証もなかったからな。

 とはいえ、当時の我輩の唯一の武器は【再生】魔法と生命力しかない。そいつをちゃんと理解すれば、もっとうまく立ち回れるのではないかと思ったのが、医療の道に足を突っ込んだきっかけじゃ」


 不死と呼ぶに相応しい生命力。

 自らに与えられたその才能の根源を解き明かす過程で、エマは魔法の、そして人体の深淵に触れていったことになる。


「その積み重ねの結果が、今もハンディアで使われている薬や治療法ってわけだな?」

「そういうことじゃ。当時は諸国が武力をもって覇を競っておったし、流行病でたくさんの民が苦しんだ。怪しげな薬師や錬金術師がオカルト紛いの民間療法を広めておって、今では事もなく治るような病気すら、不治の病扱いされていた時代じゃ。実験台にも実践の場にも事欠かんかったよ。

 ……今から振り返ってみれば、研究とは呼べない行動じゃったの。苦しんでいる患者に手当たり次第、思いつく限りの治療法を試み、新しく調製した薬剤を投与する。倫理も何もあったもんじゃないが、当時は大真面目だった。自分の立場を安定させるためには、死から蘇る以外に何回か奇跡を起こさなきゃならないと、その時は信じていたからな。天の邪鬼を気取る気などないが、人が救われてるのは結果論だ」

「そうなのでしょうか? 結果論でもなんでも、誰かを救っている事実は尊いものだと思いますが」


 青さの目立つローズマリーの反論を、エマは自虐的な笑みと共に斬って捨てた。


「医者は人を治す存在だというのが世間一般の認識だろうが、我輩の考えはちと違う」

「どういうことですの?」

「医者というのはね、なんだよ。

 人間の体は鈍感でもあり、繊細でもある。多種多様な防衛機構で自らを守っているが、体に侵入したちょっとした異物に過剰反応して取り返しのつかないことを起こすことがある。

 医者ってのはその手の知識の大家だ。正しい倫理観をもって技術を行使している者はまだよいが、そうでないヤツは――この上なく厄介な、人類の敵になるかもわからんな?」


 エマがさらりと流した一言は、思考に投げ込まれた小石のようなもの。小波さざなみは心の中でどんどん広がってゆく。

 シドはエマの話を聞きながら、手帳の過去のページを見かえしては、新たに書き込みを加えていた。万年筆を握るその指先はかすかに震えており、ただでさえ汚い文字がいつもより歪んでいる。


「話が飛ぶようで悪いが……『魔法使いもどき』事件には医者が関わっている、ということか?」

「医者かどうかはともかく、人体の構造をよく知るものが一枚噛んでいるというのは、大方間違いないと思うぞ? 素人を魔法使いに仕立て上げ、しかも証拠も残さずに口封じをする。力づくでどうにかできるものでもあるまい?」

「そういった技術を持つヤツに、心当たりはないのか?」


 それがわかれば一番手っ取り早い、というシドの期待は、人を食った態度のエマによって無残にふっとばされた。


「そんな素敵な技術をわざわざ人に伝える奴があるか、阿呆。お主だって、自分の切り札を人に吹聴して回らんじゃろ? それと一緒じゃ」


 何もそこまで言わんでも、と肩を落とすシドの横で、ローズマリーが得心した様子で頷いている。


「正面から切り込んでも、まっとうな返事が返るはずもない。犯人を追い込むには、対象を絞ってしばらく監視しなければならないということですね」

「そうなると、さらに踏み込んだ捜査が必要そうですわね。上層部の皆さんと相談して規模を拡大する必要があるかもしれません」


 ハンディアに来る前は暗中模索の気があった「魔法使いもどき」の追跡だが、カレンなりに次の方針が見いだせつつあるのか、少しホッとしたようなため息をついている。


「さ、もう話すことはないか? 吾輩もそろそろ仕事に戻らんと皆に叱られる」

「姫様、最後に一つだけいいか?」


 なんじゃ、と少し迷惑そうな顔をするエマだが、シドは特に悪びれる様子もない。


「吸血衝動は、今は収まってるのか?」

「まあ、ある程度な」


 質問をオブラートに包む気配すら見せない彼に眉をひそめたのはローズマリーただ一人で、エマはあっけらかんとしている。


「いろいろ調べてみたが、吸血衝動のきっかけは魔力の枯渇で引き起こされるからな。そういう状態に陥らなければ、特に問題はない。

 要は、食える時に腹いっぱい食っとく、ってことじゃ」


 言い方が身もふたもないだけで、指摘していることは正しい。

 人が体を動かすエネルギーにしろ、魔法の発現に必要な魔力にしろ、体内から無限に湧いて出てくるものではない。いずれもその源は外部――食物に求めるしかないのだ。


「話しついでにもう一つ教えてやる。吸血鬼が血を吸うのは、あくまでもついでじゃ。本来の狙いは、魔導回路を流れる魔力にある」

「魔導回路は血管と共に張り巡らされていますものね。回路だけを狙って噛みつき、魔力を吸い出すのは至難の業です。まとめてかぶりついてしまったほうが、手間が省けるというのはそのとおりでしょう。

 でもエマ様、魔力波長のことはどう説明なさるおつもりですの?」


 魔力光は、魔導士によって異なる色を示す。シドは無色、ローズマリーは深赤色、カレンは薄桃色、エマは紫、そしてクロはその名の通り、黒。

 指紋や声紋と同様に、魔力の波長も人によって異なる。それが意味するところは養成機関アカデミー出身の魔導士なら最初に教わっているはず。もちろん、ローズマリーも例外ではない。


「異なる波長の魔力を受け入れて、自分の魔力として使うことはできないはず、ですよね?」


 魔力のやり取りがもっと手軽にできたなら、ローズマリーが魔力切れで寝込むなんて事態にはなっていない。魔導士ごとに波長が違う以上、他人に魔力を分け与えることも、受け取ることもできない、というのが魔導士の間の常識だ。

 だが、「吸血行為」は完全にそのセオリーを無視している。養成機関アカデミーの教育を受けた三人が疑問に思うのも当然だ。


「波長の違う魔力を体が拒絶する、というのは事実じゃ。お主らの疑問も至極当然のこと。じゃが、少しだけ勉強不足じゃな。

 魔力光の発現については、大昔から文献が存在しての。面白いのは、そのどれもが『白く眩い光』あるいはそれに準じた表現をしておることじゃ。洋の東西を問わず、な」

「白い魔力光というのはたしかに珍しいですが、すべてが白と表現されるのは、確かに疑問を感じますわね」

「我輩の調べた限り、つい二百年ほど前までは、魔力光の色と言えば白を指していたんじゃ。つまり、ことになる」


 誰も彼もが同じ色=波長の魔力光を持つ。

 それは、他人との間で魔力を融通することも、他人から魔力を奪うこともできた、と言っているに等しい。


「人類も環境に応じて緩やかに進歩しているが、おそらくそのひとつなんじゃろう。自らの魔力波長を異なるものに変化させることで、吸血鬼のように魔力を奪う者から身を守るよう進化した、と考えておる」

「エマ様の魔力光も、かつては白かったのですか?」

「それはわからんな。【氷結】を覚えたのはずいぶん昔だが、つい百五十年くらい前までは触れたものを凍らせる用途でしか使っておらんかったから、魔力光が漏れ出ることもなかったしな。積極的に氷を発現させる使い方を身に着けた頃には、今の色になっておった」


 ちょっとまてよ、とシドが口を挟む。


「あんたが吸血鬼になった頃ならともかく、今は個人で魔力波長が異なるんだから、他人から魔力を奪う目的で吸血をする意味なんてない、ってことになるよな?」

「そういうことじゃ、案外聡いではないか。もし、今の世の中で吸血行為に及ぶ者がいるとしたら、それはそういう癖の持ち主、としか言いようがないな」

「映画などで出てきますけど、眷属を増やすというのは当てはまらないのですか?」


 ローズマリーの問いかけを、エマは即座に否定する。


「吸血鬼に血を吸われた者が眷属になるとはよく言うが、結果としては正解、プロセスとしては不正解じゃ。

 吸血鬼は相手の首筋に噛み付いた際に、神経系を支配する成分を相手の血管に注入する。眷属になるのはその成分が作用するからじゃ。だから、プロセスとしては不正解」

「わざわざ噛みつかなければならないのですか? それは少しリスクが大きいのでは?」


 わかってきたではないか、とエマに褒められたのがくすぐったいのか、ローズマリーが小さく頬を掻く。


「成分が一緒なら、別にふんじばって注射をしようが、薬を嗅がせようが、最終的な結果は一緒じゃ。効能が現れるまでの時間は違うだけでな。

 今の御時世、栄養事情も昔に比べれば格段に良くなったし、医学や化学の研究が進んで、良くも悪くも多種多様な薬剤が世に出回っておる。我輩が医療の研究に取り組み始めたときならいざしらず、今の御時世にわざわざ人様の首にかぶりついて吸血をする理由は見当たらんよ。

 ……そういう意味では、純粋な意味での吸血鬼なんて、もうこの世界にはいないのかもしれないな」


 エマはそう言うと、もう二度と戻れない懐かしい場所を思い出したかのような、少しばかりの憂いと陰りを帯びた、寂しい笑顔を浮かべたのだった。

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