7.29 それは困るぞ……

 エマとカレンが集中治療室に入るのを見送ったシド、クロ、ローズマリーは、アリーに追い立てられるように空いている病室に放り込まれた。

 状況が状況とはいえ、エマに重傷を負わせたのは紛れもない事実である。その本人から「監視付きでの滞在」と言われていたものだから、牢屋にでも放り込まれて臭い飯でも食わされるのかと危惧していたシドだったが、予想外の待遇に拍子抜けしてしまった。

 とはいえ、彼らを先導してきたアリーの眼は、主人をこっぴどく痛めつけられた怒りにギラギラと燃えていたので、油断ならない。緊急手術の前に、主人が諌めの言葉をかけていなければ一行の首筋を掻っ切っていたに違いない。


「エマ様のお呼び出しがかかるまで、ここで待つように。逃げ出そうとするのは勝手ですが、その時はお覚悟を」


 そんな物騒な捨て台詞を残されては、万屋ムナカタ一同、揃って素直に頷くほかない。

 アリーが去るのを見届けると、シドは怪しまれない程度に周囲の観察に励む。窓にはまっているのは、患者の逃走防止と思しき鉄格子。階段やエレベータの入り口では、腕章をした警備員が自動小銃を片手に見張りについている。現在使っていないフロアの一角を万屋ムナカタ一行の軟禁に割り当てた、というところだろう。

 こいつは長引きそうだな、と嘆息すると、シドはごろりとベッドに寝転んだ。


「お呼び出しったって、右腕が飛んでるんだぜ? 一体何時間待てばいいんだ?」

「何時間程度ですめばいいけどねぇ」

「どういうこと、クロちゃん?」


 クロに促されて窓の外を見てみれば、そこにもチラホラと警備員の影が見える。

 

「あのちびっ子の気分次第じゃ、気まぐれでボクらをずっとここに閉じ込めとく、ってこともありうるぜ?」

「それは困るぞ……」


 出張の事前打ち合わせの際、連絡が七十二時間以上途絶えたらハンディアに乗り込め、とアンディに申し伝えてある。最後に連絡を入れたのは宿を出る前、朝七時だ。この軟禁生活が二日半以上続くようなら、強制的に警察の捜査が入ることになる。それは情報収集続行の断念と同義だ。この街で起きた全てとエマ達が守りたかった秘密が陽の光の下に露見する代わりに、「魔法使いもどき」につながる技術的・人的つながりは失われる。

 つっぱってみたはいいものの、状況はエマの胸先三寸という事実の目の当たりにしたシドのため息は重い。

 そんな主人をよそに、クロは別のベッドの真ん中を占拠し、モソモソと丸くなって大あくびをかました。

 

「こんな時にお昼寝とは余裕だな、クロスケ」

「ジタバタしたってしょうがないだろ。果報は寝て待てって言うじゃないか、シド君。こうなったらもう、やることやって寝るだけだ」


 いくら身動きが取れないといっても、寝て許されるのは猫だけで、シドやローズマリーまで怠惰に過ごしていいわけではない。ベッドから跳ね起きたシドが懐から手帳を取り出すのを見て、弟子は待ってましたとばかりに質問を飛ばす。


「先生、カレンさんのあの魔法、一体何なんですか?」

「【憑依】のことか? 分類するなら、あれも一応自己強化系に含まれるわけだが」

「それにしては、あまりにも効果が劇的すぎる気がします。何と言うか……」

「人が変わった、とでも言いたいのか?」


 シドの助け舟に得心したのか、ローズマリーは大きく頷く。


「言葉通りと言っちまえばそれまでなんだが」

「さすがにそれでは理解できません……」


 どこまで説明したもんかな、とシドは思案する。

 【憑依】は彼の魔法ではないから、本来はカレンに説明してもらうのが一番だろう。でも、当人は治療の真っ最中。そもそも事態がいつ急変するかもまるで読めない状況だ。

 許せカレン、と心の中で詫びたシドは、ごく簡単に、彼の知る範囲で説明することにした。


「簡単に言っちまえば、自分の武器に宿る力を借りて、身体能力と武器格闘の技能を飛躍的に高める、って魔法だ」


 どういう魔法か、今ひとつイメージを掴めずにいるのだろう。ローズマリーは首を傾げっぱなしだ。


「イスパニアで生まれ育った君は馴染みがないかもしれねーが、あいつの剣は大昔に日本ジパングの侍が使ってたものでな。日本刀っていって、本来は美術館に置いてあったり、物好きな蒐集家しゅうしゅうかが集めてたりするようなシロモノだ」


 その言葉に、ローズマリーも思い当たるものがあったようだ。


「……『歴史ある武具は、その存在そのものが魔導器である』、ってことですか」


 それは、養成機関アカデミーのとある老教師が、年度始めの講義で必ず言い聞かせる言葉だ。

 学業優秀だった少女は、きちんとこの言葉を覚えていたようである。


「製作者が魂を込めてつちで叩き、銘を刻む。その上で戦火をくぐり抜けた武器だから、魔法の力が宿っても不思議じゃないってことなんだろうけどな」

「カレンさんは、あの剣に宿る力を引き出すことができる……ということですか?」

「そこは表現が難しいところでな。カレンが力を制御できてるならその表現でいいと思うけど、現実は違う。

 カレンはな、歴史ある剣が持つ闘争本能にんだよ。剣に操られてる、って言い方のほうが近い」


 シドにしては曖昧な物言いだが、これ以上の説明ができないのも事実。【憑依】は淑女カレンの魔法で、そこには彼にはわからない理屈と理論があるのだ。


「剣に自分の意識を全部預けたら最後、自力で元の状態に立ち戻ることはほぼ不可能で、敵を討つか敵に討たれるかするまでは止まれない。身体強化に分類されるとはいえ、俺たちが使うものとは明らかに別の魔法だ。だから、【憑依】って名前をつけてる」

「……理由や原理はともかくとして、どのような性質の魔法かはわかりました。

 刀に操られているのであれば、その原因を叩き落とせばいい。そうすれば魔法の効果が失われる、ということですね」

「でも、【憑依】を使っているときのあいつは、感覚も身のこなしも人間離れしてるから、よほど上手くやらないと隙を突けない。だから、足の速い君に、その役を任せるしかなかった」


 久しぶりにみた、カレンの【憑依】。

 そのは以前よりも、そしてシドの予想よりも遥かに深かった。それは並の魔導士では、彼女を【憑依】から引き戻すことできない、ということでもある。

 カレンがウルスラではなく、シド達を捜査のパートナーに選んだ理由は、きっとそこにあるのだろう。魔法絡みの事件に強く、かつカレンを【憑依】から引き戻せる実力者。淑女の交遊録の中で、その条件を満たす筆頭がシドだった、というわけだ。


「あと、エマさんの魔法……【氷結】ですよね。あれもはじめてみました」

「俺も初見だから、正直どうしようかと思ったな」


 ははは、と笑って見せるシドだが、カラ元気なのは丸わかりだ。


「あの魔法は実は相当難しいんだが、なぜだかわかるか?」

「あれだけの量の氷を発現させるとなると、魔力を相当使うとは思うのですが……」

「それはそうだが、魔力の消費量は、この際それほど問題じゃない。

 もう少し、問題を細かくわけようか。氷の原料をどこから持ってきた?」

「空気中か、体の水分を使えば……。あれ、足りない?」

「ちびっ子の体がまるっと全部水分だとしても、あの体積の氷を発現させるのは無理だろ……?」


 少女は会議室でのエマの立ち回りを振り返る。

 詠唱直後、幼女の魔法によって発現した氷は、あっという間に壁を覆い尽くし、鋭い氷柱となってシド達に襲いかかった。

 それが意味するところに思い当たったのか、ローズマリーの顔色が変わる。


「魔力をあれだけの量の水に【変換】しながら、熱を奪って【凍結】させたってことですか?」

「【変換】だけならまだしも、【凍結】を同時にやってのけたってところが、あのちびっ子の恐ろしいところだ。腕が立つ魔導士、って言葉に収めていい技量じゃねーよ、あれは」

「そもそも、魔法で物を凍らせるってのが、どうにも理解できません……。

 【火炎】や【電撃】であれば、魔力をそのまま熱や電力に変換しているわけですから、使えないなりに納得はできます。でも、物を凍らせるには、熱を奪わなければいけませんよね? その後どこに行くんですか?」


 少女の疑問に対する明確な答えを、残念ながらシドは持ち合わせていない。できることといえば、せいぜい一緒に推測してやることくらいだ。


「物を凍らせるために奪った熱をそのまま放出してたら本末転倒だし、体も持たないだろうから、その線は消える」

「熱以外の何かだとすると、一体何に変えてるんでしょうか……?」


 しばらく考え込んでいたローズマリーは、まさか、と顔を上げてシドの方を見る。


「魔力……?」

「そう考えるのが、一番筋が通るだろうな」

「それじゃエマ様は、【氷結】を使えば使うほど、魔力の蓄積量が」

「回復はしても、差し引きゼロとはいかねーだろ。水を生成して、そこから熱を奪うまにで使う魔力と、水から奪った熱を変換して得られる魔力じゃ、前者のほうが当然多くなるはずだぜ?」


 科学の基本原則を理解し、観察された物理現象を一つ一つ紐解くというやり方は、相手の魔法を理解する上で必要な手順ステップだし、ローズマリーが今後、警官として活動していく上で必須の技術となる。エマの魔法を見て、エネルギーのやり取りと行き先に疑問を持ったあたり、ローズマリーの「自主学習」の方向は間違ってはいないようだとシドは安心する。

 彼女が足繁く図書館に通って勉強していることはもちろん知っているし、どのような勉強をしてきたか問われたこともある。だが、単に何をしたか伝えただけで、具体的な勉強のやり方まで強制したり指示したりした記憶はない。社会に出てからする勉強は、自発的に取り組むからこそ意味がある。押し付けられた勉強ほど身にならないものはない、というのがシドの持論だ。ベッドで寝息をたてる黒猫や女たらしの図書館司書が何かしらのアドバイスをしている可能性はあるが、正しく知識を身に着けているのだから、そこまで詮索する必要もあるまい。


「だいたいあのちびっ子、本職は魔導士じゃなくて医者だからな?」

「医者としても魔導士としても優秀ってことですよね? あの若さで?」


 若いを通り越して幼い顔立ちのエマ、その底知れぬ能力を前にすると、天才という言葉すら薄っぺらく聞こえてしまう。そんな存在に不気味さでも覚えたか、ローズマリーは小さく身震いした。


「会議室で、カレンさんが言ってましたよね。『人間をおやめになってるのでは』って。そんなこと、本当にありえるんですか?」

「推測すら及ばねー範囲の話だよ、そりゃ。さっきの【氷結】の話とはワケが違う。

 ただ、俺はあいつの意見も一理あると思ってるんだ。魔導士、医者、統治者として一人前になるには、あのちびっ子は幼すぎる。そもそも、ゴロツキレベルの魔法使いならともかく、あれだけの技量を持ってるヤツだったら、さすがに管理機構も見逃してないはずなんだけどな」

「カレンさんにはお心あたりがないようでしたけど……」


 エマの名前、そして詠唱の文言を見る限りでは、出自はおそらく隣国ド・ゴールかその支配圏。成長の過程でイスパニアに移住した可能性が高い。

 だが、他国出身者であることが、資格なしに魔法を使って良い理由とはならない。本国の管理機構ギルドの推薦を受け、他国の魔導士資格の発給を受けなければ、国外での魔法の使用ができない規則ルールだ。

 そのせいで、シドも魔導士資格の発行の時にはずいぶん苦労させられた。ファクシミリと国際郵便エアメールを駆使し、八時間の時差がある本国の関係省庁と幾度となく連絡を取り合った末、日本ジパングとイスパニア、二国の魔導士資格を保有するに至っている。


「そのあたりは、うちのお嬢様の傷口が塞がったら確認だな」


 話が一旦途切れ、大儀そうにシドが体を伸ばしたのをみて、ローズマリーが立ち上がる。


「先生もお疲れのようですから、お茶を淹れてきますね」

「ここは病院だぜ?」


 ローズマリーはエプロンドレスのポケットから取り出したティーバッグを振って見せる。


「いつもとは違って略式ですけど、ご容赦くださいね?」

「……うん、じゃ、よろしく頼むぜ」


 実に準備の良いことで、と軽やかな足取りのローズマリーを見送るシドは、両頬をピシャリと叩いて気合を入れ直す。

 いつ呼び出されるかわからない以上、エマへの質問と契約の落としどころの準備を早急に整えておかねばならない。シドはサイドテーブルに手帳を広げ、万年筆を走らせはじめた。

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