7.28 互いに同意するなら文句はねーだろ

 ――勝負あり。


 ここが潮時と判断したシドは、カレンとエマの間に割って入る。

 撒き散らされたおびただしい血を目にして臓腑ぞうふが冷える思いのシドだが、極力冷静にあたりを観察し、現状把握に務める。

 

 エマの腕が飛んだ途端に前へ飛び出したアリーだったが、直後に前に立ちはだかる影を認めて足を止めている。彼女の足止めに動いたのは、黒猫を肩に載せたままのローズマリーだ。

 もともと色白の少女だが、その顔色は輪をかけて青白い。彼女自身が関わった荒事で怪我人が出たのは初めてではないし、自身も戦傷いくさきずを負った経験はある。だが、ここまでの惨事は初めて眼にするはずで、血の気が引くのも無理はないだろう。黒猫の助けを借りてどうにか、彼女は両の足でしっかり大地を踏みしめ、アリーを一歩も通さんと睨みつけている。

 一方、カレン虎徹はシドの背後で殺気を体中から立ち上らせ続けたままだ。その密度たるや、小動物なら手も触れずに仕留められそうである。

 見るからに高級品とわかる小袖にぱっと咲くのは返り血の華。左の肩口には傷を追っているようだが、特別意に介す様子はない。

 彼女の剣先はピタリとエマに向けられており、下手な動きを見せたら容赦なく斬る、という彼女の意思を体現している。


 そして、シドの正面。

 右手を失ってなお、エマは闘志を燃やし続けている。

 本来なら戦意を喪失してもおかしくない傷にもかかわらず、彼女をそこまで突き動かすのが一体何か、シドには今ひとつ見当が付けられない。為政者としてハンディアの秘密を守る、という単純な動機では到底片付けられない事情があるのかもしれないが、それを詮索するのは後でいい。これ以上事態が長引いてエマに万が一のことが起こったほうが大問題だ。

 早急に事態の収集を付けたいシドだったが、彼の思惑とは裏腹に、背後の淑女が幼女を煽り立てる。


「最後の最後で攻めに転じるたぁ、欲を出したな、チビ助。

 俺を仕留めようとして、動き始めた早々を狙い撃とうとしたんだろうが、あいにく、それがテメェの運の尽きだ」

「力押し一辺倒の攻撃バカかと思っていたが、小細工を弄するくらいの頭はあったか。貴様もなかなか味な真似をしてくれるじゃないか」


 エマがゆっくりと立ち上がる。

 右腕の傷口はすでに【氷結】で止血しているようだが、応急処置もいいところで、足取りに強さはない。


「大上段からの振り下ろし一辺倒だったのは、このときのための布石ですか、カレンさん……?」


 呟くようなローズマリーの問いかけを、カレン虎徹は手を振って遮る。


「まだ状況は終わってねーぜ、嬢ちゃん。話は帰ってからたっぷりしてやるよ」

「帰れれば、じゃがな……!」


 エマが構えた氷の円盾から突如として氷柱が伸びるが、シドの防壁がそれを阻む。


「もう命の取り合いをする気はねーよ、姫様。あんたは右腕を失ってる、もう決着は付いたってことでいいだろ? いい加減、こっちの話を聞いちゃくれねーかな?」

「秘密を悟られた以上、貴様らを生かして帰すわけにはいかん!」


 激情に任せたエマが続けざまに氷柱をぶつけてくるが、【防壁】の前では意味をなさない。


「おう、坊主。向こうは帰さねぇって言ってんだ、これ以上の問答に意味はあるかい?」

「なきゃこんな真似しねーよ。『虎徹』、いいからもうその刀を納めろ」

「チビ助がそのけったいな氷柱を引っ込めたら考えてやるよ」


 カレン虎徹の悪態には何も応えず、シドはパチンと指を鳴らした。


「なんだよ坊主、藪から棒に……!?」


 全て言い終わる前に、名刀・長曽祢虎徹ながそねこてつはカレンの手を離れて、地に落ちている。

 音もなく距離を詰め、カレンほどの名手の虚を突いてその手から獲物を叩き落とす。そんな芸当ができるのは、この場にただ一人しかいない。


「これでいいんですよね、先生?」

「正解だ。大役ご苦労さん、CC。

 俺は姫様の攻撃を防ぐので手一杯、カレンを【憑依】から引き戻すだけの余裕はない。カレンもまさか、君が虎徹を叩き落とすことまでは想定してないって踏んだんだけど、どうやら上手く行ったみたいだな」

「………全部、この子のおかげです」


 肩に載ったままのクロを優しく撫でるローズマリーだったが、その表情はどこか申し訳無さそうな顔だ。


「とにかく、間に合ってよかった。カレンさん、あなたを止めに来ました」

「……そう」


 疲れたようなため息とともに、どこか憑き物の落ちた幸薄い笑顔を浮かべ、カレンは静かにうなだれる。全てを斬り捨てんとする熱を帯びた眼差しは、もはや微塵みじんも感じられない。


「後は任せてよろしいんですわね、ムナカタ君?」

「当たり前だ。汚れ役を任せてすまねーな」

「私の剣の道は、血塗られた道ですもの。できることなんて、それくらいしかありませんわ」


 どこか自虐的に言い放ったカレンは膝からくずおれるが、間一髪ローズマリーに抱えられる。


「悪ぃ、CC。虎徹を拾ってちょっと下がっててくれ。

 ……さて、姫様。こっちは矛を引っ込めたわけだが、どう出る?」


 エマとアリーが特に何か仕掛けてくる様子がないので、シドはそのまま話し続ける。


「俺たちは『魔法使いもどき』事件の解決につながるヒントが欲しいだけでな。質問が不躾ぶしつけで、踏み込み過ぎたのは済まねーと思ってるが、このままあんたたちを信じて調査や情報収集を続けていいとも思えないくらいに、疑問がでかくなりすぎちまってたんだ。

 俺たちもガキの使いじゃねーから、さすがに手ぶらじゃ帰れない。一週間以上丸々出張に出向いた挙げ句に、何の成果も挙げられませんでしたとは絶対に言えない立場だ。でもな、ここで見聞きしたこと全てを報告する義務も義理もない。あんたやハンディアが、国をひっくり返すような重要な事実を隠してたって、見なかったことにできる。

 だから、本当のことを、教えてくれ」


 そう言って【防壁】を降ろし、頭を下げたシドを目の当たりにしたエマは、さすがに氷柱こそ引っ込めたが、不信の色を隠す様子はない。


「貴様が嘘をつかないという保証は、どこにある?」

「まあ、気持ちはわかるぜ、姫様。

 俺もお客様の信用第一で商売をやってるつもりではいるけど、今日はさすがにやり過ぎたな」


 防壁を下ろしたまま、シドは一歩、エマのもとに歩み寄る。


「そんなら、ちゃんと覚書でも交わすことにするか。

 俺たちにがしていいこととまずいことの線をきっちり引いて、互いに同意するなら文句はねーだろ? 俺たちがもし約束を破ったときには、首を撥ねるなり串刺しにするなり釜茹でにするなり、好きにすればいいさ」

「……文字通り、命を賭ける、か」


 シドの一存で勝手に命を賭けられてはたまらないが、カレンが人事不省に陥っている以上、彼にどうにかこの場を切り抜けてもらうしかない。カレンを支えているローズマリー、その足元に降りたクロが、揃って神妙な顔をする。


「……よかろう、貴様の提案、飲んでやる」

「度量の大きい姫様で助かるぜ」

「心にもないことを、よくもいけしゃあしゃあと言いおるの」


 苦虫を噛み潰したような顔になるエマだが、傷が痛むのか、その表情は長くは続かない。


「とはいえ、今の我輩はどこぞのお転婆娘のせいで、長話に耐えられる体ではない。少々、体の回復に時間をもらうぞ」

「ああ。ついでにそのじゃじゃ馬の肩の傷を診てもらえると助かるな」

「この後に及んで世迷い言を言いますか、狼藉者……!」

「よさんか、アリ―」


 恩に着るぜ、と手を合わせたシドに食ってかかろうとしたアリ―だが、エマの一言で手術刀メスを引っ込める。


「ここは医療都市じゃ。然るべき物を払えば、きちんと治療はしてやる」

「ついでと言っちゃなんだが、領収書を出しておくれよ」

「姫様、本気ですか? 仇なす者を、そのまま追い返すことにもなりかねませんよ?」

「……それは我輩が決めることじゃ。文句は言わせんぞ」


 アリーにとって、エマの言葉は絶対だ。渋々ながらも一歩引き下がる。


「しばし休戦じゃ。それでいいな、坊主?」

「ああ、構わない」

「しばらくここハンディアに滞在するといい。何日かは監視付きの生活じゃが、悪く思うなよ」

「欲しい情報さえ手に入りゃ、多少の不便は我慢するさ」


 不満と不安が入り混じった顔のローズマリーに対しては、後でちゃんと説明と申し開きをしなきゃならないが、とにかくここは場を丸く収めるのが先決だ。


「いろいろ世話になるぜ、姫様」


 エマは薄く笑みを浮かべるだけで、何も言わない。

 答えないのか、答えられる状態でないなのかは定かではない。アリーに支えられて先を歩くエマの背中は、幼女であるという事実を差し引いてもなお、小さく見えた。

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