第7章
7.1 ずいぶんもったいつけてくれるじゃないか
「魔法使いもどき」の手がかりを探しに行く。
カレンの帰国から一週間も経たないうちに、シド一行は少し長めの国内出張に出向くことになった。イスパニア北部、
いささか
念の為断っておくと、別にシドの楽しみのために車を借りたわけではなく、ちゃんとした理由がある。万屋ムナカタのいつもの面々――大の男に少女に猫一匹だけなら、揃いも揃って荷物が少ないこともあり、チンクエチェント一台でもどうにか間に合う。乗り心地とパワー不足にさえ目をつぶれば、それなりに遠くまで行けるのだ。
だが、そこにカレンが加わると、状況は一転する。
大人二人、年頃の少女一人、猫を乗せるだけなら、まだなんとかなる。だが、カレンの大荷物を積もうとすると
カレンが和装を好むことなんて百も承知だし、そもそも女性は荷物が多くなりがちと、シドも頭では理解している。それにしたって多すぎやしないかとは思うのだが、もう出発の朝なのでどうしようもない。ちょっといい車を借りておいて正解だった、と自分を無理やり納得させるシドである。
出発前の
「おう、決着はついたか?」
エンジンに火を入れ、シートの位置やらミラーの角度やらを確かめていたシドが二人に話しかける。チンクエチェントに並々ならぬ愛情を注ぐ彼でも、新しい車に乗れるとなると表情がやや緩みがちだ。
そんな彼とは対称的に、コイントスに挑む淑女と少女の表情は真剣そのもの。勝負の末に助手席の所有権を得たのはローズマリーのようで、ちょっとだけ得意げにクルマに乗り込んだ。
一方、予想を外したカレンはため息混じりに後部座席に滑り込む。「次は負けませんわ」と意気込んでいるが、シドにしてみれば座る位置ひとつでそこまで真剣になる理由がよくわからない。
実務上の話をするなら、ローズマリーが助手席にいてくれたほうが安心だ。カレンはそちら方面の才能を前世に置いてきてしまったとしか思えないほど地図を読むのが苦手で、
いつもよりちょっと長めの旅路に、一人多い面子。女三人(そのうち一匹は猫だが)寄ればかしましい、とはよく言ったものである。車中もいつもよりは賑やかで、
いつものチンクエチェントは元気な子犬のような、ともすれば落ち着きのない振る舞いをするのに対し、今日の公用車は威厳すら感じさせる大型犬さながらに、静かにそして力強く街を行く。
ドアの閉まり方一つにしても品があるように感じるし、遮音もしっかりしているからエンジン音や風切り音が会話の邪魔をしない。サスペンションは柔らかく路面の凹凸をいなすが、コーナーを抜ける時は腰の座った安定感を
そんな車中にあって、クロは一人だけ苦悶の表情を浮かべている。
乗り心地は圧倒的にチンクエチェントよりも良いはずなのだが、いつものようにローズマリーの膝の上で丸くなり、
「もうダメだぁ、オシマイだぁ」
などと世迷い言をつぶやいてはなだめられる、その繰り返し。カレンもその様子を眼を丸くしてしげしげと眺めている。
「猫も車酔いするんですのね……」
「そうか、カレンはこいつと一緒に車に乗ったことねーのか」
「そもそもあなたの運転でどこかに行くというのが初めてですわ」
だから隣がよかったのに、という淑女のわがままは、少しだけ空けた窓から吹き込む風に飛ばされて消えていった。
「で、カレン。結局どこへ向かえばいいんだよ?」
「あら、言ってなかったかしら?」
「
それは失礼、と答えるカレンだが、いつもどおりの微笑み混じりの返事なので、あまり反省しているようには見えない。
「今回の私達の目的は、ハンディアという小都市です」
カレンの言葉を受け、
「ハンディア……ハンディア……ハンディア?
ド・ゴールの国境沿いですよね? 見落としてるのかしら」
「ああ、見つからなくても仕方ありませんわ。その街、地図には載ってませんもの」
こともなげに言い放たれたとんでもない言葉を聞いて、真っ先に顔色を変えたのはシドである。万屋ムナカタの大元締めとしてカレンから捜査協力を受け、今こうしてハンドルを握っているのだから、無理もない話だ。
「カレン、あんた、俺達のことをおちょくってんのか? こっちは仕事で来てんだぞ、ガキの使いじゃねーんだ」
「そんなつもりは
まあまあ落ち着いて、とばかりにシドをなだめたカレンは、上品に咳払いをすると、居住まいを正して話し始める。
「あなた方をからかうつもりなんて毛頭ありませんわ。ハンディアが地図にない街、というのは紛れもない事実です」
「何かしらの意図があって隠されている、ということですか?」
「そういうことです」
さすがですわCCさん、と素直な称賛を口にしたカレンの笑みがわずかに薄くなる。付き合いの長いシドだからわかる、彼女が真面目な話を始める予兆だ。
「どのような経緯で
「ずいぶんもったいつけてくれるじゃないか、お嬢様」
苛立たしげなクロだが、車酔いも相まってか文句には今ひとつ勢いが足りない。
「頼むから、ボクの意識があるうちに結論を話しておくれよ。そこには一体何があるんだい? マッドサイエンティストが支配する秘密の研究所? それとも、凶悪犯を収容する陸の孤島かい?」
「医療機関――要は病院ですわ」
切羽詰まった様子のクロに投げ返された答えは、万屋ムナカタ一同の予想から大きく外れるものだった。師匠も弟子も飼い猫も、示し合わせたように一斉に首を傾げる。
「どうも腑に落ちねーな。そんなところに病院なんておっ建てて、一体誰が使うんだよ?」
「それは愚問というものですわ、ムナカタ君。需要があるからこそ存在し、必要があるからこそ
ふとバックミラーを見たら、得意げな顔をしているカレンと目があってしまい、シドは思わず苦い顔になる。
「秘密を守りたい人たちが使う、ということですか?」
「その調子ですわ、CCさん。
プライベートを守りたい人たちが足を運ぶ、というのがもっぱらの評判です。マスコミが目を光らせる都市部を避けて、あえて辺境の街に行き、そこで治療を受ける者がいるそうですわ」
「そんなことするのは上流階級の連中か、雲隠れしたい政治家か、後ろ暗いところのある芸能人くらいのもんじゃねーのか」
「ムナカタ君もだんだん温まってきたようですね。美容整形、
「俺には理解できねーな」
「まったくです」
「ま、好きでやってることなんだったら、ボクらが口を挟むことでもないしね」
男ゆえに美容に感心のないシド、まだ年若いゆえにアンチエイジングに縁のないローズマリー、そもそも猫のクロ。
理由はバラバラだが、万屋ムナカタの面々はそろって興味のなさそうな顔をする。
「ですが、私たちが調査するのは美容の秘訣ではなく、『魔法使いもどき』の実現可能性。
柔らかい口調ながらきっぱりと言い放つことで、カレンは一同に今回の旅の目的を再確認させた。
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