6.5 強敵に出会ってしまったね

 ローズマリーはベッドに座り、壁時計をちらりと見上げた。

 夕食を終え、シドとひとしきり議論をして、こうして部屋に引き揚げてきたのだ。いつもならばすでに夢の中のはずなのだが、まんじりともせずに壁とにらめっこしている。


「CC、もう寝たかい?」

「クロちゃん? こっちにいらっしゃいな」


 ドアの角に設けられた小さな出入り口を通って、黒猫がやってくる。

 こうして暗い部屋にいると、文字通り闇に溶けて姿かたちがよくわからない。金色の瞳だけが爛々と光るさまは、慣れないと少々不気味だ。


「寝ていないならちょうどいい。シド君のお許しもでたんだ、ガールズトークと洒落こもうじゃないか?」

「クロちゃん、私、聞きたいことが山ほどあるんだけど」


 ローズマリーが前のめりににじり寄ってくるので、クロもなだめるのに一苦労だ。


「しゃべっていいお許しは出てるけど、言えることには限りがあるからね、そこは覚えておいてほしい。いいね。

 あと、あの名前では、あんまり呼んでほしくはないかな」

「あの名前?」

「『長く生きすぎた猫ナインライブス』」


 猫らしくない表情の曇り方を見て察するところがあったのか、ローズマリーは目一杯首を縦に振って頷く。シドの前では見せない、年齢相応の振る舞いをみて、師匠も弟子も素直じゃないなぁと鼻を鳴らすクロである。


「シド先生とカレンさんって、養成機関アカデミー時代の同期って言ってたよね?」

「うん。結構長い付き合いだね」

「本当にそれだけかな、って思って」


 クロの嗅覚が面白そうな気配を捉える。それは理屈や理論ではない、完全な直感だ。

 本能に従った黒猫は、上手いこと少女に続きを話すよう促す。


「ただの同期だったにしては、シド先生がよそよそしすぎる気がしたんだよね……。あの様子だと、過去になにかあったとしか思えない」

「では、君はどう考えるんだい、ホームズ君?」

「あれは……たぶん、色恋沙汰で何かあったんじゃないかと」

「その根拠は?」

「カンです」


 目一杯胸を張って出してくる回答がそれかい、とクロはなで肩をさらに落とす。


「シド君に昔、何があったか、気になるのかい?」

「ちょっと前に聞いたことはあるんだけど、はぐらかされちゃって」


 ちょっと前が万屋ムナカタに来てからなのか、それとももっと前――エプサノにいたときのことなのかははっきりしないし、クロにとってはどちらでもいいことだ。


「まあ、人には誰にも、なるべくなら触れられたくない過去があるからねぇ」

「でも、気になります。クロちゃんは知ってるんでしょう?」

「それをボクの口から言ったらフェアじゃないだろ、お嬢さん?」


 それはそうだけど、とむくれるローズマリーを、クロは言葉巧みになだめすかす。


「過去を自分の中で消化しきるのに時間がかかる男もいるのさ。その時がくれば、シド君もきっと話してくれるって」

「そうかな……?」

「待てる女と荷物を小さくまとめられる女こそ、できる女だ。お姉さんが保証するよ」


 傍から聞いたら適当で、怪しさ満載の文言だが、ローズマリーは少々心配になるくらいに素直に頷いている。


「あのお嬢様の腕前はどうだった?」

「………すごい強い人、だと思う」

「へえ? ボクから見たら、意外といい勝負に見えたけど?」

「逆だよ。私はたぶん、カレンさんの手のひらで踊らされてた」


 結果だけ見れば、ローズマリーは一発もカレンに決定打を与えられなかった。でもその代わりに、攻撃をもらうこともなかった。

 シドよりも優しくはないクロは意地悪くカマをかけてみたが、ローズマリーはそんなものに引っかかることなく、静かに首を振るばかりだ。


「こっちも手は抜かなかったけど、【加速】にはきっちり対応してきてたし、フェイントにも動じる気配がなかった。隙らしい隙は正直見当たらなかったし、打ち込みも全部はね返されてるしね」


 とりあえず慢心なんてことはなさそうだぜ、シド君――。


 クロから見た限り、ローズマリーは客観的に自分の実力を判断できているようだ。

 少女の言葉に嘘はない。

 木刀一本をぶら下げたカレンが漂わせる雰囲気は、会議室で話していた淑女とはまるで別人。お嬢様言葉は鳴りを潜め、所作からも上品さが消えた、人が変わったとしか形容しようがない変貌ぶりに、ローズマリーは大いに惑わされた。


「お嬢様の剣は大振りにも程があったように見えたけどねぇ。いつものCCなら、間違いなく飛び込んで一発喰わせられる程度のやつだぜ、あれは」


 カレンが振るう木刀、その剣閃は粗暴そのもの。

 ローズマリーほどではないにしても、十人が十人華奢と認めるであろう体躯のカレンだが、その細腕から繰り出される一撃は当たれば大怪我、打ち所が悪ければそれ以上の被害は必至だ。

 だが、【加速】したローズマリーを捉えられるほど鋭い振りでもないし、打ち込んだあとも隙だらけ。いつもの少女なら勝利を確信し、さらに一歩加速して踏み込んでいたはずのところだが、今日に限って踏みとどまったのはなぜか?


「あれは引っ掛けだと思う。本命はたぶん、あの見えない一発」


 ローズマリーが言っているのは、カレンの繰り出した最後の一撃だ。

 切り上げた剣閃をギリギリで避けたローズマリーが、ギアを一つ上げて踏み込もうとした瞬間には、袈裟がけに振り下ろされた剣閃がすでに彼女の肩口に迫っていたのだ。避ける間もないどころか、目で追うことすらできなかった。シドが割って入らなければ、ローズマリーはおそらく肩を砕かれ、再起不能になっていただろう。


「あれはまだカレンさんの本気じゃない、ってシド先生は言ってた。どれだけ強いの、って話よね」


 会議室で演習がどうのこうのという話になり、ウルスラがご立腹だったあの頃にはもう、シドがこっそり魔力の圧縮を始めていたのを、クロはちゃんと知っている。彼の【防壁】は強力だが、強固なものにするには相応の時間が必要なのだ。

 ローズマリーはカレンの分析に必死で気づいていなかったようだが、それはシドがカレンの動きを、魔法を、そして剣の軌道を熟知していることにほかならない。

 つまり、には深い仲だったということだが、クロはあえて黙っている。少女の分析を邪魔したくない親心半分、シドの行動の意味に彼女が気づいたらどういう反応をするかが楽しみ、という意地の悪い興味半分だ。


「強敵に出会ってしまったね」

「まったくです」

 

 ふう、と大きなため息をついたローズマリーは、クロに優しく微笑みかける。強敵という単語にクロが密かに込めた意味にはどうやら気づいていないらしい。

 気づけば気づいたで、そうでなかったとしても楽しめる。シドを中心としたローズマリーとカレンの関係については、クロは適度に扇動し、かつ傍観者となることを決め込んでいた。


「それにしても、まさかクロちゃんがしゃべるなんて」

「驚いたかい?」

「そりゃもう。でも助かったよ。クロちゃんがいてくれなかったら、私、あの時失敗してたと思う」


 逃走犯の事件のことを言っているのだろう。クロが咄嗟に声を発しなければ、犯人を取り逃すどころか、銃で撃たれて命に関わる怪我を負っていたかもしれない。


「クールビューティな見かけによらず、こうと決めたら熱くなって一直線なところがあるからね、キミは。熱くなるなとは言わないけど、心のどこかに余裕は残しておくよう、精進するんだね」

「努力します……。あと、ビューティはやめて……」


 目に見えてしゅんとするローズマリー。何のことかは、本人が一番良くわかっているようだ。


「まあ、今まで黙ってたことは、ボクからも改めて謝っておくよ。シドくんの言う通りで、手の内を不用意にさらすわけには行かないからね。そのお詫びと言っては筋違いかもしれないけど、時々はこうして二人で、内緒のお喋りといこうじゃないか」


 ローズマリーは少々苦い顔をする。

 クロがころ、結構な秘密を彼女の前で暴露してしまっているのだ。たぶんそのことが気にかかっているのだろう。

 クロは行儀よく座り直すと、右前足を差し出した。


「どうしたの、クロちゃん?」

「拳を出すんだ、CC」


 言われるがままに差し出されたローズマリーの右拳を、クロは右前足で軽く叩く。


「互いの秘密を守る、乙女の誓いだよ、CC」

「どこまで信用していいのかしら?」


 そう言って困ったように笑うローズマリー。黒猫を信用したいのも山々だが、シドの使い魔で気分屋ときているから、ちょっと心配なのだろう。


「でもありがとう、少し気が晴れたかな」

「そいつは良かった。これからもシド君に言えない心配事があったら、ボクに言ってくれればいい。猫だから回答の品質に保証はできないけどね」

「聞いてくれるだけでも、十分です」


 その言葉を聞いたクロは、音もなくベッドから飛び降りる。


「今夜はもう、お話に付き合ってはくれないのかな?」

「過度の夜更かしはレディの肌に良くないぜ?」

「クロちゃん、シド先生みたいなこと言うんだね」


 そりゃそうだよ、と振り返ったクロは、


「ボクは彼の使い魔だからね」


 その一言を残し、暗闇に吸い込まれるように姿を消した。

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