4.3 ずるい大人

「いい仕事があるんだけど、受けてみないかい?」

「受けるかどうかは話を聞いてからだ」

 

 シドはしかめっ面、ローズマリーはいつもの涼しげな表情のまま、新たに机上に広げられた資料に目を通す。


「護衛任務、ですか」

「依頼人はアルベルト・フォン・パサート公爵、新婦の父親だ。三女のルルーナ嬢が婚約するってんでパーティを開くそうなんだが、その警護を頼まれてな」

「パサート公爵って、中央議会の?」

「よく言えば平和主義、悪く言えば日和見ひよりみで有名な政治家ですね」


 クールな眼差しに似合わない毒を吐く少女の隣で、シドは余計なことをいってくれるなよとヒヤヒヤしっぱなしだ。

 万屋ムナカタではメイドまがいの仕事をしている彼女も、基を正せば内務大臣の娘、良家の子女である。ここにはしかいないとはいえ、出自のバレそうな言動は日頃から慎んで欲しいものだ。


「パサート家は名の通った旧家だが、実情は半分没落したようなものでね。政略結婚をくりかえして貴族としての面目を保ってるような状態だそうだ。長女は隣国ド・ゴールの伯爵家に、次女は航空会社の社長子息のところに、それぞれ嫁いでる」


 今度は三女の番、というわけである。

 彼女の結婚相手はロベルト・ダスターという子爵。シドやローズマリーも、その名前を耳にしたことがある。ただし貴族ではなく、実業家として、だ。


「流通業でずいぶん儲けたとは聞くけど、いつ貴族になったんだ?」

「二年前だよ。口さがない人々からは、爵位を金で買ったなんて言われてる」


 儲けている者をやっかんで噛み付く輩が現れる、というのはいつの時代でも、そして洋の東西を問わず変わらないようだ。


「支払われるもんさえ支払われるなら、こっちは何も文句はない。警察アンタら斡旋あっせんなら少なくとも身元は確かなわけだしな。

 でもアンディ、一議員の娘の結婚に、警察がわざわざ護衛任務を引き受けるってのはどういう了見だ?」

「御説ごもっともだが、そうは行かない事情ができちゃってね……」


 憂鬱そうな顔で、アンディはタバコに火をつけた。

 ここに来てはじめての喫煙に、少女と黒猫が同時に嫌そうな顔をする。当の愛煙家アンディは、そんな一人と一匹の振る舞いには気づく様子もなく、便箋をテーブルに並べた。整然とタイプされた文章は簡潔かつ、極めて物騒だ。


「脅迫状、ですね」

「上層部から直々にねじ込まれちまったら、一介の中間管理職には断れなくてね。おまけにたくさん人数をかけられないときた。だからセンセイのところに依頼に来たのさ」


 ふむ、と短く頷くと、シドは手帳を広げて考えを巡らせる。


「脅迫状はルルーナ嬢をご指名だが、彼女が狙われる理由はあんのか?」

「あるといえばあるし、ないといえばない」

「どっちだよ?」


 アンディのもったいぶった言い回しに、シドは肩透かしを食う。


「当人に狙われる理由はないけど、周囲の方々はそうでもない、狙うなら相手の弱点を……ということですか?」

「そういうこと。察しが良くて助かるよ、CC」


 恐れ入ります、と小さく答えたローズマリーは、いつもの澄まし顔でコーヒーのおかわりを注ぐ。

 一方、俺の理解力がないのか質問の仕方が悪いのかと、シドは少々肩を落として話を続ける。


「確かに、パサート卿かダスター卿なら、ナンボでも恨みを買いそうだしな」

「古狸の政治家に、新進気鋭の実業家だ。二人とも心当たりがありすぎてわからないってさ。上流階級の人たちの考えることはわからんね」


 困り顔のアンディに、シドは更に質問をぶつけてゆく。


「警察と俺達以外で婚約披露パーティの存在を知ってるのはどれくらいいる?」

「およそ六〇名の出席者だけだ」


 そんなにいるのかよ、とシドはげんなりする。

 政治家の娘と実業家の婚約披露にしては少ないかもしれないが、護衛任務を引き受ける側としては邪魔以外の何物でもない。カカシのほうがおとなしくしているぶんまだ役に立つ。


「出席予定者の中に魔導士は何人だ?」

「魔導士管理機構ギルドに問い合わせ中。とはいっても、この前の立てこもり犯の例もあるからな。無免許モグリが紛れ込まないとも限らない。センセイたちをパーティにご招待したいのは、そういう奴らが紛れ込んでいたときの保険、って意味合いもあるんだ。普通の犯罪者なら警察僕らでも対応できるけど、魔法使いが相手だとそうも行かないからね」

「いい加減警察でも魔法使い対策を進めちゃくれねーか?」


 渋面を崩さずにボヤくシドに、アンディは苦笑いを返すばかりだ。


「常々申し上げてはいるんだけど、上層部の連中が聞き入れてくれなくてね。まあ、ようやく今年から魔導士の配属が始まったから、ぼちぼち風向きも変わってくるんじゃないかな?」


 その新人を入庁早々に出向させといて何を言ってやがる、と毒づきたくなるシドだったが、いろいろな条件を勘案して引き受けたのは彼自身というのもまた事実。それを言ってしまったら、話は泥沼化するだけなので黙っておく。


「でもセンセイ、あんまり警察の方で対策を進めちゃうと、センセイの取り分は自然と減ってくんだが、それはいいのかい?」

「それは困るけど、どう頑張っても体は一つしかないからなぁ。重大事件が立て続けに起こっちまったら、さすがに対応できないぜ?」

「事件発生のペースはどうにもならないけど、センセイ自身のペース配分は、どうにか頑張っていただきたいものだね」


 心配しているのかどうかよくわからない言葉を残すと、アンディはタバコをもみ消し、書類を小脇に抱えて席を立つ。ローズマリーは抜け目なく、客間の扉を開けた。


「やっとおかえりか、警部殿」

「さすがにそろそろ戻らないとどやされるからね。

 じゃ、センセイ。護衛任務の件、考えておいてくれよ」


 ん、とやる気のない返事をしたシドは、ソファに深々と座り込んで手帳とにらめっこしたまま動く気配がない。仕方がないので、ローズマリーがクロと一緒にアンディを見送った。


「まったくもう」


 客間に戻るやいなや、少女は小言をつきながら窓という窓を開けて回った。爽やかな外の空気が、淀んだ空気を押し流す。


「そんなに気になるか、あいつのタバコ」

「臭いはつくし、健康にもよろしくないです。警部がいらっしゃる間、これ見よがしに窓を開けなかったことを褒めていただきたいものですね」


 クロもそれに同意するように声を上げるものだから始末に負えない。ローズマリーが来てからこっち、万屋ムナカタにおける男性陣の肩身はどんどん狭くなりつつある。

 ひとしきり空気の入れ替えに奔走したローズマリーは、台所からコーヒーのおかわりを持ってきて、シドと自分のカップに注ぐ。クロは少女の傍らにいるが、珍しく行儀よく座ったままだ。


「タバコは趣味嗜好しこうの問題だからしょうがないとしても、CC。あんまり身元が割れるような物言いは控えることだな」


 何のことかわかっていない様子のローズマリーに、シドは諭すように説明してやる。


「些細な一言で、君の素性を見抜かれる可能性がある。今回は相手がアンディだから良かったけど、君に善意を持って接する相手ばかりじゃねーからな。発言には慎重になることだ」


 それでもピンときていない様子のローズマリーだったが、パサート公爵の話だよ、といわれてようやく思い当たったようだ。


「あんなにズバッと切り込んじまったら、良家の子女でござい、って言ってるようなもんじゃねーか」

「確かにそうですね……」

「おまけに最近爵位をとったダスター卿にはほとんど触れないとなれば、古くから続く家のことは知ってるけど、新興の成り上がりにはさほど感心のない、相当の上流階級のお嬢さんだって、相手が疑う可能性もある。お気に入りのメイド服で身分を隠す作戦も台無しだ」


 シドの言葉を大人しく聞いていたローズマリーは、迂闊うかつでした、とうつむく。

 最も、彼はそのことについて叱責するつもりはない。むしろ早い段階で気づけてよかったとさえ思っている。


「こういう仕事をしてると、人から情報を聞き出すのに心理戦を仕掛ける機会も少なくない。そこでポロッとこっちの素性を明かすような真似は、極力避けるのが原則だ」

「覚えておきます。先生はそう言うときに何を心掛けていらっしゃるのですか?」


 さて、とシドは我が身を振り返る。

 彼はもともと口下手なので、誰とでも楽しくおしゃべりというわけには行かないから、失言も少ない代わりに情報を聞き出すのも得意ではない。うっかりストレートな物言いをしすぎて失敗したことすらある。


「聞き上手になれれば理想的なんだろうな。ある程度本質的な質問に的を絞って、『こいつはわかってる』って思わせとく。で、相手が思わず話したくなるように仕向ける。そうしたほうが、下手な世間話よりも心を開いてくれるような気がする」


 シドの数少ない成功体験から絞り出した答えを、少女は丁寧に手帳にメモしている。


「相手が話し好きだったり、こっちを下に見ているようだったら、敢えてこっちをアホと思わせておくのもいいかもな。そうすりゃ向こうからべらべら話をしてくれるんだが……」


 そこまで説明したシドだが、少女が向ける疑いの目が気になる。


「まあ、君は俺のことを本当のアホかと思ってるかもしれないが、演技してるときもあるんだぜ?」

「そんなこと思ってませんよ」


 口ではそう言っているローズマリーだが、眼差しには本音がだだ漏れている。シド自身も普段の生活がだらしない自覚はあるので、初っ端から説得は諦めている。


「護衛任務のお話は、いかがなさるおつもりです?」

「受けるさ」


 なんやかんや理屈をつけてごねるとでも思っていたのか、彼の即答にローズマリーは拍子抜けしたような顔をする。


「何だよ、そんなに意外か?」

「ええ。アンディ警部への返事を先延ばしにしたので、もう少し時間をかけて決断なさるものかと」

「決断も何も、君を鍛えなきゃいけないんだから、受ける以外の選択肢なんて初めからないだろ?

 それに、受けるにしろ断るにしろ、一回は本音を隠して、渋い顔をしておくことにしてるんだよ。どんな依頼にも考えなく飛びつくヤツって思われるのも癪だし」

「いろいろ考えてらっしゃるんですねぇ……」


 しばらく感心していた様子のローズマリーだったが、不意に小さい笑みを浮かべてシドに問いかけた。


「では先生、私に対する言葉は本音ですか? それとも建前ですか?」


 意図しているのかどうか知らないが、心の奥底を照らすような深みたっぷりの質問に、シドは一瞬身構える。

 彼の脳裏に蘇るのは、「子供と思って侮ってはいけない、女は何歳いくつであっても女だよ」という、どこかで聞いたきのする文言もんごんだ。眼の前の少女ローズマリーは魔導士としては未熟だけど、大人シドが思っているほど精神的に子供でもない。


「さあ、どっちかな。極力本音を話すようにはしてるけど、必要なときには演技もするさ」

「ずるい大人ひと


 シドに額を小突かれ、ローズマリーは少しむくれる。その表情は年相応で、先程のように意地の悪い質問をするようにはとても見えない。


「アンディの依頼は受ける。君もずいぶん実戦に飢えた顔をしてるからな」


 そんな事ないと思いますけど、とローズマリーは頬に手を当てる。そうしているぶんには可愛いのだから、わざわざ自分から荒事に身を投じる必要なんて本当はないのに、とシドは内心で嘆いた。


「警備任務は労力の割に実入りがいいからな。退屈を飼い慣らせれば、これほどありがたい仕事はない」

「先生のお言葉は時に詩的ですが、考えはどこまでも現実的ですね」

現実主義者リアリストじゃなきゃこの商売はやってられねーよ。ただ――」


 黙り込んだシドを見て不安になったか、ローズマリーの眼差しが僅かに翳る。その視線から逃げるように立ち上がったシドは、窓辺に佇んで呟いた。


「実入りがいいのは、何もトラブルが起きなかったときだけ、なんだよな」

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