4.2 今サボるって言おうとしなかったか?

「帰ってくれ、アンディ」


 ただいまも言わずに開口一番、シドは迷惑そうな表情を隠すことなく吐き捨てた。


「冷たいなぁ、センセイ。そんな邪険に扱ってくれるなよ」

「あんたの『センセイ』って言葉には敬意が感じられねーよ」

「おかえりなさい、先生」

「だいたい、あんたがわざわざ出張って来たってことは面倒なヤマだろ? 勘弁してほしいぜ」

「おかえりなさい、先生?」


 二人の大人の間に割って入り、仁王立ちで有無を言わさぬ視線を向けるローズマリーに、さすがのシドも思わずたじろいでしまう。


「た、ただいま」


 わかればよろしい、と言いたげに台所に下がったローズマリーは、シドの愛用のマグカップを携えて戻ってくる。

 その様子をひとしきり見ていたアンディは笑いをこらえられない様子だ。


「……なんだよ」

「尻に敷かれっぷりが見事すぎてね。これが笑わずにいられるかって話だよ」


 ほっとけ、とむくれたシドがソファに腰掛けると、待ってましたとばかりにクロがその膝の上に飛び乗る。


「なんだよクロスケ、ちょっと向こうに行っててくれ。まだやることがあるんだから。なんでこういう時に限ってすり寄ってくるんだか」


 膝の上から無理やり降ろされ、抗議の声と共に爪を立てて抵抗するクロをなだめすかしたシドは、紙袋の中身をテーブルに広げてゆく。


「なんだそりゃ、僕への土産かい?」

「アポ無しでひょっこり顔を出す人間に買ってくる土産なんてねーよ」


 アンディがつまみ上げたのは、包帯やサラシにも似た数巻きの布。見慣れない奇っ怪な紋様が入っている。


「CC、これ、知ってるかい?」

「似たようなものなら、見たことがあります」


 ローズマリーが指したのはシドの両手。長袖のシャツに隠されているが、彼の両手には指先まで、似たような布がぴっちりと巻かれている。


「何のためにと伺ったことはありませんでしたが、包帯に似た布を巻いているのは知っていました」

「まあ、今時、こういうのを使う魔導士は多くないからな」


 シドは自室からローズマリーの因縁の「相手」――妙な模様が彫り込まれたトンファーを持ち出し、件の布帯を器用に巻きはじめた。アンディとCCが感心したように見つめてくるので若干やりづらいが、それで手元が狂うほど不慣れでもない。

 数分もせずに、二本のトンファーの把手には布帯が固く巻き付けられた。シドは軽く振ってその感触を確かめ、仕上げを確認する。


「まずはこんなもんかな。CC、ちょっと握ってみな」


 以前にさんざん魔力を吸い上げられたことを思い出したのか、少し躊躇した様子のローズマリーだが、思い切って把手を握った瞬間、顔色を変える。


「……あれ?」


 ローズマリーは小首をかしげながら、トンファーを握り直し、ひとしきり振ってみた。


「しばらくはそれで使ってみな」


 やれやれ、とコーヒーに手を伸ばしたシドを、ローズマリーが質問攻めにする。


「先生、一体何を? そもそもこの帯は何なんですか?」


 落ち着け落ち着け、と少女をなだめると、シドは落ち着いてコーヒーを楽しむいとまも与えられぬまま話し始めた。


「こいつを初めて使ったときのこと、覚えてるか?」

「先生の【防壁】を割って、その後急に体が重くなって……魔力切れで倒れてしまったはずです」


 そのことは未だにショックなのか、ローズマリーはうつむき加減に答える。


「結論から言っちまうと、そのトンファーは使用者の魔力を強制的に吸い上げて、【破砕】魔法に転換する仕掛けがしてある」

「じゃあ、シド先生の【防壁】を破れたのも、いつもなら考えられないくらい早いタイミングで魔力が尽きたのも、全部このトンファーを使っていたからですか?」

「そういうことだ。ただ、君は他の魔導士と違って魔力放出の経験に乏しいから、吸い上げられる魔力の量をうまく制御できなかった可能性がある」


 ローズマリーは手中の獲物をじっと見つめ、たっぷり考えた後に問いかけた。


「これを使っていくうちに、魔力放出も使えるようになる可能性もあるってことですか?」


 それはやってみなきゃわからねーけどな、と断ったうえで、シドはようやくコーヒーを口にし、一息つく。


「ぱっと見はどこぞの酔狂な彫刻家の前衛芸術だけど、実にシンプルかつ強力な魔導器だ。吸い上げた分の魔力を、ほとんど損失ロスなく【破砕】の魔法に変える、それ以外の機能はない。トンファーを素のままで握ってぼんやりしてたら、あれよあれよと魔力を吸い上げられてバタンキューだ。そこでこいつの出番というわけなんだが」


 カップを下ろしたシドは、代わりに一巻きの布帯を手に取る。


「こいつも魔導器の一つだ。古典的だけど、使い方によっては効果的なシロモノでね。CC、こいつを巻いたことで、なにか違いを感じるか?」

「吸い上げられる魔力の量が、下がってるように……感じます。前とは全く違う感触です」

「その布は【制御帯】って呼ばれていてね。魔力の流れを制限する働きを持つ」

「その巻き方にも意味があるのかい、センセイ?」


 魔法使いでもないのに、アンディは【制御帯】に興味津々だ。効果を実感できないのにローズマリーからトンファーを借りて感触を確かめたり、表面の文様をしげしげと眺めたりしている。


「鋭いな、アンディ。こいつを不器用なやつが巻くと魔力がダダ漏れのままになったり、逆にまったく流れなくなったりすることがある。コツさえ掴めばべつに難しくはないんだけどな。

 CCにどの巻き方が合うかは、しばらく使ってみないとわからない。訓練でいろいろ試してみるから、一番しっくり来た巻き方を教えてくれ。ゆくゆくは自分で巻けるように覚えてもらう」

「わかりました。よろしくお願いします」


 普段はやる気のない態度を見せることが多いシドだが、魔法が絡むときは実に真面目だ。その豹変ぶりが面白いのか、アンディの口から出てくるのはからかいの文句ばかりだ。


「まるで娘のクルマを整備する父親か、妹に頼まれて力仕事をする兄貴だな」

「ほっとけ」

「ご冗談でしょう、アンディ警部? こんな兄がいたら気苦労が絶えません」


 トラブル・メイカーの兄と、気苦労の耐えない妹が出てくる人情ドラマ――子供の時に祖母と見た映画を、シドはふと思い出してしまった。 


「………俺とCCの間柄をどう見るかは、この際どうでもいい。アンディ、要件は何だ? コーヒーを飲みに来たわけじゃないだろ?」


 よくぞ聞いてくれましたとばかりに、アンディは傍らの封筒から書類を取り出した。


「CCの出向以降、万屋ムナカタ君たちには二件、凶悪な無免許モグリの魔導士の逮捕に関わっていただいたわけなんだけど」

「なんか新展開でもあったか?」


 警察の依頼を受け、シドとローズマリーが逮捕に協力した二人の魔法使い。一人は銀行に立てこもった凶悪犯で、もう一人は演説中の議員を襲撃した逃走犯だ。いずれも警察が手を焼きそうだと判断し、シドにお鉢が回ってきた案件である。

 話がシリアスな方向に行きそうだ、と判断したシドは、膝の上に乗ってきた黒猫をそっと隣の席に下ろす。不満そうではあったが、諦めがついたのかのそのそと丸まり、りっぱな毛玉へと変貌を遂げた。


「結論から言う。二人とも、勾留中に死亡した」


 シドとローズマリーは揃って言葉を失い、毛玉はぴくりと耳を動かす。


「どういうことだ? 自殺か?」

「よくわからない。ただ、二人共、違法薬物の使用歴があってね。その副作用という可能性も捨てきれない。ただ、気になるのは死因ではなくて、もっと別の話だ」


 少し黙り込んだアンディの眼差しには、先程のようなふざけた雰囲気は感じられない。シドとローズマリーは揃って固唾をのむ。


「センセイ、あいつら本当に、魔法使いだったんだよね?」

「今さら何を言ってやがる、あんたも見てたはずじゃないか?」


 アンディの予想外の質問に、シドの口調はつい強くなる。


「片方は、拳銃一本で徹甲弾と炸裂弾を使い分けて見せた立てこもり犯。もう片方は、何の足がかりもないビルの外壁を登りきって屋上までたどり着いた野郎だぞ? そんな芸当ができるのは魔法使い以外に考えられねーよ」

「それを覆す物証が見つかったのですか?」


 少女の質問にも、警部は難しい顔を崩さない。彼がそんな表情を見せるのは、状況がよほど悪い時だけだ。


「魔導士あがりの医者が、犯人たちの司法解剖を担当したんだけどさ。そいつが言うんだよ。『あいつらが魔法を使うなんてありえない』って」


 アンディから手渡された資料に目を通していた二人は、ある一文を目の当たりにして目を見開いた。


「『魔導回路の存在を認めず』って、どういうことだよアンディ?」

「魔法使いじゃない僕に聞くなよ……」


 苦笑いと共にまっとうな反論をされ、シドは浮かしかけた腰を下ろす。


「『魔導回路がない、だからそいつらは魔法使いじゃない』って、担当医は言ってた。それは本当なのかい?」


 小さくうなずいたシドは、客間の隅から黒板を引っ張り出して説明してやる。


「魔導回路、東洋では経絡なんて言ったりもするな。

 たとえば、最初の立てこもり犯。アイツが【炸裂】魔法を使うに至るまでの手順は、大雑把に言えばこうだ」


 練成、循環、放出、変換。

 下手な字で書かれた魔法発動の四工程を、シドは順に矢印で繋ぐ。


「逃げ足の早いアイツとか、【加速】が得意なお嬢さん、あるいは身体強化系の魔法の場合は、こういうルートもありうる」


 放出をすっ飛ばして矢印で結ばれたのは、循環と変換の二工程。


「体内で魔力を作って、それを体に流して、何らかの現象を起こせば、それはもう魔法なわけだよ」

「ざっくりにも程がある説明だねぇ……」

「魔導回路は身体に魔力を通わせるパイプみたいなもの、『循環』というのは身体に魔力を通わせる工程とお考えいただければよろしいかと。

 つまるところ、体内で魔力を作っても、運ぶ手段がなければ魔法は使えないということなんです」


 ローズマリーの補足説明に、アンディはぽんと膝を打つ。期せずして弟子に説明を奪われた形になるシドだが、それは弟子がを理解している証。まとはずれなことを言ってるわけではないので、余計な口は挟まない。


「理屈はわかった。でも、司法解剖の主担当も副担当も魔導士資格持ちだよ? 見落とすなんてありえないと思うけどなぁ……。人工的に魔導回路を埋め込む方法はないのかい? ペースメーカーみたいに」

「それを見落とすような担当医は外れてもらったほうが警察のためだと思うぜ、アンディ」


 それもそうだよね、と資料をしまい込むと、アンディは芝居がかった身振りで天井を仰いだ。


「アンディは引き続き、捜査を進めてくれよ。なにか進展があったら教えてくれ。俺の方でもちょっと調べてみるけど」

「なんか心当たりがあるのかい?」

「ねーよ。だからあんまり期待すんな」


 そっけない返事に白い目を向けるアンディを意に介さず、シドは手帳にいろいろと書きつけている。


「で、それをいいに来ただけか?」

「そんなわけないじゃないか、センセイ。せっかく許可をとって外出してるんだ、もう少しサボ……もとい、お仕事の話をさせてもらうよ」

「今サボるって言おうとしなかったか?」


 細かいことは気にするな、とアンディは別の書類を差し出して笑みを浮かべる。相手に不安感しか与えない悪い笑顔に、シドは面倒事の予感をひしひしと感じとっていた。

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