魔導士はつらいよ〜万屋ムナカタ活動記録〜
白猫亭なぽり
序章
0.1 べらべらと、うるせぇ
「何という幸運、何という僥倖! 主の悲願はここに成就した!」
地獄の業火もかくやとばかりに煌々と燃える教会。
それを背に高らかに
「我らの崇高な目的の阻害者だけでなく、まさか『鉄壁』の魔導士を討ち取る機まで訪れようとは! 余計な手間が省けたというものよ」
人間のものととは思えない歪んだ声に、血の涙が描かれたピエロの仮面。
表情や感情は伺いしれないが、言葉の端々からその本心――歓喜を読み取ることはそう
「『鉄壁』は一足先に王都へ戻ったと聞いたが……。
だが一足遅かったな。おまけに返り討ちにあったのでは、その二つ名も泣くというものだ」
件の「鉄壁」の魔導士――シド・ムナカタは、壁に叩きつけられてうめき声をあげている。
全身に裂傷を負い、外国人部隊の証である紺を基調とした軍服は無残に破けて血に染まっていた。
その思考も、混乱を通り越してもはや空白状態。言葉はぼんやりとしか捉えられていないし、なにができるか、どうすべきかの判断もほとんどつかない状態にある。
シドと黒衣の魔導士、互いの魔法が干渉した途端、脳幹の一番繊細な部分を無遠慮に引っ張り出すかのような不協和音が頭に響き、シドだけが傷を追って吹っ飛ばされた。
今までに体験したことのない、体中を巡る血液と魔力が沸騰し炸裂するような錯覚。
全身が爆発四散とはならなかったが、たった一撃のやり取りでシドは全身に傷を負って倒れ伏すハメに陥った。
傷のひどくないところは見当たらないが、特にひどいのは左腕だ。出血もさることながら感覚がない。
魔導士にとって、利き腕を使えないのは魔法を失うこととほぼ同義だ。
そして、今のシドは丸腰。黒衣の魔導士に対して、何ら有効な反撃の手段を持ち合わせていないことになる。
もっとも、気を抜いたら意識を奈落の底まで持っていかれそうになる時点で、それ以前の問題ではあるのだが。
「もう少し早く来れたら村のみんなを助けられたのに、とでも思うてるのか?」
覆面から覗く昏い眼差しはシドの内心を鋭く抉る。
彼の脳裏に去来するのは、短い夏を共に過ごした人々の顔だ。
決して幸せとは言えない境遇にもめげず、明るく暮らしていた孤児院の子どもたち。
それを暖かく見守っていた教会の神父にシスター。
王都でのクーデターから一旦逃れ、孤児院の支援者として振る舞うことで身を潜めていた、クリーデンス内務大臣一家。
そして、シドと交代で内務大臣の護衛についた仲間たち。
それらの面影を打ち消すのは、黒衣の魔導士の耳障りな嘲笑だ。
「だが、要の『鉄壁』がこんな有様じゃ、最初からいてもいなくても同じだな。
どんなものからでも守ってみせる、というのが貴様の謳い文句だったな? 今回ばかりはうまく行かなかったようだが」
村は既に火の手に包まれており、家々の殆どは焼け落ちるか、崩れ落ちるかしており見る影もない。
守りたかった人々は、おそらく今も火の手を上げる教会の中にいるはず。きっともう、ここではないどこかへ、二度と帰らぬ旅に出てしまったのだろう。
シドが睨みつけても、黒衣の魔導士に動じている様子はない。それどころか、嬉々としてシドの気持ちを逆撫でし煽る始末だ。
傷の状況を見て、彼が反撃はおろか動くことも敵わないと踏んでいるのだろう。
「内務大臣は誰よりも深く魔導士を理解した、いわば共存派の筆頭だ。
そんな彼が頼みにしていた『鉄壁』の魔導士は、命より重い約束を果たせずにここで朽ち果てようとしているわけだが、当の本人はどの面を下げて、あの世にいる大臣に会う気かね?
さらに言ってやろう、内務大臣の娘まで、貴様は守れなかった」
その言葉に、ぴくり、とシドの肩が動く。
「知っているぞ。あの娘、ずいぶん貴様に懐いていたようではないか?
自分を慕ってくれる人間を失うというのはどんな気分かね? お察しするよ」
気難し屋、というのがクリーデンス内務大臣夫妻の娘の第一印象。
案の定、心を開くまではずいぶん苦労させられたし、時間もかかった。
ちょっとしたきっかけで話をするようになってからは、良家の子女らしい強気で自信たっぷりの勝ち気な態度に振り回されて、別の苦労を味わうことになった。
でも、本当は素直で心優しい娘だということを、シドはよく知っている。
「お父様とお母様を守ってあげたい」という理由でシドから魔法を教わり、こっそり二人きりで特訓をしていたあの日々が蘇ると同時に、シドの瞳に光が少しずつ戻ってゆく。
「結局、貴様は守ると決めた者を守れなかった上に、この村の人々まで巻き込んで犠牲にする始末だ」
心に力が戻れば、思考も少しずつ
テメェの悪事を棚に上げてずいぶんな物言いをしやがる、とシドは内心悪態をついた。
「守れなかったのはそれだけではない。貴様は己の魔法まで失った。三千世界に防げぬものなしと言われたあの【防壁】をな」
黒衣の魔導士の指先からほとばしる、眩い白光。
魔力が放つその光は神々しいが、それを帳消しにするくらいの禍々しさが黒衣から立ち上っている。
「我輩の行く道には、いつか貴様のような優れた魔導士が立ちふさがるものと思っていた。あの魔法は強敵と相見えたときのための虎の子だ。だが我が魔法を防ぐことは敵わない、たとえそれが『鉄壁』の魔導士であってもな。
今やもう、貴様には我輩を止めることはできぬ。主を守れない盾などもはや存在する意味はない」
「……べらべらと、うるせぇ」
シドが小さくつぶやいた瞬間、その右手から見えない魔力弾が放たれ、ピエロの仮面を割る。
顕わになった口元、その薄い唇や端正な顎の稜線は、
「この期に及んでまだ抵抗するか、見苦しい」
そう吐き捨てた黒衣の魔導士に、先程よりも強大な魔力が集束してゆく。
もう、シドには先程のように、魔力弾で反撃するだけの力は残っていない。残っていたとしても、先程の威力では何の役にも立たない。
どんなに集中しても、魔力の湧くあの感覚が起きてこない。
それどころか、体のあちこちから力が漏れ出ているかのように、身動きすらろくに取れないのだ。
冷たい眼差しを向けた黒衣の魔導士は、触れただけで体が弾け飛ぶ危険な魔法を携えながら、一歩一歩シドへと歩み寄る。
「おとなしくしていれば楽になれたというのに、わざわざ惨めな道を選ぶとは
黄泉へと旅立つ、砕けた『鉄壁』よ。もう二度と会うことはあるまい。
……さらばだ」
反論するどころか、まぶたを閉じる気力さえないシドの意識を、黒衣の魔導士が放つ眩いばかりの白光が埋め尽くし、そして――
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