第二章 正義の方向

   1


 山道を歩んで行けば、木々が道行く視界を塞ぐ。

 上を覗けば、自然が織りなすカーテンが太陽光を遮り、影の隙間から光が地面に漏れている。

 マキは、ライオンとの語り合いの後、次なる発見を目指し山道を歩んでいた。基本動物の通り道な為に、舗装などはされていない。砂利道が真っ直ぐと山頂まで続くだけで、立て札などは見当たらない。


(やっぱりパッと見は自然公園だよな~)

 マキの中には未だジャパリパークという場所の全体像がハッキリと見えていなかった。嘗てのパーク現存の時代から、サンドスターという物は今に至るまで解明が困難を極めていた。封鎖された現在では過去の資料から解明するしか方法がなく、現在では最早研究自体が頓挫されかけている状態だった。世界でもジャパリパークは放棄し閉鎖するかもう一度実地調査を行うかで意見が分かれているが、過熱されている程ではない。素直に、その未知という世界に足を踏み込むことに怯えているのかも知れない。

 ただ、それでもこの自然の豊かさはマキにとっては異様にしか映らない。彼からしてみれば、否、そもそも人間からしてもここまで完成し保存され続けた自然という物は在る意味異質的なのだ。


「……、」

 静かな心の中には、何重も羅列する彼の知識の倉庫が巡り巡っている。言葉に出来ない程の考察が流れゆく。


 だが、外も中も同じだ。

 根本が解明できなければ、心理には到達できない。


 そして、もう一つ。

 彼の中に巡る問題はもう一つ有った。


(セルリアンと、フレンズ……)

 その二つ。

 それらが長い歴史の中で敵対構造にあったこと。無論、相互的にその自然界のピラミッド同じく喰らい合うことに近い構図だが、科学者の見解は「セルリアンの捕食行為は自然の調和その物を乱すこと」と結論付けていた。

 それはフレンズも同じく。そして、その過程が現在まで世代に続き、結論――セルリアンは悪と見なされた。


(例外も何も無かったのかな? ……いや、そもそも、和睦の道は無かったのだろうか? 同じ大地に生まれたのに……)

 そもそも、平和の道など幾多も在る。手を取り合うことが無くとも、互いに干渉し合わずにしていることだって出来たはずだ。時に助け合い、時に互いの生活を守り……方法など幾らでもあったはずだ。なのに人類の選択は……フレンズの選択は悪を敷き善の定義を己自身に頭目させること。


 だからこそ、思ってしまう。

 この現実に立ち、その景色を見渡しても尚、真実の平和は存在しない。

「……平和って、難しいな」

 口から出た言葉は、現実への哀しき思いも吐き出していた。


   2


 山道を歩んで行くと、ふと前方から何かが勢いよく転がってきた。

「……??」

 マキは何だと首を傾げる。だが、直ぐに彼はハッとその正体に気が付いた。真ん丸の赤いボールのような。だが、マキの身長を優に超す。そして、転がる度に何度か見える黒い点。そう、そこは瞳だ。となると、真逆と思いながら彼は直ぐさま片足を半歩下げ、両手を前に出す。

 勢いの止まらないその巨大球体は、マキの掌に衝突するとガガガガガッ!! と摩擦を起こしながら激突し始めた。

「……ッ!!」

 受け止めるにも、流れ込んでくる力と回転し続ける胴体が彼の力から逃げようとする。力一杯に躰を支え押し止めようとし、そして段々と弱まり始めた。


 ギュルルルルルルルゥゥゥ……

 回転を止めたその巨大なボール態。その正体は、真っ赤なセルリアンだった。目をグルグルと回しながら、セルリアンはやっと止まった自身の躰を支えられた手に促されながら姿勢を戻す。

「あはは……大丈夫かい?」

「――? ――?!」

 セルリアンは、マキの姿を見ると、豹変する。バッと距離を取り、此方に向かって襲いかかるような仕草へと移り変わる……のだが、何処かおかしい。まるで、その動きは焦っているようなのだ。

 何かに急いているのか、マキの後ろへ通り抜けようと必死に躰を動かす。だが、マキが通ってきた道は細い一本道。彼よりも身長の高い球体のセルリアンにとっては、押し退けなければ通れない。だが、押し退けようとしないのだ。

 まるで、そうできないのでは、と何かを知っているかのように。


「えっと、どうしたんだ??」

 マキはセルリアンのその行動理由を知らない。

 彼は、何とか受け止めたセルリアンを宥めようと必死だが、セルリアンはそれ以上に何処か焦っていた。

「――――ッッッ!!」

「そんなに怯えなくても大丈夫だよ? ね??」

 彼を前に、何処かセルリアンは混乱している。

 そんななか、マキの耳には微かに草を踏む音が入った。

「……ッ!?」

「――ッッ!?」

 その瞬間、セルリアンはまるで後方を確認するかのように振り向いた。

(足音……何か迫ってきてるのかな? ……だったら)


「少し、手荒でごめんね……!」

 セルリアンが後方に気を張り巡らせている瞬間だった。


 両掌を構え、セルリアンの下へと伸ばす。足を踏み込み、フッとセルリアンに触れた……瞬間だった。

 ギュルンッ!!

 セルリアンの躰を思い切り回転させ、木々の隙間を通らせ山道外れの林木の中下へと転がり落とした。

「……少し、待っててね」


 荒っぽいが、それでもマキはコレが最善策と考慮した瞬間だった。

 彼は直ぐさまセルリアンを追いかけるようなことはせずに、山道の端で立ち止まっていた。


 追跡者に会う為に。

「……やっぱり」

 遠くに見える影を視認した時、彼はそう声を出していた。

 彼にとっては余り良いイメージを持てない三名のフレンズ……そう、ハンターであるリカオン、キンシコウ、ヒグマだった。

 だが、彼が嫌悪を抱いていても初対面だ。そういう欺し合いは彼にとっては苦手の部類だった。

(頑張れ~僕)


「おーい!」

 初めに声を上げたのは、ヒグマだった。ヒグマはマキを見つけるや否や、彼の元に近づく。ヒグマに続いてキンシコウとリカオンもまた付いてくると、彼等四人はその場所で立ち会うこととなった。

「どうしましたか?」

「お前、ここら辺でセルリアンを見なかったか?」

「セルリアン、ですか?」

「ああ、赤くて丸いセルリアンなんだが、山路を突然転がり出してな。見失ってしまったんだ」


(やっぱり……でも)

「赤くて丸いですか、それならさっき転がっていきましたよ」

「……そうか! 所でお前、見たこと無い顔だな」

「そう言えばそうですね」

「……えっ? ああ、確かに言われてみれば」

「ああ、初めまして。僕はマキ。ヒトですよ」

 軽くマキは自己紹介をしながらに、彼等の顔を見る。


(まずいな……)

 マキは、その三人の中でリカオンだけを見て思った。

 彼女の鼻が、どうにもマキよりも先程赤セルリアンを投げた林木の方向を向いている。そこから数歩進み、下を見ればセルリアンが視界に映るかも知れない。


(彼女は察して犬と同じ部類……なら、嗅覚は優れているはず。一次的にでもその嗅覚を鈍らせることが出来れば良い。だけど、何か臭いを混ぜ込んでも犬の嗅覚はごまかせない。なら逆……そう)

「ああ、話には聞いてましたが、貴方だったんですね」

「あー、博士達にご飯作るの大変だろ……頑張れよ」

 キンシコウは何処か興味を持ったのか顔を覗き込み、ヒグマはと言えば博士達のあの横暴の矛先がマキに向いたことに酷く同情していた。

 ただ、リカオンは……。

 一歩。


「……ッ!? っとと、そう言えばセルリアンを追っていたんですよね。邪魔して済みません」

「ああ、そうだった。二人とも、行くぞ!!」

「はい!」

「あっ、ちょ……」


「……ではコレで失礼しまっ?!」

 突如、マキの足は縺れる。

「……あっ」

 彼は縺れた足によって躰が振り投げられ、両手を広げてしまう。


 その時、片方の手が……何処かにぶつかった。

「ぎゃっっ?!」

 バタンッと、何かを巻き込んで二人は倒れる。

「だ、大丈夫ですか?!」

 突然倒れたマキ、そして、マキの手が顔面に直撃してしまったリカオン。「痛た……」と、リカオンは顔を押さえているが、その手の隙間から赤い液がチラッと見え隠れするように流れ出していた。

「あったた……あ、済みませんリカオンさ……ッ!? 鼻血が!! 済みません少し見せて下さい!!」

「えっ? ええっ??」

 マキは突然巾着袋をガサゴソと何かを取り出す。

 それは一枚のハンカチとアイシングバッグ、水筒だった。

 リカオンを地面に座らせて、下を向かせハンカチで鼻を押さえさせる。直ぐにアイシングバッグに水筒の水を移し替え、彼女の鼻に当てた。

「申し訳ない……僕の不祥事のせいで」

「い、いえいえ!! それにしても、まるで慣れてるような……」

「山登りは結構するので、こう言う必需品は持ち歩いてるんです」

「その割には結構ドジだったけどな」

 横からヒグマがクスクスッと笑いながら茶々を入れてくる。

「ま、まぁ……自分用だったりしますからね」

「でも、凄くお上手ですよね」

「そうですか? 有り難うございます」

 ヒグマの横から、その手捌きを感心そうに語りかけてくるキンシコウ。


「ああ、えっと、それは持ってても良いですよ」

「え、と、とんでもない! お返ししますよ!!」

「いいですって。取り敢えずこの先何があるか解りませんから、差し上げます」

「あ、ありがとうございます……」

 リカオンは少々複雑な気持ちになりながら、彼のハンカチとアイシングバッグを鼻に当てながらに立ち上がった。

「下に行ったなら私たちが見ておく。マキ、お前も気を付けろよ!」

「はい、有り難うございます。皆さんも気を付けて」


 彼等は、互いに手を振りながらにその場で別れた。

 マキは山頂に向かって、ハンター達は下山した。


 下山中、ハンター達三人はリカオンの件もあり急くこと無く下山をしていた。

「しかしマキ、かぁ……博士達も無茶なこと言ってなければ良いんだけどなぁ」

「あらあら、心配ですか?」

「まあ……三日三晩休む暇も無くカレーだ……」

「あの時は本当に大変そうでしたね、ヒグマさん」

「まあなぁ……でも、良い奴だったじゃ無いか。気苦労しそうだけど、悪くは無い奴だ」

「そうですね。私もマキさんのああ言う優しさが溢れてそうな人は見てて安心しますね。リカオンもそう思うでしょ?」

「……、」

「リカオン?」

「ふぇあっっ!? は、はい!!」

 ボーッとしていたのか、声が耳に入った瞬間、ハッと我に返る。鼻を押さえていたアイシングバッグが跳ね、耳と尻尾も上に向かってピーンッと伸びていた。

「どうしました? まだ痛いですか?」

「い、いえ! 大丈夫です!!」

「そうだもんな、見てて凄かった。出来たら治療役でハンターに欲しい位だ」

「あ、それ私も賛成です♪」

 前で微笑み笑いながらに話すキンシコウとヒグマ。その一歩後ろで彼女達に付いていくように歩むリカオンは、何かを悶々と頭の中で巡らせていた。


   3


 ハンター達を遠ざけることに成功したマキ。彼は彼女達が見えなくなったことを見計らうと、直ぐに雑木林の中を駆ける。

(土を抉った地面よりも僕に注目させて、リカオンさんの鼻を一次的にスリープ……いや、女の子の鼻なんだよなぁ……後でちゃんと謝らなきゃ)

 大きく溜息を吐き捨てながらに、マキはザザザーッと草木をかき分け下り、赤いセルリアンが転がっていった所へと向かった。

「……いた」

 木々を抜け降りた先には、草のクッションに逆さまに落ちている球体のセルリアン。目を回しているのもまたマキのせいだが、結果的に救われてはいた。

「ごめんごめん、大丈夫?」

「――……??」

 クルクル~っと回す目は、声をかけてきたマキへと向けられた。

 マキはそっと赤いセルリアンに振れて、優しく話しかけている。

「何処か怪我はしてないかい? さっきのハンター達はもう居ない。だから、安心して大丈夫だよ」

「――?」

「僕はマキ。ヒトだよ」

「――……」

 赤いセルリアンはその巨体を立ち上がらせるように動かす。周りに目を配るが、確かにハンターの姿は無い。目の前に居る青年マキの言葉には嘘偽りが無いと考えたのだろうか、今度はマキに目を向ける。

「――…?」

「何故助けたのか、って聞きたいのかな? そりゃあ、助けたいって思ったから……多分、理由なんて無いよ。セルリアンも、フレンズも、どっちも助けたい……でも、コレって、やっぱりダメなのかな?」

 大きく溜息を吐き捨て、自分に愛想笑いを為るマキ。戰時の二国に仲裁を割って入る等難しい。それは、互いの妥協案を提示するか、どちらかを潰し早々に戰争を終わらせるかの二択と同じ話だ。

 それも、長い歴史を掛けてのこの二種の戰いに、今更終わりなど見えない。

 マキが夢に見る世界。

 だがそれは、どんな理想郷でも夢物語に近い話。


「――……、」

 セルリアンは、どんなことを考えているのだろうか。

 今まで敵だった奴に仲良くしろ、と。

 我々の捕食対象は何処にあるのだ、と。

 だが、寡黙が当たり前のセルリアンは、どうやらもうマキに敵意は無いのか、黙して見つめていた。その感情が何かは知らないが、セルリアンの考えはどうやら“マキは敵では無い”と認識したらしい。近くに居るマキに危害を与えようとしない。

 ただ、それ以上にセルリアンはその青年をある種特別に感じたのかも知れない。

 全く自分に対して敵意や好戰的な面を出してこず、まるで寄り添うかのように視線を何処か遠くにしながら語っていた。近くに腰掛けているその姿は正に無防備だ。


「ねぇ、セルリアンさん」

 マキは、小さく吐き捨てた。

「誰も悲しまない世界って……何処にあるんでしょうね」

 この青年は優しすぎた。

 セルリアンという物を予習しこの島に来たのであれば、どれだけ救われた生き方が出来ただろうか? 仮想的さえ作れれば、きっとそこに悪を乗せ上げ悪を倒す前任の立場で居られたはずだ。だが、どうだ? その素性さえ知らず、彼はその世界に降り立った。その世界の最初の出会いはセルリアンで有り、それは自分に心を開いてくれた。これ程嬉しいことは無い。

 だから、だからこそ、青年にとってはその事実を無にしてなし崩しに世界の法則に囚われたくは無かった。


「……成る可く、フレンズの前には出ないようにしてくれませんかね?」

 彼は立ち上がり様に、セルリアンに吐き捨てた。

「きっと、次は同じように助けられない……いや、戰う力が必要無くぶつかるのは見たくないです。だから、もし別のセルリアンさんに会ったら、戰わないでと、出会わないでくれと言って欲しいのです」

 今更な、最善策。

 本当に理想を掲げて進むには、どうしても今の自分では何もかも足りないと、そう思えて仕方が無かった。だからこそ、苦し紛れの最善策だ。

 この言葉を本当に聞き取り理解してくれるかも定かでは無い。だが、それでも彼は言い切った。

 きっと敵対し、そこに感情があれば……無いと言われたセルリアンにあるのなら。否、そうでなくても、この言葉を聞く意味が無い。

 だとしても、だ。


 そう、彼は自分に言い聞かせた。


「此所は孰れあのフレンズが戻ってきます。出来ることならあっちに逃げると言いですよ。それじゃあね」


 彼は歩み始めた。

 重苦しい足を地面に乗せて、前へ。


 理想は未だ、遠い。


   4


 翌る日の出来事だった。

 マキはまた同じくしてパークを巡る。色んな思いもまた、巡り巡る。その調査には依然として兆しは見えない。

「……どうすれば良いんだろう」

 自問自答のままに、彼は進んでいた。


 そこは、とある草原の中。

 水辺の隣には花畑が広がり、川を挟む木の橋の下には、日光に照らされて燦めき跳ねる水滴の群れがある。彼の中では、このジャパリパークにおける自然が唯一変わらない物で在り、この景色は彼の支えとして目に焼き付けていた。

 そして今日もまた、憂鬱な自分に問う為に、木の橋の上で水面を見下ろす。

 川に映し出される自分の顔は、来た時以上に活力を失いつつあった。


 悩みの種は、多過ぎる。


「……はぁ」

「どうしましたか?」


 背中から、声が聞こえた。

 振り返れば、そこに居たのは……キンシコウだった。

(彼女は、キンシコウ? ……あ、いや。確かあの時は……)

「えっと……」


「キンシコウです。先日山の麓で会った」

「ああ、その節はどうも」


 ペコリッと互いに一度会釈する。騙した件に関しては何とか乗り越えることが出来た。だが、一度騙したという事実がある為にか、何処かマキは居心地が悪そうに顔をしかめた。

「そういえばリカオンの件、ありがとうございました」

「いえいえ、僕が招いたことですし、気にしないで下さい。怪我の具合はどうですか?」

「サンドスターの影響もあってその日の夜には完治してましたよ。それに、治した方の腕が良かったんでしょうけどね」

「僕は出来ることをしただけですよ」

 フレンズという存在は疑わないのだろうか? いや、きっとそういうフレンズも居れば、しないフレンズも居ると言うことだろうか。マキからしてみれば、人間社会との違いの断片に、何処か捨てきれない感情があった。

「ただ、セルリアンは見失ってしまって……」

「えっ!?」

 食いつくようにマキは振り返る。

「あっ、でも大丈夫ですよ!! 最近セルリアンの数も少なくて、今のところ報告もありませんし」

「そっか……あはは、良かったぁ」


(本当に、無事で良かった……セルリアンも、フレンズも)


 心の底から安堵の息を漏らす。

 やっとの思いで小さな支えが取れた気がした。


「でも、そんな反応するなんて、マキさんは優しいんですね」

「そう、ですか?」

 褒められて嬉しい反面、騙しているという事実に対してどうしても素直に受け止められない。何処かスパイのようなことをしているような気分だった。

 それでもキンシコウは、マキに向かってハッキリと言葉を伝える。

「そうですよ。誰かのことを心配して、思う。人という物は余り知りませんが、それでもマキさんは優しい人です」

「あー……あはは」

 真正面での褒め言葉は、本当に気が狂いそうになる。マキの心の中では、その褒め言葉と、それとは別の理由で目を合わせ辛かった。


(善く善く見ると、キンシコウさんの服って……えぇぇ)

 少し頬を赤らめ別の方向に視線を移す。


 年若き好青年に、こんな刺激の強い物は目に悪い。

 動物の姿がフレンズに還元されているとは言え、ここまでギリギリなラインを攻めるような服装は、心の奥の疚しい気持ちが反応してしまう程だった。

 何とか己に無の境地を貫こうと、視線を上げるが、ハイレグの次はピッチピチのレオタード……最終的に目線をそらすが、結局視認判定が出来るのは首上のみ。それよりも下を行くなら……違った意味で鼻血でも出かねない。


(いかんいかん……、真剣になるんだマキ、真剣に……!! 例え相手がハイレグレオタードだとしても疚しい気持ちは無い! ただ真摯に真っ直ぐに話してくれている華奢な女の子だ!! マキよ、君は演劇に出る白鳥の衣装をした少女に興奮するのか? いやしない!! ……と思う。だから、大丈夫!!)


「……ンッ、ンンッ!」

「どうかしましたか?」

「えっと、僕は大丈夫です……」

「?」


 邪念こそ消えないが抑圧出来たのか、余り視線を向けずに話すことにした。


「とにかく、マキさんもセルリアンには気を付けて下さいね! 以前はセルリアンが反対方向に向かったので見逃しましたが、本来は危険な場所を迂闊に歩いてはいけないんですから」

「はい、以後気を付けます……」

「宜しいです。……でも、何故あの場所を歩いてたのですか?」

「単に探検や散歩と同じような物ですよ。僕は本来パークの調査で出向いてる身なので、仕事といいますか何と言いますか……」

「ハンターがセルリアンを倒すことと同じような物ですね。誰かには誰かの役割がある。きっとそんな感じなんでしょうか」

「まあ、近いようで遠いような……詳しくは言えないんですけど、そんな感じです」

 ヒトのことをいざ細かく説明しようと思うなら、それこそ難しい話だ。マキは難しい説明を言葉濁しに会話から切り離す。


 だが、それ以上に何を話すのか。

 初対面では無いにせよ、面と向かって話すこととなると何かと言葉が出てこない。マキはそんな自分のコミュニケーション能力の無さに呆れながら、唯々適当な言葉を連ねて会話を作ろうと試みる。

「そういえば、ハンター……でしたっけ? 主に何をしているんですか?」

「私たちは……基本的にセルリアンを退治する事が役目、ですかね。と言っても、今日はお休みですけどね」

「そうですか。セルリアンとずっと戰ってきたんですか?」

「物心ついた頃からセルリアンハンターだったって言う訳ではありませんよ? ヒグマさんに誘われたんです」

「ヒグマさんに?」

「ええ。セルリアンがフレンズ達を襲う事は、私もヒグマさんも、リカオンも嫌でしたから……在る意味、フレンズを護る事がハンターの役目として、日々頑張ってるんです。あっ、えっと、その……自慢じゃないですけど、私も頑張ってるんですよーと言いますか、えへへ……」

 キンシコウは自分の言葉に少し照れながらに頬を指でなぞる。自慢話のような言葉はきっと彼女としては照れくさく、色々と思うところがあるのだろう。ただ、彼女の笑顔を見て解るのは、矢張り彼女達も被害者なのだと、マキは再確認出来た。


(フレンズを襲うセルリアン。確かに厄介だ。でも、そこに理由は本当に無いのかな?)

 セルリアンの行動原理。

 マキにとって、それが今一番に知りたいことだった。

 彼にとっても、もしセルリアンがそんな行動を取る必要が無くなれば、その争いの構図が消えるはずだと考えていたのだ。長きにわたる戰いに終止符を打てる。ただそれができたらどんなに楽か。マキだって子供では無い。それが難しいからこそ、それでも考えてしまう。


「セルリアンは、なんでフレンズを襲うんでしょうね……」

「えっと……、どういう事ですか?」

「……あっ?! いえ、何というか、何となく気になってしまって!!」

 突然のマキの言葉に素っ頓狂な顔で返すキンシコウ。マキも自分の心の言葉がスッと出て来てしまっていたらしく。あたふたと手を振り回していた。

 ただ、少し黙してから、彼女は答える。


「セルリアンは……輝きを食す、とも言われていました。フレンズはサンドスターによって生まれたので、もしかしたらそのサンドスターを食べる習性故にフレンズを襲うのかも知れません」

「輝き……」

 彼女の言葉は、イマイチ彼にとってはピンとこなかった。ただ、その輝きという物がサンドスターに類似する物であり、それを食して維持している……とも捉えられた。

 だが。

「ですが、動物にサンドスターが直撃してフレンズ化したことと同じく、セルリアンも無機物にサンドスターが当たってセルリアン化するという事も聞いたことが在ります」

「それって……結局どちらもサンドスターから生まれたって事じゃ……」

「そう、かもしれません……」


(……あれ?)

 マキはふと、自分の中に何かが支えたような気がした。

 それは、動物と無機物の性質……謂わばその両者の特徴としての考え方だった。

(待てよ……動物は確かに、呼吸をして酸素を取り込んだり、狩りをして餌を集めたりする。それって、自分で何とか生き抜ける力を持っているって事だよな? でも、無機物……つまり機械は人の手で作り上げ、動かすにも燃料を入れるにも自分では無く第三者の力が無いと動かない……)

 動物と機械の相対的な点。

 その二つが一体何処で矛盾し、セルリアンとフレンズという存在に変化したのか。

 マキはじっくりと考え出す。

(もし、此所にサンドスターという別枠からの力が入るとする。つまり、サンドスターを“餌”と仮定するんだ。そうした時、フレンズはその餌……つまりサンドスターを大気中から摂取出来ることによって――或いはそういう機関がフレンズにはあるとして――必要以上の餌を求めない。つまり、サンドスターの大量摂取を行う必要が無い。でも、セルリアンは機械と仮定した場合、何が起こる?)

 そう、彼が導き出そうとしている考え方はまさしく、その原理に対して今彼が最も近く根深く導き出せる唯一の仮説。

(セルリアンは体外のサンドスターを摂取出来ない。だから、フレンズを襲う事でサンドスターを補ってるのか?)


 顎元に手を当てて考え導こうとする。

 しかし、それでもそれが決定解とは裏付けられる証拠が余りにも少ない。

 ただ、理論を組み立てるには、余りにも情報が瓦解していた。


(……もっと、もっと調査をしないと)

「……あの、マキさん?」

「え、ああ、えっと……ごめんなさい」

「いえいえ、謝らないで下さい。何か考え事をしていらっしゃったようですが、悩み事ですか?」

「少し……でも、気にする程のことじゃないですよ」

「そうですか。ですが、もし私たちにサポート出来ることがあったら言って下さいね?」

「……今は、お気持ちだけ受け取っておきます」

 彼はもう一度、橋の下を流れる川の水面を覗く。今の自分は、どうにもその険しさが抜け切れていないのか、悩ましい表情が拭いきれないで居た。


「あ、そうだ! セルリアンで一つ、お伝えしなくてはいけないことが!」

「え?」

「セルリアンは、基本的に色んな色のセルリアンが居るのですが、その中で唯一、サンドスター・ローを吸収して生み出される少し違ったセルリアンが居るんですよ」

「サンドスター・ロー?」

「はい、実はあの山から噴き出しているサンドスターは本来フィルターで浄化された物? らしくて、その中にはサンドスター・ローという禍々しい物が有るとか……」

「そんな話が……」

 その指差す方向に、マキも視線を合わせる。

 もしかしたら、その物質が何かを意味するのかも知れない。

 彼の中では、そこを調べなくてはならないという強い意志が芽生え始める。

(でも、行くにも遠いなぁ……少し先になりそうだな)


「因みに、そのサンドスター・ローで発生するセルリアンなのですが……」

 キンシコウはマキにその全貌を語りかけようと、話そうとし始めた。


 ……その時だ。


 ――――――――――――――――――ッッッ!!

「……ッ!?」

「マキ、さん?」

 マキは突如、視線の先、木々の抜けた先の方へと目線を向けた。

 額に一筋の汗を流し、喉の奥にある唾を飲み込む。次第にその表情は青白くなると、彼は直ぐさま走り出した。

「あ、待ってください!!」


   5


 彼等は走る。

 その先に何があるのか?

 彼の目に映る物は何か?


 全力で駆け抜け、目を血走らせ、その先へと進んで行く。


 その先、木々を抜けた一つの広場。

 ぽっかりと穴が開いたような木の密集地の開けた場所、そこに奴が居た。


 黒い、セルリアンが。


「なっ!? マキさん、逃げましょう!!」

「……、」

 グイッとマキの腕を引っ張る。

 だが、彼女がその腕を引こうとしても、彼の躰は動くことを拒むように視線の先の黒いセルリアンに釘付けにさせていた。

「マキさん!!」

「……っ?! 悪」

 遮る。

 言葉の端に届くよりも前に、その一つ目の視線は彼等を捉えた。


 その姿は異形だった。

 木々に届く程の丸い巨体に、二本の腕が生えている。豪腕のように聳える二つの腕は、視界に捉えた標的に対して、ビュンッと――伸ばされた。

「……くっ!」

 直ぐさまマキはキンシコウを抱えて飛び退く。一歩でも反応が遅ければ周りの木と同様に躰まで削られるであろう至近距離を、拳が振り切る。

「逃げてください! キンシコウさん!!」

「何を言っているんですか! 貴方も早く!!」


 一度振りかざした腕を、再度裏拳のように振り回す。マキは、直ぐさま降ろそうとしたキンシコウを抱えて更に先へと飛び退いた。


 轟ッ!!


 風が切り裂かれる。

 一度でも真面に喰らえば躰は何処までも吹き飛ばされるだろう。マキは再びキンシコウを降ろし、逃げるよう催促する。

「いけません!! 寧ろハンターの私に任せて先に逃げてください!!」

 キンシコウは譲らない。

 ハンターとしてのプライドか、彼女は棍棒を握りしめ、立ち向かおうとしている。


 マキもまた、譲れない。

 ……否、彼の考え方は少し違う。

 倒すこと、守り抜くことを目的としたハンターと、和解を目指すマキではその目的の根幹が違う。だから、譲れない。

(だけど、キンシコウさんの前で流石にそれは出来ない!! せめて見ていない状態なら……)

 ダメだった。

 それだけは、きっと彼女のプライドが赦さない。

 そして、彼女にとってもその様な豪腕を振るう敵が初めてなのだろうか、一人で戰うことが当たり前では無いと知っているからだろうか、まるで、遺言を残すかのように彼女はマキに背中伝に吐き捨てた。

「良いですか、マキさん」

「何がですか!! 速く逃げてください!!」

「……あの黒いセルリアンが、先程言っていたサンドスター・ローによってセルリアンとなった存在です」

「……なっ?!」

 目を見開き、マキはセルリアンへと目線を移す。

 異様な程の黒。まるで底のない悪意を持つような禍々しさ。言われてみれば、と実感してしてしまう程に、その邪悪さは肌に感じていた。

(だからって、本当に悪かどうか何て解らない!!)

 それでも彼は謳う。

 そうであって欲しいと願わずには居られないのが、きっと彼だ。だけど、この状況では、何が一番かなど、それこそ解っている。


 何かを護る為に何かを犠牲にするのか?


 頭の中を、難攻不落な問が続く。

(……一か八かだ!!)


 ダンッ!!

「……ッ!!」

 キンシコウの視界の端で、駆け出した影が一つ。

 マキは真っ直ぐに黒いセルリアンに向けて走り出した。


「マキさん……ッ!!」

 豪腕が振り上げられる。

 木々の屋根から突き出た拳が、日を隠すように高らかに上がる。

 だが、マキは走る。


「ダメですマキさん!! 逃げてください!!」

 キンシコウの声が後ろから聞こえる。心配していると解る程に、彼の耳には何処か震えているのだと理解出来た。


 でも。

 だけど。


 確かめる。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁっ!!」

 振り下ろされる豪腕。

 ギュオンッッ!! と世界が一瞬早く動いたかのように、彼の寸前までに拳が近づいていた。


 が。


 ッッガガガガガッッッッ!!

 滑り込んだ。

 セルリアンの脇下。球体特有の地面との接着面の隙間。そこに強引に躰をねじ込み、マキはセルリアンの後ろを取った。

 背中で聞こえる地面と拳の衝突音が背中にぶつかる。風圧で一気に抜け、押し出されたのが奇蹟だと思える程だった。

(……今だ!!)

 彼は手をバッとセルリアンに刺し込む。

(この砂煙の中なら、キンシコウさんには見えていない。何が起きているのかも、解らないなら、試す価値がある!!)

 そして、彼は言った。


「止めろ! 止めてくれ!!」

 響けと、願わんばかりに彼はセルリアンに叫んだ。

 声が届け、言葉を感じろ、意志よ伝われ。

 その心の全てを詰め込んだ言葉のように、彼はセルリアンに響かせようと叫んだ……直後だ。


 その手に触れた場所から、流れ込んできた。


 ――言い知れない、憎悪が。


「――――――――――――ッッッッッ!?」

 叫んだ直後だった。

 流れ込んでくるのは、悪意その物の感情。逆流するように彼の中に悪意ある物のその全てが流れてきた。

「――ァ――――ァァァ――ァァあッッ!!」


 必死になって躰を震わせる。

 突き出した手を何とか抜き出し、流れ込んできた情報を頭を振るって消し飛ばす。


 ……だが。

 その瞬間、失敗したと、実感した。

「……やばっ」

 目線の先には、腕を高らかに――後ろ向きに振り上げる黒いセルリアン。彼は痛感した。奴は躰を回転させ、マキに向けて一撃を放つつもりだ。

 それも、回転を加えた裏拳だろうか……その巨腕に捉えられれば、先ず間違いなく普通の人間なら再起不能だ。

「やってみるしかない!!」


 彼は直ぐに距離を取る。

 射程外には出れないと解って居る。だから、避けることを止め、構えた。

 ヘラジカの時に見せた、平手の構え。

 だが、それでも強い豪腕に対して何が行えるのか?


 その解答を得るよりも、前に……攻撃が始まった。

 周りの土煙の一切が吹き荒れ、キンシコウの視界に映る、マキの姿。

 絶体絶命……そう、正にその言葉の中で、彼は立ち向かうように構えを取っていた。

 無謀だ。

「マキさ……!!」

 叫びよりも、マキの躰に追いついたのは拳だった。豪腕は容赦なく振るわれていた。

(……斜めに振り切られる拳は、常に、隙間がある!!)

 飛び出した。

 彼は敢えて拳に向かって飛び出し、そして拳の側面に手を当て、流したのだ。

「……嘘」

 キンシコウはその行動に驚きしか無かった。

 絶望的な状況で、一筋の光を彼は掴んだ。


 マキは直ぐさまその隙間を駆け抜けキンシコウの近くへと退避する。

「マキさん、大丈夫ですか?」

「何とか大丈夫です……、キンシコウさん」

「は、はい?」

「あの黒いセルリアンって、他のセルリアンとはやっぱり何か違うんですか?」

「好戰的と言うべきでしょうか? パークの中での被害で、一番突飛しているのは確かに黒いセルリアン達です……まるで、好んで行っているような」


(そっか……)

 そうかと、彼は心の中で納得した。

 フレンズ達にそういう勘違いをさせたのも、そう思わせたのも、セルリアンとフレンズに溝があったのも、黒という脅かす存在が居た。

 理解し、確信する。


 あの敵は危険だ、と。


「なら、下がっていてください」

「えっ? い、今偶然にも避けられたからって、次はありません、此所は撤退して……」


「僕は確かに、優しいとか言われているかも知れません……でも、それでも許せない時は、許せない敵が出た時は、戰わなきゃいけないんです。許せない敵だからこそ、心の底に悪意があるからこそ、倒さなきゃいけない……そんな時、僕はこの拳を握るんです」


 ボウッ!

 彼の心の奥底で、何かが膨れ上がる。

 燃えるように、情熱に似た何か。

 彼の中でメラメラと、劫火を上げ、彼を立ち上げる。


 平手の腕は握られ、彼の目は優しさから強さに変わるかのように、キリッと黒いセルリアンを見据える。


 例え、どれだけ優しい人間が居ても、フレンズが居ても、許せない敵が居る。悪を楽しみ、悪をバラまく敵。

 そんな彼等に鉄槌を、太陽のように燃える心を拳に、彼は握りしめる。


「……はぁ、ふぅー……」

 息を深く。

「石を、狙えば良いんですよね?」

「えっ……そ、そうですけど!」

 博士や助手に聞いていた通りだと、マキはまた一度敵を睨む。キンシコウからしてみれば、彼の動きは解らなかった。危険すぎて、それを止めなければならないと、思っていた。


 ただ、それよりも早く、彼は一歩、また一歩……歩み出した。


 敵を正面に捕らえ、歩み、そして走る。


 黒セルリアンは豪腕をグオンッと高らかに振るう。だが、彼の動きはそれよりも早くに黒セルリアンに向かった。


「はぁぁっ!!」

 轟ッッ!!


 キンシコウは目にした。

 マキの拳が、セルリアンをより早く捉え、そして……一瞬、揺れた。

 黒セルリアンの躰が、ほんの少し後へと動いたようにも見え、そして、グワンッと大きく揺れたように見えたのだ。

 まるで、何か強い力を受けたかのように、黒セルリアンの拳は空中で止まる。見据えていたその眼が明らかに動き揺れていた。

(……真逆、混乱してるの?)

 遠巻きに見ていたキンシコウがその動きに、目を離さずに見据え続ける。マキの突然の行動にも驚いたが、彼の攻撃によって、戰局は一気に動いた。


 マキは振り抜いた片拳を、一度構え直す。そして、両方の拳を同時に黒セルリアンに向けて放った。

「らぁぁっ!!」

 ドドォォォォッッッ!!


 キンシコウの目には、信じられない光景が見えた。

 浮いた。

 その巨躰故にほんの僅かにも見えるが、マキの身長に届く高さまで、黒セルリアンの躰が浮き、落ちた。

 ドスーーンッッ!! と土煙を立て、あの巨体が地面に落ちる。黒いセルリアンもその異常が何かを理解出来なかった。嫌……まるで黒いセルリアンは、もっと違う何かに困惑しているようにも見える。


「……ふぅ」

 両拳を力強く握り、構え息を躰から逃がす。

 そして、再度静かに息を取り込み、黒セルリアンをしっかりと見据えた。


 再度。

 片拳を引き絞る。

 片足を前に出し、半向きの姿勢で構え引く。もう片方の手で狙いを定めていた。

 セルリアンは、混乱したままに躰を起こせば、目の前にはマキが拳を構え立っていた。


 だが、数歩足りない。

 拳が届くには、その構えから放つには後数歩必要だった。


 が。

「……っ!」

 彼の足は、地面を蹴り発った。

 ギュオンッッ!! と躰を一回転させ、勢いを付けた拳は黒セルリアンの胴体目掛け勢いよく放たれた。

 ドォォォォォンッッ!!


 その拳もまた、黒セルリアンへと直撃する。

 接触した点から黒セルリアンに波紋が伝わり、躰の形状がゆらゆらと揺れ動く。空中一、二メートルの高さまでその巨体は吹き飛ばされた。

 そして、どうやら石の部分が旨く地面の突起した岩にでもぶつかったのか、ガキィッと鈍く響く音を立てながら、黒いセルリアンは……亀裂を走らせ、霧散した。


「……ふぅぅ」

 握った拳を、再び平手に戻す。

 両手を動かし、気分を落ち着かせるように一つ、深呼吸をした。


 今は亡き、己の手で倒したセルリアンの霧散したサンドスター・ローを慈愛を含んだ眼差しで見据える。

(もしかしたら……、きっと)

 己の手で下した決断。


 ――業は今、背負われた。


 キンシコウにも、驚きの光景だった。

 まるでゾウのような怪力なのか、あのセルリアンを拳一つで浮き上げる力、一変するようにガラリッとマキのオーラが変り、まるで戰う人となったようなその凄み。

 勝利の後は、またも優しき彼に戻り、今は木々の間から射す光のベールに包まれている。


 少し為てから、マキは黄昏終えたのか、此方へと戻ってきた。

「……すみません、勝手に」

 先程の力強さを見せたマキとは打って変わり、どこか優しげで、どこか腰の低い……。拍子抜けになってしまうようなその一変は、キンシコウの口を開けさせたまま塞がなかった。

「……えっと、お強いんですね」

「強くないですよ」

「そんなことありませんよ。あんな大きなセルリアン、普通だったら逃げ出したくなりますから」

「そう、ですかね? でも、少しそう言っていただけて嬉しいです」

「もう、お上手なんですから」

 彼のギャップ故にか、キンシコウはクスクスッとその二面性に微笑んでいた。強いのに優しい。謙遜的な強者。彼女の眼には、確かにマキがそう見えたのかも知れない。


 それが、本人の意志とは関係なくとも。

「……、」


   6


 図書館。


「ねぇ……博士さん、助手さん」

「むぐっ……どうしましたか?」

「もぐもぐ……いきなり畏まって」

 夕食時。

 電気の通わない夜空の下。マキの計らいで松明を光源に、彼女達が火を怖がらない場所に置き、夕食を楽しむ。

 その夕食時の中で、ふとマキはポロッと、口から言葉が零れていた。

「……博士達は、本当の力ってなんだと思いますか?」


「「本当の、力?」」


 博士と助手は、コツンッと小首を傾げる。息がぴったりなのか互いに引き寄せられるように曲がる首はピッタリとくっつく。羽の辺りがパスッと埋もれ、柔らかい羽が微かに動いた。

「力と言っても、色々ありますからねぇ……ヒグマなんかはパワーもありますが、ジャングルチホーのインドゾウもまた力ある物の一人なのです」

「ですが、単純に怪力だけの話では無さそうですね。ハンターは戰い慣れもしていますので、パークでの戰闘経験者は比較的あの三名でしょう」


「そう、ですか……」

 小さく溜息を吐き捨て、上を向く。

 自分でもどんな答えが欲しいかわからない。何処かこう言う解答が来るのでは無いかと思ったが、ただ、何処か違う。

 彼もまた迷っていた。力で倒すことが正しいことか、本当の正しさとは何か……悩みは尽きず、埋もれるように彼は思慮深く沈み込む。


「「……?」」


 今も尚、悩みは尽きること無く……。

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