第二部 変化

第一章 人望

   1


 給仕係とは、中々に苦労が絶えない。

 朝起きて、朝食を作り、昼食を作り置きして出る。帰ってくれば夕食と、新しいメニューについて勉強。本来料理は自分が困らない程度の技術しか持ち合わせなかった為か、新鮮ではあるが過酷だ。

 昼食を作り置きする理由とて、自身がジャパリパークの実地調査の名目で降り立っている以上、行わない訳には行かない。ただ、成果は無い。


 セルリアンの件も同じく……。


「「「いただきます」」」

 食卓の時間。

 この時間だけは、多分一番の成果と思える。今まで交差しなかった関係が、一つの行いに感謝を言える日が来るとは思わない。きっと、幾つもの分岐点が存在しながら、この場所に来た自分には小さく微笑んでいられると、考えさせられる。


「つまり、「林」と「森」の違いは、人の手が加わっているかいないかによって変わるんです。「林」は「生やし」が由来で、人が生やした事から始まり。「森」は「盛り」が由来で、盛っていたと言う言語によって名前が変わります」

「ほう、そんな話が外ではあるのですか」

「初耳です」

 食後の片付けの暇に話す、小さな雑学談義。こんな小さな話し合いでも通じ合える瞬間というのは本当に感動的な物だ。動物との言語共有は、確かにこのジャパリパーク一の産物なのかもしれない。

「つまり、ジャパリパークは殆どが森であるという事ですか?」

「えーっと、開拓当時は人工的な部分も開発地近くでは行われていたらしいので一概には言えませんけど、基本的には殆どが森だったはずですよ……良く解りますね」

「当然なのです。サンドスターによって生成されたのであれば、そのくらいはわかるのです」

「我々に掛かれば大体の予測など可能なのです」

「へー……やっぱり博士と助手なんですね」

「「えっへん」」

 鼻を高くする二羽の賢人。この島に来てから数日、マキは彼女達とも小さく積み重ね、信頼関係を築き上げてきた。こうした食後の話を盛り込み、楽しく話す。それだけでも、彼等の距離は少し縮まっている様にも見える。


「今日もパーク内を歩くのですか?」

「勤勉な事ですね」

「まあ、元々そういう理由で来ましたし」

「パークの実地調査ですか……もしかすれば、人もまた多く戻ってくる可能性もありますね」

「そうなれば、料理が食べ放題……じゅるり」

「えっと……、程々にお願いします」

「わかっているのですよ。マキ、昼食はちゃんと作ってあるのでしょうね?」

「帰ってきたら夕食と、本の読み聞かせ。忘れるななのですよ」

「大丈夫ですって!! っと、そろそろ行ってきますね」

 彼はエプロンを取り椅子に掛け、サッサと巾着袋を背負うと、外に向かって走り出す。

「ちゃんと帰ってくるのですよ~」

「我々のご飯の為に~」

「あはは……」


 定住先を借りている故に断れないが、数日経った今では苦難だとは思っていない。彼は、無茶難題のような約束をされながらに、今日もまたパークを歩む。


   2


 ジャパリパークは確かに練り歩いた。だが、余りフレンズと出会えている訳では無い。色々と理由はあるのだが(主に博士助手関係)、今日という日から本格的にフレンズと出会ってみる事にした。

 とは言うものの、己の足以外に行動手段が無い為に、日中に行ける範囲で無ければ動けない。

(遠くへ行くのは当分先かな)


 当面は図書館で居座る事になるだろう。だが、後に先へと行くのであれば、いつかは巣立ちの時が来る。……いや、きっと来る。そうで無くてはならなのだから。


(研究員である限り、世界を見る事になるだろうしね)


 ただ、今はそこに居よう。

 そう、決意しながらに歩み続けるマキ。彼が辿り着いたのは平原だった。


(博士達の話を聞く限り、結構な数のフレンズが居るって聞いてたけど……ここかな?)


 竹林……に近い。

 竹に囲まれたその区域は、足を踏み入れれば一風変わった世界観に変化される。人間で言える、百景の一部の世界に降り立ったような気分だ。一面が薄緑に染まり、森とは違い風が心地よく凪がれる。樹木と葉による気流の変化が、竹林には無い。在る意味、過ごしやすい環境下とも伺える。

(確かに、こういう環境は動物にとっても過ごしやすい……住んでみたいなぁ)


 ふと、その景色に心もまた透き通っていた瞬間。彼の耳には、突如として風情を切り裂く声が響いた。

「やぁやぁ!!」

「……ッ!?」

 マキはビクッ!! と躰を震わせた。静寂の中を浸っていた意識を突如として引き抜き上げられ、騒音社会に投げ出されたような激変に、脳が防衛的に動いてしまった。

 声の発信源に振り返り、片足を半歩引く。その視線の先に居たのは……、大岩の上で見下ろしてくる仁王立ちをしたフレンズだった。


「始めて会う奴だなぁ~……それも強そうだ!!」

(何処が?!)

 優男を一目で「強そうだ」と言い切るそのフレンズ。その目はまるで興味を惹かれる子供のような真っ直ぐな眼だ。流石のマキもそんな血生臭い行いは求めてなどいない。

「いえ、期待される程のような者でも無いのですけど……」

「いいや、間違いなくお前は強い!! このヘラジカの目に狂いはない!!」

 やけに言葉の節々が轟音的だ。まるで耳元で楽器の最も特有的な大音を聞かされているような感覚になる。ラッパでも吹かれたか? いや、もっと、重みのある音だ。

 否、声だ。


「……いや、あの~、僕は戰うなんて得意じゃないんです。では」

「まあまあまあ」

 ガシィッッ!!

 駆けてきたと思えば、腕をがっしりと掴まれる。冗談ではない。腕を握る力が呼び止める為の物とは思えない。捕まったら最後逃げられないというニュアンスは何処でも聞く言葉だが、体験する事など無かった。

 後の話は簡単で、マキは為されるがままに連行された。


「はっはっはっはっはっ!!」

「うそ~ん……」


   3


 ぽつんっ、と。

 座っている六名。


 端からオオアルマジロ、アフリカタテガミヤマアラシ、シロサイ、パンサーカメレオン、ハシビロコウ、マキの六人は、目の前に立つヘラジカの言葉に耳を傾け、そして、一人の青年は切に思っていた。

(帰りたい……)


 時は少し遡る。

 ヘラジカと名乗った彼女は、マキを半ば強引に連行し、彼女の拠点である武家屋敷に在るような塀に囲まれた場所へと連れて来られた。

「皆、聞いてくれ!! 面白い奴を連れて来たぞ!!」

 吊し上げられたマキは、苦く笑いながらに「マキです……」とだけ言った。

 その言葉に対しての返しなのか、彼女達もまた自分の自己紹介を始めた。

「私はオオアルマジロだよー」

「アフリカタテガミヤマアラシですぅ~」

「シロサイですわ」

「ぱ、パンサーカメレオンでござるぅ……」

「……、」

「あ、彼女はハシビロコウですぅ」

(……あ、うん。何となくそう思いました)


 自己紹介が終われば、彼女は「聞いてくれ!!」と一喝し他の者達を座らせる。当然マキも降ろされるが、まあ、その覇気に負けてしまってか、渋々座り込んで、現在に至る。

 因みに、ハシビロコウの目力が先程からマキを見据えているせいか、マキの緊張度は高まるばかりだ。

(……、)


「お前達、私は最近ライオンとの勝負に対して、必勝の秘策はないかと考えていた」

「……ん?」

「(えっと、私たちはライオンとこのへいげんちほーで勝負をしているのですぅ)」

 アフリカタテガミヤマアラシが、ハシビロコウの背中からひょっこり顔を出すようにしてマキに説明した。

「(勝負?)」

「(はい。と言っても、遊びのような物なのですぅ。けど、最近からだを動かさない遊びをするようになって……)」

 不完全燃焼。

 ライオンのフレンズに合わずとも、有名なライオンの生態は何となく察する。昔のドキュメンタリーで二〇時間寝るという言葉を耳に為る事は何度もあった。

「つまり、我々は特訓をして更に強くならなければいけないのだ!!」

(ごめんなさいどうしてそうなった?)

 話は聞いていた。

 ただ、話の内容がとんでもなく飛躍していたのだ。原稿用紙一枚にも満たない説明文に困惑するマキ。だが、何故か周りは「おー!!」と強く拳を上げている(因みに、アフリカタテガミヤマアラシは先程マキに説明しようとハシビロコウの背中から覗くように話した為に、尾の張りが地面に刺さり動けなくなっていた)。


(話の流れが博士達と言いヘラジカさん達と言い、どうしてフレンズは突拍子も無いんだ……)

 脳が溶けるような会話の弾みに、着々と侵食し始めるマキだった。


「ではさっそく……」

 ヘラジカはまるで指名制のように六人の顔を覗く。その瞬間、マキの頭の中で……と言うより、十中八九自分を指名されるような未来しか描けなかったからか、彼は手を挙げてヘラジカに申し立てた。

「す、すみません!! 特訓と言えば、二人組を作って行う物では無いでしょうか!?」

「ふむ、そうだなぁ……なら」

「やっぱりクジが良いと思います!! バラバラな方が特訓らしいですから!!」

 暴論とか極論とか、最早論理ではなく、言いくるめだ。彼にとって脳が溶けきってしまうこの状況で、継ぎ接ぎで納得しそうな言葉を紡ぎ出したのだ。

「成る程なぁ! 確かに、知ってる相手と特訓するよりも、バラバラにやってみるのも面白そうだなぁ~……で、クジとはなんだ?」

「……そっからかぁ」

 擦れる声乍らに、彼は説明を始めた。


「成る程、コレがクジかぁ!!」

「バラバラに誰かと組む事になる訳ですわね」

「ふぉぉ。ドキドキが堪らないですぅ!」

 簡単な枝の先に葉の緑液で作るクジを、彼は手の中に印を隠して出す。流石のマキもここでイカサマをしようとは思わず、持っている人間が最後の一本を取る形式にしている。枝先には印が枝を巻く輪の様な物が、三個二個一個ゼロの三つがある。七人故に、一人は休憩だ。

(僕も不公平は嫌だけど、確率なら旨くごまかせるかも知れない、よね?)

「じゃあ、皆の物、準備は良いか?」

 ヘラジカの声に、クジの枝を持った六人が頷く。

「では、行くぞ!!」

 無駄に豪快に惹くヘラジカ。

 それに続いて引く五人。確率は低い。


 ……。

「…………………………………………………………………………」

 つもりだった。


「フム、ではマキ。宜しくな?」

 ヘラジカ、マキ。

 ペア確定。


「……うそ~ん」


   4


 ペアは、以下のようになった。


 ハシビロコウ、シロサイ。

 オオアルマジロ、パンサーカメレオン。

 ヘラジカ、マキ。


 審判、アフリカタテガミヤマアラシ。


 そうだ、彼はこの瞬間から疑問を感じていた。

 審判とはなんだ? 特訓とは何をするんだ? その疑問の解答は、闘技場のような台の上に登るハシビロコウとシロサイを見て察した。

(特訓じゃなくて、模擬決闘??)

 公開処刑のような形で、台の上で戰いを繰り広げるその形式は、何処かコロッセオを感じさせる。ただ、風船を割る形式での決着は良しとしても、何処か独特実のある武器を携えている辺り、まさしくそれだ。

 アフリカタテガミヤマアラシの話曰わく、以前までは棒状の軽い物を使っていたらしいが、不完全燃焼が堪る性で、ヘラジカの特訓度合いが、本気度を増してきていたらしい。

(……、)

 ふと、彼はその話を聞いてから、何も言わず黙したまま観戰した。


 ただ、まあ、ヘラジカが彼処まで熱量が高い性か、マキもだんだんとこのグループについて察しが付いてきた。

 一戰目のハシビロコウとシロサイ戰は、終始空を飛ぶハシビロコウに優勢され、シロサイは体力の限界でギブアップ。

 オオアルマジロとパンサーカメレオンの二戰目は、オオアルマジロの防御力を生かせず、背景に溶け込むが如くパンサーカメレオンに不意を突かれ風船を割られた。


 そして、三戰目のヘラジカとマキが、壇上に上がる。

(……帰りたい)

 大きく溜息を吐き捨てながら、彼は重い足を段の上へ進める。

 だが。

(でも、彼女の暴挙で今後怪我人を出す可能性だってあるんだ。それに、その性でこのフレンズが心を折ってしまう可能性だってある。最悪の未来を阻止する為の、最善の一手……よし)


 ヘラジカは、自身の両刃の槍を構える。

 対し、マキは前の腹部の辺りに風船をつけると、そこに棒立ちした。

「むっ? それで良いのか?」

「ええ、大丈夫ですよ。始めましょうか」

 ヘラジカ対マキ。

「では、特訓……始めぇ!!」


「でやぁ!!」

 ヘラジカは突進のように掛け出す。

(ヘラジカさん独自の生態は知らないけど、シカ特有の生態なら何となくでも解る。だから、僕は成る可く……その動きを避ければ良い)

 タンッ! と、鋭い突きに対して横にヒラリッと飛び退く。

「くっ……なら、コレならどうだぁぁぁ!!」

 ブオンッと、突き穿つ槍を無理矢理に横に払い、風船を狙おうとする。

 だが、振れなかった。

 ヘラジカが腕を振るうよりも早く、その手の甲が彼の掌で抑えられ、弾かれてしまっていたのだ。

「なっ……!!」

 突きの勢いか、ヘラジカは腕を振るう事も叶わず、そのまま少し先で振り返る。彼は動かずまだそこに立っているだけ。反撃の様子がない事から、ヘラジカは今度は槍を振り上げて攻撃してきた。

 ブオンッと、今度こそ空を切る音が彼目掛けて放たれる。

 対しマキは、まるでその攻撃を掌で受け止めようと、片手を出す……が、当たるギリギリの所で、平行移動のように腕が引かれると共にまた躰も攻撃を避ける。そのまま彼は片足を彼女のつま先前に置き、躓くヘラジカの躰をころんっと前転させる形で受け流す。

「おぉおぉおぉ~~!?」

 ゴロゴロゴロ~っと、何度か前転を繰り返し、彼女はふとした所で止まり立ち上がる。

「おお、持ち直しましたわ!!」

「腰に風船があって良かったよ」

「でも、何かあの方の戰い方おかしいですぅ~」

「ですわねぇ」

「凄く優しく戰ってるでござる……」

「……、」

 観客のように見つめる彼女達の中で、黙していたハシビロコウの口元が動いた。


「……どっちも守る、戰い方……」


 何度も何度も、ヘラジカは突きと振り上げを繰り返す。だが、マキはその攻撃に対して何度も何度も受け流す。ヘラジカはギリギリの所で風船を擦れず、唯々風船を割らずに受け流される。

 敵も、味方も、誰一人傷ついていない戰い方。

 彼女達にとって、そういう技術は寧ろ本能的な彼女達だからこそ考えた事無かったのだろう。だからこそ、その目に映る彼は異質だった。

 フレンズとは違う……。


「「「「「……??」」」」」


 何度も何度も受け流されるヘラジカ、彼女は息を切らし、何度も何度もマキの風船を狙いに行く。その何度ともなる交差の瞬間の度、マキの眼に映ったのは口元をニヤッとさせるヘラジカの姿だった。

 ただ、その一瞬の異様な光景に、マキの躰は突然硬直してしまっていた。


「……ぁ」

 その瞬間だった。

 本当に呆気ない最後だ。

 一瞬の硬直に惑わされた性で、彼の風船は、少し遅れながらに避けた物の、彼女の角に擦れ敗れた。


「しょ、勝者! ヘラジカ様!!」


   5


「私の……勝利だぁぁぁ!!」

 槍を高らかに上げ、叫ぶヘラジカ。青春スポーツ漫画のように、彼女を慕う者達がその声に同調して喝采を上げる。

「流石ですぅ! ヘラジカ様!!」

「すごい!! すごいです!!」

「格好良かったですわ!!」

「す、凄かったでござる……」


 きっと彼女達の目には、諦めなかった彼女の必死の作戰勝ちという風に見えているのだろう。だが、マキは違う。

(……僕は、動物を余りにも知らない)

 誰も傷付けない戰い。この方法はきっと、人間だけの特有の物だ。対し動物達は自身を守るか、獲物を捕らえるかと言う反転がありながらも、相手を傷付ける事には変わりない。そういう本能が彼女達の遺伝子には残っている。

(だけど、今日、また一つ……野生の強さを……知った)


 彼女の笑みは、彼の中でもまだ鮮明に残っている。ギリギリの状況を楽しむような、あの笑顔。きっと、彼は彼女の成長の手助けをしてしまった。

 ただ、その反面。

 彼の顔には、曇りがあった。

「……、」

「いやぁ、楽しかったぞ! マキ!!」

「……楽しかったですか?」

「おうとも!! あんな戰い方をする者を見たのは初めてだ!! 矢張り私の目に狂いはなかったな!!」

「……??」

 やっぱり解らない。と言う顔だった。彼女は直感的に彼がこういう身のこなしを出来るのとでも思ったのだろうか。


「矢張り、お前を掴んだ時のあのがっしりとした腕、こう、ビビッときたぞ!!」

(……そういう事ですか)

 種明かしは存在した。彼女の言う彼の強さは、その身に付いた筋肉だったらしい。


「……はぁ~」

 彼は仰向けになるように台の上で寝転んだ。

「……疲れた」


   6


 竹林を抜ければ平原だ。

 公園のように遊び場が広がり正になんでもし放題だろう。

「やっぱ自然が綺麗だなぁ~……」

 其の広大さに、彼の目は奪われてはいなかった。その景色を体感するには、心の中の疑念が跳ね切れていなかったのだ。


「……、」

 その疑念に頭を掻き乱しながらに怪訝な顔を浮かべる。

 払拭できれば何とも楽か、だが、そうも思えない。混乱するその脳内を、彼は溜息一つで一旦しまい込もうとして歩み出した。


 自然と建造物……いや、建造物と言うよりは、玩具だ。フレンズ達の遊び場としての最低限の玩具が、彼女達にとっての憩いの場となっているらしい。先程のヘラジカたちの群れに聞く限り、この平原では日頃からもう一つの群れ、ライオンたちとの戰いの場として設けられているらしい。

 ヘラジカ曰わく「勝負!」らしいが、内容を聞くに最早スポーツのような民間的なチームスポーツにも思える。まあ、要するに遊んでいるのだ。

 マキが以前までの話を聞くと、どうやら確かに前までは力のぶつかり合いだったらしい。動物らしいと言えばらしいが、アフリカタテガミヤマアラシ曰わく「かばんさんの提案した戰い方になってから張り詰めた空気が消えたですぅ」らしい。


(……そういえば)

 彼は道中、彼の心の中に燻るもう一つの疑問があった。

(……かばんって、誰なんだ?)

 行く先行く先で「かばん」と言う名を何度も耳にしてきたマキ。だが、この場所はフレンズが行き交う世界。つまりは、現状動物だけが住む世界だ。かばんという動物など聞いたことはない。自分たちの世界で言えば、かばんとは一種の道具であり、荷物を詰め込み移動できる明治からの産物だ。なら、其れがフレンズ化したと? 可能性は余りにも低い。だが、其れとは別に考えれば、博士と助手のような別称だとすれば、ある程度の可能性の中では唯一通りやすい理論となる。

(ま、今は気にする必要ないかな)


 このジャパリパークに来て、未だ悩みの種が絶えないマキ。フレンズ達からしてみれば、其れは当たり前と同じようで、人間で言う衣食住が当たり前の様なこと。違って見えることが当たり前で、先進国が未だジャングル暮らしの種族を観た時の文化に対する考え方と同じだ。口元にピアスを開けることが当たり前の若者達と、その見た目に嫌悪する社会人としても同じなのだ。


 文化の違いは、どうしても避けられない問題だ。

 それは、過去から未来に連なる歴史でも、その溝だけは埋めきれなかった。だから、最も効率の良い文化が優先され、他の文化は今も尚消え続けている。この場所も同じく、人間には手に余るという理由で放棄されたかも知れない。


(そんなこと、思いたくはないんだけどなぁ)

 ガサツに頭をくしゃくしゃにする。

 嫌なことがあった後では、どうにもその考えを引きずってしまう。彼は、今でもあのセルリアンの死に際を、どうしても受け入れられないでいた。


「おい、待てぇ!!」

「ほぁっ!?」

 突然だった。

 悩みながらだった性か、背中からの声を全く気付かなかった。

 反射的に両手を挙げて、ゆっくりと振り向く。そこにはフレンズらしい少女が双頭刃式らしいヘラジカとよく似た武器を扱っていた。因みに振り向いてみれば、もう一人のフレンズもまた同じような武器を持ち合わせて此方を睨んでいる。

「見たこと無い怪しい奴……、どこから来た!」

「えぇぇ……」

 突然の脅迫に困惑するマキ。

 目の前のフレンズ二名は、明らかにマキを警戒している……とまでは行かないが、まあそれなりに注意して睨んできている。

「えっと……図書館から来ました。マキです」

「成る程……ならもう一つ聞くぞ」


 喉元で唾を飲み込む音がした。

 彼女達は何かを要求してきているのか? その真意は、次の疑問によって理解できるのか? そう、息込んでいた時だった。


「何故私たちを無視したんだ!!」

「……はい?」

 多分、此所からだと思う。


 話が錯綜し始めたのは……。


   7


 要約しよう。

 どうやら彼女達二名のフレンズ(オーロックス、アラビアオリックスと言うらしい)は竹林からマキが出た所を発見し、声を掛けたらしい。だが、当の本人は歩きながらに考え事をし、全く彼女達の声が耳に入っていなかった。何度呼んでもスルーをし続けるマキに対して、謎の寂しさを憶えたのか、何処か自棄気味にマキに押し寄せていた。


「怪しい奴め!」

「怪しい……」

「ドコモアヤシクナイトオモイマスケドー」

「喋り方が変わったぞ!! 怪しい、ますます怪しい!!」

(……なんでさ)


 オーロックスのフレンズは、半袖にヘソ出しスタイル、更に両剣式の武器を構えている。ヘソ出しスタイルという現代的ファッションに近い服装だが、腹筋がバキバキだ……恐ろしい。と言うか、声も低く、威圧感が強い。

 対しアラビアオリックスのフレンズはオーロックスとは対照的にスラッとした印象を憶える。更に同じく両剣式の武器は、オーロックスに対しては細く槍のようにも見える。こうなると、フレンズの具現武器の殆どは左右対称の角を模した物なのだろう。

(まぁ、どんな見解をしても、怖いことには変わりないです……はい)


「貴様……、何か隠してないか?」

「ナニモカクシテマセーン」

「むむむ……、オーロックス、一旦大将の所へ連れて行こう」

「そうだな。貴様、怪しい動きをするなよ! 怪しい奴め!!」

(何処か矛盾してる気がする……)


 と、言われるがまま、成されるがまま、マキは連行された。彼が連行されたその先……其れは、平原の少し先に見える城だった。……城、と言うには、滑り台などが付いている。きっとパークが健在の時期に建てられたアトラクションなのだろうが、こうなってくると危ないマフィアが占拠しているような籠り城にしか思えない。

 彼の心中に思う気持ちは、単純明快で、完結的な結論だった。

(……帰りたい)


   8


 連行されている最中、城の中を見る機会があった。

 中は特に埃や痛みも無く、長年放置され続けたパークにも関わらず整っている。サンドスター云々の話は前に多少聞き覚えがあったが、この現象もそれに近いのだろうか? 彼の中では疑念が飛び交う。今も尚飛び交い、何かが吹っ切れるような状況にもならない。

 そんな中で、彼が案内されたのはとある一室。最上階の御前のような場所の襖前だった。


「怪しい奴を連れて来ました」

 アラビアオリックスは、襖前で中に声を掛ける。

 すると、中から更に威圧感のある声が帰ってきた。

「……はいれ」

(うわー……、怖いヤバい嫌だもう帰りたいぃぃ……)


 嘆き叶わず襖は開かれる。

 襖の開いた先には一人のフレンズがいた。彼女は胡座をかき、ドンッと重い腰座布団の上に乗せ、此方に睨みをきかせている。マキからしてみれば処刑台に上げられる受刑者のような気分だ。汗をダラダラに流し、顔は引きつった笑みだけを浮かべている。

 顔色は悪い。


「ほら、入れ」

 オーロックスに背中を押され、足を躓かせながら彼は入室する。足下には何か紙風船だったり棒状の物だったり、遊び道具らしき物が転がっているが、彼はそれらなどに目を向けられない程に緊張感のある室内で固まった。

 座るように後ろから片に手を下ろされ、静かに腰掛ける。最早言われて行う的従順人形だ。


「ヘラジカたちの竹林から出て来ました」

 マナーモードマキ。震えと吊り上がった口元が戻らない。

「どこから来た?」

「……図書館、です」

 若干声が裏返ってる。ダラダラ流す汗は未だ止まらない。手汗なんて物もビチャッと音が鳴りそうな程だ。

「何をしに、平原へ?」

 対しリーダー格的フレンズは威圧感を混ぜた声で問うてくる。こうなると最早脅迫にしか見えない。マキに至ってはそろそろ倒れそうだ。

「……、お前達、下がれ」

「コイツは?」

「私が処断する」

 遠回しに殺すと言ってる気がしてならない。マキはもう自分の死を悟ったように震えが止まり青醒めた。

(今日が僕の命日らしいです。天国に居るお祖母ちゃんに会えるかな?)


「「はっ!」」

 彼女の声に頭を下げ、出て行く二人。襖は閉められ、室内に二人。


 ……。

 静寂。

 動かぬマキ。


 リーダー格のフレンズはゆっくりと立ち上がるり、マキを見つめ、そして……。

「……ふぁぁ~~、疲れた疲れた~」

 威厳の無い声で、力が抜ける風船のように寝転がり始めた。

「いやぁ、君も災難だったねぇ。あ、私はライオンだよ~、よろしくね~」

「……、」

「えっとぉ~、君は~~……誰だっけ?」

「……、」

「ん? おーい」

「……、」


 パタンッ。

 意識は、無かった。

 もう、襖の閉じた瞬間に彼の意識はプッツンと切れていた。


 その体験を、後にマキはこう語った。


 ――会ったことの無い大叔母が見えた、と。


   9


「あっはっはっはっはっは!!」

 恐怖によって青ざめていた顔は、当に消えていた。今在るのは、真実を知った後の恥ずかしさを覚えてしまっている顔だ。マキは彼女のあの威圧感が大将としての表向きの役目だと気が付けば、先程の自分の情けなさに顔を赤くして俯いていた。

「ごめ、ごめんって! あはははははははっっ! あーっはははははははははははっっ!!」

 ライオンはお腹を抱えゴロゴロと笑い転げる。段差など知らず、ゴロゴロゴロゴロッと周りを回り抜ける。こんなに笑われるなどとは思いも寄らなかったのだろう。マキは恥ずかしさを通り越し始め、赤みが残った顔でライオンに向かって吐き捨てた。

「もう、勘弁して下さい……」

「いやーははっ、ごめんごめん。怖がる子は見てきたけど、気絶するなんてね~、ふへっ」

 閉じた口から空気が抜けている。もう彼女にとっては半生分の笑いを此所で使い果たしたかのようだ。口を押さえている。


「ごめんごめん。話を戻そっか」

「そうしてくれると有り難いです」

「うんうん。取り敢えず、君はどこから来たんだい? 見たことも無いし、ここら辺の子じゃ無いのかな?」

「えっと……、一応、ヒトなんです」

「へ~。ヒト……なんっだ……ふへへっ」

「もうこの人やだぁ~」

 彼処まで豪快に笑ってまだ笑い足りないというのか……、彼女との話し合いは、何度も何度もフラッシュバックされる風景に邪魔され、難航を極める。


「うんうん、外から調査に来て、図書館に居座って、ヘラジカの所から此所に来たのか……ふふっ、あはははははははっっ!!」

「話だけでも普通にさせて下さい!!」


 とまぁ、説明自体は出来た。

 マキはやっとの事で全てを話せた時には、何とかライオンの笑いも既に去っていた。逆を言えば、途中まで真剣な話を断ち切って笑い出していたのだ。マキからしてみれば今生一番の恥だろう。


「なるほどねぇ~、まあ、博士達がそれで良いって言ったんなら良いんじゃない?」

「あはは……有り難うございます」

「しっかし、面白いねぇ~。まさか本当に外から人が来るなんてね~」

「パークだと絶滅してたって事に成ってるんですね。博士から聞きました」

「結局の所どうなの? というか、ちょっと外の話興味あるな~♪」

「外の話ですか……そうだな~」


 この日の話し合いは、マキにとっては奇妙な経験だった。

 多分、パークに来て初めての、安心したまともな会話だったからだろう。連日連夜、色々と切羽詰まっていた。博士達の無茶難題や、各地での質問攻め……多分、外から来た人という物がそれ程に彼女達にとっては興味深かったのかも知れない。マキからすればジェネレーションギャップに近いシンパシーを感じてならなかった。何故なら、きっと逆もあるし、フレンズ同士や人間同士という同じ枠組みならば――そう、大して変わらないなんて思ってしまうから。

 だが、ライオンとの語らいは、何処か緩やかで、マキにとっては話しやすかった。聞き上手で、穏やかで、相槌や意見を放つ。彼にとってもゆっくりと話せたこの時間は、何処か嬉しかった。


 色んな事を話したと思う。

 人の営み。

 発展した世界。

 国と文化の違い。

 多くの自然と、動物達。

 煌びやかで、誰もが妄想するであろう、綺麗な世界。


 その、一部始終。


「いやー、うん! 悪いねぇ色々と聞かせて貰っちゃって」

「いえ。僕も嬉しかったですよ。余りこういうゆっくりとした時間って作れなかったから」

「あー、博士達か~」

「……はい」

「でもさ、でもさ……」

 ライオンは、その話している中で見せてきた興味を持った顔よりも一段に目を光らせていった。

「君の話を聞いてみたいのよね~」

「僕ですか?」

「そそ、君の周りとか、君の生活だったりとかさ」

「うーん……多分、普通でしたよ。変り映え無く、普通に生活して、普通に勉強して……」

「うっそだー」

「嘘じゃないですって!」

「むむむ……コレは、躰に聞き出すしかないかな?」

「や、やめてください!!」

 ライオンは自分の体格を使い大きく見せ、両手をもの凄くワキワキッと動かしている。笑わせ拷問を思わせるその動きに、ピャーッと驚くマキ。


「あははは、冗談冗談♪」

「ライオンさんのは冗談か解りませんよ」

「あー……えっとさ、その“さん”は付けなくて良いよ」

「え?」


 さん付けを為れてむず痒いのか、髪をワシャワシャと掻き乱すライオン。そして、少し照れくさそうになりながら、彼女はマキに向かってこう言った。

「いやー、一応それらしくやって来たから大将とか言われてるけど、私的にはもっと普通が良いのよね~」

「あー、何となく察しが付きます……」

「でしょー? だから、もっと普通にして欲しいな~ってね~」

「言い得て僕もそういう呼び方が当たり前になってるんですよね」

「だったら良いじゃん。変えちゃおうよ♪ だって、友達に堅っ苦しいのなんて嫌でしょ~?」

「えー……じゃあ、ライオン」

「うんうん♪」

「……さん」

 ズコーッ!

 ライオンの首傾げが一気に前のめりになる。

 そういう習性なのか、マキも何処か困惑したような顔立ちだった。

「ほ、ほら! もう一回!!」

「えー……ラ、ライオ、ン……」

「もっと早くもっと早く」

「ライオ、ン?」

「続けちゃって~?」

「……ライオン」

「うんうん、良いと思うよ~」

 何故かゲームのような感覚だった。リズムゲームに近い要素が在った気がする。そんなことをマキは何処か照れくさそうになりながらも考え込んだ。多分彼としても、そういう呼び捨てという物が収監されていなかったのかも知れない。何処か気が狂いながらに思う。


(でも……何て言うんだろう。こう言うお姉さん肌だから、皆付いてくるんだろうなぁ……大将なんて呼ばれて慕われて……少し、羨ましい)

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