第二章 伸ばされる優しさ
1
青年は、足場の無い雑木林を歩く。
自分がどれ程までに気絶していたのか、思い出す事は出来ないが、ただ、無性に腹を空かせている事は解った。
だけれど、どんな道を歩いても、食糧も人も……何一つ見つからない。
「……ここどこ?」
迷子と認めたくない。
何故なら、歩いて数分だ。寧ろ後ろを見返せば波の音が聞こえてくる。だからこそ、自分の疲労によって歩いた体感距離が長く感じて、だけどそんなに歩いていない。そんな自分が嫌になり始める。
だが、そんなヘトヘトの状態の中……ある一つの光を見つけた。
「……光?」
首を傾げるのも当然だ。
だが、それはフワフワと動きながら、姿を消し始めた。
「……ッ待って!!」
迷う事無く、彼は掛け出した。
今更妖怪でも何でも良い。それでも、彼にとっては何かを見つけた事には変わりない。彼は我武者羅に走り出す。
「……はぁ、はぁ」
元より体力など余っていない。しかし、そんな事はどうでも良い。今必要な回答は、誰かを見つけるだけだった。
だからこそ、それが何であれ彼にはどうでも良かったのだ。
2
雑木林を抜け、木々を抜け、青年は走る。何処かへ行ってしまう光に、手を伸ばす。
その結果、彼が見つけたのは――謎の逃走劇を終えた先に待っていたのは――奇妙な物だった。
「――!」
「……ぇ?」
小説とかで、ありがちなパターンかも知れない。いつの間にか登っていたのか、そこは崖だ。そして、まるでそこに追い詰められた生物が……ポツンッと立っている。
緑の、丸っとしているが、何処か凸がある……膝下ぐらいの弾力がありそうな生物だ。
「……………………………………………………………………………………………………」
「……………………………………………………………………………………………………」
両者、見つめ合う。
青年も、始めて会った現地民第一号が人型さえしていない生物だとは思わなかった。彼はその、余りにも未知な緑色の一つ目生命体を前に目を丸くして止まっていた。
だが。
「……えっと」
最初に出た言葉は。
「はじめまし、て?」
挨拶だった。
今は、青年にとっては初めての生物との邂逅だ。どんな形であれ、今は何処か温もりを欲してしまっていた。だからこそ、一歩、近づく。
「――ッ」
生物は、一歩下がる。
どうやら、何処か危機感を感じ取ったのかも知れない。彼が進もうとすれば、その未確認生物は下がる。
「あ、えっと……怪しい物じゃ無いんです!!ちょっと道と……後ご飯を頂けたら何て」
言葉に意味は無いのか、それでも未確認生物は少しずつ遠ざかる。
「その先は危ないですよ!! べ、別にとって食べたりしませんから!!」
ギリギリだ。
あの生物は後ろが見えていないのか、既に崖っぷちだ。
(うーん……どうしよっかなぁ~……もしかして海外?! 日本語わからない!?)
その場でうーん、と頭を悩ませる青年。だが、状況は刻一刻を争う。ジリジリと、生物は崖の先までに到達している。声にも反応している様子は無く、敵意丸出しだ。
(敵意……というか、怯えてるのかな……??)
そんな風に、彼はその状況を無頓着に考えている中だった。……ガッ!
「……ッ!?」
未確認の生物は、踏み外したのか、崖先が崩れる。
そして。
だが、それよりも。
青年の足は、動いていた。
――ガッ!!
ヒュゥゥゥゥ……。
青年は、身を乗り出して未確認生物を掴んでいた。
緑の部位をがっしりと掴んでいるが、どうにも掴んでいると言うよりは埋まっているようで、素直な感想が、
(冷たっ!? いや、何か感触がデロッとしてるのかもわかんないし、柔らかい!? ……のかな?)
重さはそこまで無い。
だが、片手でその未確認生物を引き上げるのは、空腹と極限状態の彼には至難だった。目線の先には尖った岩場が見える。このまま二人が落ちたら一溜まりも無い。思わず唾を飲み、彼は背筋に寒気が走る。
手先ではジタバタッ!! と震える未確認生物。だが、そんな得体の知れない生物に彼は、言った。
「……ッ大丈夫。きっと、助けるから」
その言葉に、突如として未確認生物の動きは止まる。通じたのかは知らないが、それでも、思う以上の力を入れる必要が無くなった。
(よし、今なら!)
彼は、ゆっくりと躰を後ろへと動かす。
そして、掴んでいた腕は崖の上へと上がり、未確認生物を引き上げたのだ。
「……っと、危なかったなぁ」
彼は、その未確認生物をまるで小動物かのように撫で回す。
「――!」
「そっかそっか~、ビックリしたかー!」
未確認生物の動きも、先程までとは違う。本当に小動物かのように、目の前でぴょんぴょんっと跳ね出していたのだ。
「よしよし、怖かったね。でも、もう大丈夫だよ」
優しく、撫でる彼。撫でられた未確認生物もまた、嬉しそうに撫でられる。
「さて……、話は出来なさそうだし……うーん、お腹空いた」
一気にドッと疲れが来たのか、どうにも躰が言う事を聞かない。疲労に疲労を重ねてしまい、大きな溜め息が吐き出される。因みに未確認生命体は、
「よし、進もっか。何も始まらないしね!」
「――!」
立ち上がる彼に、同調するように飛び跳ねる未確認生命体。彼等は再び木々を抜け、先へと歩み始めた。
「ふふっ、跳ねて動くんだね」
「――!!」
3
歩んで行く先が、何処なのか解らない。
今も尚続く雑木林を、青年と未確認生命体が歩む。先程と変わらぬ疲労感と空腹感があったが、何故か少し満足出来ていた。きっと、誰かと出会えたその事実一つが心を満たしているのだろうか?
「でも、何も見つからないね……誰かの住宅でも在れば良いんだけど」
「――?」
「あはは、大丈夫だと思うんだけどね」
未確認生命体の何処か身振り素振りで伝えてくるその仕草は、小ささの性か愛くるしくも思える。無人島に飛ばされても、誰かが居ると安心するというのはこう言う事なのかも知れない。
だが。
どこか。
「……あれ?」
青年は、ふらっと躰を揺らす。足に力が入らないのか、なし崩しのようにそのまま地面にバタリッと倒れた。
「――!? ――!!」
地面に倒れ込んだ青年を、その未確認生命体は心配そうに寄り添う。肌に触れる感触は冷たく気持ちよくも感じる。だが、それでも何故か声が出ない。
(あ……れ?)
目の前が揺らぐ。仄かに呼吸も速くなる。だが、それに反して意識が遠退く。霞んだ視界の先、そこでは今でも心配してくれる未確認生命体が居る。
(だ……大丈、夫……だか、ら……)
地面に寝転んだ青年は、声のでないのに気付かないままに、意識が失った。
4
「……あ、居た」
5
「……、」
どのくらい、時間が経ったのだろうか?
青年は、ゆっくりと
「もう夕方?! ……ッ!! 痛た……」
勢いよく起き上がり、頭を抑える。
「……起きた」
「……ぇ?」
聞こえた。確かに、先程の物では無く、今度はちゃんとした人の言葉で話す声。
その声を聞いた瞬間彼は、その声の主に向かって目線を移す。そこに居たのは、少女? だった。いや、正確には違う。全身が緑。……肌も、髪も、全てが同一色に近いようにも見える、立体感のある緑だ。ただ、それでも緑を基調にしながら、濃いか薄いか、更には別の色だって交わっている。頭頂部には羽根のように、SFで観る動物を擬人化した時の耳のような所に、虹を模るような青、赤、黄と、三色で構成されている。
ただ、矢張り何処か人とは言い難い。
「……君は、一体」
「この子を、助けてくれたよね?」
「……え?」
彼女がそう言うと、彼女の側では先程の丸っこい緑色の生命体が彼の復活をぴょんぴょんっと跳ねて喜んでいた。更に、ぴょーんっ! と彼の懐に飛び込んで躰をぐいぐいと押し付けてくる。
「はは、ははは!! ごめんな、心配させちゃった? よしよし」
「……珍しい」
「へ? 何がですか?」
彼女は、率直に疑問を投げかけてきた。
「セルリアンにそんな優しくする人、初めて」
「へー、そっかーセルリアンって言うのかー!」
「――!!」
彼は名前を呼び、更に優しく撫で回す。彼女にとっては忠告的な意味合いだったのかは知らないが、青年はお構いなしに抱き付く。セルリアンと呼ばれた生命体も、彼の行動を許してしまっているのかペットのようにじゃれ合う。
「セルリアンが人に懐くのも初めて……アナタは、一体……?」
「あ、そっか! 自己紹介を忘れてたよね」
彼はセルリアンを優しく降ろし、キチッと立ち上がる。
そして、
「初めまして、日本列島からジャパリパークという島の実地調査で来ました。研究員候補生のマキと申します!」
キチッと敬礼する。だが、何処か抜け切れてない穏やかさを残す柔和な笑みと、柔らかそうな物腰が旨く締まらない。加えて、空腹で行き倒れていた人間が急に立ち上がれば、どうなるか? 態々遠回しに言わずとも、その結果は直ぐに出た。
「あー……、く、くらくらするぅ~」
尻餅を付いて座り込む。口元からぷわぁ~っと息が抜け、自分のお腹を摩ってみせる。
「そういえば、付いてから何も食べてないんだった……缶詰も何処かに落としちゃったらしいし……」
「……大丈夫?」
そんな何処か抜けているような青年に向けて、彼女は手を伸ばす。
「私は、セーバル。よろしくね」
伸ばされた手は、確かに彼の前にある。彼は、その手に向けて手を伸ばし、触れる。ギュッと握られた手に引かれ、彼は立ち上がった。
「はい、よろしくお願いします」
6
「……そういえば」
雑木林を歩む中で、マキはセーバルに問うた。
「何処に向かってるんですか?」
「ついてくれば解る」
「……はぁ」
何処に案内されているのかは知らない。自己紹介の後は、余り話さえ出来ず、唯々その後をつけるだけだ。彼女は道を知っているのか迷い無く進み、マキはその後を懸命に追うだけだ。
「ね、ねぇ!! 君は……人なのかい?」
「……違う」
「じゃあ、その事同じ?」
「違……くは無いけど、ちょっと違う」
「えー……」
質問をしても、コレだ。会話は成り立つが、欲しい回答は得られ無い。
「……ぁ」
「え?」
彼女は、彼に向かって振り返る。
「待って」
「えっと、セーバルさん?」
彼の眼を覗くように顔を近づかせる。突然の接近に驚いたマキは、ジッと固まっていた。セーバルは片手を彼の頬へと当て、撫でる。
「ココ、怪我してる」
「……、」
「……どうしたの?」
少年の目には、一筋の雫が零れていた。唖然と小さく口を開け、ジッと彼女を見つめ返す。
(……なんだろう。暖かい)
「ねぇ、大丈夫?」
「……え!? あ、ごめんなさい!! これ位なら大丈夫ですよ!」
「そう?」
頬から手を離し、彼女は首を傾げる。
「なら、行こっか」
「えっと、はい」
その一瞬の行動は、過ちか、運命か。
そんな絵空事を奏でたくなるような、一瞬の濃密な時間が、マキの中にはあった。
(……きっと、あの暖かい手は、とても優しい人の証拠なんだろうな)
久方振りに触った温もりに、優しさが含まれていたような。その綺麗な一時は、彼がこの島で初めて見つけた優しさだった。
「待って下さい! セーバルさん!!」
7
「見えたよ」
彼女は、その雑木林の先を指差す。
「ふぃぃ……疲れたぁ……」
「お疲れ様」
「いえ、
「ううん。じゃあ、私たちはココで」
「――!!」
「アレ? 貴方達は一緒に来ないんですか?」
「うん、ここから先は、多分君一人の方が良い」
「そうですか……もう少し話したかったですが……、なら、セーバルさん!」
「……?」
マキは、セーバルに向かって手を出す。
「友情の握手です!!」
「……どうして??」
「どうしてって、僕にとってアナタは命の恩人でした。だから、またいつか会いましょう、と!」
セーバルは、目を丸くする。
その意味は解らない。だが、それでも彼女は、指で口元を押さえクスッと微笑むと、その手に彼女は手を伸ばした。
「うん、また、いつか」
「――!!」
「ああ、お前もまた今度な~」
優しい握手と、セルリアンを一度撫でると、彼は木々を抜けた先へと歩み出した。
「それでは!」
「うん、バイバイ」
8
此れは、新たな世界の始まりだ。
光に向かって歩み出した少年は、新たな出会いを求めて先に進む。
その先に待つのは、どんな運命なのか。数多の世界の何処かの、一つの運命がまた動き出す。
さあ、行こう。
木々を抜けた先の、日光が地面を射す天の下に足を踏み入れ、迷い無く進み出す。胸に抱いた優しき情熱と、途方も無い夢を追いかけた先を眼にする為に。
――果てしない理想の先へ。
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