第4話 怒りとおまじない

 翌日、羊の放牧から帰ってきたジルは、集落の様子がおかしいことに気づいた。知らない人間がいる。

 ちょうどフォンが集落の入り口のテントの所にいた。


「フォンさん、何かあったんですか?」

「ああ、南からの使者だとよ」


 南にはクレアニア王国という国がある。タイタニア族との関係は悪くない。隣国とは名ばかりで、クレアニア王国の端までには馬でも数日の距離が開いていた。間の作物が育ちにくい荒れ地に住まう民族はほぼいない。


「いったい、何の用で?」

「さあ、分からん。今は長老たちと話し合ってるよ」


 まだ年若い自分は、使者と長老たちが話し合っている内容を教えてもらうことなどできそうにない。フォンのように一家を支えているならまだしも、完全に両親のもとで暮らしていた。まだ妻を娶る年齢でもなければ、長男であるジルはこれから年老いていく両親の面倒をみる義務があるために家族を離れられない。そのために長男は出席できないが、新しく家を構えた次男がいる会合などもあったりする。


「いたいた。おい、ジル。長老たちがお呼びだ」


 そんないじけに近いことを思っていたところ、父親が呼びにきたうしろにはバロウまでいる。


「何の御用でしょうか?」

「何年か前にきたアリスさんについて聞きたい事があるらしい」


 その名を聞いて胸がドキンとなった。嫌な予感がする。それが何かは分からない。


「分かりました。すぐに向かいます」


 急いでしていた仕事を片付けて長老のテントに向かうと言うと、父親とバロウは先に行くと言った。

 ジルには胸騒ぎの原因が分からない。いつの間にか握りしめていた首飾りを見つめる。誰も、この首飾りをアリスからもらったことは知らないはずだ。他の人間には草原で拾ったと言ってある。

 アリスとの繋がりともいってもよいものである。ジルはそっとその首飾りを外して寝台の下にしまいこんだ。


「ジルです。入ります」


 父親のテントには数名ずつしかいなかった。タイタニア族は長老が3人に、ジルの父親、バロウのみである。クレアニア王国は4人だった。

 一番偉そうな人がいきなり言った。


「アリス=ヴィクトリアを知ってるな?」

「はい、7年前にここに来ました」

「何か物を残していかなかったか? 宝石だとか、指輪、あるいは首飾りのようなものだ」


 首飾り、と聞かれて鼓動が強く鳴った。ジルの直感が何かまずいことが起きていると訴えている。


「いえ、何も。お仲間の遺品の中にあった外套ならもらいました」


 外套は事実である。大きさが合わなかったのと、タイタニア族の羊毛製ではないためにあまり着ないが、最近になってようやく着ても違和感がなくなってきていた。羊毛では暑すぎる日に着ているから、集落の中では有名な話ではある。

 首飾りと聞いて、他の大人はどう思っただろうか。特にジルの父親はジルがその頃から首飾りをしているのを知っている。草原で拾ったのを嘘だと思ったかもしれない。

 普段は服の下にあって見えない。今の服装ならば首もとが見えているが、外してきたために長老たちやバロウは何も感じなかった。


「使者どの、もう良いでしょう。これ以上は訳を説明していただけなければ協力したくともできないじゃないですか」


 長老の発言に、使者はやむなしといった表情をした。


「我が国の南にオレガノーラ王国という国がある。そこの魔術研究所の長が先ほど言ったアリス=ヴィクトリアだ。我々はオレガノーラ王国を攻め、一部を占領したものの決め手に欠けている。既に4年になるがなかなか攻め込むことができていない。そんな時に占領した街の研究所から、アリス=ヴィクトリアが7年前にここにきて巨人の研究をしていたことが分かった。我が国に伝わる古文書にもタクエスの巨人についての記載がある「タイタンの手綱」と呼ばれる魔石さえあればタクエスの巨人は操ることができる。タイタニア族もあのような何の役にもたたない神などいなくなった方が自由に生きることができるだろう」


 あの首飾りを探している。ジルが感じたのは不安だった。対して長老たちは怒りを覚える。


「我らから神を奪い取ろうと言うのか!?」

「その神とやらがお前らに何をしたという!」

「この地に住んでいないお前らに何が分かる!?」


 完全な口論となってしまったが、ジルの父親だけは冷静であった。


「長老も使者どのも落ち着いてくだされ、我らが争っても何の益もない。特に使者どのは務めを果たせないのではないでしょうか」


 冷や水を浴びせられたかのように静まる一同とは対照的に、ジルは自分の鼓動を抑えることができなかった。


「ジル、とりあえずはその外套を持ってきなさい。もしかしたらその中にその魔石とやらがあるかもしれない。ただし、タイタニアの神がそんなもので操られるとは思わないことですな」


 使者を射殺すかのように鋭いジルの父親の視線で、クレアニア王国の一向はたじろいだ。ジルの父親は立って、ジルに近づき肩に手を置く。


「ほら、行ってこい」


 父親の目が何かを言っているのはジルには完全に分かった。これは首飾りを決して渡してはならないという事だろう。そして、それは口に出してはならない。


「はい、父上」


 長老のテントから出ることができたのは幸運だった。あれ以上あそこにいたならば、全てを放してしまいそうなほどに息苦しかった。

 首飾りは寝台の下である。それを取り出してどこかに埋めるべきかとも思ったが集落のところどころには使者についてやってきたクレアニア王国の人間がいるようだった。それに、なにかしら不振な行動をしているとばれてしまいそうである。

 隠したこと自体は良かったと思うしかない。父上も気づいていてあえて何も言わないのだと、ジルは思う事にした。それであれば今は早く外套を持っていくだけである。それも疑われないように。

 ジルはテントへ戻るとアリスに仲間の外套を持ってすぐに長老のテントへと戻った。


 外套をくまなく調べた使者たちは、何も見つけられなくてため息をついた。


「そもそもアリス=ヴィクトリアがそんな貴重な品をここに置いて帰るのでしょうか。他の誰かが持っていて、神様の邪魔をした時に失われたかもしれません」

「その場所は分かるか?」

「7年も前の事です。すでに何度神様に踏まれたかも分からない地で、我らでも正確な場所は分かりませんよ」


 ジルの父親の主張は正しいと使者も思ったのだろう。態度が少し軟化しているようだった。


「数日、ここを拠点に情報を集める。滞在の用意を要求する」


 使者はそういうと、長老たちのテントに滞在するようだった。長老たちも力の差からクレアニア王国には表立って逆らうことはできない。


「ジル、首飾りは?」

「寝台の下に隠してあります」


 使者たちとの話し合いが終わり、ジルは父親と共にテントへ帰ることになった。その間もクレアニア王国の人がジルたちを監視するかのように付いて来ている。ジルの父親はジルにだけ聞こえるように話した。


「絶対に渡してはならん」

「分かりました」


 首にかけるわけにはいかないが、どこかに忍ばせておいて集落の外に出る時に隠してしまうのがいいかもしれない。ただ、その現場を見られるわけにはいかないから焦りは禁物である。狩りに出る時がもっとも遠出できる。地図にある目印の近くならば、いつか取りに帰ることもできそうだった。どこかに埋めてしまわなければ、本当に神様が操られてしまうのではないかという不安がジルにはある。

 それはアリスが神様の歩く方向を言い当てたことが根本にあった。神様は神様であって魔術師が作り上げた巨人ではないという思いが崩れていた。もしかしたら、いや、本当はアリスの言うことが正しいのだろう。だけど、戦争の道具にするという人間に神様をゆだねるわけにはいかない。


「いっその事、どこかに捨てるか壊すかしますか?」


 ジルとしてはアリスとの思い出が詰まった物であり惜しい気もする。だがタイタニア族の将来とは比べようもなかった。そんなジルに対して父は意外な事を言った。


「持っておけ。お前ならば力を間違った方向に使うこともない。もし、それで神様を操ることができたとしても、悪いようにはならないだろう」


 すでに父親はジルを認めていた。そしてアリスの話を完全に無視していたわけではなく、父親なりに考えていたという事だろう。神様が魔術師の作り上げた巨人であろうとも、タイタニアの神様だという信念は崩れなかった。

 だが、この二人の思いは実ることはなかった。


「アギュレイ様! 見つけましたっ!」

「返してよ! それはジル兄のなんだからっ!」


 アギュレイと呼ばれた使者はその声を聞き、長老のテントを出てきた。クレアニア王国の人間が握っているのはジルがアリスからもらった首飾りである。それを返すように訴えているのはジルの妹だった。ジルが首飾りを寝台の下に隠すのを見て、興味が沸いたのだろう。

 11歳の少女が首飾りに興味を持つことはむしろ自然である。ジルが帰ってくるまでに戻しておくつもりだった妹は、それを付けて外に出た所をクレアニア王国の人間に見つかってしまったのだ。


「ほう、やはりあったか。よし、巨人の所まで行くぞ!」


 すでにアギュレイはタイタニア族を無視して行動を開始していた。十数人いたクレアニア王国の集団は東へ向けて集落から出て行った。その方角はおそらくは神様の歩いている方角である。

 何事かと出てきた他のタイタニア族や長老たちへジルの父親が簡単に説明をした。アギュレイは首飾りを隠し持っていた事を恨んでここを襲うだろうかといった意見が出ていた。


「あの首飾りで神様を操ることができると思うか?」


 バロウが言った。彼もアリスが言い当てた神様の歩く方向が正しかったことを身をもって実感している一人である。そうでなくてもアギュレイがクレアニア王国へと帰ればタイタニア族との関係は悪くなってしまうだろう。さすがに報復に来るとまでは思わない者も多かったが、不安がある。


「長老、とりあえず様子を見に行かせて下さい」


 バロウは馬を引いてきた。


「バロウよ、一人では危ない。何人か連れて行け」

「分かりました。フォン……あと、ジルを連れて行っていいか」


 たまたま昨日神様の様子を見に行った面子である。弓の上手いフォンと、首飾りの持ち主だったジルを選んだ。ジルの父親もそれに許可を出した。


「バロウ、頼んだぞ」


 ジルの父親はそう言ったあとにバロウに耳打ちをした。バロウはそれを真剣な顔をして聞いていた。


「父上はなんて……?」

「よせ、まずは出てからだ」


 バロウはジルとフォンと話そうとはしなかった。3人は馬を走らせて東へとアギュレイたちを追った。

 集落のテントが見えなくなるくらいでバロウが馬の速さを弛めた。話があるようだ。


「フォン、ジル。多分、お前たちはこのまま行けば次の世代のタイタニア族を引っ張っていく立場だ」


 何故今、このような事を言うのか、ジルには理解できない。フォンは黙って聞いている。


「お前の父も、俺もあの首飾りが神様を操る可能性があると考えている。もし、あのクレアニアのやつらが神様に何かしてしまえばタイタニア族が危険になるんだ。だから……」


 バロウは少しだけ声を落とした。


「だから、あいつらを生かして帰さない。もちろん、神様にはなにもさせない。この事を知るのは4人だけだ。分かったな」


 フォンは頷くと無言で弓を持ち直した。


「待って下さい。殺すのですか?」

「ああ、殺す。全ては族のためだ」


 ジルの知らないバロウがそこにいた。そしてその指示はジルの父親からだった。あの優しい父親がそんな事をと思うが、全ては族のためと言われて、納得しそうになる自分がいる。


「族の他の人間には絶対言ってはならない。長老にもだ」


 温厚なタイタニア族らしくない考え方である。だが、族の率いるという事がいかに難しいかはなんとなく分かった。次世代の代表として、選ばれたはずであるが、嬉しさはほぼなかった。


「アギュレイだけじゃない、1人も生かしておいてはならない」


 そう言うとバロウは馬の速度を上げた。鎧を着こんだクレアニア王国の使者たちにはいずれ追い付くだろうが、神様がどこを歩いているかが分からなかった。


「遠巻きに射てば奴らの弓は届かない。大丈夫だ、ほとんど俺がやってやるよ」


 年下のジルを気遣ってフォンが馬を寄せた。狩りの時の飄々とした表情とは違い、フォンも真面目な顔をしている。


「いえ、これが必要な事だとは分かっています」


 ジルは覚悟を決めた。人を射ったことはない。だが、タイタニア族のためにできる事をしなくてはならない。


「しかし、3人でやれるのでしょうか」


 ジルの懸念はそれである。いくら他のタイタニア族に分からないようにと言っても達成できなければ意味がない。


「大丈夫だ、それは問題ない」


 フォンは自信たっぷりに言った。それが自分を不安にさせないための虚勢だと、ジルは思った。実際にフォン自身も足の震えが治まっていない。だが、彼としては年下のジルという存在があった事でなんとか平常を保っていた。


「見えたぞ。……読まれていたか」


 バロウが指差した先にはクレアニア王国の人間が10人ほど待っていた……。


「集落に来たのは17人、まだ他にいる可能性を考えてもあれば我らの足止めだろう」


 バロウが弓をつがえる。慌ててジルも弓を取り出した。フォンは、最初から弓を持ったまま疾駆させていた。射程に入ったために弓を引く。バロウが先頭の男を射抜いた。フォンの矢があとに続いた。


「ためらうな」


 その言葉がなければ矢は飛ばなかったのではないだろうか。石のように硬直した指が何故離れたのか。感触はいつもと変わらなかった。そして矢の軌道もである。

 ジルの矢は初めて人の命を奪った。


「近づきすぎるなっ!」


 そのまま突っ込もうとしていた所をバロウに止められた。まだ、相手の射程ではなく、複数の矢がジルたちの前方の地面に突き刺さる。フォンの矢がもう一度放たれた。


 タイタニア族の男は弓の名手である。それも幼少期から狩りで鍛えられ、遺伝的に弓に優れた者を多く輩出している。その中でも特に優れている方の3人であった。クレアニア王国の護衛ごときが束になっても敵うはずがないのである。劣勢を悟った護衛たちは盾を構えて防御の陣形を取った。

 その盾にフォンの矢が突き刺さる。強弓とも言えるフォンの矢は金属であろうが貫き通した。前衛が崩れたのを見て、ジルもバロウも射掛けた。だが、致命傷とまではいかない。

 それでも盾の隙間などから少しずつ急所に刺さる矢が増えていった。


「まずいな」


 矢は有限である。いくら相手の矢が届かない距離から撃っていても矢が切れてしまったら近寄るしかない。タイタニア族は近接の武器はナイフ程度しか持たないのである。

 それでもバロウが最後の10人目を射抜いた時にはまだ矢は残っていた。


「回収できる矢は回収するんだ」

「ジル、お前はいい。休んでろ」


 初めて人を射抜いたジルを休ませてフォンが手早く矢を回収した。半数をジルへと渡す。

 ジルは震えを止めることができなかった。殺すしかなかったのだろうか。覚悟を決めたはずなのに。だが、事態はそれを許してはくれない。

 更に東へと進んだ。


「思ったよりも時間がかかった」


 バロウが焦っている。昨日の神様の歩き方から予想すると、アギュレイたちはすでに神様の許へとたどり着いているかもしれない。あんな巨大な神様が操られるわけがないという思いと、もしかしたらという感情が3人をさらに焦らせた。だが、馬は焦ったからといって速くなるわけではない。


 そのうち、神様の足音が聞こえてきた。更にはその巨体が遠くに歩いているのが見える。


「間に合え!」


 まだアギュレイ達は見えない。神様の足元にまではたどり着いていないのだろう。


「ジル! 見えるか!?」


 3人の中で最も目が良いのはジルである。


「ええ……、いました! まだ馬で走ってます! 数は……7!」

「よし、他の経路で南に向かった奴はいなさそうだな!」


 集落に来ていたのは17人、先程射殺したのは10人だった。計算上の数は合う。

 7人がこちらに気づいたようだった。3人が反転してくる。フォンはその先頭の男を真っ先に射抜いた。まだ向こうの矢は届く距離ではない。そのために3人は馬を進めずに矢を放つ。

 もう1人がバロウの矢を受けて馬から落ちた。

 ジルは迷っていた。矢を撃ちたくはないが、しなければならない事だと自分に言い聞かせる。

 相手が射程に入ったようだった。矢が飛んでくる。まだ距離があるためにそれは見えていた。まっすぐ飛んでくる矢をなんとかかわす。そしてジルは矢を放った。

 ジルの弓も強弓である。ほぼ父親のものと変わらないそれは、クレアニア王国の護衛の首に刺さった。


「よし、急ぐぞ!」


 バロウとフォンが馬を駆けさせた。ジルも跡に続く。

 吐き気がしそうだった。前の2人がいなかったらできなかったであろう事を自分はしている。

 父上はこの事をどう思うだろうか。ジルはそっと首元の首飾りを触ろうとして、それがない事に気づいた。少年期からずっと身に着けていた首飾りである。ジルが集落の皆から認められているのも、アリスのおかげであると感謝をし、その繋がりを大事に生きて来た。

 取り返したい。そう思った。首飾りはアギュレイが持っている。アリスはあれを握りしめて念じると言っていた。クレアニア王国には他にも必要なやり方が残っていたのかもしれない。アギュレイを神様に近づけては駄目だとはっきり感じた。

 残りの4人のうち3人が反転した。先ほどまでの護衛とは違って立派な鎧を付けている。おそらくはアギュレイの精鋭だろう。アギュレイのみが神様へと馬を進めていく。


「行かせるな!」


 フォンが矢を放った。しかし、それは精鋭の盾に防がれてしまった。続けざまに矢を放つが、どれも盾で防がれてしまう。先ほどまでの護衛とは実力が違った。


「どうします!?」

「馬が一番早いのはジルだ!」


 フォンが言った。ジルは何を言われたかが分からなかった。


「ジル! 大きく迂回してアギュレイをやれ! それまでこいつらは俺たちで行かせないようにしておくからな」

「はい!」


 返事をしてから気づいた。これから先は一人でやらなければならない。だが、身体は先に動いていた。指示通りに大きく迂回し始める。

 護衛の一人がそんなジルを追おうとした。しかしフォンの矢がそれを阻んだ。


「行け! ジル!」

「よし、フォン。我々タイタニア族としては不本意だが、馬を射るぞ。俺たちが死んでも馬がなければこいつらはのたれ死ぬ」

「分かりました、バロウさん!」


 ジルは大きく息を吸った。神様のかなり近くまで来ている。アギュレイはすでにもう少しで神様の所へと到達するだろう。

 首飾りを握って、掲げるに違いない。その手を狙う。首飾りが壊れてしまっても構わないと思った。 


「アギュレイ!」


 アギュレイが振り返った。明らかに舌打ちをしている。


「さっきの餓鬼か! だが残念だったな! もう遅い!」


 神様は見上げるほどの所にまで来ていた。動かない的であればすでに射程の中である。しかしアギュレイは立派な鎧を付けているし、馬はかなり大きな馬であった。どちらも一矢で倒せるとは思えない。


「さあ、タクエスの巨人よ! これがタイタンの手綱だ! 私の命令を聞くのだ!」


 アギュレイが馬を駆けさせながら首飾りを掲げた。

 ここしかない。ジルは矢を放った。


 しかし、矢はそれた。それまで風が吹いていたのだ。神様が歩く足元には常に風が吹いていた。あれほどの巨体が動くためだった。


 だが、神様は止まっていた。そのために風の向きが変わった。矢は外れた。



 そして、神様の槍が振り払われた。


「馬鹿な!」


 アギュレイの最期の言葉はそれだった。槍はアギュレイに直撃はしなかったが、近くの地面を抉った。石礫いしつぶてというにはあまりにも巨大な石がアギュレイの頭部をえぐった。馬ごと吹き飛ぶアギュレイはジルの近くにまで飛んできた。その右手の指には首飾りが絡まっている。


「神様が!」


 吹き荒れる土煙の中、ジルは神様の動きが明らかにおかしいという事に気づいた。それはジルを邪魔だとして払おうというわけでもなければ、また歩みを始めようとする動きでもない。


「……なんで?」


『所定の回数以上の暗号の誤入力を検知。無資格者からの命令と判断。一次緊急防御態勢へ移行』


 神様の声をはじめて聞いた。ジルには意味が分からなかった。誰に向けて発せられた言葉なのかも分からない。だが、何か恐ろしい事が起こったという事だけは直感していた。

 地響きがする。神様の周りだけではなくタイタニア平原全体が揺れているようだった。

 そして、それは例えではなかったのだろう。実際にタイタニア平原のいたるところで地震が起きていた。その正体はすぐに分かった。


 ジルのいる場所からでも、2か所の土の盛り上がりが見える。それは神様と同程度の大きさの何か・・が地面から起き上がっている光景だった。至るところでが立ち上がる。


「こんなに沢山の神様が……」


 足元が見えないほど遠くでも、神様が起き上がってきたのが見えた。その数は無数といってもいい。タイタニア平原全部に神様は埋まっていたのかもしれない。


『攻撃を検知もしくは資格者からの暗号入力がなく所定の時間を経過すると二次緊急防御態勢へと移行します』


 あまりの異常事態にジルは考えがまとまらない。

 この世の終わりなのかもしれない。これだけの神様がもし、暴れたりしたら。


 そっと首元に手がいく。それがこの数年のジルの癖だった。

 だが、そこに首飾りはない。

 すぐ近くに、アギュレイだったが転がっていた。馬から降りてそこに近づく。ジルはこの事態をどうにかできるなんて思ってもいなかった。

 ただ、単純に心のよりどころが欲しかっただけである。

 アギュレイの指から首飾りを取った。それを首にかけると数時間していなかっただけなのに、ずいぶんと久しぶりのような感触があった。首飾りを握る。こんな極限の状態でもひとつだけ思い出すことがあった。こんな状態だからこそ思い出したのかもしれない。


「ほっほっほ、当たり前だね。神様も当たり前の事をするんだよ。さあ、おまじないも教えよう」

「おまじない?」

「そう、神様は目がないからね。耳で聞くんだよ。こう言うんだ……」



「PASSWARD TITAN EMERGENCY SYSTEM RELEASE」



 いつか神様の足元をすり抜けた際に唱えたおまじない。これは長老からの伝承でタイタニア族全てが言うことができる。と言っても意味など分からない。そしてそれを発音するだけだった。

 タイタニア族に生まれたジルがこのような行動を取ったのは自然な事である。すでに、おまじないにすがるしか方法がなかった。


 それまで直立していた神様たちが一斉に地へと戻っていく。それだけでもかなりの土埃が舞った。タイタニア平原は砂嵐に見舞われたかのようになっている。

 ジルは馬とともにその砂嵐なのか土埃なのかが治まるまで耐えた。それしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る