第3話 恩返しと成長

 アリスは長老の前で全てを包み隠さず話した。タイタニア族ではないアリスが神様の邪魔をしたという所でタイタニア族の掟に従って罰することはないと、長老は言った。


「ですが、他部族に神様の事をお話して、本当に他の方々が神様には手を出さない方が良いと、納得してくださるのですかな?」


 この質問に、アリスは答える事ができなかった。ただ、説得しますというアリスに対して長老は言った。


「伝承を聞くくらいならばよろしいでしょう。今夜から子供たちに混ざってお聞きなさい」

「タイタニア族は誰を見捨てることもしない。ジルが見捨てなかったあなたを父親である私が見捨てるわけにはいかない。これから、私のテントにあなたの居場所を作ろう」


 ジルの父親はそう言った。迷いなく生き続けるこの部族が、アリスにはたまらなく羨ましく見えた。


 タイタニア族独自の羊の毛で作られた服に着替えたアリスは、肌の色合いが少し白いのと、髪の毛が金髪であるのに何とも言えない違和感を感じていた。


「そんな事ないよ、似合ってるよ」


 ジルの妹は、アリスにすぐなついたようである。対して弟二人はまだアリスの事を受け入れられてないようだった。

 肉が減る、とでも思ってるのかなとジルは考える。

 父親はアリスを客としては扱わないと言った。アリスもそれを了承し、家の仕事を手伝うと言っている。


「一応は一通りの訓練は受けてるから、剣も槍も弓も使えるつもりでいたんだけどね」


 洗濯物のために妹と川まで来ていたアリスはぼやいた。二人の護衛、もとい子守りとしてジルがついてきている。


「ジル君の弓を見た後じゃあ、使えるなんて軽々しく言えないわ」

「父上の弓はこんなものじゃないよ」


 ちょうど視界に入った対岸の兎を射抜いて帰ってきたジルが言った。洗濯物をしている下流で血抜きをしている。


「そうなんでしょうね。それにタイタニア族を見てたら重たい剣や槍を振るうのが馬鹿らしくなるわ」


 射程のはるか遠くから必殺の矢が飛んで来る状況で槍の長さは何の意味ももたない。タイタニア族の弓の前では接近しても同じだろう。矢が尽きるまでに生き延びられるのか。アリスはそんな事を考えていた。


「槍は神様の武器だからタイタニア族の男は使わないんだ」

「君たちとは戦争したくないなぁ」

「人と人で殺し会うなんてだめだよ。協力しあわないと、みんな死んじゃうんだよ」


 食料の少ない過酷な環境だからこその教えだろう。

 同じ土地に定住し続けるオレガノーラ王国では貴族が仕事もせずに搾取のみを続けている。そんな恩恵を受けた貴族であるアリスはまだ自分はまともな方だと思っていても、平民に比べたらかなり優雅な暮らしをしていた。


「ジル君、これをあげる」


 アリスは自分が首からかけていた首飾りを外してジルに渡した。オレガノーラ王国に伝わっていたとされる首飾りである。


「詳しくは分からないんだけど、タクエスの巨人……神様を動かせるかもしれないものなの」


 古文書を読み解くと、タクエスが巨人たちを操る際に道具を使っていたとされる記述がある。タクエスが死んでも動き続ける巨人が何かしらの方法で操ることができるのであれば、その首飾りではないかと思い、アリスはこれを持ってきた。

 実際は巨人に出会って、兵士が近づいただけで攻撃され、混乱の中で逃げたわけで首飾りを使って何かを試せたわけではない。


「ありがとう」


 あまり邪魔にならない装飾の首飾りは鎖を新しいものに入れ替えている。中心に宝石がついており、その周りを六角形に金属が囲んでいた。

 ジルはこんなもので神様が動かせるとは思っていない。だけど、くれるのならばもらおうと思う。


「もし、神様を動かしたかったらこれを掴んで念じればいいらしいけど、私の時はさっぱりだったわ」


 夜、子供たちに混ざって長老の伝承を聞くアリスは真剣だった。少しでも何かを知りたいのだろう。

 聞いた伝承と、もともと知っていた知識はあまり乖離かいりがなかったとアリスは思う。タイタニア族の伝承の中には神様を操る魔術師の話は出てこなかった。

 アリスはタクエスの巨人タイタンが何かしらの法則にのっとって草原を徘徊しているのだと思っている。タイタニア族の中にもそういった事を思う人間が出てきてもおかしくないはずだった。だが、伝承では神様の歩く方向は気まぐれだという。


「もし……もし、さあ。神様が次にどっちに行くかがわかったら、恩返しになるかな?」


 寝る前にアリスはジルに聞いた。


「アリスさんは、まだ神様がその魔術師が作った巨人だと思ってるんだね」


 ジルには理解できない。神様は神様だ。だから、巨人と言われると少しだけ腹が立つ。それに気づいたアリスは小さくごめんといい、その日はそれから何も言わなかった。


 アリスが帰っていったのはそれからだいたい1か月した頃だった。ジルたちの日常が戻ってくる。

 帰り際に、アリスはジルに謝っていた。それは神様をタクエスの巨人だと思い続けてしまったという事だった。


「ジル君たちには納得しにくい事だと思うんだけど」


 アリスの話ではやはり神様は一つの法則に則って歩いているという。嘘だと思っててもいいから聞いて欲しいと言ったアリスはこの1か月で神様の様子を見に行った大人に何回も同行していた。神様の足跡を調べたのだという。そのために何回も野営をしてテントにいない日もあった。

 タイタニア族には文字がない。そのために全てのことは話して、それで覚える。ジルもそうだった。そのためにアリスは、文字ではなく図形を書いて説明した。タイタニア平原の地図と、アリスの書いた法則に従って今のところ神様は歩いている。


「アリスさんの言ってたことは本当だったのかな……」


 一人狩りに来ていた時に神様を遠くから見た。やはり、アリスの言った通りの方角へと歩いている。神様の足跡には潰された草木や岩などがあり、平坦になっていた。この方角ならばテントの方角とは別である。ゆっくり帰っても問題ないはずで、予測ではテントと反対側に曲がるのではないかと思った。


「父上に相談しなきゃ……」


 首飾りの事である。しかしジルはこの事を両親にも兄弟にも長老にも相談する事はなかった。首から吊るされた首飾りをそっと握りしめると、ジルは狩りの続きのために馬をすすめた。




 ***




 ジルが17歳になる頃にはタイタニア族の人口は少し増えていた。もともと子供たちが多く、その子供たちが食料を獲得できる年齢になったこともある。羊を増やして遊牧を行う傍らで、狩猟や特産品の行商を行い外から物資を運び込むこともできるようになっていた。

 何故、急にそのような発展が起こったかというと、神様の歩みが予想できるようになったからである。ジルは、これはアリスに教わった事だと正直に言った。そしてそれを聞く大人がいたのである。

 以前より安全に方角と距離を決めることができるようになったタイタニア族には余裕ができたといってもよい。その結果が集落の発展につながった。


 そして体格が大人に近づいたジルはすでに父親と同程度の弓を引く。安々と鹿を射抜いたジルは愛犬とともに狩猟から帰るところだった。鹿は獲りすぎてはいけない。小鹿も母鹿も獲ってはならない。これが父親がジルに教えたことだった。ジルはその教えを守って狩りを行っている。


「ジル、助かるよ」


 集落のテントの近くでは他の家族も待っていた。家族構成から簡単には狩猟に出ることのできない人たちもいるのだ。そんな家族を助けるためにもジルは積極的に狩りに出るのである。多くの人間から頼りにされる存在へと成長していた。

 狩ってきた鹿をその家族に任せて、ジルは自分のテントへと戻った。そこには父親と母親がいた。


「帰りました」

「早かったな。獲れたのか?」

「ええ、若い鹿の雄を一頭」


 なんてことのないように言うが、鹿を狩りに行くのは本来は複数人で行くものである。父親に似て立派な体格になっていたジルは一人で十分だった。


「明日は神様の様子を見に行ってこい」

「はい、父上」


 少し前からジルは一人前の大人と同等の仕事を任されている。神様の様子を見に行く者たちに加われるというのもそれだった。

 翌日、神様の様子を見に行く一向にジルは加わった。一向と言っても3人である。最年長はバロウという男性であった。ジルの父親よりは若いが、それでも40台ではある。


「ついにジルも神様の様子を見に行く年になったか」


 タイタニア族には珍しく、豊かな髭を蓄えている。その豪快な性格も見た目に合っていた。


「バロウさん、ジルが加わるって言われてから楽しみにしてたんだぜ。なんせジルのおかげで神様の行く方向がなんとなく分かるようになったしよ」


 もう一人はフォンという青年だった。20代であり、この前待望の長男が生まれたばかりである。


「よろしくお願いします」

「ああ、こちらこそな」


 バロウはそう言うと馬に跨った。他国の人間が見たら40代には思えない身のこなしである。ジルの父親も含めてそろそろ長老たちと言われてもよいくらいの年齢に差し掛かるはずである。バロウにはすでに孫がいる。


「さあ、行こう。ついでに途中で何かいたら狩るからな」


 神様の様子を見に行くついでに狩猟も行うのである。

 昔は神様がどこに歩いて行くのかが分からなかったから、それこそ1日中馬を走らせることもあったようだ。最近はジルが教えた法則に則って目ぼしがついているので簡単なんだとバロウは言う。フォンも初めての頃は本当に大変だったと言った。

 フォンはタイタニア族の中でも弓が上手い。彼が的を外したのは見たことがないという人までいるくらいである。かなり遠くの兎を一矢で仕留めた時はジルもさすがにびっくりした。


「そろそろ神様が見えてもいいな」


 地図を取り出してバロウが呟いた。フォンは仕留めた兎の血抜きをしていて今は小休止中である。

 タイタニア平原の地図は未完成といってもいい。平原の南の部分しか書かれていないのである。それでもジルたちの集落が移動する範囲を大きく上回る範囲が書かれていた。


「その地図はだれが最初に書いたんですかね」


 何気なくジルが言った。代々の長老たちから受け継いだ地図である。タイタニア平原は神様が歩くために山もなければ大きな木もない。ところどころに川が流れている以外は平坦である。地平線もよく見える。

 そのために目印となるものは少ない。それでも川を中心として少ない目印がきちんと書き込まれている。

 もちろんタイタニア族は文字をもたないために記号や絵で示してあるのだ。劣化と紛失を防ぐために複写が繰り返されている地図は、集落のどの家族も持っている。


「大昔にこの平原を歩き回ったご先祖様がいたんだろう」

「ほんと、広い範囲が書かれてるもんな」

「まるで神様の上に乗っかって書いたみたいですよね」

「そうかもしれないな、それくらい広い」


 ジルの言葉を冗談と受け取って二人は笑った。ジルも最初は冗談のつもりだったが、なんとなくそんな気がしてきた。昔、アリスに言われた言葉がジルの中で燻っている。


 馬を進めていると、かすかにズシィィン、ズシィィンという音が聞こえてきた。神様の足音である。


「いつみてもデカい」


 フォンはそう言う。これだけ距離が離れていても見えるのである。足元は地平線に隠れていて見えないというのにだ。


「よし、予想通りの方角に歩いている。このままだとテントの方にはいかないな」


 あとは日が暮れる前まで神様と距離を保ちながら様子を見るのである。たいてい、一人が神様を見ていて他の2人が周囲で狩りをする。

 干し肉とチーズは持って来ているが、狩ったばかりの動物を焼いて食べてよい事になっていた。これも時間がなければできない。


「俺が見ているから2人で狩ってこい」


 バロウは即席の竈を作ると言った。ここからなら数時間は神様が歩いているのを確認できる。バロウは途中でフォンが狩った兎をさばき始めた。


「よしジル。どっちが多く狩れるか競争な」

「そんな、フォンさんには勝てませんよ」

「分かんねえよ、獲物が見えなきゃ矢は当たらんしな」


 首をコキコキと鳴らしながらフォンはニヤッと笑った。つられてジルも笑う。ジルは実は負けるつもりはない。目はジルの方がいいからだ。

 二人は全く別方向に馬を走らせた。ジルは南に、フォンは北である。

 ジルには作戦があった。それは南に向かったことで半ば達成されている。


「神様から逃げてきた動物がいるからな」


 向かって左側に神様が見えていた。ジルと同じく南に向いて歩いている。その通り道から逃げてきた動物を狙うのだ。


 ジルが帰ってきた時にはまだフォンはいなかった。


「おっ、鳥があるじゃないか」


 ジルは3羽の渡り鳥を仕留めていた。3人で食べるのならば1羽だけでも十分であるが、後は集落へ持ち帰るのである。

 フォンが帰って来るまで二人は鳥を1羽だけさばくことにした。すでに先ほどさばいた兎は後は焼くだけの状態となっている。


「これはジルの勝ちだな」


 バロウの予想どおり、フォンは兎を1羽だけ狩って戻ってきた。これも血抜きだけして集落へ持ち帰ることにした。


「さあ、食おう」


 タイタニア族は食を平等に分ける。綺麗に3つに分けられた肉にはバロウが行商人から買い取った岩塩と香草がかけられて焼かれていた。


「美味い」


 負けて落ち込んでいたフォンも食べ始めると機嫌が治っている。ジルもバロウが持っていた香草は初めての味であり、美味いと思った。今度、行商人が来たら聞いてみようと思っている。


「さすがに食べたらもう少し近寄ろう」


 あっという間に肉を食べてしまうとバロウは馬に水をやり、それから神様に接近すると言った。まだもう少し神様の様子を見ていても集落に帰るには十分な時間がある。

 ゆっくりと馬を走らせた。


「今回も、問題なくできたな。ありがたい事だ」


 夕日が見え始めた頃にバロウがいった。それから3人は帰路についた。

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