第2話 覇獣狩り
「もし、ここは覇獣の素材の引き取りをやっておりますかな」
昼過ぎに工房へとやってきたのは一人の老人とフードで顏を隠した人物だった。主に老人が交渉をするつもりらしい。
「やってるぜ」
基本的に昼にいる職人は親方とサイトのみである。職人街の一番奥まった場所にある工房まで来る人間は工房関係者と覇追い屋くらいのものである。一応はここにも商品を置いてはあるが、ほとんどは貴族街に近い場所にある店へと卸していた。そのため親方自らが客の応対をすることがほとんどである。
「こちらの方が依頼人なのですが、諸事情があって顔をお見せできません。ご了承下さい。代わりに私が話をさせていただきます」
「あん?」
職人気質の親方の機嫌が悪くなる。せっかく今日はいい一日だったのにとサイトは思った。親方の機嫌が悪い時はいいことがあったためしがない。覇追い屋本人が来ているのに代理人に交渉をさせるなどとは親方の嫌いな行為の一つである。だが、親方の機嫌が悪くなる事はなかった。
「覇獣の死骸を、買い取っていただけませんか?」
「死骸をか!?」
覇獣は巨大である。死骸は様々な素材が獲れ、その量があれば当分は素材に困ることがない。
「買い取り額はこの程度で……」
「おいおい、死骸はたしかに欲しいがよ。これじゃ他の工房の倍はする……」
「状態がとても良いのです」
親方の言葉を遮り老人が言った。
「他言無用ですよ」
そして親方に耳打ちする。親方から驚愕の表情を消せないうちに老人がたたみかけた。
「どうです?」
「……買った」
サイトはその耳打ちされた内容が分からなかったが、倍の値段をかけてでも欲しい何かがあるのは明らかだった。慌てて奥の金庫から金をとってくる親方を待ちつつ、老人と後ろの依頼人は表情一つ崩していない。
その時、フードで顏を隠した依頼人が商品棚からサイトの作製した弓を取った。
「試しに引いても?」
「ええ、どうぞ」
意外と若い声だとサイトは思った。その返答を聞いて依頼人が弓を引く。事も無げにしなやかに曲がる弓とそれを支える弦。引くためにはかなりの力が必要なはずである。弦を張ったのはサイトではなく親方であり、サイトではまだ力が足りなかったのだ。
「悪くない、もらおう」
「では、先程の金額から引いていただきましょう」
親方が帰ってきてから老人がサイトの作った弓を購入したいと申し出た。覇獣の死骸の取引は城壁の外で行われるという。城壁の中に入れるには問題があるという話であり、親方はそれに納得していた。この問題がなんなのかは親方は口にしなかった。
「サイトか? 親方さんもどうしたんだ?」
西の城壁には今日もサイトの父親がいた。一向が外に出るというのが珍しいらしい。
「城壁の外での取引が必要なもんでな」
「取引……、まさか覇獣の素材ですか?」
「死骸を一頭ほど、あまり騒がんでくだされ」
「分かりました。素材は高価でしょうから場内に引き入れる際には部下をつけましょう」
覇獣の素材は持っているだけで強盗などに襲われる事がある。そのためにサイトの父は衛兵を数人つけることとした。
「こちらです」
城壁の外に出て数十分ほど歩くと、一頭の馬車が樹々に隠れるように停まっていた。後ろにかなり大きな荷台が付いており、布で全体を包まれている。
「遅かったな」
「申し訳ございません。ですが、取引は成功です」
老人が待機していた仲間と話す。こちらもフードで顔を隠していた。
「明らかに怪しいんだが、顔を隠している理由を聞いてもよいか?」
ついてきた衛兵が言った。
「数日間は内密にお願いします。騒ぎになりますので。こちらを見ればご納得いただけるでしょう」
老人はそういうと荷台を指差した。
「さあ、これが衰弱死していない覇獣の死骸だ。首が刎ねてあるのは勘弁しろよ」
依頼人はそう言うと布を払った。
そこには巨大な獣が横たわっていた。全身を覆う鮮やかな青の体毛に獅子獣類を上回る太さの四肢、さらには両翼は今にも飛び立ちそうである。サイトは覇獣の完全な死骸を見るのははじめてである。親方も衰弱ししていないものは見た事がないはずだった。その圧倒的な存在感に圧迫される。だが、頭部は切り離されその本来の威容が霞んで見えた。
それでも覇獣は圧倒的だった。単純に巨体であるというだけではない威容を感じる。
「覇獣を狩った。騒ぎを起こしたいってんなら仕方ないが、そうでなければ顏を見ないでくれるとありがたい」
数名の衛兵は声が出なかった。事前に聞かされていたはずの親方ですら何も言えない。それほどに……。
「美しいっていうような……」
サイトの口から自然と声がでた。美しい。それ以外に形容する言葉が見つからない。
「ボウズ、見所があるな。その通りだ。ボウズが言うように美しい。その表現がふさわしい。こいつが生きていた時はさらにな」
依頼人は少し興奮しているのか、サイトの髪をくしゃくしゃしながら言った。すでに12歳であるサイトはボウズと呼ばれることに抵抗感を感じる。
もう一人は、そのくらいにしておけと言うような態度でいた。個人を特定されると必ず王侯貴族からの接触がある。それを嫌っているのだろう。それくらいサイトでも分かる。
「もういいだろう。親方さん、これでこいつが嘘をついてなかったと証明できたな? 金を受け取りたい」
「ああ、ここにある」
衛兵も見ている前で受け渡しが行われた。金額を2人で数えている。老人はそれには加わらないようだった。
「よし、じゃあ俺たちは行く。こいつはこの町で雇った奴で俺たちとは何の関わりもない。馬車もこいつに借りてきてもらったものだ。ないとは思うが跡をつけるなんてことはしないでくれ。この金で覇追い屋を引退して平和に暮らすんだ」
そう言うと二人は速足で消えていった。取り残された老人はため息をついている。
「ふー、さっきの二人の言ったことは本当だぜ。俺はたんなる飲んだくれだ。服を買ってもらった小綺麗にしただけの浮浪者だよ。言葉遣いは昔ちょっと貴族につかえてた時代もあったもんでな」
いきなり態度の変わった老人は煙草を取り出して吸い始めた。サイトを初めとして誰一人事態の変わりようについていけていない。
「あの二人の気持ちも分かるんだよ。もちろんそれなりに報酬はもらったさ。覇獣を狩れるやつが存在するとなると王侯貴族が黙ってるわけがねえ。これまで命をかけて覇獣を追ってきたからこれから先は平和に暮らしたいってな。お、さっさとこいつを運んじまってくれ。この馬車を返さにゃならんもんでな」
結局覇獣を狩った二人の事は何も分からず、もう一度覇獣の死骸を隠したサイトたちは馬車を工房へと引き入れたのだった。
***
数日後、覇獣を狩った人間がいるという噂が回った。親方の工房には貴族からの問い合わせが途切れなく続いたが、素性を探らないという条件で買い取ったという説明しかできなかったためにそれ以上追求されることはなかった。だが、その応対のせいで覇獣の素材の加工は遅れた。
「これだけの素材を扱うなんて一生に一度きりだろう」
鮮やかな青。今まで抜け落ちた毛や衰弱死した死骸から引き抜いたものしか見てこなかったのである。全盛期の活力に満ちた体毛は全くの別物に見えた。
「これは抜覇毛じゃねえ。純粋な覇毛、純覇毛とでも呼ぶか」
数日間、親方は興奮気味であった。その他にも噂を聞きつけて工房には貴族からの道具の作成依頼が続いた。忙しさの中でサイトもこの二度とないであろう経験を楽しんだ。
ある時、親方が何かを思い出したように言った。
「忘れてたが、今夜お前の家に行ってもいいか?」
「え? いいですがどうしたんでしょうか」
「何、親御さんに用があるんだ」
「分かりました、先に帰って伝えておきます」
その用とはなんだろうか。サイトには特に思い当たることはない。この数日は忙しい反面、親方の機嫌は非常に良かった。さっきの話し方からも悪い話ではなさそうだとサイトは思った。
「へえ、親方さんがねえ。どんな用事なのかしら」
「サイト、お前なんかやらかしたのか?」
帰宅すると両親は冗談めかしてそんな事を言っていた。狩られた覇獣が工房に運び込まれ、その噂が回り仕事が忙しいという事はすでに知っている。王都の外でも有名な話になっているようで、中にはフロンティア付近の村々に「覇獣狩り」の情報を求めて人を派遣した貴族もいるという。
食事を終える頃、親方はやってきた。
「どうぞおあがりください」
「ありがとうございます」
手には小包があるようだった。テーブルをはさんで両親の対面に座り、サイトが親方の横に座る形になった。ポリポリと頬をかきながら親方は小包を差し出した。
「サイトの作ったものが売れましてな。俺も昔に親方にやってもらった事があるんですが、職人の初めての道具が売れたときに祝いとして売り上げを親御さんに渡すって伝統がうちの流れにはありまして」
「ほう、サイトが作ったものが?」
見習いとして今までのサイトは賃金はもらっていない。基本的に親方の許可が出るまでは無給である。つまり、これはサイトがある程度認められたという事だった。サイトが何も言えずにいると母親が言った。
「良かったわね」
それでぶわっと喜びを実感した。人に認められるという事は喜び以外になんと言えばいいんだろうかとサイトは思う。
「ただしですな、伝統的に最初はちょっとした物を作らせてというのが普通で、俺も売れるとは思ってなかったもんで……」
親方の歯切れが悪い。親方に頬を掻く癖があったのをサイトははじめて知った。
「作らせたもんが抜覇毛弓ってもんでしてな、その売り上げが……」
そう言うと親方は小包を広げた。
「あんまり良い事じゃねえんですが、あなた方なら大丈夫だと、思ってます。こいつのために使ってやって下さい」
工房では製作料はそれほど足しているわけではない。その道具の価値はほとんどが覇獣の素材代であった。だが、それだけでもかなりの高価なものになる。その素材代は工房が祝いとして出すのが伝統なのだろう。親方はそのことを忘れていたために覇獣の素材を使っていいと言ってしまったのである。
つまり、抜覇毛で作り上げた弓の値段はサイトの家ではどうしても稼ぎ出すことができないほどの額であった。テーブルの上に広げられた布から見える大量の金貨にサイトの両親は気圧されるが、それでもなんとか父親が声を出した。
「あ、ありがとうございます。大切に、使わせてもらいます。これからもサイトのことをよろしくお願いします」
「こちらこそ」
親方は頭を下げるとすぐに帰っていった。残されたお金を見て両親とともにサイトは心の底から喜んだ。そして翌日から親方はサイトに道具の作り方を少しずつ教えていったのである。
「本来はもう少し後なんだがな……」
数人いる兄弟子たちはすでに独立してそれぞれの工房を開いている。しかし覇獣の素材を扱う職人は一人もいなかった。親方は覇獣の素材を扱う後継者としてサイトの事に期待したのだろう。サイトもそれによく応えた。
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