覇獣狩りと職人
本田紬
第1話 職人の少年
覇獣という獣がいる。
それはこの世界における生態系の頂点である。遠くからも良く見える鮮やかな青の体毛がそのことを示している。その風貌は獅子を思わせる体躯に立派な翼が付いておりあらゆるものを凌ぐ大きさをしている、とされる。実際に覇獣を見かけた者は逃げかえる以外の選択肢がなく、生きている覇獣に遭遇したものはこの世には少ない。
半面、覇獣は生活に大きく影響を与える。その体から得られる素材の耐久性はどんなものにも優り、ありとあらゆる物に利用される。覇獣の死骸から作成された革鎧などはそれだけで館が一軒建つとまで言われていた。その覇獣の通り道を追いかけ、抜け落ちた毛や死骸を利用する事を生業とする者たちがいる。
「親方! 今日は良質な
覇獣の素材を扱える職人の数はそう多くない。そのほとんどが王都と呼ばれる人間の王国の中心地に集まっていた。城下町の一角の職人が集まる地区のさらに奥にその工場はある。その工房の一つに覇獣が通った道をくまなく調べ、抜け落ちた毛を集めた者が出入りしていた。
東方は海に囲まれ、西方はフロンティアと呼ばれる未開拓の新天地が続いており、誰も世界の全てを知らないこの時代、かつては大小様々な王国が乱立していたのが統合されてすでに数百年。人類は未踏のフロンティアへ幾度となく挑戦をしたが、その都度何かしらの災害や障害に阻まれて生息地を拡大するには至っていない。その理由の中でも最も多いのが覇獣の生息域である。
「抜け毛じゃなくて死骸から引っこ抜いたやつはねえのか?」
「親方、抜け毛じゃなくて抜覇毛ですよ。それに覇獣の死骸なんか見つけてたら死骸ごと持ってきますわ」
「ふん、今回の遠征もろくな収穫じゃなかったようじゃな」
「世知辛いっす」
彼らは覇追い屋と呼ばれ、覇獣の生息域に入り命をかけて覇獣の素材を集めてくる事を生活の糧にしている。そしてその素材はここ王都に運び込まれ、上流階級を中心として人気を誇る超一流の道具へと作りかえられるのだ。その多くは世代を超えて利用し続けられる。
「はっはっは、誰か覇獣を狩れる奴がいれば楽なんだがのう」
「親方ぁ、それは無茶ってもんですよ。なまの覇獣みたらそんな事言えなくなりますよ、きっと」
「お前は何回見たんだ?」
「2回です。2回も生き残ってるなんて、これでも凄腕で通ってますからね」
覇追い屋の寿命は短い。その分、覇獣の素材は大変高額で取引される。一攫千金を狙って、多くの若者が覇追い屋となって命を散らした。だが、その覇追い屋がもたらした素材が王国の要所を支えているといっても過言ではない。東方の島へ唯一たどり着くことが可能な船の骨組みに、覇獣の骨が使われていることなど良い例である。
「次もちゃんと帰って来いよ」
「そんな事言ってくれるのは親方だけですよ」
覇追い屋の若者は安くない代金を受け取ると、そのまま町へ繰り出した。彼にとってこの瞬間が生きている意味を示していると言っても過言ではない。そして次、無事に帰ってこられるとは限らないのだ。その後ろ姿を見て、工房の職人見習いの少年はなんとも言えない感情に支配されていた。彼に無事に帰ってきてほしいという感情と、もっと覇獣の事が聞きたいという感情と、それとは別の何かであ
る。
「おい、サイト! 抜け毛の処理しとけ!」
「はい、ただいま」
サイトと呼ばれた少年は覇追い屋から買い取った抜覇毛の汚れを取り除く作業にかかった。状態の良い抜覇毛である。これならば一級品の弓ができる、とサイトは思った。他にも用途は様々であったが、サイトは少年らしく覇獣の素材が武器防具になるのが好きだった。だが、今のところは弓の作製依頼はなかったはずである。
「加工は明日やるぞ、それ終わったら今日は帰っていい」
「ありがとうございます、親方」
夕日が傾く前に帰らなければならない。夜道を歩くにはランプが必要で、サイトの家は裕福とは言えないからそんな余裕はなかった。親方はいつもぶっきらぼうであるが、こんな時に優しさが垣間見える人物である。
「珍しい事に双角馬の馬車が通ったんだよ」
サイトの父親は王都をぐるりと囲む城壁の西門の門番兵であった。この日も勤務を終えて帰ってくるまでに多くの通行人の取り締まりを行っていた。王都に入る者の中に犯罪歴などがないかを厳しく調べる必要がある。王侯貴族の多く住んでいる王都はどの城塞都市よりも細かく取り調べが行われ、反乱分子のあぶり出しなどまで行われていた。王国が統一されてすでに数百年が経っている。かつては多くの若者が戦争で命を散らす世の中であったが、戦争がなくなっても人は人同士で殺し合いをしなければならない生き物らしい。その世界を少しでも知っているサイトの父親は息子に兵士になることを望まなかった。それ故に工房の職人見習いとして少年のころから修行をつけてもらっている。まさか運よく覇獣の素材を扱う工房に雇われるとは思っていなかったのだが。
「父さん、双角馬って何?」
「双角馬ってのはな、普通の馬と違って二本の角が生えてるんだ。それに首が少し長い。彼らは非常に強くて普通の馬では行けないような場所でも進むことができるんだよ。普通は馬車には使わないし、気性が荒いから手懐けるのも難しいと聞いてたんだがな」
「へえ、どこかの貴族の人かな?」
「いや、馬車自体はそんな貴族の方々が使うように豪華ではなかったな。そのかわりだいぶ頑丈そうだった」
「へえ…」
サイトの頭の中では妄想が膨らむ。きっとその双角馬の馬車に乗っている人物はフロンティアから帰ってきたに違いない。あちらには舗装された道なんて存在しない。そのための頑丈な馬と馬車なのである。もしかしたら覇追い屋かもしれない。覇追い屋が素材を持ち込む工房は多くないから、明日にサイトの工房に新しい覇追い屋が来るかもしれない。覇獣の素材が貴重であるだけあって、道具が作製される機会も少なかった。特に素材の加工だけではなく完成品まで手掛けるのはサイトの親方くらいのものである。親方の作品はそれこそ立派な一軒家が買えるほどの値段で取引される。それほどの職人になるのがサイトの夢でもある。
翌日、朝早く工房へ行くとすでに親方が来ていた。いつもはサイトが来てからだいぶ後になって顏を出すのである。
「おはようございます、親方」
「おう、この抜覇毛の処理工程を説明してみろ」
挨拶もなしに親方に言われた事でサイトは震えた。もしかしたら作業の順番を間違ってしまったのかもしれない。親方が抜覇毛を抜け毛と言わずに正式名称で呼ぶときは本気の時だった。足が震えるのを必死に隠しながらサイトは抜覇毛の処理の順序を言っていく。
「よし合格だ。次の段階もやってみろ」
聞き間違いではなかったのだろうか。サイトは自分の耳が信じられなかった。自分が抜覇毛を加工する? そんな夢のような出来事が現実となろうとしている。
「どうした? やらねえのか?」
「いえ! やります! やらせてください!」
あまりに放心しすぎて返事がおろそかになっていたようだ。
託された抜覇毛を見る。透き通るような青色の毛はどの生物のものと比べても太い。まずはその束の中で長さを揃えることと、毛先が痛んでないものをより分けることだった。
「毛先が切れてるものを選んで好きなモン作れ」
その作業中に親方が後ろから声をかけた。毛先を使わないで作る物でサイトの好きな「モノ」などと言えば弓しかない。いつのまにこの最年少の弟子の好みを調べていたのだろうか。それとも弓を作製している最中に親方を見る眼差しで思う所があったのかもしれない。いずれにしても弟子入りしてから5年の間に作業の方法は目で覚えている。後は実践し、頭の中との差異を修正していくだけであった。
「こことここ、あとここに歪みが出ている。分かるな?」
「はい」
サイトは弓を作り上げた。他に使った素材はしなやかさを誇る木材である。抜覇毛はより合わせて弦とした。木材はあまりにも強いしなりであり、力が足りなかったために最終的に弦を張ったのは親方だった。
「ふむ」
考え込んだ親方は修正の仕方を簡潔にサイトに伝えた。すぐに直せという事なのだろう。そしてそれはすぐに直せる程度の歪みであったようだ。最後に印を刻み込ませた。サイトはかねてから考えていた自分だけの印を刻んだ。
「よし、じゃあここに置いておけ」
「え、ここは……」
そこは商品が並べられている棚であった。素材が貴重であるこの工房の商品はあまり多くを店先には置いていない。法外と言われても納得しかねない値段の代物の中に、サイトの弓が置かれることとなった。
「終わったんなら雑用をさっさとやれ!」
それでもサイトにとってははじめて認められた作品であった。そしてその弓はその日のうちに売れることとなる。
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