第7話
ライアは、ライアを名乗る女を見た。
似ても似つかぬ女。
性別も違う、髪の色も違う、思考も、生まれも育ちも、世界すらも。
だが、この女は己の鏡だと直感的に、あるいは理性的にすらも理解した。
ライアは、それだけが自らの同じ色をする……鈴色の瞳から目を背け、顔を覆った。
美しいと思ったその瞳は、自らと同じ色の瞳だったから。
「お前が、ライアだと……?」
少女は応えた。
「そうとも」
妖しいが、しかし彼女こそは自らの最も深い味方である。
唯一人の味方である。
「そうとも……ライア。私も、ライア。お前と私は、異なる世界に生まれ落ちながら、魂を繋げられた者だ。だからこそ、私はお前を助けに来た。お前を滅ぼそうとする世界を救いに来たんだ」
「お前が死ぬと、俺はどうなる……?」
「言っただろう?上世界の者が死んでも、下世界には影響が無い。お前が死ねば私も死ぬが、私が死んでもお前は死なない。私は、私を守る為に、お前の味方をしてやる」
ライアはギリッと噛みしめ、ライアを名乗る女を、その手で突き離した。
「おっと」
「近い」
「初心な男だな」
「お前が味方だと?なら機械帝国はなんだ。今の話で、俺にも分かった事がある。あれは……」
ハガネのコクピット、外部の風景を映すその内部モニターに映った、二本脚を示す名前。
あの理由。
「機械帝国は、お前達の世界から来たんじゃないのか?」
女は、その顔から表情を消した。
「そうだ。あれは、上世界から、こちらの世界に墜ちてきた物だ。特にオリジナルの人型を、私達は
「………」
「……どうした?激昂するかと思ったんだが。構わないぞ、元よりリンチにされるのも覚悟の上さ」
「怒ってはいる。だが、事情を聞いていない……あと、その俺相手になら何されても良いという態度をどうにかしろ。気に入らん」
「そうか……」
喋りすぎたか、コーヒーが外気に冷やされ、熱さが失われていた。
それでも、彼女にとってカップの中のインスタントコーヒーが好みの味であることは変わらない。
自分の世界ではもう、こういう嗜好品は作り出せないだろう。
「少し前、上世界では大きな戦争があった。人同士の戦争だ」
「……人間がいる限りはどこも同じようなもんなんだな」
「そうらしい。そうして、お前達が機械帝国と呼ぶ無人機械を見れば分かるだろうが……上世界は、下世界よりもずっと技術が進んでいた。あの無人機械達は、その戦争の最中で生み出された」
ライアは、それだけ聞けばピンとくるものがあった。
「無人機同士で戦争を解決しようとしたのか」
「その通り。しかし現実はそうはいかなかった。戦争が終われば、無人機械は処分される予定だ。当たり前の話だが、戦争を実現する規模の無人兵器など平時はいらんからな。その結果、無人機械達は自己保存プログラムを拡大解釈しはじめ、人間からの処分に抵抗する事になった」
人同士の戦争から、人と機械の戦争へ。
その戦いは苛烈を極めた。
絶滅戦争とでも言えばいいか……どちらかがどちらかを滅ぼし尽くすまで終わらぬ戦いの幕開けだ。
「どうなった?」
「勝ったさ。だが代償は大きかった。上世界ではな、もう陸地が消え去ったんだ。文字通り全て海となった。空には常に雲が覆い、嵐はやまず、荒れ続ける海の上に、人々は巨大なメガフロートを建設した。その中に住むしかなくなったのさ。出生率も下がり続け、食料生産プラントから排出される完全栄養食を毎日腹にいれながら、ゆっくりと人類が滅ぶのを見つめ続ける日々だ」
仕方のない事だと言う。
青い髪をなびかせた少女の顔は、罪を告白し、罰を受け入れる罪人の顔だった。
ライアは、やはり美しいと思ったが、同時に気に喰わないという苛立ちが心に起こる。
一体何に気に喰わないのか、彼にも分からない。
いや……分かっている。
「機械帝国は、そうやって疲弊した人類の隙をついて、上世界から下世界へ脱出したんだ。私は、それを追いかけてここに来たというわけだ。我々の世界の罪で、2つしかない兄弟世界が滅んだら、地獄で贖罪も出来んだろう?」
「……何故追いかけるのに10年もかかったんだ」
「機械帝国が下世界に逃げたという事実に気付くのに時間がかかった。気付いた時には、私達の世界にただでさえ少ない人口が、もっと減っていた。おかげで装置の用意をするのも一苦労だ」
「……何故お前一人しか来ない」
「すまないとは思っている。だが、ハガネと私の性能があれば、十分に機械帝国を……」
「そうじゃない。そうじゃないだろう、ミラー」
ライアは、同じ名前を持つ少女を真っ直ぐに見た。
だが彼にとって彼女の名前はライアではない。
ミラーだ。鏡、己を映す鏡。
ばかばかしい名前だ。
「お前が俺の鏡だというなら、何故憤らない?何故、他の連中も連れてこない?上の世界の連中は、なんでお前一人にだけ贖罪を任せている?」
「それは……転移装置の製造にかかるリソースが足りないせいで……」
「そんな言葉が聞きたいんじゃない。いいか、ミラー!」
ライアは彼女の肩を掴んだ。
彼の手からも、驚いた彼女の手からも、コーヒーの入ったカップと水筒がこぼれ落ちた。
「俺が許せないのは、それを仕方ないと受け止める事だ。お前が機械帝国を作り出したのか?違うだろう。お前が奴らをこの世界に逃がしたのか?違うだろうが。贖罪だというなら、上の世界の全員が来い。そうして全員で俺達の世界を救うべきだった。お前達はすべからくそうすべきだったんだ!」
「ライア……」
「何が贖罪だ。罪から目を背けた連中に、お前は体よく洗脳されて利用されてるだけじゃないのか?覚悟があるだと?お前みたいな女一人に背負わせた連中を、俺は殴り飛ばしてやりたいね。ふざけた話だ……本当にふざけてやがる」
肩を掴んだライアの手が、震えている。
怒りか、憐れみか。
どちらでもあるのかもしれない。
ライアは、ミラーの顔を見つめた。
美しい鈴色の瞳。
自らと同じ色の眼。
はぅ、とミラーの口から吐息が漏れた。
「人身御供じゃないか、お前は。そんなもんで許せる訳があるかよ。舐めやがって……そんな連中がバカをした産物で、ジェレミーが殺されたってのかよ!」
「……すまない」
「あやまるな……お前には、あやまられたくない、こんな事で……」
「……すまない」
「…………」
ミラーの頬を、涙が流れていた。
ポロポロとこぼれる涙が、月光を反射して煌めいている。
彼女の白い肌の上を、光が流れていく。
「優しい男だな、お前は」
「……お前は、結局帰れないのか」
「いいや。全てが終わった後、ハガネと共に戻る事になっている。この世界に残すには、些か問題があるからな、私とハガネは。その為の装置によって、今も上世界と繋がっている。釣り糸のようなものでな」
「そうか。そんな世界、戻る必要があるとも思えないが」
ライアは、ミラーの肩から手を放した。
それからバツの悪そうな顔になりながら
「悪かったな。その、女相手に大声を出した。男として恥ずべき行いだ」
「いいさ。悪いと思うなら、この涙を拭ってくれないか?お前のせいだぞ、私が泣いているのは」
「……生憎、ハンカチは持ってない」
ライアが、ミラーの頬に手を伸ばし、流れる涙を指で拭う。
ミラーはくすぐったそうに微かに笑い、ライアは困った様な顔でそれを見ている。
「嬉しいよライア」
「……」
「嬉しいよ。なんて……久しく忘れていたな、そんな事を思うのも」
「辛いか?」
ふふ、とミラーは笑った。
それはさっき、自分が聞いた事なのに。
「嬉しいと言っているだろ。お前はどうなんだ。辛いんじゃないか」
「……まぁ、思うところはある」
「ジェレミーと、マックスもか。二人の事は残念だった……私が気を失っていなかったら、助けられたかもしれない」
「かもしれない、だ。だが……もう人が死ぬのは見たくないな」
「安心していいぞ、私とハガネがいる」
「ああ、頼りにしている」
「ふふふ……」
ミラーは、ライアにすり寄ると、その胸の中に顔をうずめた。
抱き着くようにと言えば良いのか。
彼の鼓動を感じる。
驚きにはねたが、それだけ。つまらない。
「おい、何をしてる」
「いいじゃないか、減る物じゃない」
「減るだろ、尊厳とか」
「細かい男だな。少しくらい照れたらどうだ」
「自分自身に照れるか?」
「ふふ、それもそうだな」
ライアは、少し悩んだが、結局はそれを受け入れた。
ミラーからもライアからも、お互いの顔は見えない。
ただ互いの体温を感じていた。
「コーヒー、こぼしちまった。悪い」
「ああ、そんな事か。ほら……」
ミラーの手が微かに光る。
やがて時間が巻き戻るかのようにこぼれたコーヒーが元に戻り、カップと水筒を満たす。
それは宙にふよふよと浮いて、誰かが手に取るのを待っている。
「なん、なんだそれは?」
「魔法だ」
「ま、魔法?冗談だろ?」
「おい、なんで私に抱き着かれるより動揺しているんだ。逆だろ」
「この世界に無い事を見せられる方が動揺するだろ普通!」
「それもそうか……?」
「そうに決まってんだろ」
ミラーは面白くなさそうに何度か頷くと、くるりと反転してライアの膝の上に座りこむ。
彼女は浮かぶ水筒の方を手に取ると、カップをライアに押しやった。
「おい」
「重いとか言うなよ」
「そっちじゃない。水筒は俺の方だ」
「いいだろう別に。こっちの方が多いんだから。お前の物は私の物だ」
「どういう理屈だ……いや、俺とお前の関係を考えるとあながち間違ってないのか……?」
「ふっふふふ、あっ。そういえば忘れていたな」
「ん?」
仕方なくカップに口を付けようとしたライアから、ミラーがそのカップを奪い、魔法をかけた。
「何するつもりだ?」
「私の愛情で温めてやろう。今なら私の心もホカホカだからな、純度の高い愛でコーヒーも熱々さ」
「何言ってんだお前」
「………」
ミラーの手の中で、カップが光る。
すると覚めたコーヒーから湯気が立ち昇り、温まった事を理解させた。
ミラーが本当に面白くなさそうにライアへカップを寄越すと、ライアは不思議そうにカップを見つめる。
「本当にどういう手品なんだ」
「手品じゃない。魔法だ。上世界と、下世界では法則が少しだけ違う。上ではこういう事も普通なんだ」
「法則が違うのに、ここでも使えるのか?」
「私とハガネは、上世界との繋がりがあるから、向こうの法則を持ち込める。繋がってない連中には無理だ」
「都合の良い設定だな……」
「設定じゃなくて、対策をしてきたんだ。下世界で戦うためのな」
ふん、と鼻で笑って、ミラーは水筒に口をつける。
ライアもまた、カップの中に入っている熱いコーヒーに口を付けた。
胸に重なる彼女の体温もあって、荒野の夜は温かった。
「お前の事、ライアと呼ぶべきなのか?」
「ミラーで良いさ。同じ名前だと不便だろう」
「それもそうだな」
「それに……」
ミラーは、顔を上向かせてライアの顔を見た。
ライアもまた、彼女の顔を見下ろす。
夜空に浮かぶ月が、彼女の瞳に映りこんでいた。
「お前にミラーと呼ばれるのは、存外に心地良い」
「そうかい」
どうにも調子が狂うと、ライアは答えあぐねて、それだけを返した。
「なぁライア」
「なんだ、ミラー」
「月が綺麗だな」
ああ、ミラー。鏡の様に彼を映す異世界の来訪者よ。
彼こそは慈悲と怒りを携え、それを御し、世界を救う救世となる者。
だからこそ鋼の巨人に選ばれた。
だからこそ、その鏡たる少女が選ばれた。
ああ、ミラー。彼を映す魂の鏡よ。
鏡の中に映る彼の憤怒に、いつの日か彼が燃え尽きる様を映さぬ事を。
きっと祈ろう。
きっと。
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