第6話

「どうしたライア?終わりか?」

「んなわけあるか」


 右腕のジャブ、いなされる。

 牽制だ。構わず左腕の拳打で有効打を狙う。

 左右にステップしながら、ライアの拳をジェレミーは軽々とかいくぐる。

 そしてアッパー。ライアの意識は一瞬飛ぶ。

 致命的な一瞬。

 気付けば、ライアは膝を折って地面に倒れ伏していた。


「これで俺の284戦283勝1引き分けだな!今日の飯も奢れよ~?」


 ジェレミーは得意げな顔をして手を差し出せば、ライアはその手を取って立ち上がる。

 ジェレミーとの模擬戦では、ライアはついぞ彼に勝つ事が無かった。

 信じられない事に、この軽薄な印象を与える親友は、軍隊で叩き込まれる戦闘術に類まれなる才能があった。

 銃器の取り扱いも、格闘術も、軍事兵器の操縦も、彼はどの分野も人並み以上にこなせる。

 そしてそんなジェレミーと共に軍隊に入ったライアも、彼に引っ張られる形で多彩な技能を有していた。

 アカデミーのツートップ。

 彼の世代で、二人はそう呼ばれた。

 だがライアは、ジェレミーこそが天才だと知っている。

 一緒に育った幼馴染であり、親友であり、そして兄弟の様な存在。

 ライアにとってジェレミーは特別だった。


「俺達なら他にもやれるぜきっと。なのに兵士になって、何したいってんだ?」


 ライアはかつて、ジェレミーにこう聞かれた。

 答えは簡単だった。


「世界を取り戻したい」


 ジェレミーは笑った。

 とんでもないバカを見る目だったが、別にその笑いには不快感は無かった。

 ライアが真面目に話す事に、ジェレミーはいつも、こうやって笑うのだ。


「悪くねぇな。付き合うぜ、兄弟」

「ああ」

「だからさ」


 そうして俺達は、軍隊に入って、そして

 

「絶対に諦めんなよ、俺がどうなっても」

「ジェレミー?」


 あの時確かに、ライアにジェレミーはそう言った。

 まるでライアより先に死ぬと分かっていた様な……いや、分かっていたのかもしれない。

 ジェレミーは、ライアよりも天才だったから。ライアに見えない物も、見えていたのだろう。

 今はもう、ライアに真実は、分からない。



 ***



「ジェレミー……」


 目が覚める。

 ライアは眠っていたらしく、身体にアルミの裏地がついた布が被せられている。

 持っていたサバイバルキットに付いていた簡易の寝袋……それを広げているのか。

 空は暗く、月の傾きから深夜だと分かる。

 身体を起こすと、自分のものでは無い吐息が、耳に届く。

 視線を横にずらせば、まず目に入るのはなびくほどに伸ばされた青い髪で、月光に照らされて不思議な色味に見える。

 月明かりの中で見る、青髪の彼女の寝顔は美しい。

 サバイバルキットがライアのものしか無い故に、同じアルミシートで共に寝る同衾者という事も、多分その気は無いが、ライアの心に少しばかりさざ波をもたらすものがあるのだろう。


 そこからさらに視線をずらせば、見渡す限りの荒野と、少しばかり離れた位置に灰色の巨人……ハガネの姿が見える。

 ハガネは、ライアもミラーも乗っていないというのに、稼働していた。

 鎧騎士めいたフェイスデザイン、その口にあたるマスク部分が上下に開き、地面にある何かを延々と頬張っている。

 撃破した二本脚の残骸を喰っているのだ。

 そうする事でハガネという機体の整備と性能の向上が行われると、ミラーは言っていたが。

 夜中に駆動音を微かに響かせて、人の臓物にも見える機械の残骸を喰らう巨人の姿は、どうにも心臓に悪い。

 ありていに言えば、化物に見まちがえそうだ。

 おかげで目も覚めた。

 ライアが、アルミシートから抜け出そうとすると


「眠れないのか?」


 ライアが振り向くと、青髪の少女が彼を見ていた。

 その目の色は、月明かりの中でも色味の変わらない鈴色の瞳。

 ハガネの装甲色にも似た、灰色の綺麗な眼。

 あるいは吸い込まれそうなその瞳を見返しながら


「いや……目が覚めただけだ」

「そうか」


 彼女はそう言うと、アルミシートを自らの身体に巻きつけながら起き上がる。


「起こしたか?」

「一緒の布団で寝ているんだぞ、相方が起きれば、気付くものさ」

「悪かったな」

「いいさ。どうせゆっくり眠れる環境でもない」

「コーヒーでも飲むか?」

「いれてくれるのか?愛情たっぷりでな」

「……まぁ期待はするな」


 ライアはその辺に置きっぱなしにしていたバーナーに火をつけ、お湯を沸かす。

 インスタントのコーヒーを溶かし、カップに入れたものをミラーへ渡す。

 自らの分はカップが無いので、断熱性のある水筒に入れた。


「随分簡単な愛情だ」

「俺もそう思う」

「でも味は悪く無いな」

「軍用の糧食……レーションという奴は、兵の士気を保つ為にも味はそこそこ気にされてる。コーヒーなんかの嗜好品も特にな」

「ふぅん……」


 特に、敗北しまくった今では念入りに力が入っている、とはライアも言わなかった。

 これを使う機会が来たなら、それは殆ど最後の晩餐と同義だろうから。

 ミラーが、また一口コーヒーを旨そうにすする。

 ライアもコーヒーを飲もうとして、そこにミラーが声をかけた。

 顔をコーヒーの入った水筒から上げれば、ミラーは空を……いや、地平線を見やっている様だった。


「誰かの夢を見ていたみたいだな」

「ああ……ジェレミーの夢を見た」

「お前と一緒にいた金髪か。付き合いは長かったのか?」

「まぁな。幼馴染と言う奴だ。軍にも一緒に入ったんだ、共に世界を救うと誓ってな」

「どんな奴だったんだ?」

「どんなと言われると……そうだな。軽薄だったな、女好きで、女性関係の遍歴は凄い事になってるんじゃないか?」

「最低な奴と言っている様に聞こえるな」

「まぁその点ではな。でも、アイツは多才だったから。何をやらせても卒なくこなす。だからか知らないが、結局女にも良くモテてたよ。学生時代、プレゼントを貰った数では断トツだ」

「その感じ、お前も貰っていたんだな?ふふ、意外と経験豊富なのか?」

「俺の話は良いだろ……残念だがそういう話は無いよ。なんでか知らんが向こうからフラれるんでな」

「そうかそうか。ヤキモチを焼かなくてすみそうだな」

「お前……。まぁジェレミーはそういう感じの奴だった。誰とでも仲良くなるし、軍人としても多才で、どこに行っても非凡な奴になったと思う。俺も良く助けられた」


 ライアは、一呼吸おいてから、言った。


「俺の方は結局……アイツを助けられなかったが」

「辛いか?」


 ミラーの言葉に、ライアは答えなかった。

 だからか、ミラーは話題を変えた。

 彼もコーヒーを一口すする。

 悪くないとは思うが、このコーヒーが旨いとは思えなかった。


「随分遠くまで飛ばされたな」

「荒野のど真ん中だ。やってくれたよ、あの二本脚。ただじゃ転ばんつもりだったらしいな」

「場所は分かるのか?街ひとつ見えないが」

「クラッド地方だと思うが……俺も良くは知らない。どっちにしろ機械帝国の勢力圏なのに変わりは無いが」

「何、私とハガネがいればそっちは何とでもなるさ。お前を死なせはしないよ、ライア」


 ミラーが、ライアを見ていた。

 ライアもまたミラーを見返す。

 しばらくの沈黙。

 多少あざとく首をかしげてライアを見やったミラ―に向けて、ライアはようやく口を開いた。


「聞きたい事がある」

「だろうな。いつ聞かれるかとワクワクして待っていたぞ」

「あの巨人……ハガネに乗っている時に気付いた事がある。ハガネは、人間には味方の、無人機械には敵のタグを自動でふって識別していた。だが、二本脚は別だ」


 ライアは覚えている。

 ハガネが、二本脚を視界に捉える時、敵でも味方でもないタグを振った。


「『SVW-22 スレイヴン』……ハガネは、あの二本脚をそう識別した。どういう事だ?何故ハガネは二本脚の名前を知っている?お前達は……一体どこから来たんだ?」


 ミラーは、コーヒーを旨そうにすすりながら、空を指差し、言った。


「別の世界から来た」

「は……?」


 ライアの困惑した声が響いた。

 ミラーはしたり顔で、無理もない、などと頷く。


「世界は2つある」

「……」

「この世界と、そして私とハガネがいた世界で、2つだ。お互いの世界は実は繋がっているんだ。私はその繋がりを辿ってこちらに来た」

「……聞いたことも無い」

「こっちの世界から、私達の世界に繋がるのは難しいんだ。2つの世界は、明確な上下関係にある。ああ、勘違いするなよ。文字通り、位置関係が上と下というだけで、上位とか下位とかそんな差の話じゃないんだ」


 ミラーは、コーヒーの溶かされたポットを手に取ると、自らのカップを下に、ポットを上に持ち上げる。


「私の元居た世界はこのポットで、そしてこの世界はカップだ。世界が、上と下にあるのさ」

「お前は、上の世界から来た、って事か」

「そう言う事。そして問題はここからだ」


 ミラーはおもむろにポットからコーヒーを、カップに注ぎ始める。


「コーヒーがカップに落ちる事はあっても、カップから登る事は無い。同じ様に、上世界から下世界に降りる事は出来ても、登る事は難しいんだ」

「ああ……だが、それの何が問題なんだ。お前が帰れないって事か?」

「そう急かすな」


 ミラーはその顔に笑みを浮かべ、ライアを見つめる。

 目と目があわさり、視線がずっと互いの顔に交差する。

 ミラーは、問いかけた。


「私の顔を見て、どう思う?」

「どうって……」

?」

「………っ」


 ミラーはクスクスと笑う。

 ライアにとって、それは図星だったからだ。

 あり得ない感覚だ。

 彼女は、見た目も違えば性別も違う。

 だが、確かにライアは、ミラーに、そう感じている。

 鏡に映った自分を見ている様な錯覚。

 ミラーは、ポットを置くと、それで温まった手でライアの顔を撫でた。

 ほとんど鼻先が触れる様な至近距離。

 蠱惑的な鈴色の瞳が、ライアを捉えてはなさない。


「私の名前を当ててみろ」

「あの時、ミラー、と……」

「それは、私の本当の名前じゃない。気付いていたんだろう、ライア?お前は賢い……だから選ばれた」


 ドクン、とライアの心臓が跳ねた。


であり、


 透き通る声。

 耳にするりと流れ込んでくる、青髪の少女の声。

 顔を重ねる様に、頬と頬が近づき、耳元で囁かれる、魅惑の声音。


「上世界と下世界は繋がっている。それは、上から下に落ちていくだけの繋がりだ。これが中々曲者でな……人の魂も繋がっている。下世界で人間が死ぬと、引っ張られるようにして対応する上世界の人間が死ぬ。逆は無いがな」

「そ、れは……」



「私の名前は、



 青髪の少女は、彼の耳元でそう囁いた。


「お前の魂と繋がる魂を持った、もう一人のお前さ」

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