第6話 真実なんていつだって



知らないほうが良かった、と人はよく口にするけれど。それを知りたいと思ってしまうのもまた、人の性質なのだと思う。


むごたらしい事件の真相、愛していた人の浮気相手、親友がネットに流していた悪口。汚いことばかり。目を背けたくなるような出来事ばかり。それなのに人は真実を知りたがる。知る後悔より、知らない不安に心が靡く。


馬鹿みたいだ、と思う。まるで馬鹿みたい、と。人は、何かから自分が遮断されるのを恐れるあまり、苦しい事柄に自ら足を突っ込む生き物なのだ。こんな馬鹿な生き物は、そう長くは文明を築けないだろう。


本当はこんなこと、知りたくなかったのに。

ほら、やっぱり私も例にもれず、馬鹿な人間のひとりのようだ。




***




かちゃかちゃと、食器がぶつかり合う音が響いてくる。じゃー、じゃー、かちゃんかちゃん。流れる水音と相まって、耳に心地いい。台所で、みさとちゃんが夕飯の食器の洗い物をしているのだ。

予期せぬ(といっても自分から聞いたのだが)真実を言い渡された私は、夕飯中、何も答えることができなかった。さすがに食欲もなくなってしまい、「これだけでもお食べ」と言われてトマトだけ齧った。けれど、その眩しいほどの赤が恐ろしく感じて、半分も食べることができなかった。

「少し涼んでくるといいわ」、おばちゃんの言葉の通り、私は縁側に腰かけている。暮れそうなのに一向に暮れない夕焼けを眺めながら、私はさっきおばちゃんが言った言葉を反芻する。


「この街はね、自殺未遂をした人が暮らす街なの。生の世界と死の世界の狭間にある、昼と夜の狭間の夕方がずっと続く街」


あぁ……。私は頭を抱えた。真実は私が思っていたよりも重くて、その重さに身体ごとがらがらと崩れてしまいそうだった。

私は死のうとした。死にたい、と願った。そして、生き残った?

いや、事態はもっと複雑だ。そうしたら目覚めるのは病院のベッドの上のはず。自殺未遂の方法が何であれ、身体を傷めつけた訳だから、こんなに普通に生活できるはずがない。

となると、これは夢か?現実の私は昏睡状態でどこかの病院にいて、この私は私が見ている夢なのか?

だめだ、わからない。

「自殺……」

私は呟いた。今、自分の感情に名前を付けるなら、どういうものになるか考えたがわからなかった。

「優ちゃん」

おばちゃんの声だ。顔を上げると、隣におばちゃんが座っていた。

「ごめんね、突然あんなこと言って。混乱させたわよね」

「いえ……」

「優ちゃんは、知りたい?」

「え?」

「さっきの話の続き」

どくん、と胸の奥が嫌な音を立てた。知りたくない。もう何も聞きたくない。そう思う反面、知りたい、すべて知りたい、知らなければ安心できない、と私の中で声がしていた。既に私の心は衝撃を受けてぺしゃんとしているのだ。あと少しの衝撃が加わったところで変わらないだろう。そう思っている自分が恐ろしかった。これ以上、私は何を知ることになるのだろう。

「教えてください、私に、何が起こったのか、全部」

おばちゃんは私の目をしばらく見つめた。そして、静かに微笑んだ。

「貴方はきっと、強い人なのね」

そう言って、おばちゃんは私に、一冊の本を差し出した。無地の表紙。タイトルも作者名もない。私が手を伸ばしてそれを受けとると、ずしり、と重みを感じた。

「これは、貴方の人生よ。貴方が生きてきた軌跡が記されてる」

「人生……」

「それを読めば、貴方はきっと思い出すわ。忘れていたいことも、思い出したいことも、すべて。私にできるのは、この本を渡すことだけ。開くのは貴方よ」

「……ここに来るひとはみんな、この本を渡されるんですか?」

「そうね。あのね、ここは、自殺未遂をした人の夢の中、という訳ではないの。貴方は自殺未遂をして、生死の間をさまよっている。そして、これからどうするか、自分で決める為に、あなたの意志でこの街に来たのよ。貴方だけじゃない、みさとも、雅人も、私も」

「じゃあみんな、私みたいに、記憶をなくして……」

「そうね。この街に来る人がみんな、記憶をなくして来る訳ではないのだけれど。この民宿は、そういう人専用の場所。だからこうして本が届いて、それを私は迷子の人に渡す。そして、その人がこれからのことを決めるまでの間、一緒に、家族として過ごすの」

おばちゃんは流れるように話をした。私はただ黙って、それを聞いていた。あんなに小さな男の子も?あんなにきらきらした女子高生も?


みんな、死のうとしたの?


そして、何より気になったこと。

「おばちゃんは、ずっとここにいるんですか?」

私の問いに、おばちゃんは微笑んだ。あまりに儚くて、夕陽に溶けて消えてしまいそうな微笑だった。

「そうねぇ。私はもう、長いことここにいすぎたから。気づいたら民宿の女将さんなんかになっていたわ。何人もの人と出逢って、何人もの人と別れたわ。だから何て言うの、この街の主みたいなものよ」

最後は冗談のつもりだったのだろう。けれど私の胸に、おばちゃんの微笑は鋭く刺さった。余りにも多い情報の中で、その微笑は長く私の心に残ってずきずきした。

「さ、今日はもう寝なさい。お風呂に入って、疲れを取って。たくさん寝て、とりあえず自分を休めてあげなさい。それを見るのは、もう少し落ち着いてからがいいわ」

おばちゃんはそう言うと立ち上がった。私は何か言わなきゃ、と思った。咄嗟に私は口走った。

「おばちゃん、ご飯、とっても美味しかった」

おばちゃんは、私の言葉に意表をつかれたような顔をした。けれど、すぐに可笑しそうに笑った。

「はーい、お粗末様でした」

台所では、みさとちゃんにちょっかいを出して雅人くんが怒られていた。夕焼けは相変わらず、なに食わぬ顔で私を見つめていた。

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