第30話
文吾さんは少し小柄で痩せていた。でも着物が良く似合っていて、それでいて飄々とした感じが伺えた。
高座の真ん中の座布団に座りお辞儀をすると出囃子が止んだ。
「え~本日のトップバッターの桂文吾と申します。本日のトップということはこの『若手特選会』の初めての噺家という事になっております。え? さっき、前座さんがあがった!?……いいの! 細かい事は気にしないの!」
どっと客席が沸く。掴みは上手く行ったみたいだ。この文吾さんと言う人は協会が違うから一概に言えないのだが、かなり寄席に出ている印象がある。芸協は協会よりも噺家の数が少ないので結構寄席に出る機会が多いのだ。だから、寄席に出たい者は芸協の師匠の所に入門するという。そのせいか、入門者が急増してるので芸協も協会に習って制限をし始めた。年齢と入門者数だ。
マクラで散々笑わせた後、噺に入って行く。この「転宅」という噺は……。
舞台は大川端にもほど近い粋な町、浜町。間抜けな泥棒が、留守だと思いこみ忍び込んだのはお妾さんが暮らす一軒家。
食卓のお膳に酒、肴が残っているのを発見し、盗みそっちのけで飲み食いをしているところを家の主、お菊に発見され飛び上がる。あわてて
「金を出せ」
と脅しに掛かった泥棒だが、お菊は鼻で笑い
「わたしゃ、おまえさんの同業者だよ」
と言い出す。お菊の本業は泥棒だが、いまは金持ち旦那の妾の身の上との説明をすっかり信じてしまう泥棒。。
でも旦那とは別れ話が持ち上がり、明日からはどうなるかわからないという。さらに
「あたしのような女だけど、お前さんのような男と所帯が持ってみたいものだよ。
一年でいい、あんたのお神さんにしてくれないかねぇ」
等と泥棒を口説き出すお菊。
泥棒はすっかり鼻の下を伸ばし、懐中にあった八十円の金もお菊に預けてしまう。
「今日は用心棒が二階にいるから、明日また昼過ぎに来ておくれ。三味線の音をさせるから、それが合図だよ」
というお菊の言葉に、泥棒は夢うつつで帰っていく。
さてその翌日。泥棒は昨日の家を訪れるが、待てど暮らせどシンとして三味線の音は聞こえず思わず近所の人に聞くと、
「いや、この家には大変な珍談がありまして、昨夜から笑いつづけなんです」
「何があったんですか」
「昨夜、泥棒がはいったんですよ」
「それで?」
「それが間抜けな泥棒で、お菊さんに上手く騙されて、明日また来てくれと言って追い返したんですよ。その後、旦那をすぐに呼びにやったところ、あとで何か不都合があるといけないというので、泥棒から巻き上げた金は警察に届け、明け方のうちに急に転宅(引っ越し)したとか」
「ええ!いったい、あのお菊というのは何者なんです?」
「なんでも、元は義太夫語りだとか」
「義太夫語りだけに、うまく騙(語)られた」
と下げる噺でわたしは聴いたことが無いが別なオチもあるらしい。客席は間抜けな泥棒を上手く演じる文吾さんの語りで、爆笑と言っても良いほど沸いていた。寄席では見たことがある文吾さんだが、これほどの演者とは思ってもみなかった。
「どうりで上手く騙られた」
サゲを言うと沢山の拍手が湧き上がった。一番手としては十二分の高座だったと思う。ちなみに会場には出来を審査する人が数名居て、出来を採点してるのだ。それが誰だかは公表されていないので判らない。
続けて登場は立川段々さんだ。聞き慣れない出囃子に乗って登場する。演目は確か「うどん屋」だったはずだ。この噺は……。
夜、市中を流して歩いていたうどん屋を呼び止めたのは、したたかに酔った男。
「仕立屋の太兵衛を知っているか?」
と言い出し、うどんやが知らないと答えると、問わず語りに昼間の出来事を話し出す。それは、友達の太兵衛のひとり娘、みい坊が祝言を挙げた。あんなに小さかったみい坊が花嫁衣装に身を包み、立派な挨拶をしたので胸がいっぱいになった……。うどんやが相づちを打つのをいいことに、酔客は同じ話を何回も繰り返すと、水だけ飲んでどこかに行ってしまう。
タダで水だけ飲まれたうどん屋、気を取り直して再び街を流すと、今度は家の中から声が掛かるが、
「赤ん坊が寝たところだから静かにして」
と言われてしまう。大きい声はだめだ。そう言えば仲間が良く、商家の番頭さん等が内緒で店の衆に御馳走してやるってんで、ヒソヒソ声で注文するのが大口になるんだと言っていたと思い出した途端、ヒソヒソ声でうどん屋を呼び止めて鍋焼きの注文。
こりゃ当たりで総終いだなと思い、ヒソヒソ声で
「さぁどうぞ」
と手渡す。客が食べ終わって、勘定の時にうどん屋に
「うどん屋さんお前さんも風邪ひいたのかい」
そう下げる噺で、冬にの木枯らしの吹く、寒い夜の感じが出なくてはならない難しい噺で、この噺も萩家の噺家さんが良く演じる。立山流を最初に作った人は先代萩家小しんという名人の弟子だったのだが、仲違いをして破門されたのだ。それで自分で協会を作ったという訳だ。だから芸の流れとしては、この噺を彼らが演じるのは不思議でも何でも無い。
段々さんは酔っ払いの下りで笑いを取り、上手く最後まで持って行く。小鮒さんが言うには。この繰り返しのところで、お客に飽きられては駄目なのだそうだ。段々さんは繰り返す度に笑いが大きくなっていたほどだった。そして圧巻だったのが、商家の男がうどんを食べるシーンで、最初に熱々のうどんを冷ます為に息を吹きかけるのだが、
「ふー、ふぅー」
とその息のかけ方が抜群で、白い湯気が見える程だった。いっぺんに会場を真冬の夜にしてしまった。客席のかなりの数の人が思わず襟を立てたほどだった。無論私も襟を合わせた。
先代萩家小しん師は麺類の食べ方でも蕎麦とうどん。それに中華そばの食べ分けが出来たという。ちょっと信じられないのだが……。
段々さんは食べる所はそこまでの技量は無かったが、それでも並の噺家より上手に食べていた。
段々さんが、拍手の渦に送られて高座を降りると、次は小艶さんだ。彼の出囃子の「さわぎ」が掛かる。すると陽気なオーラを出して、小艶さんが袖から登場して来た。そして座布団に座るとお辞儀をして
「え~わたしの高座が終わると待ちに待った休憩時間でございます。あと少しの辛抱でございます。どうかご辛抱をしてくださいませ」
そんな挨拶をして客を笑わせた。彼の演じる「棒鱈」は萩家のお家芸とも言われており、以前は他の一門はやらなかった噺だ。それは演じ方によっては問題になりやすい噺でもあると言われている。小鮒さんは
「九州の鹿児島ではやらない方が良いかもね」
そんな事を言っていた。この噺は……。
江戸っ子の二人連れが料理屋の隣座敷で、田舎侍が大騒ぎする声を苦々しく聞いている。
「琉球へおじゃるなら草履ははいておじゃれ」
などという間抜けな歌をがなっていて、静かになったと思ったら、芸者が来た様子で、隣の会話が筒抜けに聴こえてくるので、余計腹が立っている。更に芸者が、
「あなたのお好きなものは?」
と聞くと
「おいどんの好きなのは、エボエボ坊主のそっぱ漬、赤ベロベロの醤油漬けじゃ」
等と言う始末。何の事かと思ったら、タコの三杯酢と鮪の刺し身だと言う。
「おい、聞いたかい。あの野郎の言いぐさをよ。マグロのサムスだとよ。……なに、聞こえたかってかまうもんか。あのバカッ」
と大きな声を出して仕舞います。
芸者が、侍が怒るのをなだめて、三味線を弾きますから何か聞かせてちょうだい
と言うと、侍は
「モーズがクーツバシ、サーブロヒョーエ、ナーギナタ、サーセヤ、カーラカサ、タヌキノハラツヅミ、ヤッポコポンノポン」
と、歌い出す始末。呆れ返っていると、今度は
「おしょうがちいが、松飾り、にがちいが、テンテコテン」
とやりだす。気の短い江戸っ子が、我慢ならなくなって、隣を覗こうと立ち上がります。
相棒が止めるのも聞かずに出かけていくと、酔っているからすべって、障子もろとも突っ込みます。驚いたのが田舎侍。
「これはなんじゃ。人間が降ってきた」
「何ォ言ってやがるんでえ。てめえだな。さっきからパアパアいってやがんのは。酒がまずくならあ。マグーロのサスム、おしょうがちいがテンテコテンってやがら。ばかァ」
「こやつ、無礼なやつ」
「無礼ってなあ、こういうんだ」
と、いきなり武士の面体に赤ベロベロをぶっかけたから
「そこへ直れ。真っ二つにいたしてくれる」
「しゃれたたこと言いやがる。さ、斬っつくれ。斬って赤くなかったら銭はとらねえ、西瓜野郎ってんだ。さあ、斬りゃあがれッ」
と、大喧嘩。
そこへ料理人が、客のあつらえの鱈もどきができたので、薬味の胡椒を添えて上がろうとしたところへ喧嘩の知らせ。慌てて胡椒を持ったまま、それを振り掛けたからたまらない。ハックション、ハックションの連続。暫くして、さすがに静かになり、
「どうなりました?」
と周りが訊いたところ
丁度、胡椒(故障=邪魔)が入ったところ……。
と下げる噺だから鹿児島では出来ないという訳だ。
小艶さんは薩摩の侍も愛嬌のある人物と演じていて悪く無い感じだ。江戸ッ子の啖呵は見事で短気な江戸ッ子とのんびりとした薩摩の侍の対比が見事だった。
今までで一番の拍手を貰って小艶さんが高座を降りて緞帳が閉まった。
休憩の後はいよいよ小鮒さんの登場だ。わたしは段々と胸が締め付けられる気持ちになって来るのだった。
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