第19話

 若手落語家のコンテストとは、某放送局が主宰しているもので、東西の噺家がそれぞれ予選を行い、勝ち抜いた者だけが本選に出場出来る。その模様はテレビ中継される。

 その昔、このコンテストで優勝して三十二人抜きで真打に昇進した師匠もいる。若手が対象なので入門十年以内の噺家だけが出場出来る。顕さんこと古琴亭小鮒も入門してからもう八年目に入った。今年を入れて後三回しかチャンスはない。

「ねえ、優勝したら真打にしてくれるのかな?」

 横浜での落語会の帰りに、わたしのバイクの後ろに乗って、実家に帰る時に寄った実咲公園で訊いてみた。

「まさか、多少は早まるだろうけどね。それより本選に出るだけでも大変だよ」

「東からはどのぐらい出るの?」

「予選には今年は七十人かな。本選にはその中から三名。西が二名だね。同期だと馬富も出るしね」

 そうか、二人は同期だった。翠の顔が浮かぶ

「彼には負けないでね。でもそんなに多いんだ」

「それはそうさ、ウチの協会だけではないしね」

 そうか、東京には四つの協会があったのだ。

「演目は決めたの?」

「ああ、『愛宕山』をやろうと思ってね」

「愛宕山」は八代目文楽師匠が得意にしていた演目で元が上方落語なので西でも演じられる。

「馬富は『大工調べ』だそうだ」

「大工調べ」は大工の棟梁が啖呵を切る噺で啖呵の所が難しい噺だ。

「どうした急に」

 考えごとをしてるわたしに顕さんが心配して顔を覗き込んだ。

「うん、正直、翠には負けたく無いって思って」

「あいつは今人気があるからな。でも噺の上手さでは負けないつもりさ」

「頑張ってね。応援に行くから」

 わたしは予選の会場まで応援に行くつもりだったのだが

「それが予選は非公開なんだ」

「非公開?」

「そう。毎年、都内の某スタジオでやるんだ。仕込みの客が十人程居るらしいけどね。出場者でも終わった後は会場の廊下にあるモニターで他の出演者の出来を確認する始末さ」

「厳しいんだね。なんでだろう」

「結果発表の時に講評をするんだけど、その時にかなり厳しい事を言われるそうだよ。とても部外者には聴かせられないとか言う噂なんだ」

「結果はその日に出るんだ。すぐに判るんだね」

「それは無いね。人数が多いから後で知らされるそうだよ」

 わたしは会場のところまで一緒に行くつもりだった。一秒でも早く結果を知りたいがそれは無いのだ。

「まあ優勝した先輩でも予選で何度か落ちてるからね。最初で予選を通るとは思ってないよ」

「でも、一回で本選に出た人もいるんでしょう?」

「ああ、過去に二人だけいる」

 そう言って顕さんは三十二人抜きの師匠の名を口にして

「もうひとりは」

 上方落語の人気者の師匠の名を口にした

「なんか納得してしまうわね」

「だろう。だけど俺が三人目にならないと言う保証はない。優勝はともかく、本選に出るつもりで頑張るよ」

「頑張ってね」

 そう言って応援のキスをした。


 それからはデートも何処かに行くようなことはせずに、向島のおばあちゃんの家とか顕さんの実家とか、たまにはわたしの家とかで稽古を行うことが増えた。わたしは一緒に居て顕さんの噺を聴いて、何か気がついたことがあれば感想を言う役目に徹した。

 顕さんと交際するまで落語なんて殆ど聴いた事もなかったけど、今は多少なら判るようになって来た。それは本当の落語ファンに比べれば頼りないものだろうけど、黙っているよりかはマシだと思うのだ。

 そして予選会の当日となった。わたしと顕さんは前日に向島のおばあちゃんの家に泊まって準備をした。そして少し早めに会場に出向いた。

 会場の前で翠と馬富さんと出会った。

「あら里菜じゃない。やっぱり一緒に来たんだ」

 翠が嬉しそうに言う

「そりゃそうよ。顕さんの勝負の日だもの」

「そうよね。でもウチの賢ちゃんは確実に行かせて貰うからね」

 翠も自信満々だ。この自信は何処から来ているのだろう。そんな翠が少し羨ましかった。

「じゃあ早めに会場に入るから」

 顕さんはそう言って馬富さんと一緒に会場に入って行った。わたしはその姿を見送りながら翠に

「どうする? 近くでお茶でもする」

「そうね。それしか無いものね」

「どれぐらい掛かるのかな?」

 わたしの疑問に翠が

「一人の持ち時間が本選と同じで十一分だと思う。昔は十三分だったらしいけどね」

「それが七十人なんだ」

「今日だけでは無いと思うよ。時間的に無理だし」

 そうか十一分ならどんなに詰めても一時間に五人が限界だろう。七十割る五なら十四時間にもなってしまう

「じゃあ発表は後なんだね」

「そう思うよ。まあ賢ちゃんは決まりだと思うけどね。この為に幾つか仕事を断ったんだしね」

 翠の鼻息は荒い。わたしは顕さんを信じるだけだった。

 その後はたっぷりと翠の惚気を聞かされた。翠曰く

「写真集の撮影の時の事だけど、出来上がった写真を見て賢ちゃんが物凄く嫉妬したのよ」

 なんでも翠の水着の過激さに嫉妬したのだと言う。それを嬉しそうに口にする彼女を見て正直、わたしとは違うと感じた。わたしは翠みたいに、あっけらかんとは出来ない。どうしても色々と考えてしまう。顕さんは

「そこが里菜の良いところだよ」

 そう言ってくれるのだが……。

 二人の出番というか審査はお昼近くに終わった。最初にスタジオの玄関に現れた馬富さんを翠が見つけ駆け寄って行く

「賢ちゃんどうだった?」

 翠に抱きつかれながら馬富さんは

「まあ出来たと思うよ。自分としては出来るだけやったという感覚だね」

 そう言って手応えを感じたようだった。

「じゃまたね!」

 翠は馬富さんと手を組んで駅の方に向かっていた。わたしは手をひらひらさせながらその後ろ姿を目で追った。その時後ろから肩を軽く叩かれた。振り向くと顕さんだった。

「おかえり。今日は仕事無いのでしょう?」

「ああ今日は仕事入れてないよ。それより出来を訊かないのかい?」

「信じてるし。顕さんの顔を見れば精一杯やったのは判るから」

「そうか、結果は後で発表されるんだ」

「そう、じゃぁ一緒に帰ろう。バイクで来れば良かったなぁ」

「どうして?」

「思い切り走りたい気分だから」

「そうか気が合うな。俺もそんな感じなんだ」

「じゃあ帰ってバイクに乗りましょうよ」

「そうだな。走りに行こう」

 その日、二人は実家に帰って斉所山に走りに行った。二人にとって思い出の所だった。

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