第18話

 それから数日後、都内の喫茶店で、わたしは翠とお茶を飲んでいた。

「あのこと、それからどうなったの?」

 あの事とは翠がグラビアアイドルとしてスカウトされた話だ。

「うん断ったんだけど」

「だけど?」

「それが賢ちゃんのプロダクション絡みだから簡単には行かないののよね」

 賢ちゃんというのは馬富さんの本名で賢治という。プロダクションというのは、噺家も二つ目になると、何処かのプロダクションに所属する人も結構居る。その殆どは師匠の入っている所に入れて貰うのだ。

 馬富さんも某プロに入っている。今度顕さんも入ったのだが、顕さんと馬富さんのプロダクションは違う。それはそれぞれの師匠が違うプロダクションに入っているからだ。

 翠はその馬富さんのプロダクションの親会社にあたるプロダクションからスカウトされたのだった。

「このまま押し通して賢ちゃんや師匠に悪影響があれば、わたしのせいかなと思うのよ」

「馬富さんは何と言ってるの?」

「お前の好きにすればいい。若いうちしか出来ないから、記念に写真集でも出せればな。って」

「反対じゃないんだ」

「そうなの。でもわたしは、スケベ心で、グラビアに載ったわたしを見てみたい、って想いがあると思うの」

 男の人はそんな事を思うのだろうか? 自分だけの恋人で居て欲しいとは思わないのだろうか?

「それでね妥協案として、ミス女子大生として写真週刊誌に載せるだけならどうか。って言って来てるの。賢ちゃんもそれならって言ってくれているから……」

「そうか翠は少しは気があるんだ」

「まあ、それぐらいなら」

 よく週刊誌にミス某女子大生とか言って写真が載ることがあるが、それなのだろう。

 季節は秋を通り越して冬に向かっていた。もう温かい飲み物が恋しくなって来ていた。わたしは両手で大ぶりのカップを掴むと口に持って行った。そんなわたしを見て翠が

「多分一回だけだから。それほど騒ぎにならないと思うよ」

 翠は記念的な感じなのだろう。両方の顔を立てる案なのだろう。確かにこうして一緒にお茶を飲んでいても翠はため息が漏れるぐらい綺麗になった。こういうのを化けると言うのだろうか?

 顕さんに言わせると噺家が急に上手くなったり客に受けるようになるのを「化ける」と言うのだそうだ。


 それから少し後、すっかりお日様が恋しくなった頃に翠は何処かの南の島に旅立った。写真の撮影だそうだ。その撮影された写真は写真週刊誌の正月特大号に載せられた。暮に発売されると早速買って来て顕さんと一緒に東向島のおばあゃんの家で見た。

 それは南の島で水着姿の翠が写っていた。かなり際どい水着で翠のスタイルの良さが良く現れていると思った。顕さんは食い入るように見ている。やはり男の人はこういうのが好きなのだと思う。それは仕方ないのかも知れないが、少し悔しいというより切なかった。

「翠ちゃん、良く写ってるね。さすがプロだね。俺達もそうだけど、プロなら素人とは乗り越えられない差が無くちゃね」

 顕さんはそんなことを言ってわたしを驚かせた。翠をエッチな目で見ていたんじゃ無かったの?

「どうしたの。そんな目で人の顔を眺めて」

 わたしの顔が、かなりだらしない表情をしていたのだろう。両方の手のひらで顔を挟まれてそのままキスされた。気付けのキスみたいだった。それで我に返った。

「そんなところ見ていたんだ」

「当たり前じゃない。何を見ていたと思った?」

「いや、その……翠の水着が際どいから……」

「何でそんなこと思うのさ。翠ちゃんとは何度も逢ってるし、プールにも四人で行ってるだろう」

 そういえばそうだった。確かあの時も顕さんは、わたしの水着姿の方を熱心に見ていた。

「正直言えば俺は里菜にこんなエッチな水着を着て欲しいとは思わない」

 顕さんはそう言って笑っている。

 その時顕さんのおばあゃんがコーヒーを入れて持って来てくれた。さっきのキス見られていないと願う。

 この家に通うようになって、顕さんのおばあゃんとも仲良くなり、たまには、わたしだけでもこの家にお邪魔するようになった。

 顕さんのおばあゃんは日本舞踊の名取で師範をしていた人で、最近まで都内の教室で教えていたそうだ。今は表向き引退しているが、たまに頼まれると教えに出向くという。それは国内だけでなく海外も行くと言う。だから家を空けることが多いので顕さんが来てくれると安心するのだという。

 おばあちゃんは翠の写真を見て

「あらあら綺麗な娘ねぇ。賢ちゃんもこんな可愛い娘が彼女なら心配ねぇ」

 そう言って笑っていた。馬富さんは高校の頃からこの家に来ていておばあちゃんとも顔なじみなのだ。

「でもこの写真からは、自分の持っているものを全部出しましたという感じがするわね。普通こういうものは一気に全部は出さないものだけど、彼女は何かこれきりという感じがするわね」

「やはり判りますか?」

 わたしの質問に

「里菜ちゃんだったらもっと可憐になっていたでしょうね。顕はそういうのが好みだから。この娘みたいなのは苦手なのよね」

 おばあちゃんの言葉に顕さんは

「全く余計なこと言わないでよ。俺は今の里菜が好きなんだから。だから俺だったら反対していたな」

 正直、わたしにそんな声がかかる訳は無いが、顕さんがそう言ってくれたのが嬉しかった。

 その後、翠の写真は少し話題になり、プロダクションからは本格的な写真集の話も出たそうだが翠はきっぱりと断った。

「自分は芸能界で生きていけるほどタフではありませんから」

 でも結局断りきれずに雑誌に載せる時に撮影した写真を中心にした写真集が一冊だけ出た。かなりの評判になったそうだ。

 その後も他からも何度か声が掛かったが、結局は本人の意志と、翠が馬富さんの婚約者であることが判り、馬富さんの師匠が落語界の大物であるので、それ以上のことにはならなかった。

 馬富さんの師匠は宝家圓馬と言って今の落語界ではかなりの人気者だ。日本全国何処へ行っても独演会は一杯になる。協会の常任理事も兼ねていて次の会長と目されている。顕さんが言うには

「芸には厳しいけど余り細かいことは言わない主義だよ」

 ちなみに顕さんこと古琴亭小鮒の師匠は古琴亭栄楽といってこれも重鎮だ。でも協会の権力には興味がなく、普通の理事止まりだそうだ。顕さんいわく

「落語に関する事以外は余り興味を湧かさない」

 そうだ。


 時が流れ、わたしと翠は二年生になり一年の時より講義の時間が自由になった。それで顕さんと逢う時間が多くなったと言う訳ではない。それは顕さんが小鮒として前より仕事が多くなって来たからだ。

 正直、逢える時間が少なくなったのは寂しいが、一方で噺家として売れて来たのは喜びでもあった。そして、翠といえば芸能界には全く興味を示さず。馬富さんの世話をしている。それだからか、タレントとして馬富さんをテレビで見る機会が多くなった。

 馬富さんの師匠の圓馬師は

「芸の為になると思ったら何でもやってみろ」

 という考えで、馬富さんがタレントとして活躍するのを後押ししてくれている。

「最終的に落語に戻ってくれば良い」

 そんなことも言ってくれたそうだ。そんな時に若手の噺家の落語コンテストの話が舞い込んだ。

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