第2章 二人の関係
第17話
神田にある連雀亭というのは二つ目だけが出演出来る所で基本、落語と講談だけとなっている。お昼にやる「ワンコイン寄席」は五百円で噺家が三人出る。その次に十三時半から行われる「キキャタピラー寄席」と夜席とがある。東京には落語の団体が四つあり、大きい方から、落語協会、落語芸術協会、落語立川流、圓楽一門会とに分かれている。お終いの二つの団体は落語協会から別れたものだ。だからこの二つの団体の芸人は寄席には出られない。貸し切りの時は別だが……。
でもこの連雀亭ではそんな垣根は無く、希望すれば出られるそうだ。小鮒さんは落語協会の所属だから一応都内の寄席やこの連雀亭にも出られるし、事実出ている。
その他にも最近はあちこちに呼ばれる事が多くなり、少し二人で逢う時間が少なくなっている。
二人が結ばれた翌年。わたしは都内の四年生の大学に進学した。家から通える範囲の大学という条件だったのでわたしの街を通っている私鉄の沿線にキャンパスがある大学にした。生憎、顕さんのおばあちゃんの家のある東向島とは都内でも反対方向となってしまった。でも顕さんが都内で仕事がある時はなるべく逢うようにしていた。
一方翠は、本人は進学するつもりなぞ全く無く、当初は派遣にでも登録して馬富さんと一緒に暮らすつもりだったらしいが、親が
「せめて短大ぐらいは」
というので、仕方なく都内の短大に進学した。翠いわく
「わたしは勉強好きじゃないのに」
そう言ったそうだが、親に押し切られた格好となった。進学してくれれば馬富さんと一緒に暮らすのも許可するという条件だったからだ。それでは仕方ない。
二つ目になってから毎月、馬富さん、袁市さんと三人で行ってる勉強会も好評で、会場も大きい所に変更した。勿論たまには地元でも開催するが、この前は市民会館の大ホールでやった。そこが結構一杯埋まったのにはわたしも驚いた。どうも馬富さんに人気が出始めているそうだ。翠が言っていた。
彼女とは頻繁に連絡を取り合っていて、時間があると逢っている。
「賢ちゃんは今の若手じゃ一番のイケメンだものね。そこに噺の上手さが加われば人気が出るのは当然だと思うわ」
そんなことを言っているが、わたしから見ると顕さんだって結構イケメンだと思うのだが、身贔屓だろうか?
大学には一年生だから結構朝が早いので基本電車で行くが、時間がある時はバイクで行く。やはりバイクは気持ちが良い。
この前、顕さんを駅に夜遅く迎えに行った時のことだ。顕さんを後ろに載せて走り出すと。わたしの胸を掴んで来た。最初に載せた時はお腹に腕を回していたのに。
「エッチ」
ヘルメット越しにそう言うと顕さんは
「結構大きくなったね」
そんなことを嬉しそうに言う。全くスケベなんだからと思うが、胸を掴みながら体をわたしに預けて来る顕さんを感じながら
『わたしに癒やしを求めているのだ』
と感じた。
途中の実咲公園にバイクを停めて奥のベンチに二人で座る。キスをしながら思い切り強く抱き合う。
「逢いたかった」
その日は久しぶりに逢ったからだ。
「わたしも」
そう言った口を、もう一度塞がれる。
「膝枕して」
「ここで?」
「うん。里菜の膝が恋しい」
そう言われたら仕方ないので膝に顕さんの頭を乗せる。
「ああいい景色だ。お星様と里菜の顔が一緒に見られるなんて」
何を言ってるのかと可笑しかったが、程なく寝息をたてていた。疲れているんだと思った。正直、同期の馬富さんが人気が出始めている。まだ二つ目だから、人気より修行だとは思うが、それでも心に焦りが生まれているのでは無いだろうか。
そんなことを思う。わたしという存在が少しでも癒やしになれば良いと思って夜が更けて行った。
そんな中、翠が短大の学祭で行われたミスキャンパスコンテストで優勝してミスキャンパスになったのだ
「凄いじゃない」
翠と大学近くのコーヒーショップで逢った時に言うと
「うん、賢ちゃんが出ろって言ってくれたから」
翠は高校の頃より少し痩せて綺麗になっていた。スタイルは一層磨きがかかり、街を歩けば誰もが振り返るほどだった。
「馬富さんは心配だろうね」
「どうして?」
「翠が余りにもモテるだろうから」
わたしの言ったことが可笑しかったのか翠は笑い出し
「関係無いわ。わたしは賢ちゃんの人気がもっと上がる事が一番大事。そして上手くなって早く真打になれば良いと思ってるの。そのためなら、わたしは賢ちゃんに尽くすの」
まさか、そこまで翠が考えているとは思っていなかった。
「食事や健康のことも考えてあげているんだ。丁度入ったのが家政学部だからね」
「いい女将さんになるのか……」
わたしの言葉をどう受け取ったのかは判らなかったが翠は嬉しそうに頷いた。
その帰り道、電車に揺られながら自分と顕さんの事を考えていた。わたしは顕さんの為になっているのだろうか?
逢えばお互い求め合い、感情の赴くまま過ごしている。今まではそれで良いと思っていた。まだ若いからそれで良いと……。
でも翠はもっと先を見ている。五年後いや十年後まで考えているのだ。酷く自分が幼く思えた。
そうしたら思いがけないニュースが飛び込んで来た。ミスキャンパスに選ばれた翠が某プロダクションから声が掛かったのだという。
「グラビアアイドルだって。凄いよね」
顕さんはそう言って笑っていたが、わたしは翠はそれを受けるとは思えなかった。馬富さんが強く言えば本気で考えたかも知れないが、今の翠の視野に自分が芸能界にデビューすることは考えていない気がしたからだ。
「もしかして断るかも知れないよ」
「ええ、どうして? あんなに綺麗なのに」
やっぱり顕さんも翠のことを綺麗だと思っているんだ。わたしは情けなかったがそんな事が少し頭を過った。
「翠の希望は馬富さんが一日でも早く真打になる事だから」
「確かに翠ちゃんの献身的な働きは頭が下がるよ。仲間内でも評判なんだ」
「だから断るかも知れない」
「そうだね。でも俺は馬富を羨ましいとは思わない」
顕さんは東向島のおばあちゃんの家で、わたしにそう言った。
「どうして?」
「それはね。今は俺たちは修行中なんだ。実力をつける為の努力をしなくちゃいけない。人気が出るのは実力がついてからで良いんだ。それに俺には里菜が居てくれるから」
その言葉を聴いて、わたしは安心した。ちゃんと地に足がついていると思った。
「わたしは翠ほど役には立たないかも知れないけど、わたしに出来ることがあったら何でも言ってね。出来る限り協力するから」
そう言うと顕さんはわたしを抱きしめて
「ありがとう。俺も頑張るからさ」
そう言って飛び切りの笑顔を見せてくれた。
翠がプロダクションに断りを入れたのはそれから数日後だった。
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