海に着くやつ
「なぁ、今日どうする?」
「んー、どうしようね」
眠たそうな──というよりは、もはや半分寝ているかのような声で返事が来た。極めて平常運転である。
「何がしたいとか」
「なんでもいいけどねえ」
「それが一番困るの、知ってる?」
僕の非難がましい視線を、彼女は力の抜け切った笑みで回避してみせた。擬音を当てるなら、にへら、とか。ふにゃり、だとか。そんなの。こいつはいつもそういう笑い方をする。
「んー」と、僕が唸って今日のプランを考え出すと、この憎たらしい美少女は面白がって真似をする。
顔だけはいいのにな。ほんと、顔だけは。
口を尖らせ、視線を上に向けながらおどける馬鹿の頭を小突く。
彼女は「あだっ」とわざとらしい声を上げ、頭を抑えた。そんな上目遣いで睨まれても、僕が悪いんじゃないし。
「女の子殴るとかありえない!」
「別に殴っちゃいないだろ」
「むぅ」
頬を膨らませて、いかにも怒ってます! という風に装うそれが、あざとい演技だと僕は知っている。
無意識なんだろうけど、これに引っかかるやつ、多いんだよなぁ。
この脳みそゆるふわ女、ほんとに見かけはいいのだ。だからそれに騙されて
そんなことを考えながら僕がまじまじと顔を見ていると、恥ずかしくなったのか、彼女はまた笑った。にへら、と。
「で、どうするのさ」
「そっちが決めるんじゃないの?」
「僕がいつそんなこと言ったよ」
結局、何も決まらないまま学校を出てしまった。僕らは共に電車通学なので、とりあえずの目的地は最寄りの駅だ。
僕らの住む町はここからわりと離れていて、それでも僕がこの学校を選んだのは、幼馴染が──要するにこいつのことだけど──ここに進学すると言ったからだ。
自慢じゃないけど、僕はこいつ以外に友人と呼べるような関係の相手がいない。だから、つまり、勝手にいなくなられては困る。そういうことだ。
正確に言うならば、世間一般的に見て友人関係にあるのだろうという人たちはいる。僕はそこまで人間的に破綻しているわけではないし、最低限のコミュニケーション能力も持ち合わせているつもりだ。
だから、正確に──そう、正確に──言うならば、友人は一応、いる、はずだ。ただ、彼らを友人と呼ぶことにどこか引っかかりを感じてしまうのは、僕の卑屈さゆえだろうか。自分でも馬鹿らしいと思うけど。
でも、もし、一方的に仲良いと思ってるだけだったら、怖いしなぁ。
どうしてもそんなことを考えてしまうのが、僕という人間の限界なのだろう。
いつからこんなになったんだっけ。考えて、分からなくて、疑問を頭から追い出した。無駄な思索だと思ったからだ。
脳裏でそんな自問を繰り広げながらも、僕は彼女と他愛のない会話を交わし、駅に向かって歩いた。
なんとはなしに取り出したスマートフォンの画面は、ただ現在時刻のみを僕に教えてくれた。15時55分。駅までの距離と照らし合わせて考えると、16時ちょうど発の電車には乗れるだろう。
まぁ、いつも通りだな。
このまま行けば多分、今日は地元でゲームセンターにでも寄って、駅前の商店街で買い食いなんかして、夕飯までにはうちに帰ることになるだろう。
“いつも通り”だ。退屈なほど普通で、それなりに幸福な日常。僕はそれが、嫌いではない。
だというのに、彼女はいつも自由奔放に、そして天真爛漫に日常を破壊する。
「あ。あれ乗ろう! 海に着くやつ!」
言うのが早かったか、それとも駆け出す方が先だったか。とにかく、あいつは駆け出した。
「“あれ”って、いま駅に止まってるやつのこと言ってる!?」
「そう! それ、乗ろう! 海行きたい!」
駅への道を走りながら、僕らはほとんど叫ぶみたいに言葉を交わした。
僕は、“いつも通り”が嫌いじゃない。代わり映えしない日常が、むしろ好きだ。
でも。
でも、こいつが連れてくる、いつも通りじゃない幸せも、やっぱり僕は好きなのだ。
全力でロータリーを駆けながら、僕はまだ見ぬ水平線に想いを馳せた。
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