海に着くやつ

「なぁ、今日どうする?」

「んー、どうしようね」


 眠たそうな──というよりは、もはや半分寝ているかのような声で返事が来た。極めて平常運転である。


「何がしたいとか」

「なんでもいいけどねえ」

「それが一番困るの、知ってる?」


 僕の非難がましい視線を、彼女は力の抜け切った笑みで回避してみせた。擬音を当てるなら、にへら、とか。ふにゃり、だとか。そんなの。こいつはいつもそういう笑い方をする。


「んー」と、僕が唸って今日のプランを考え出すと、この憎たらしい美少女は面白がって真似をする。


 顔だけはいいのにな。ほんと、顔だけは。


 口を尖らせ、視線を上に向けながらおどける馬鹿の頭を小突く。

 彼女は「あだっ」とわざとらしい声を上げ、頭を抑えた。そんな上目遣いで睨まれても、僕が悪いんじゃないし。


「女の子殴るとかありえない!」

「別に殴っちゃいないだろ」

「むぅ」


 頬を膨らませて、いかにも怒ってます! という風に装うそれが、あざとい演技だと僕は知っている。


 無意識なんだろうけど、これに引っかかるやつ、多いんだよなぁ。


 この脳みそゆるふわ女、ほんとに見かけはいいのだ。だからそれに騙されて落ちる・・・馬鹿が相次ぐ。まぁ、もう10年以上一緒にいる僕から見ても文句なしの美少女だから、仕方ないと言えばそうだろう。


 そんなことを考えながら僕がまじまじと顔を見ていると、恥ずかしくなったのか、彼女はまた笑った。にへら、と。






「で、どうするのさ」

「そっちが決めるんじゃないの?」

「僕がいつそんなこと言ったよ」


 結局、何も決まらないまま学校を出てしまった。僕らは共に電車通学なので、とりあえずの目的地は最寄りの駅だ。

 僕らの住む町はここからわりと離れていて、それでも僕がこの学校を選んだのは、幼馴染が──要するにこいつのことだけど──ここに進学すると言ったからだ。


 自慢じゃないけど、僕はこいつ以外に友人と呼べるような関係の相手がいない。だから、つまり、勝手にいなくなられては困る。そういうことだ。


 正確に言うならば、世間一般的に見て友人関係にあるのだろうという人たちはいる。僕はそこまで人間的に破綻しているわけではないし、最低限のコミュニケーション能力も持ち合わせているつもりだ。

 だから、正確に──そう、正確に──言うならば、友人は一応、いる、はずだ。ただ、彼らを友人と呼ぶことにどこか引っかかりを感じてしまうのは、僕の卑屈さゆえだろうか。自分でも馬鹿らしいと思うけど。


 でも、もし、一方的に仲良いと思ってるだけだったら、怖いしなぁ。


 どうしてもそんなことを考えてしまうのが、僕という人間の限界なのだろう。

 いつからこんなになったんだっけ。考えて、分からなくて、疑問を頭から追い出した。無駄な思索だと思ったからだ。


 脳裏でそんな自問を繰り広げながらも、僕は彼女と他愛のない会話を交わし、駅に向かって歩いた。

 なんとはなしに取り出したスマートフォンの画面は、ただ現在時刻のみを僕に教えてくれた。15時55分。駅までの距離と照らし合わせて考えると、16時ちょうど発の電車には乗れるだろう。


 まぁ、いつも通りだな。


 このまま行けば多分、今日は地元でゲームセンターにでも寄って、駅前の商店街で買い食いなんかして、夕飯までにはうちに帰ることになるだろう。


 “いつも通り”だ。退屈なほど普通で、それなりに幸福な日常。僕はそれが、嫌いではない。


 だというのに、彼女はいつも自由奔放に、そして天真爛漫に日常を破壊する。


「あ。あれ乗ろう! 海に着くやつ!」


 言うのが早かったか、それとも駆け出す方が先だったか。とにかく、あいつは駆け出した。


「“あれ”って、いま駅に止まってるやつのこと言ってる!?」

「そう! それ、乗ろう! 海行きたい!」


 駅への道を走りながら、僕らはほとんど叫ぶみたいに言葉を交わした。






 僕は、“いつも通り”が嫌いじゃない。代わり映えしない日常が、むしろ好きだ。

 でも。


 でも、こいつが連れてくる、いつも通りじゃない幸せも、やっぱり僕は好きなのだ。

 全力でロータリーを駆けながら、僕はまだ見ぬ水平線に想いを馳せた。


 

 

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